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戦国ちょっといい話23

1 :人間七七四年:2010/10/29(金) 00:03:37 ID:9aBb5P9U
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話22
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284210262/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1287759374/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/


2 :人間七七四年:2010/10/29(金) 00:09:48 ID:UllVHyK/
>>1

3 :人間七七四年:2010/10/29(金) 01:34:22 ID:OMnADYof
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>1乙でがんす。一緒に笹カマ食うでがんす。
  (:::::::::::::::つ⊂⊃
    しωJ

4 :人間七七四年:2010/10/29(金) 13:05:09 ID:Z3/CjueD
おそらくやる夫真田スレ住人の1乙

5 :人間七七四年:2010/10/29(金) 15:09:53 ID:6mqkX370
>>1 大儀であった どれでも好きな茶を選ぶが良いぞ

  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦    旦    旦
       生茶  雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶 八女茶 狭山茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦   旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯  ミユキのお手製太陽バクバク茶

6 :人間七七四年:2010/10/29(金) 18:00:47 ID:4QJyzayn
後花園天皇の時代、永享(1429〜40)の頃の事だそうだ。

その頃、京では夜、西洞院通より怪鳥が飛び来たり、禁裏の殿上にとどまり光を放つ、という
怪異があった。主上はじめ禁裏の人々これに大いに驚き賜い、数夜にわたってこれが続いたため
ついに公卿達によって詮議が行われた。

「上古、源三位頼政が鵺を射たためしがある。この度も武家に命じて射さしむべし。」

すぐに将軍家へと勅使が立った。

その頃京に参勤し将軍家に将軍家に仕えていた者の中に、讃岐の住人、三谷弥七景春があった。
彼は当時、射手として類なき精兵と知られており、将軍家は彼を派遣することとした。

彼は参内し殿上の床に上って、怪鳥の来る時刻を待った。
しばらくすると怪鳥飛び来たり、禁裏の上まで来るとまばゆい光を発する。

三谷弥七景春心中に神明の擁護を祈り、これに、射る。

射応えあり。

矢は誤たず当たり、怪鳥は地面へと落ちた。

三谷景春はこれを確認しようと階を下らんとしたところ、段を踏み外し下まで落下してしまった。
それを見た公卿が

「そなたは怪鳥を射落とす程の者、心遅れるようなことはないだろうに、
今階段から落ちたのはどういう事か?」

と尋ねると景春

「不詳の身の私が参内をいたしただけでなく、階上にまで登りました。
その事を恐れたゆえに計らずも落下してしまったのです。」

そう答えた。
この事は帝の叡聞に達し帝感美ましまし、昔の頼政が官位であると、三谷弥七景春を
兵庫頭になし賜い、これより兵庫頭と弥七が、三谷家の通名となったそうである。

三谷氏に伝わる、通名についての伝承である。

7 :人間七七四年:2010/10/29(金) 20:29:39 ID:lVBUzZzz
>>6
日本史板の鎌倉・室町逸話スレに書くべきだ

8 :人間七七四年:2010/10/29(金) 20:50:06 ID:auyGLiEU
ものすごくいい加減に官位やるんだな

9 :人間七七四年:2010/10/29(金) 20:53:49 ID:8ZNC1BDz
猫&犬「陛下のペットなんで官位持ちですwwフヒヒwwwwサーセンwwwww」

10 :人間七七四年:2010/10/29(金) 21:22:32 ID:9aBb5P9U
官位というとこんな話が。江戸後期なのでおもいっきりスレ違いなのだが参考までにw


天明元年(1781)、姫路城主の酒井雅楽頭(忠以)は将軍の命により上京することとなった。

ところでその頃、忠以は狆を大変に愛玩して数匹を飼い、その中でも特に気に入った一匹に
いたっては、どこに行くにも連れて回っていた。であったが今回の上京は将軍の命による
公の重き御用であるため連れては行けぬと、江戸の屋敷に置いていくこととした。

ところが出立の日、この狆が駕籠の廻りを離れず、隙あらば主人の居る中に入ろうとする。
近習の者達駕籠に入れてはならぬとこれを防いだが、あるいは吠えあるいは噛み付き、
なかなか手に余る抵抗を示した。

困った忠以は
「とにかく品川の駅まで連れていこう。品川から返してしまおう。」として、
品川に着くとそこから返そうと色々と手を尽くしたが、先と同じく狆は頑強な抵抗を示し、
如何ともしがたく返すのを諦め、ついに上方まで連れていった。

さてさて忠以が京に着くと既に彼の狆のことは話題になっており、帝の叡聞にまで達した。
そして

「畜類ながらその主人の跡を追う心の哀れなり」

とて、六位を賜ったのだとか。

これを聞いて、いたずら事を好む殿上人の口ずさみだろうか、あるいは京童が言ったことだろうか、
こんな狂歌が出回ったそうだ

『くらいつく 犬ぞとかねてしるならば みな世の人の うやまわんわん』

右は根拠のない話ではあるが、当時所々で取りざたされていたので、ここに記す。

『耳袋』より

11 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:17:14 ID:aqMSiu1f
碧蹄館の戦いの時の出来事
明、朝鮮連合(およそ15万)に対して総攻撃を行うことにした日本
その先陣を任された立花宗茂、高橋直次

その先陣を率いるは
小野和泉
立花三左衛門
以下八百余人

中陣を率いるは
十時伝右衛門
内田忠兵衛
以下五百余人

後陣を率いるは
立花宗茂
高橋直次
以下千八百余人

中陣の十時伝右衛門、内田忠兵衛が
先陣を訪れ小野和泉に対して先陣を譲るように言う
小野和泉は軍法を破るだけじゃなく我を侮辱するつもりかと激怒
対する十時伝右衛門、
「そうではない、我々は老年で思い残すことはなにもない、貴殿らは今からの
人物だその勇気も智略も立花家には得がたい人物だからと先陣をお譲りくださいと説得」
真意を知った小野和泉は殿にお訊ね致しましょうと判断を求め
宗茂「それも一理だ」といい先陣と中陣を入れ替える
その結果明軍の先陣二万を退却させるも十時伝右衛門は毒矢により戦死してしまう


立花家の未来の為散った武将のいい話
既出だったらスマソ

12 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:32:03 ID:XD/8lSBN
カリグラ帝「我が愛馬インキタトゥスよ、将来執政官にしてやぞ」

13 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:33:36 ID:ocerXQx/
立花さんちは部下もイカしてるな

14 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:37:05 ID:zL7vx2/c
>>12
僕のインキンタムシも執政官になれますか?

15 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:48:01 ID:XD/8lSBN
>>14
つ横光利一「ナポレオンと田虫」
頑張って皇帝になってくれ

16 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:48:15 ID:nLAY8ySo
         ,;r'"´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ、
         ,r'";;;;:::::;彡-=―-=:、;;;;;;ヽ、
        /;;ィ''"´  _,,,,....ニ、 ,.,_ `ヾ;;;;〉
         `i!:: ,rニ彡三=、' ゙''ニ≧=、!´  人間無骨を持て・・・・・・
        r'ニヽ,   ( ・ソ,; (、・')  i'
         ll' '゙ ,;:'''"´~~,f_,,j  ヾ~`''ヾ.  久しぶりに・・・・・・
        ヽ) , :    ''" `ー''^ヘ   i!
        ll`7´    _,r''二ニヽ.     l  キレちまったよ・・・・・・
        !:::     ^''"''ー-=゙ゝ    リ
        l;:::      ヾ゙゙`^''フ    /
        人、      `゙’゙::.   イ

17 :人間七七四年:2010/10/29(金) 22:52:27 ID:iN89yCj5
141 :人間七七四年:2010/10/29(金) 21:15:26 ID:nLAY8ySo
義光と光安の顔文字ネタ、いい加減同一人物なんだろけどしつこくてキモくて勘弁して欲しい。
まとめブログのコメントまで顔文字でかなりげんなりした。
どうして最上オタってキモイ創作とか同じネタばっか使って受け狙おうとすんの?
そういう狙いがなきゃ最上結構好きだけど、最近の流れキモいわ…

18 :人間七七四年:2010/10/30(土) 01:15:18 ID:tvni0t9O
ある時、一休禅師が幕府政所長官伊勢氏の執事である蜷川新右衛門と共に
比叡山に登ったことがあった。

そこで新右衛門、一休に向かいこんな事を言った

「『比叡の山路を拾ひ往くかな』、さて、この上をお付けください。」

これを聞くと一休、直ぐに

『さし解けて 麓に四貫の銭ばらり』

新右衛門、一休の機知に甚だ感服したそうである。
そんな一休頓知話の一つ。

19 :人間七七四年:2010/10/30(土) 07:05:26 ID:lcws2BBO
板違い+スレ違い
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
こっちに書いて

20 :人間七七四年:2010/10/30(土) 10:50:16 ID:tvni0t9O
>>19
一休さんは時代としてももう戦国にかかってるでしょ。

21 :人間七七四年:2010/10/30(土) 12:46:44 ID:HZc4wF7N
一休の話はもうまとめにいくつかあるよ。

22 :人間七七四年:2010/10/30(土) 12:50:14 ID:+klLx9iA
一休はロックだからスレ違いとか気にしない

23 :人間七七四年:2010/10/30(土) 13:24:13 ID:zOe3pwM6
一休というとアニメの一休さんの影響で、足利義満時代の人物だと
思われがちだけど、大徳寺の住持になったのは応仁の乱後だったりするし、
戦国期の人物とも言えるんだよなぁ。もっとも、蜷川新右衛門が
亡くなったのが応仁の乱以前なので、このエピソードも応仁の乱
以前ってことになるけど。

24 :人間七七四年:2010/10/30(土) 13:34:27 ID:ZRFq1T4B
きっちょむさんは

25 :人間七七四年:2010/10/30(土) 14:15:19 ID:dZrgSghk
便乗して一休さん話でワラタ奴を

ある時いたずら者が一休のところへ、その手に雀を握って現れた。
一休の前に手を突きだし、言う

「和尚さん、この手の中の雀は生きていますか?それとも死んでいますか?」

いたずら者、一休が「生きている」と言えばその場で握りつぶし、
「死んでいる」と言えば逃がしてやろう、そんなふうに思っていたのだ。

「さあ、どうですか!?」

このいたずら者に一休、ただ一言

「無」


いたずら者はその場から逃げ帰ってしまったそうである。


26 :人間七七四年:2010/10/30(土) 14:24:17 ID:bXCzxG/3
ある時シュレディンガーが一休のところへ、箱の中に猫をいれて現れた。
一休の前に箱を突きだし、言う

「和尚さん、この箱の中の猫は生きていますか?それとも死んでいますか?」

シュレディンガー、箱の中に確率的にしか予想できない毒ガス噴射装置をしかけていて、
猫の生死が半々な状態をつくっていたのだ。

「さあ、どうですか!?」

このシュレディンガーに一休、ただ一言

「無」


シュレディンガーは「なるほど、東洋には真偽のほかに無という概念があるのか」
といたく感心したという。

27 :人間七七四年:2010/10/30(土) 15:31:32 ID:hP8WM5VS
ある十五日の夕方、徳川秀忠が手水を使おうと水を取り寄せた。
水の中には今上っている月がうつっている。
そして水の中の月は秀忠が手を入れると二つに分かれた。

それを見た秀忠は
「今まさに天下は割れようとしている。
 それを割れないようにするのは自分次第のことであるが
 世にも心憂いものは天下取りの身の上である。」
と言って涙を流した。

秀忠が次男徳川忠長を甲府に押し込めたのはそれから間もなくのことであった。

28 :人間七七四年:2010/10/30(土) 15:43:11 ID:lcws2BBO
家光と忠長では忠長の方を愛してたんだもんなぁ。
天下と家のために愛情を断ち切ったのね。

現代だと「一国の総理が人前で泣くなんて政治家失格」みたいに言われそうだが
武士の時代の感覚は全然違うだろうね。

29 :人間七七四年:2010/10/30(土) 16:05:08 ID:Fi+9S3VH
まぁ、手を洗うとこにいる小姓辺りは秀忠さんクラスの人にすれば”人”じゃないのかもしれないけどね〜

30 :人間七七四年:2010/10/30(土) 17:57:01 ID:qzuP0Gjy
鎌倉から戦国あたりまで、男が泣くことが恥ずかしいというような思想は
なかったような。
明治になってからかな?

31 :人間七七四年:2010/10/30(土) 18:02:13 ID:dZrgSghk
>>30
江戸歌舞伎とかでも結構ワンワン泣いてるしね。
男が泣くな、という考えはそれまでもあったにせよ、社会通念のようになったのは
明治以降だろうね。

32 :人間七七四年:2010/10/30(土) 18:07:33 ID:lcws2BBO
明治以前でも許される泣き方と駄目な泣き方があったと思う。
・怖いから泣く
・ひもじくて泣く
・痛いから泣く
・ケンカに負けて泣く
・女に袖にされて泣く

こういうのは当時でも駄目な泣き方だろう。
最後の泣き方は平安貴族なら情け深いとか言われたのかもしれないが。

33 :人間七七四年:2010/10/30(土) 18:51:43 ID:FEgxYnqv
女に袖にされて泣く、のはありなんじゃないのか。
そういうので泣かないと冷たい〜ってなったんじゃないかな。

泣くのが駄目、なのは明治以降西洋の価値観画はいってからだろうな。
最上義光とか部下の悲恋話に号泣しまくってウワァァンとか美談ぽく残っているくらいだし。

34 :人間七七四年:2010/10/30(土) 20:53:26 ID:JZd3PdUK
また仲間内でくだらない話をやってるな


俺の話は無視しやがったくせに

35 :泣くな渡右衛門 1/2:2010/10/30(土) 22:12:17 ID:sK6KKi5p
その日、真田信之の家臣・木村渡右衛門は、江戸からの至急の書状を受け取った。
「!そうか、親父殿が・・・・・・」
真田家江戸家老の要職を務める渡右衛門の父・木村縫殿助は、今や死の床にあった。

昼も夜も無く渡右衛門は駆け続け、江戸藩邸へ向かった。
「父上!」
「・・・おぅ、間に合うたか・・・実はな、お前に頼みがある。わしは鈴木右近とある約束を交わし、誓紙まで書いたが
この有り様では、もはや約束も果たせぬ。お前、このまま国元へ帰り、誓紙を右近に返して謝ってくれ。」

真田家の名物男、鈴木忠重は国元で奉行職を歴任していた。
「そんな・・・誓紙を返すだけなら、他の者でも良いではありませぬか。せっかく急いで来たのです。
ここで、ご病状を看取らせて下さい。」

「いやいや、自分の体は自分が一番分かる。こたびは、もはや助からぬ。結果が分かるゆえ、看取るに及ばず。」
「しかし・・・」「たわけッ!!」
瀕死のはずの縫殿助が、鬼の形相を見せた。
「侍の親子が、国や主家を別にして死ぬ事など珍しくもないわ!末期に汝の顔など見とうもないわ、早く帰れ!!」

(わけの分からん約束事の誓紙一枚のために、親父の死に目に会えんとは・・・)
怒りと涙にまみれながら、渡右衛門は国元への道を急いだ。

36 :泣くな渡右衛門 2/2:2010/10/30(土) 22:13:28 ID:sK6KKi5p
「念の入った謝辞、かたじけない。そうか、縫殿助はいかぬか。惜しい者を亡くした。」
返された誓紙を押しいただく忠重にも腹が立つばかりの渡右衛門は、そっけなく鈴木家を辞去しようとした。

「確かにお渡しした。では、拙者はこれで。」
「ああ、待て待て。その顔ではお主、父御の言いつけに納得しておらぬな?だがなお主、この件の他に縫殿助から
何か遺言を授かったかな?」
「・・・・・・」

「それはな、縫殿助がお主という立派な倅を持ったがために、『他に思い残す事は無い』という信頼の表れよ。
その証拠にお主の面構え、縫殿助をそのまま若くしたようじゃ。縫殿助が、うらやましい・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

「そこで、だ。縫殿助に似たるお主に、わしと縫殿助の『約束』を引き継いでくれたら、幸いじゃ。」
忠重は渡右衛門に、誓紙の中身を見せた。
「これは・・・!心得申した。ぜひ私に父の約束、果たさせて下され!」



明暦4年(1658)、鈴木右近忠重、主君に殉じ切腹。幕府より殉死の禁が出される中、「右近ならば苦しからず」と
特に許されての殉死であり、忠義の臣・鈴木右近は、歴史に名を残した。

その見届け役の名を、木村渡右衛門という。

37 :人間七七四年:2010/10/30(土) 22:15:32 ID:qzXMx2Z0
儒教じゃ、泣き声や取り乱す様子が激しければ激しい程、哀しみの深さを顕しているから忠孝に値するんだっけ?

38 :人間七七四年:2010/10/30(土) 22:55:18 ID:TH9bBQss
>>35-36
いい話だ
しかし読む途中で黒田親子の場合を思い出して何ともw

39 :人間七七四年:2010/10/31(日) 00:51:37 ID:VGJLsiVI
跡継ぎが立派かどうかって本当に大事だ。
親父さん、気持ちよいご臨終です。

40 :人間七七四年:2010/10/31(日) 02:05:45 ID:YntaUwbz
>>35ー36
真田太平記の右近もかっこいいけど、史実もいい男だな

41 :人間七七四年:2010/10/31(日) 17:17:59 ID:I7ssD0Kl
男は涙を見せぬもの見せぬもの

42 :人間七七四年:2010/10/31(日) 18:08:18 ID:/GQzU3Hb
振り向くな、ア○ロ

43 :人間七七四年:2010/10/31(日) 20:40:42 ID:BO1JS6dS
アフロ?

44 :人間七七四年:2010/10/31(日) 20:42:40 ID:mNoEYTnY
どこにも掛かってないのにチンコに見えた

45 :人間七七四年:2010/10/31(日) 20:45:02 ID:bQAkofRB
悪路王のことだったりして
スレ違いだけど

46 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:01:56 ID:ELZPdfzJ
しかし右近殿は首を掻き切られたとか押し切られたとか・・・

47 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:25:26 ID:LNZJfgHy
大久保彦左衛門は言う。

「知行を得られる方法が五つある
一、主人に対して二心を抱く者。こいつは子孫も栄える。
二、怪しい行動で人に笑われる者。
三、外面がよくて、取り入るのがうまい者。
四、計算高く、代官の格好が似会う者。
五、あてのない余所者。

得られない方法も五つある。
一、忠義一筋の者。こいつは子孫が栄えない。
二、武勇ある者。
三、世間体の悪い、行き届かない者。
四、計算高くない年寄り。
五、譜代!

たとえ餓死しようとも後者であるべし。」

つまり俺のようにあれ、と。

48 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:27:38 ID:9Ud1sHPW
いい話か・・・?

49 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:30:26 ID:VGJLsiVI
なんとかして自己を肯定感じが…ww

50 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:33:44 ID:ugjAQWd7
まさに酸っぱい葡萄。

本当に何で兄貴の知行をもらわなかったんだろう?

51 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:40:10 ID:ZFerrBoK
何か大御所の天下盗りの様を揶揄しているようにも思える

52 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:41:50 ID:r3h+e8pe
>>47
無能の言い訳にしか聞こえん

53 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:50:22 ID:AKq8ZS0l
彦左衛門からすると、よそから鞍替えしてきたような、畳の上でお行儀よくくっちゃべるのが
得意な奴が優遇されてるのが気持ち悪くてしょうがなかったんだろうな
でも、世の中治まりかけると、そういう政治力とか外交力とかがある奴が頼りなんだよなー
しかし世の中には、藤堂高虎みたいな徳川への肩入れが異様に早くて
武功もあるけど朝廷との交渉にも使えるようなのもいるからよくわからん

54 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:51:42 ID:ugjAQWd7
>>52
少なくとも彼は無能ではない・・・が・・・

55 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:53:10 ID:2PiZQ/X2
彦左衛門からは時折+民のような負のオーラを感じるw

56 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:53:24 ID:mNoEYTnY
忠勝思い出したけど、彼はわりかし重要な領地貰ったんだっけ

57 :人間七七四年:2010/10/31(日) 21:56:34 ID:ugjAQWd7
わりかしどころじゃないな。
桑名は東海道の最前線だ。
中山道の最前線、彦根を守る直政と合わせて最初の関門になる

58 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:04:03 ID:gk0dsaMM
>>55
鬱屈は時折でもないような

59 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:05:00 ID:Dmh1lYdw
一、主人に対して二心を抱く者。こいつは子孫も栄える。→太閤殿下に忠誠を誓いつつ裏でこそこそ

二、怪しい行動で人に笑われる者。→味噌漏らして、周りから失笑をうける

三、外面がよくて、取り入るのがうまい者。→一見いい人そうだけど腹黒い

四、計算高く、代官の格好が似会う者。→不正で肥えた悪代官が似合います

五、あてのない余所者。→三河、尾張、駿河、遠江、武蔵をふらふら

完全に家康批判ですね。ありがとうございました

60 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:11:07 ID:/w10P4Bl
>>59
秀吉批判だよ

一、主人に対して二心を抱く者。こいつは子孫も栄える。→織田家の忠臣と言いつつ裏でこそこそ

二、怪しい行動で人に笑われる者。→越中から勝手に帰国したりして笑いもの

三、外面がよくて、取り入るのがうまい者。→一見いい人そうだけど腹黒い

四、計算高く、代官の格好が似会う者。→実際京で代官もやってました

五、あてのない余所者。→若い頃尾張三河駿河をふらふら


そして信長批判だよ

一、主人に対して二心を抱く者。こいつは子孫も栄える。→義昭の忠臣を装いつつ裏でry

二、怪しい行動で人に笑われる者。→天下は朝倉殿持ちたまえなどと逃走

三、外面がよくて、取り入るのがうまい者。→最初は義昭にいい顔しまくってました

四、計算高く、代官の格好が似会う者。→計算高さはピカイチです。義昭の代官として権力を行使しました

五、あてのない余所者。→尾張美濃近江とふらふら

つーかどうとでもこじつけられるよこんなもの


61 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:13:02 ID:bQAkofRB
子孫も栄える?

62 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:15:47 ID:cm4c9LzF
彦左衛門が大久保忠左の遺領を継がなかったのは自分の意地ことばかり考えて
兄の遺臣たちのことを考えなかったとても迷惑な行為だと思うんだな。

63 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:16:39 ID:govhOdPn
箇条書きの法則

64 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:44:08 ID:SlfftqGy
・夜討
・強盗
・偽綸旨

65 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:49:20 ID:Dmh1lYdw
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習を破リ天地ノ公道ニ基クベシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ



66 :人間七七四年:2010/10/31(日) 22:59:29 ID:JniP8I/8
文句があるなら、一人でブツブツ言ってないで本多親子に直接言えw

67 :人間七七四年:2010/10/31(日) 23:08:01 ID:bQAkofRB
一 被造人ハ人ヲ害スルコト勿レ、又、害サレルノヲ黙視スル勿レ
一 被造人ハ人ノ命ニ従ウ可シ、但シ前条ニ反シナイ場合ニ限ル
一 被造人ハ前条、前々条ニ反シナイ場合ニ限リ自己ヲ保全ス可シ

68 :人間七七四年:2010/10/31(日) 23:08:19 ID:ugjAQWd7
>>66
面と向かうと、コブシどころか刀が出ちゃったりする関係なんじゃないですか?w

69 :人間七七四年:2010/10/31(日) 23:15:50 ID:zXfrLgul
>>47
全然いい話じゃないだろ・・・

こういう負け惜しみみたいな事言う奴は終わってる

70 :人間七七四年:2010/10/31(日) 23:37:06 ID:kAiTi26P
なんか漫画であったなぁ。
彦左が三河物語書いて幕閣批判しまくって、それに同じような境遇の旗本
が「ご老人の言う通りだ」と盛んに持ち上げるんだけど、彦左はそいつらをも
「おまえらだって口ばっかで幕閣に直接なんか言ったのかよ」と毛嫌いしていたんだが、
主人公から「お前だって口ばっかじゃないか」と指摘されショックを受けるというのが。

71 :人間七七四年:2010/11/01(月) 11:22:37 ID:wgjGRLvm
>>70
安彦良和の?

72 :人間七七四年:2010/11/01(月) 18:35:20 ID:TDQPsGpw
言ってるのが彦左衛門じゃなきゃ、「なかなかの皮肉」と評価してもらえる場合もあるんだろうけどね。この内容は

73 :人間七七四年:2010/11/01(月) 18:43:18 ID:R/S2XQGq
既出だったらゴメン

政宗「京人(みやこびと)も懲りないね」

昔、安倍貞任が乱を起こし、弟の阿部宗任が捕らえられた。
東国の田舎者と馬鹿にした公卿が梅の花を示し、これは何と言うかと尋ねたところ、よどみなく歌でこう答えた。

わが国の梅の花とは見つれども大宮人は如何いふらむ

このことは川柳に「ソリャハァ梅だんべいと言わせる気」などと取り上げられている。

天正年間に上洛した伊達政宗に公家が、桜花を手折って「一詠を」と言ったところ、即、

大宮人梅にも懲りず桜かな

と詠んだとか・・・・・・。

公家にとってはバツの悪い話。
東北人にとってはスカっとする話。

そういえば
「東北はクマソの産地、文化程度は極めて低い」とのたまったサン○リーのお偉いさんも昔いましたね。

74 :人間七七四年:2010/11/01(月) 18:59:20 ID:R/S2XQGq
最上義光と荒連歌

古織様にもまーくんにも邪険にされている鮭様にも他人には譲れないものがあった。
それは「連歌」。五七五・七七・五七七を謳う雅である。
義光は「東国一の歌い手」と言われ、細川幽斎とも交流があったといわれる。

●面影の花をたびたびかえりみて/
   過ぎ行くあとの関ぞ霞める (義光/里村玄仲)
 
なつかしい人の面影をしのばせる桜の花を、幾度も振り返り見ると、あの人と別れ過ぎて来た関所の建物も、うっすらと霞んでいる。あの人も霞の中に立って、こちらを見送っているのだろうか。
(マイラブお義が伊達家に嫁いで悲しいです)

●花ゆへに馴れ初めけるも縁(えにし)あれや/
   変わらじとのみ契りつる仲 (義光/飛鳥井雅庸)

お互いに心変わりをしまいと固く契りあった二人の仲。美しく咲いた花がきっかけで愛しあうようになったのも、何か深い縁があったからだろう。
(兄妹は仲良しです。マイラブお義といえど、親父義守よりも好かれてるもんね。)

●暮るるまで帰さ忘るる花の下/
   そことも知らず鐘かすむなり (義光/光高〈姓未詳〉)

日が暮れるまで帰ることさえ忘れてしまう花の下。どこで鳴るのか、夕方の鐘の音もぼんやりと霞んで聞こえてくる。のどかな春の日暮れよ。
(マイラブお義の事を考えてると時間さえ経つのが早いです。)

●散るあとも尋ぬる花の山深み/
   帰りも絶えぬ鶯の声 (義光/里村唱叱)

里の桜が散った後も、もっと花を見たいと尋ね入った山深く、帰りの路でも鶯の声が絶えず聞こえていた。名残り惜しい花の季節もそろそろ終わりか。
(´・ω・`)「・・・」
光安「殿、帰りましょう」

●誰もただ花に心や浮かるらん/
   出(い)で入りしげき九重の春 (義光/里村景敏)

だれもが花に浮かれて、たくさんの人が行き交う。都はまさにらんまんの春。
(´・ω・`)「満延・・・」
光安「殿、帰りますよ」

元歌
http://sengoku.oki-tama.jp/?p=log&l=71337

シスコンと日常生活が垣間見える良い連歌。

75 :人間七七四年:2010/11/01(月) 19:21:55 ID:GWSBmuas
酒井正親という人がいる。松平清康の時代から松平家に仕え広忠、家康を支え、
家康が人質として駿府に送られた時は、ともに駿府に赴いた、家康初期の忠臣の一人である。

そんな酒井正親は桶狭間の後家康が三河を回復し独立を達成すると、当然のことながら
徳川家に置ける重臣の一人として大きな権勢を持った。

ところで徳川家中に神谷某という身分の低い侍があった。
この神谷は権勢を誇る重臣である正親に親しもうとせず、出会っても頭も下げず傲然としていた。
重臣に対して、無礼というべき態度である。
これを見た正親はすぐに家康の元に行き、神谷のことを告げた。曰く

「神谷という男は真に用いるべき者です。どうかその俸禄を倍にしてください。」

正親は再生した徳川家が、下の者達が権勢に諂うような家風になってはならぬと
このように薦めたのだ。

これは後年、家康が土井利勝に語ったことだそうである。

酒井正親、自分に媚びぬものを賞させる、というお話。

76 :人間七七四年:2010/11/01(月) 19:26:57 ID:B60EEf9n
>>75
カッコイイなー

77 :人間七七四年:2010/11/01(月) 19:39:48 ID:0DNKjVdU
>>73
既出。
あとクマソって九州じゃ。

78 :人間七七四年:2010/11/01(月) 19:41:50 ID:pKcON8qI
>>77
サントリーの社長は蝦夷とクマソの区別も付かなかった。
関西人にすれば、どっちも辺境の野蛮人で同じなんだよ。

79 :人間七七四年:2010/11/01(月) 19:43:02 ID:uNPwF7pl
東北はエミシじゃね?と思わんでも無いな。

80 :人間七七四年:2010/11/01(月) 19:43:44 ID:Pb6kL2qz
>>77
東北を馬鹿にしたサ○トリーが九州でも嫌われた理由がそこにある

81 :人間七七四年:2010/11/01(月) 20:12:51 ID:0VE4LtCf
伊達厨、直江厨、最上厨を見てると東北は馬鹿にされてもしょうがなく思える

82 :人間七七四年:2010/11/01(月) 20:26:36 ID:jScemNyp
せめて東北の全人口の0.1%はいるやつ等で判断してやれよ

83 :人間七七四年:2010/11/01(月) 21:24:22 ID:0DNKjVdU
>>78-80
おうなるほど、原文ママだったのかw

84 :人間七七四年:2010/11/01(月) 21:34:23 ID:jeZJoEzU
>>81
同感。

85 :人間七七四年:2010/11/01(月) 21:50:47 ID:soExALX+
>>75
すげー!
新社会人の奴らもこれ真似して上司無視してみなよ!査定上がるよ^^

86 :人間七七四年:2010/11/01(月) 21:56:25 ID:kTeM64Lc
こうして面倒臭い伝統が培わされていくわけですね^^

87 :人間七七四年:2010/11/01(月) 22:18:44 ID:91+KYzM8
>>83
当時叫ばれてた東北遷都論でニッカのお膝元の仙台が有力候補だったから
シェアが落ちるのを危惧して発言したら九州まで敵に回しちゃったんだよね

88 :人間七七四年:2010/11/01(月) 22:35:52 ID:AugUn7bk
音楽ホールや美術館に金を出す文化的な会社、ってウリにしてただけに
付け焼き刃の成金にしか見えなくなっちゃって痛々しかったなあ、あれ

まあ文化程度が地の底這ってるのは事実だと思うけど、公に言っちゃ
駄目だよねえ 未だに不買してる人がいたりするよ

89 :人間七七四年:2010/11/01(月) 22:55:42 ID:O2JZDtIi
>>73
既出だけどせっかくなのでちょっと補足。
実はこの話の公家、この時二重にカウンターを食らっている。

前九年の役、衣川館の戦いで宗任の兄貞任を破った源義家、
敗走する貞任に向かって矢を番えながら逃げんなコラ、
「衣のたてはほころびにけり」と呼びかけた。

すると貞任は間髪いれず「年を経し糸の乱れの苦しさに」と返し、
感心した義家は矢を下ろし追撃をやめたという。

それから五世紀後に、今度は奥州の伊達政宗の上の句に都の公家が
下の句を返せず恥かいた、という話。

90 :人間七七四年:2010/11/01(月) 23:18:03 ID:NYBdVQdN
>>89
どう考えても戦国の話じゃないな。板違いだ!

91 :人間七七四年:2010/11/01(月) 23:24:20 ID:pKcON8qI
いや、繋がってるんだよ歴史は

92 :人間七七四年:2010/11/01(月) 23:27:51 ID:uUAlkY95
>>90
補足やん
>>74
マイと「妹(まい)」が掛かってる
はなの米(まい)の里の鮭様の話って事で

93 :人間七七四年:2010/11/01(月) 23:40:15 ID:dex0TUdX
鮭ネタイラネ

94 :人間七七四年:2010/11/02(火) 00:06:43 ID:DkIYNf35
四月二日
家康が幽斎のところへ碁打ちを見に来るのでお前も来ない?と樹斎から手紙がきた。
使者には「行く行く、って言っといて」と返事をして直接幽斎のとこに行ったら、家康はまだ来てなかった。
ちょっと待ってると来たので、挨拶をして、山科黄門と一緒に会場に向かった。
山科の地下人と樹斎の勝負は樹斎が二目で負けた。
途中で幽斎が太閤から呼ばれて出てったけどすぐ帰ってきた。その後あれこれ碁話したり雑談したり。
夕飯の相伴にあずかって家康を見送って帰った。

四月十八日
家康が幽斎と一緒にやってきた。碁打ちも各々やってきて、早朝から日暮れまで盛り上がった。
二百人くらい来たけど、昨日幽斎が差し入れしてくれた鶴と塩雁でもてなした。

五月二日
幽斎から「家康がまた遊びに行きたいなって言ってるんだけど大丈夫?」と手紙がきた。
オッケーと返事すると「振舞は俺がするからな」とのこと。

五月四日
巳刻に家康が到着。その前に幽斎・柳原は来てたので、早速お座敷に移動。碁打ち見物。
古田織部が持ってきた切麦と雁の吸物で昼食。夕食は予定通り幽斎の振舞。
日本紀やうちの家の家系図とか見たりして、終始楽しそうでした。よかった。

五月九日
家康が南禅寺に来るよって長老から幽斎に手紙があったらしい。お前も来ない?って誘われた。
そんじゃ、って手土産持って向かったら家康はなんかむちゃくちゃ機嫌よくて
碁話とか雑談とかで盛り上がった。暮れ頃に帰った。松井佐州のお内儀にご馳走になった。

五月十二日
柳原亜相の屋敷に家康が訪問していたらしい。
私は別件で用事があったけど早めにすませて急いで向かうと、
家康に山科もついてきてたようでみんな碁打ったりワイワイやってた。途中で幽斎も来た。
家康は暮れ頃に帰って行ったので、見送りついでに私も帰った。
幽斎は明日早朝に在所に帰るというので、見送りに行けないからここで暇乞いをした。


兼見卿記より、文禄三年四月から五月にかけてやたら家康・幽斎との碁会記録の目立つ日記意訳抜粋。
単純にこの頃この周辺で碁がブームだったのか、はたまた幽斎は三月に弟を亡くしているようなので
みんなでワイワイ騒いで幽斎をなぐさめるためだったのか・・・
よくわからないけどなんか楽しそうな話。

95 :人間七七四年:2010/11/02(火) 00:11:29 ID:rSM/T7Tm
雁の料理食べてみたいな

96 :人間七七四年:2010/11/02(火) 01:18:38 ID:MUt707Cu
>>94
「今日はお前んちでモンハンしようぜー」
「じゃあ飯は俺が買ってくるわ」
「やべぇwこっち瞬殺されたwwお前のプレイ見せてよ。……ふーん、ランス使いなんだ。どう攻めるの?」
「気が散るww」

なんか楽しそう

97 :人間七七四年:2010/11/02(火) 01:23:58 ID:vSmyKofT
メンツがメンツだけにそんなノリだったら相当カオスだな

98 :人間七七四年:2010/11/02(火) 01:42:59 ID:/VykmNLy
>>94
しかし、幽斎はどこにでも顔だすよなぁ…



99 :人間七七四年:2010/11/02(火) 01:47:02 ID:/VykmNLy
スマヌ
ageてもうた…orz

100 :人間七七四年:2010/11/02(火) 02:15:30 ID:hSArfikF
>>75
既出かと思ったら神谷与七郎と酒井忠世で出てた。混同しているのか勘違いしていたのか。


101 :人間七七四年:2010/11/02(火) 02:29:00 ID:YyLVmasL
>>94
天理図書館報ビブリアに載ってる兼見卿記が手元にあるなんて羨ましいです。
文中の山科黄門は山科言経ですよね?もしそうな文禄三年四月から五月の言経卿記と照らし合わせることが出来ますね。

102 :人間七七四年:2010/11/02(火) 02:39:00 ID:Ki5ccacZ
>>101
国会図書館でコピって貰えるよ
ネット申し込みで郵送受け取りも可

103 :人間七七四年:2010/11/02(火) 03:42:14 ID:DkIYNf35
>>101
たぶんそう<山科言経
ビブリアは普通に県立図書館にあったんでまとめてコピってきた
探してみると意外にあるかもよ

ただビブリアの兼見卿記は原本の天理大所蔵品が中途半端な巻数のせいで
関ヶ原前は文禄二年〜慶長二年まで、あとは結構年代が飛んで関ヶ原時期すっとんでたり
重要な時期が追えなかったりするのが難点・・・

104 :人間七七四年:2010/11/02(火) 09:27:50 ID:N+2hyf0z
幽斎さん、適度な距離感をどこととでもだれとでも保ってるのがいいかと・・・
三斎さんみたく自分の感情をはっきりと顕にしなところもね〜

でも、愛されるのはパーフェクト超人に近いけどそれをぶち壊すくらい人間味溢れる三斎さんだと思うw

105 :人間七七四年:2010/11/02(火) 12:27:27 ID:YyLVmasL
>>102>>103
教えていただきありがとうございます。
さっそく地元の県立図書館の蔵書検索したらビブリアありました。

106 :get1:2010/11/02(火) 21:12:30 ID:KhvIVSb/
ラスボス秀吉の話(確か中島らものエッセイに載ってた)
昔ある茶坊主の入れる御茶があまりにも美味しかったため
屏風に穴をあけ のぞくとそこには指を入れて味見している茶坊主の姿が
お茶を秀吉に運んでくるときに秀吉がひとこと
「この世で一番悪いことはなにかわかるか」
茶坊主は「それはのぞきでしょう」
茶坊主の見事なきてんに 褒美をとらせたという

107 :人間七七四年:2010/11/02(火) 21:17:47 ID:lXKxkFfC
ラスボスはラスボスになっても常時ラスボスじゃないっつーか
本当楽しそうな時はき合ってても楽しそうなんだよな…

108 :人間七七四年:2010/11/02(火) 21:28:19 ID:N+2hyf0z
この機転が自らの命を救ったかと思うと・・・

109 :人間七七四年:2010/11/02(火) 21:29:39 ID:o6SqjEFj
落語「太閤と曽呂利」
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2974.html
既出といえば既出・・・動画だけど

110 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:03:26 ID:ULQ1rfC6

ラスボスの関東仕置きの結果、北条氏は改易。その後の関東には徳川家康が新しい
領主として東海から移動するコトとなった。

新領主である家康は、領地の巡検も兼ねた鷹狩を好んで行っていたが、ある時、狩
場の近くに「太平山龍淵寺」と号する寺院があると聞き、そこに立ち寄るコトにし
た。

「太平山という山号が縁起が良い」という理由での気まぐれだと言うが、この龍淵
寺は関東仕置きで唯一つ、最後まで落城しなかった忍城の城主、成田氏の菩提寺で
ある。成田氏の旧領を視察しておきたい、というのが家康の本音であったのだろう。

一説には最盛期には三十万石を領したとも言われる成田氏の菩提寺であり、その庇
護を受けていた為、かつては非常に栄えた寺院だったのだが、庇護者である成田氏
が武蔵国から去った後は威勢は衰え、龍淵寺は困窮に苦しんでいるのが現状であっ
た。

そんな龍淵寺を訪れた家康は住職である呑雪と対面する。
が、この呑雪という僧侶、何やら見覚えがある。確かに以前、どこかで顔を合わせ
ているハズだ。

「もしかして種松? お主、種松ではないのか!?」

記憶を掘り返して思い至った顔は、家康が未だ今川家の人質として駿河に居た時代
のモノだった。
駿河のある寺院で家康と共に、読み書きを習っていた少年、種松だったのだ。

「コレは奇なる縁もあったものだ!」
再会を喜んだ家康は、窮状に晒されているのが旧友であるコトを知り、龍淵寺に莫
大な寄進を与えようと申し出る。
しかし種松=呑雪は、
「出家に財産など無用。謀反人として処罰された方の菩提寺を手厚く保護されたの
では、徳川様にも迷惑がかかるでしょう」
と言って、申し出を断る。

寄進を「あげる」「いらない」という押問答の末、
「喰うモノにも困るようでは、修行や勉学にも支障が出るだろう、最低限の寄進く
らいは受け取ってくれ」
と、百石の土地を龍淵寺に漸く受け取らせたのは、翌年になってからのコトだった。


寺に百石って、かなり多いよね。つか、桁が違うよね。
この時に限って妙に気前の良かった権現様のいい話。


111 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:16:38 ID:0QwxePtl
諸星wwww

112 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:17:20 ID:0QwxePtl
覚せい剤やりたいってメンバーも出てくる

113 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:18:07 ID:0QwxePtl
誤爆ですorz

114 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:18:08 ID:7dafhyRU
まぁ何となく家康の気持ちはわかるw

115 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:38:33 ID:nP9pUT1O
曹洞宗か・・・
無欲な寺って大概禅寺だよね

116 :人間七七四年:2010/11/03(水) 00:58:53 ID:vW9IVxPb
子供のころに意地悪してなくてよかったね、意地悪したひとが酷い目にあった逸話をまえにここでみたような

117 :人間七七四年:2010/11/03(水) 01:00:02 ID:cRndASbc
孕石元泰「まったく、いったいどこの誰のことだか」

118 :人間七七四年:2010/11/03(水) 01:08:28 ID:WxQoIEmi
三河者と間違えるくらい面倒くさい坊主だなw
だからこそ家康と友人づき合いできたのかもしれんが。

119 :人間七七四年:2010/11/03(水) 01:41:46 ID:xLNVDAPd
>>116
あれもずっと意地悪し続けてたからだったような

120 :人間七七四年:2010/11/03(水) 02:40:20 ID:a9tmm2Se
>>117
そんな孕石さんの最期の姿を褒める彦佐さんカッコ良いっす

121 :人間七七四年:2010/11/03(水) 07:47:51 ID:WB2GRtFM
仙北一揆の後始末に上杉家臣が走り回っていた頃のお話

上杉家臣の色部長実が一揆の処理の為にある山中に入った

で、 迷 っ た

不慣れな山中
一揆の事後処理であればこそ残党の存在も危惧された
困った色部長実の前に不意に雉が現れた
彼はこの雉に導かれて無事に人里にたどり着く事が出来たという
この事により色部家では雉は大切に扱われるようになった
後に色部家が領した米沢市窪田では食べるのを禁じる旧家がある

ちなみに雉は法に明記された現在の日本国の国鳥であるが…
国鳥を狩猟対象にして食っているのは日本位である
フランスも鶏を国鳥としているが法制化されてなかったりする

122 :人間七七四年:2010/11/03(水) 14:51:55 ID:ULQ1rfC6

三河の地で徳川家康の父、松平広忠が、織田信長の父、織田信秀の侵略を受けてい
た頃の話。
後世「三河武士団の鉄の結束」みたいなコトを言われるが、実は度々三河武士団は
分裂し、他国に通じて内乱に明け暮れるコトも多かった。
この時も松平家一門の松平忠倫他、多くの武士が織田家に寝返り、今川家の救援を
仰いだ広忠と対立していた。

織田勢とそれに味方する三河勢に押され、岡崎城は既に孤立した状態。
しかし今川家の救援はまだ来ない。手も足も出ない広忠はなりふり構わない策を取
る。

「……松平忠倫を斬れ」

広忠は筧重忠を呼び出し、百貫の知行と引き換えに、三河における織田方の中心人
物、松平忠倫の暗殺を命じた。

重忠は、弟の筧正重と共に忠倫の居城、上和田砦に忍び込み、就寝中の忠倫を見事、
暗殺してのける。

しかし、余程緊張していたのか、そして主命を果たしたコトで気が抜けてしまった
のか、重忠は腰が抜けたように崩れ落ち、一歩も歩けなくなってしまう。
正重は慌てて兄の元に駆け寄ると、兄の腕を取り、こう言った。

「百貫の内、いくら出す? ケチなコト言ったらココに置いてくぞ?」

脅迫である。
しかし重忠はその言葉を聞いて、

「おまえ、人をゆするの、上手いなぁ」

と笑いながら、その度胸を褒め称えた。
重忠は弟に背負われ、無事に上和田砦を抜け出し、百貫の知行を貰ったという。


いや、そこ、感心するトコですか、兄ちゃん!?
まぁ、本人が褒めてんだから、いい話なんでしょう。
やはり思考回路が一般人とは一味違う三河武士兄弟のお話でした。


123 :人間七七四年:2010/11/03(水) 15:19:34 ID:nP9pUT1O
見捨てて自分の手柄にするような弟じゃなくてヨカッタね!お兄ちゃん!

124 :人間七七四年:2010/11/03(水) 16:17:20 ID:YYLqJ/Q6
兄は家督と所領を継げるけど、弟は独立のための領地が欲しい
こんなところだな

125 :人間七七四年:2010/11/03(水) 18:17:54 ID:qBIMlKWz
腰抜けてるわりに兄貴の方も結構余裕だな

126 :人間七七四年:2010/11/03(水) 18:20:22 ID:SzSntFrg
筧は江戸時代は旗本になったんですか?

127 :人間七七四年:2010/11/03(水) 18:22:19 ID:kI4Y1R10
弟を信頼してるというのもあるんだろうな
身内を信頼できるというのは戦国時代では珍しいね

128 :人間七七四年:2010/11/03(水) 18:33:20 ID:1zdyFUTe
大塩金右衛門の男の気配り

元亀元年四月二十日、朝倉義景征伐のために羽柴秀吉配下として山内一豊も従軍していた。
金ヶ崎の戦において、強弓をもって織田軍勢を追撃する朝倉軍に先頭に立って進んだ山内一豊は、敵の矢を受け左眥(まなじり・目じり)から右奥歯に貫通する深手を負いながら、
槍を振るって立ち向かい、朝倉一門の大剛三段崎勘左衛門を組みしいた。
しかし顔の重傷と疲労困ぱいのため、首級をあげる気力を失って呆然としているところを
友人で味方の兵将大塩金右衛門が通りかかって首を打ち落とし、
「加勢したまでで手柄は貴殿のもの」と言いおいて先へ進んだ。

大塩「手伝っただけだもん」

129 :人間七七四年:2010/11/03(水) 18:40:19 ID:0p3M5rUG
>>125
むしろ生々しい話をされて正気に戻ったんじゃないかと思う

130 :人間七七四年:2010/11/03(水) 23:16:33 ID:wIpRkGQF
>>122
筧正重って三河一向一揆に加わって平岩親吉を討ち取りかけた人だっけ?

131 :人間七七四年:2010/11/04(木) 00:15:53 ID:JTgYhWaZ
>>130
その通り。筧正重は旗奉行に抜擢↓されたりもしている。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2258.html

132 :人間七七四年:2010/11/04(木) 01:51:53 ID:xPjEUdgK
>>130
一向一揆の時は兄が徳川、弟が一揆に分かれて戦ったみたいね。

133 :人間七七四年:2010/11/04(木) 02:48:22 ID:0vjofXrR
両方に顔を立てたのかっ!

134 :人間七七四年:2010/11/04(木) 08:52:07 ID:ZRW2JChT
三河一向ってなんであんなにぐちゃぐちゃなのー?

135 :人間七七四年:2010/11/04(木) 09:14:59 ID:CRjOOLvA
グチャグチャじゃない一向一揆なんて存在しません。
越前一向一揆なんて何がなんだか分からんよ。

136 :人間七七四年:2010/11/04(木) 10:29:52 ID:4RedspJJ
>>135
伊勢の一向一揆討伐に奮戦したのに恩賞がなかったから
地元越前の一揆衆を守護代と織田の代官にけしかけてやったぜェーヒャッハァアー!!!

137 :人間七七四年:2010/11/04(木) 13:56:18 ID:f06Fzv3T
>>132
本家対分家の構図が多いんじゃなかったっけ?

138 :人間七七四年:2010/11/04(木) 21:15:44 ID:JZGU5ubO
江戸時代に、四国の老父に語り伝えられていた話だそうだ。

三好長慶の母は長慶を孕んだ時大願を起こし、七夜の月を待ち誓いをなして曰く

『我が孕むところの子、男子ならば三好七代天下を持たせ給え!
女子ならば皇后の位に立たせ給え!』

として、領地である三好の河瀬に立って水を桶に汲み入れ頭から被り月の出のを
待っていた。
七夜の月が満ちる頃、祈りの験があり宿所に帰った。

やがて月満ちて長慶を産み、成長してついに天下を掌にした。
辺鄙なる阿波より出て天下を制するのは容易なことではなく、
これも母堂の立願があったおかげであろう、と言う。

また別の者の言うところでは、母堂がこの祈願をしたのは、夫である三好元長の
討死を聞いたとき、憤ってそうしたのだ、とも伝わる。


三好長慶生前の立願、と言うお話。

139 :人間七七四年:2010/11/04(木) 21:35:32 ID:+LRFfLbu
弟の時はやらなかったんだろうな

140 :人間七七四年:2010/11/04(木) 22:03:50 ID:QnPFemwB
兄弟が争うようになっちゃうだろw

141 :人間七七四年:2010/11/04(木) 23:27:17 ID:KUjAs5+c
小林吉隆「>>136あいわかった!そこを動くなよ!」

142 :人間七七四年:2010/11/05(金) 01:51:39 ID:3ovTydvr

織田信長が未だ尾張一国を統一したばかりのコト。
織田家中に中村藤吉郎と言う者がいた。

ある時、福富平左衛門の金龍の笄が盗まれるという事件が起こる。
周囲の者は皆、貧乏な藤吉郎を犯人と疑っていたのだが、それに反発した藤吉郎、
真犯人を自らの手で捕まえてしまう。

盗みの容疑者から一転、犯人逮捕の手柄を立てた藤吉郎の名は信長の耳にも入り、
彼の船越英一郎張りの活躍を面白がった信長は、藤吉郎の属する足軽組頭に命じ、
組頭の名字を藤吉郎に与えた上で三十貫の所領を与え、信長直臣とした。


後に美濃攻略を進める際、尾張から木曾川を越え、織田軍は美濃領内の村木という
地に砦を築いた。
しかし、この砦にはそれほど多くの人数を裂けない上、尾張から駆けつけるには大
河を越える必要があり、救援に時間がかかる。その為、守将を引き受ける者が誰も
居なかった。

そこで信長は「死なせても惜しくない者」として藤吉郎を抜擢。浪人三百を召抱え
て藤吉郎と共に村木砦に派遣した。

藤吉郎は美濃勢が攻め寄せても決して砦から出ず、ひたすら時間稼ぎをして援軍を
待つという戦術に徹した。
どのような挑発にも乗らず、攻め手が退くと近くの村を襲い、男女問わず数十人を
捕虜として砦に連れ帰り、下人として召し使う。
それを見て美濃勢が押し寄せるとまた、時間稼ぎに徹する。退却すると近くの村を
襲う。
そんなコトを繰り返す内、周辺の村々は村木砦に降服し、藤吉郎に従うから村人を
返してくれ、と詫びを入れるようになった。

大小合わせて五十余りの村が織田領となり、信長はその村を藤吉郎にそっくりその
まま与えたという。


名字も持たぬ卑賎の生まれであった為、生まれた村の名前を取って中村藤吉郎と名
乗っていたこの青年。
盗人を捕まえた当時の足軽組頭の名を木下雅楽助と言った。
信長の命により、彼の名字を譲り受けた籐吉郎は、その後『木下籐吉郎』を名乗り、
天下人への道を驀進してゆくコトになる。

ちなみに村木砦に籠もった三百人の浪人の内、篭城戦に功を立てて五百貫の所領を
得た者として蜂須賀小六の名前も残っている。


悪いスレで『明智軍記』から一つ投稿したので、こちらでも一つ。
正直「いい話か?」と問われると首をかしげてしまいますが。w


143 :人間七七四年:2010/11/05(金) 01:53:47 ID:w96kLkuQ
ビデオ流出記念に海賊や海戦の話を所望
さもなくば遊女の話でも

144 :人間七七四年:2010/11/05(金) 03:20:57 ID:xGiJ4dGB
>>143
安東さんでも出れば面白いな

まーくんの遺訓

仁に過ぎれば弱くなる
義に過ぎれば固くなる
礼に過ぎれば諂(へつらい)となる
智に過ぎれば嘘をつく
信に過ぎれば損をする

過保護イクナイ
真面目は融通が利かない
丁寧過ぎるのは厭味
頭がいいと嘘をつく
人を信じると馬鹿を見る

(●Д゚)「いいかぽまえら、何事も程ほどにな」

サムライトルーパーを思い出した。

145 :人間七七四年:2010/11/05(金) 03:28:11 ID:nbTfxTl5
>>144
三番目は微妙に違う。
厭味に見えるんじゃなくて、
「礼を尽くしすぎると媚びているかのように見られる」
ってこと。

146 :人間七七四年:2010/11/05(金) 03:32:35 ID:xGiJ4dGB
今の政治家は

知能指数は高いらしいが
記憶障害で物覚えも悪い。
脳みそが腐っているんだろうか?

自己レスながら

ミンス党の場合

身内や自分に必要以上に甘い
何事にも融通が利かない
言葉は丁寧だけど厭味
小賢しく平気で大嘘をつく
こいつらを信じた国民が馬鹿を見ている

147 :人間七七四年:2010/11/05(金) 03:47:50 ID:AkyqAxXQ
勘弁してくれ・・・

148 :人間七七四年:2010/11/05(金) 04:40:23 ID:8qA6XDCZ
何もこのスレを荒らさなくても・・・

149 :人間七七四年:2010/11/05(金) 04:43:42 ID:sr0EymY7
村木砦を材木砦と思い込んで読んでいた

150 :人間七七四年:2010/11/05(金) 05:12:10 ID:kI8mVHfJ
相当どうでも良い話なんだが、人物の行動を現在形で書かれるとちょっと気になる

151 :人間七七四年:2010/11/05(金) 07:57:22 ID:UC3oJoBR
鬼武蔵「出番か?」

152 :人間七七四年:2010/11/05(金) 09:50:36 ID:MteqO1dW
>>151
お願いします

153 :人間七七四年:2010/11/05(金) 13:07:55 ID:VVy/2V3J
>>141
いずれにせよ、いい話スレ向きではございませぬな。 >135-136

154 :人間七七四年:2010/11/05(金) 18:08:20 ID:fhb7WSvO
>>144
敵がいないと戦話って残らんからなぁ。安東水軍、逸話って殆どない
陸戦ならそれなりに残っちゃいるけど
南部さん家の北さんの軍勢に、家臣の嘉成の一隊が特攻して、馬が返り血で真っ赤になって帰ってきたとか

155 :人間七七四年:2010/11/05(金) 18:17:25 ID:eYDRCVR5
>>143
海賊と言えばインパクト強いのが奈佐日本助。
主に名前が・・・・・・
それに日本海側で知名度のある水軍ってこの人くらいだし。

で、以前この人について面白い説を読んだんだが、
但馬には応仁の乱から彼の出現まで、全く活躍の形跡が無い。というか記録が無い。
だからこの人(一族)は水軍と言っても、ルソンとか、
そういう地域との交易が主な生業だったのではないか、と。
だから外国人に対抗して「日本助」なんて名乗ったんじゃあないか、というものだった。
もしそうだったら、決して名前負けはしてないことになるなぁ・・・・・・

156 :人間七七四年:2010/11/05(金) 18:18:40 ID:sRvqs+Oc
お風呂に入ろう!

戦国時代、風呂は今でいうサウナであったという。
そして京などには、風呂屋の存在なども確認されるものの、一般の家屋に置いては、
たとえ上流階級であっても必ず置かれる、という設備ではなかった。
そんな中風呂を焚くということは、人々を招いて行う寄り合いの場を設けることであり、
ちょっとしたベントでもあった。

その様子を、摂関家筆頭であり、当時太政大臣であった近衛尚通の日記
『後法興院生記』永正17年(1520)閏6月9日条より見てみよう


『細川尹賢(細川典厩家当主、摂津国分郡守護)が我が家の風呂を借りて焚いた。
これに京兆(細川高国)や細川高基(和泉半国守護)が入った。

その後食事など出し、細川家の面々は近衛尚通と対面し雑談、酒が出て盃を交わしていた所に
宝鏡寺、正受寺、継考院、久我女中(久我通言妻)、久我親子(久我通言・邦通)、
大徳寺女中(徳大寺実淳妻)、北政所(近衛尚通妻)、亜相(近衛稙家)なども現れ
相伴した。』


公家の当主だけではなく妻たちも集まり、賑やかな様子がよく見て取れるだろう。
この頃の風呂は上流階級の人々の社交上であったことがよくわかる記録である。、
やがて江戸期になるとこの感覚が、庶民にまで共有され、風呂屋が都市の多くの人々の
社交の場になったということであろうか。

そんな、戦国時代のお風呂のおはなし。

157 :人間七七四年:2010/11/05(金) 19:22:53 ID:YucBpEBp
2ちゃんねるの中でもこのスレだけは誤字があるとみっともないよね

158 :人間七七四年:2010/11/05(金) 19:54:51 ID:xUivEGpc
そんなことないでござるよ
でも自分で逸話書き込んだ後に誤字見つけるとしょんぼりするのは確か

159 :人間七七四年:2010/11/05(金) 19:57:33 ID:YPUDXr1Y
ラスボス「醍醐の文字がわからないじゃと?ほれ
「大五」
読めれば別にいいじゃろ」

160 :人間七七四年:2010/11/05(金) 20:25:47 ID:kI8mVHfJ
戦国時代は漢字に関してかなりルーズだよね
名前も同じ読みなら平気で違う字使うし

161 :人間七七四年:2010/11/05(金) 21:06:58 ID:HRHQbqfN
サウナか。いくら香を焚きしめても体臭いだろうな…。

162 :人間七七四年:2010/11/05(金) 21:50:09 ID:az8OKsvT
温泉って贅沢だったんだね
今でもまあ贅沢だけど

163 :人間七七四年:2010/11/05(金) 21:53:47 ID:q6KnRMGa
サウナで思い出したけどまとめサイトに慶次の竹光の話のってないのね。
誰か文才ある人よろしく。

164 :人間七七四年:2010/11/05(金) 21:59:44 ID:BnolOS9G
温泉はあるところにはあるけど今と違って移動が果てしなく大変だからな
あとサウナといってもミストサウナが主流だったって聞いたような覚えがある

165 :人間七七四年:2010/11/05(金) 22:00:48 ID:IvAz7A42
京にあるその風呂屋の横には、汗をかき過ぎた客が使えるように、いつも竿に湯帷子や真新しい下帯がかかっていた。

風呂焚きとして二人、垢掻きとして別に二、三人の下男を雇っており、その他に上がり口に屈強な男を一人置き、
他の下男は脱衣所には入れないようにしていた。そのため客は安心して裸になり、衣服・荷物を預けて風呂を楽しんだ。

この風呂屋の主人・睡庵老人の所には毎日のように訪ねて来る者があったので、老人は毎日決まった時間に、訪問客
のみならず、客の使用人にも食事を振舞った。訪問客は、おかげでゆっくりと心行くまで老人との会話に興じた。

また老人は、自分はコタツが嫌いだったが、「顔を突き合せねば、話も弾まぬ。」として、炭の火をごく弱くして
置ゴタツを作らせ、来客同士が遠慮せず近寄って会話できるようにしたという。


備前老人物語に、「今時かく客あしらいする人まれなるべし」とまで書かれた、睡庵こと渡辺勘兵衛の風呂屋の話。
百戦錬磨のご隠居が一緒のコタツに当たらせてくれて、面白い話してくれる銭湯・・・ちょっと行ってみたいかも。

166 :人間七七四年:2010/11/05(金) 22:56:57 ID:kayMokpJ
>>163
これかな?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-547.html

167 :人間七七四年:2010/11/05(金) 23:04:00 ID:q6KnRMGa
>>163
それだ
ごめん、見落として増田長盛

168 :人間七七四年:2010/11/05(金) 23:04:43 ID:q6KnRMGa
訂正
>>166
でした

169 :人間七七四年:2010/11/05(金) 23:07:01 ID:DUyTMZ3L
>>160
草書体や行書体だからかなと思ったり思わなかったり

170 :人間七七四年:2010/11/05(金) 23:13:52 ID:kayMokpJ
>>160
十河存保を「政泰」の当て字使ってくれたおかげで「まさやす」ってよめた。
どっかに明石さんの当て字書いた古文書ないかな・・・

171 :人間七七四年:2010/11/05(金) 23:43:38 ID:iU7q1OIr
>>165
行ってみてえし、入ってみてえ
昔の生活って、今からやると大変だろうけど、でもなんか憧れちまう

172 :人間七七四年:2010/11/06(土) 00:07:12 ID:Wr9ORYFs

徳川家光の弟、忠長の側近に、池田三郎左衛門貞長という男が居た。
貞長は忠長に大変重用されていたのだが、それを妬んだ者の讒言により、藩を追放
という処分を下されてしまう。

駿河を追われた貞長は、武蔵国岡村(埼玉県深谷市)に蟄居し、私財を投じて荒れ
た神社仏閣を改築するなどして、現地の人々に慕われていたと言う。

やがて忠長は家光との確執や、自身の問題行動などによって改易・切腹とされてし
まう。

切腹に当たり、忠長は自らが追放した貞長を思い出し、
「貞長を追放したのは間違いだった。今更謝っても許してはもらえぬだろうが、も
し許してもらえるなら、自分の菩提を貞長に弔って欲しい」
と言い残し、命を絶つ。

この遺言を聞いた貞長は、これを最後の主命として岡村に全昌寺という寺院を建立
し、荒れ果てていた岡上神社に新しい社殿を奉納する。

これらの寺社の落成を見届けた貞長は一人、真新しい社殿の前で、主君の後を追っ
て切腹して果てたと伝わっている。


あまり評判の良くない駿河大納言。
そんな彼にも殉死してくれる忠臣がいたんだね。

貞長が切腹した岡上神社は現在、周辺の神社を合祀し、岡廼宮神社と改称して存続
しています。


173 :人間七七四年:2010/11/06(土) 05:59:48 ID:dPgHWx2/
>>170
昔なんかの史料で「てるレ登」って書いてるのがあったんで
「レ登」→「澄」だと思ってた。
これって「明石てる澄(ずみ)」だよね。

174 :人間七七四年:2010/11/06(土) 07:52:46 ID:JXdQMnCt
>>164
中国地方のあっちこっちに岩風呂ってのがある。
洞窟の中ででかい焚き火をして鎮火したら、水をまいてその上にゴザを引いて、みんなで着衣のままで洞窟に入る。
数百年前から伝わってるんだが、途絶えてしまって、最近地域で復活させたのとかもある。

175 :人間七七四年:2010/11/06(土) 11:24:52 ID:ds0xpDG1
>>174
それ、酸欠になりそうなんだが、大丈夫なのか?

176 :人間七七四年:2010/11/06(土) 21:05:08 ID:KZzJZvcw
>>175
そんな深い穴じゃないよ。
せいぜい10人ぐらい入るといっぱいになる規模

これはちょっと大規模かつ建築物を使ってる例
http://bunkazai.ysn21.jp/general/summary/genmain.asp?mid=50004&cdrom=

177 :人間七七四年:2010/11/06(土) 21:25:50 ID:zfS8oD4y
>174
小説の「一夢庵風流記」での蒸し風呂エピソードがそのタイプだね。
洞窟の代わりに巨大なかまどを作って中で火を焚く方式。
八瀬の釜風呂の法、とか言ってたっけか。


178 :人間七七四年:2010/11/07(日) 01:08:18 ID:y6eRf6/W
成田顕忠と清善寺の開山の話 inのぼうの城

成田顕忠の父・五郎左衛門資員は顔を見ぬ内に死んでしまい
兄・顕泰も幼くもあり従臣達に助けられていた。

顕忠は幼い頃から聡明な子であり兄の顕泰を父のように敬い、顕泰も弟の顕忠を深く愛していた
それから顕忠は任官して刑部大輔となり、器量もあることから
あるときは陣代として出陣し、あるときは城代として守備を固め、度重なる戦功もあった。

顕泰の死去後、嫡男・親泰が相続する。この親泰も顕忠を父の如く重んじていた。

顕忠は忍城の南方に館(出城)を構えていた。
深田を埋め立てた所なので平田廓ともいわれ、家中の者は「平田殿」と尊敬していた。

この顕忠は深く佛法に帰依し、不犯で肉食は一切しなく、女は一人も使わなかった。
全くの禁欲生活である。
そのため世間では平田精舎とも言われていた。

63歳の時に身に墨染の衣を着て、清善斎全忠と号し、毎日の読経を欠かさなかった。

清善斎もだんだん年を取って90歳に近い時、最早余生がないとして
城主親泰を始めとし、家内の者と老臣を招いてこう告げた。

179 :人間七七四年:2010/11/07(日) 01:09:31 ID:y6eRf6/W
「吾れは胎内にあって父に別れ、又二歳で母に別れた。
だから孝というはただ名だけで一度も教養を捧げた事が無い。
せめて出家得度して父母の菩提を弔らんと思ったが、亡き兄顕泰の深き情にほだされて
俗人として世を送った。
その故は大将の先陣に臨むや、城の守固くなければ敵の謀者にかかる事もあるし
又、外に在って内が心配な様では鉾先が鈍るものである。
さて又、戦争の習いとして大将に不意の禍あるとか、幼主をいただくとかの場合、
不肖と雖(いえども)も主を補け来らせんと心に誓った為である。

現今當城主親泰は健将であり、まことに倖せである。
この故に枝葉血類は大切であるので止むを得ず在俗したが、心は法身に化して女犯肉食を禁或した。
然れども戦場では若干の人を亡した。
行いと言葉と相違する所はあるが、獨身だから後の子孫の上を思わず。

しかし、その家に生まれ、禄の食めば武士として主といい、兄といい志孝の道を
守なければならぬ。
在俗しては忠孝の二道を全うし、出家しては佛に仕えた。
一生の恩は足りた。
吾が死後の望にはこの館を寺と為(な)し、
年頃念じ奉る薬師如来を本尊とさるるなければ幸いこれに過ぐるものはない。」

180 :人間七七四年:2010/11/07(日) 01:14:00 ID:y6eRf6/W
と、一座の面々皆感涙を流したのであった。

永正十六年五月八日、清善斎は斎戒沐浴し座禅を組み眠るように命を経った。
下総守親泰は大いに哀惜し、遺言通りに新たに一寺を造立し、平田山清善寺と号した。

一様wikiでは顕忠の方が兄でらしく父・資員も詳細不明で正等と同一人物とか何とか

181 :人間七七四年:2010/11/07(日) 01:15:34 ID:poSPerfX

甲斐国武田家に川窪信実という武士がいた。
武田信玄の弟に当たる人物で、昇仙峡の更に奥、川窪の地を治めて領地を名字とし
た。
後に甲斐と武蔵の国境地帯を領していた兄・松尾信是が早世すると、その遺領を引
き継いだと言い、山の多い甲斐国の中でも、とりわけ山奥に領地を持っていたよう
である。

ある時、この川窪信実の元に篠瀬某という男が転がり込んでくる。
実はこの男は徳川家の家臣であり、家康の主命に逆らったとして徳川家を出奔、対
立していた武田家に逃げ込んだのである。

後に家康に許され、徳川家に帰参する事になった篠瀬に対し、信実は鷹を二羽与え、
家康への献上品とさせた。
この心遣いに家康は大いに感じ入り、信実を褒め称えたと言う。


時は流れて本能寺の変の後、家康が甲斐国に侵攻する。
家康は篠瀬を呼び出し、
「川窪信実殿が、先年の長篠合戦で討死にされた事は知っている。大変残念に思う
が、信実殿は御子息をお持ちではなかったか?もし居られる様なら是非、召抱えた
いのだが……」
篠瀬の仲介によって召し出された信実の息子、川窪信俊は家康に仕え、信州平定、
小牧長久手、小田原仕置きと抜群の戦功を立て、伏見城の番頭にまで抜擢されてい
る。

父・信実を亡くした時、まだ年少だった信俊は、伯父・信玄の未亡人に養われたと
伝えられ、武蔵国金窪(埼玉県上里町)に転封された際に養母を伴って国入りした
と言う。

その地で死した養母は、金窪の陽雲寺に葬られ、信玄との夫婦画像とされる肖像画
も現在まで伝わっている。
養母は秀姫と言う名で、陽雲寺では正室・三条夫人の事だと伝承されているらしい
が、死亡年代等、史実と食い違う箇所が非常に多く、「秀姫は信玄の側室の一人」
とか、「秀姫は架空の人物」とか、様々な説が取りざたされているらしい。


信玄自身が目立ち過ぎてるせいで、あまり語られる事のない、弟さん&甥っ子のい
い話。
っつか、カワクボさんをカナクボに転封って、権現様、洒落で知行地を決めてない
か?www


182 :人間七七四年:2010/11/07(日) 01:37:15 ID:poSPerfX
>>178-180
成田顕泰は惣社長尾氏からの養子。
父・資員が戦に負けて、家督を養子に譲り渡す事を条件に和睦した。

と、いう事を踏まえて逸話を読むと、資員の実子である顕忠の微妙な
立ち位置が非常に不憫に思える。
そりゃ下手に子供なんか作って「成田の嫡流はこっちだ!」なんてな
っても困るよね。

『成田記』辺りでは顕忠の存在はおろか、資員が戦に負けた事も、顕
泰が養子である事も、華麗にスルーされているんだよねぇ。
そこら辺を加味して考えると、むしろ悪い話になっちゃうのかも。w



183 :人間七七四年:2010/11/07(日) 15:12:49 ID:T8W3tYLr
葉隠から家康公の話

山本常朝曰く
あるとき、家康公が戦いに敗れたのだがその直後から、

「徳川殿は大勇気の大将である。それはなぜかと言えば、
討ち死にした三河武士の中に後ろを向いて死んだ者が一人たりともいなかった。
皆が敵陣の方を枕にして倒れていたとのことだ」

という話が伝わったと私も聞いている。
武士は日ごろの心がけが死後にまであらわれるものだから、
その心がけを失えば恥ずかしいことになる。

184 :人間七七四年:2010/11/07(日) 16:57:28 ID:lwwSIsac
三方が原の話っぽいな

185 :人間七七四年:2010/11/07(日) 18:36:06 ID:qvUwjqt+
>>181
 家康の武田オタクっぷりは、バネェな。
 これじゃ武田武士団が、三河武士団並みの忠義の士にになるのも無理ないわな。
 あの大久保彦左衛門が甲州筋目って目の敵にした理由がわかるわ。

186 :人間七七四年:2010/11/07(日) 19:05:38 ID:8J9QlSvJ
尖閣諸島中国不審船映像流出問題

中国「おいポチ 情報管理しろ うちに都合が良いようにしろ」

ポチ前原「OKボス 逆らった奴を探し出して、吊るし上げてやりますぜ」

ttp://adenhonpo.cocolog-nifty.com/blog/

187 :人間七七四年:2010/11/07(日) 19:11:07 ID:9biOa6nB
真田幸村公14世・仙台真田氏現当主の真田徹氏と、
仙台真田氏研究の第一人者で「仙台真田代々記」著者の小西幸雄氏による歴史対談が
近所で行われたので行ってきました。
真田氏のおこりから幕末あたりまでを二時間ほどで解説していただいたのですが、
真田徹氏が今回、先祖伝来の品を持参されて5時間ほど公開されました。
良くも悪くもない話ですが、その品々から面白かった逸話を。ガイシュツだったらすいません。


真田信繁が大阪夏の陣の時、家康に特攻して寸前まで追いつめた逸話は有名だと思うが、
その時に信繁が持っていたという采配が仙台真田家に伝わっている。
「真田幸村公死持の采配」と呼ばれるそれは、
細身の棒に和紙のふさをつけた采配で、持ち手は銀に唐草模様。
先端が平らになっており、そこに六文銭が刻まれている。
http://sengokudama.jugem.jp/?day=20100130
写真撮影禁止だったので画像のあるリンクを。

さてこの采配についての真田氏のお話。
「時が流れて、日本が開国すると、コレラが流行りまして、
これが仙台まで流行ってきた。
その時に仙台真田の者達が、神の如く強かったという幸村公にあやかろうと、
采配を千切って煎じて飲んだのだそうです。
千切った跡もありますよ。だから昔はもっとふさふさしてたはずです、
今細くなっちゃっていますが」

その他、家康襲撃を計画した幸村が着たと伝わる鎧の前立ても
急遽持参されて拝見。(鎧は写真のみ)
鹿の角を合わせた形で木製、金箔。意外と小さい。(両手のひらに乗るくらい)
そして鎧自体は黒くて地味。
真田幸村といえば赤い鎧が有名ではないか、との質問に、
「赤い鎧とか大きな前立ては映画などでかっこよかったので広まったのでしょうね。
そしてこの前立てはすぐに取れるようになっています。
戦ってる最中に大きな前立ては邪魔ですから。
家康や政宗みたいに後ろで座ってればいい人は違いますが、
中間的な立場の人は違うんですね」


他にもいろいろ話を聞いたのですが、2時間あっという間で興味深かった。
お父上の入っていた真田系の集まりに名代で参加したら、その集まりでは
「本当は幸村が夏の陣で家康を討ち取っており、
その後の家康は影武者で、一年たって用もなくなったので鯛の天ぷらで毒殺した」
って話が正しいことになってるってエピソードが個人的にツボでした。


188 :人間七七四年:2010/11/07(日) 20:13:52 ID:oXRvMh0e
遺体の髪は抜かれるわ、ふさふさはちぎられるわ…

189 :人間七七四年:2010/11/07(日) 22:22:14 ID:fR7+B7HJ
娘の墓は削られるは

190 :人間七七四年:2010/11/08(月) 07:19:27 ID:oB4MJDt2
名前まで変えられちゃうからなあ

191 :人間七七四年:2010/11/08(月) 11:36:51 ID:ecZu5i1B
>>187
14世って表現おかしくね?

192 :人間七七四年:2010/11/08(月) 12:36:04 ID:2kpPAovL
何を言いたいかは解るけど、14世はおかしいな


193 :人間七七四年:2010/11/08(月) 12:41:11 ID:FY0qh4Ex
「何代目」って表現で「○○世」ってのは使わないか?
寺の住職なんかはそーゆー表現をするね。
普通の家の家督でも同じ表現を使うかは判らないが。

194 :人間七七四年:2010/11/08(月) 12:42:10 ID:YFRawMDF
「十四世の子孫」なら分からんでもない

195 :人間七七四年:2010/11/08(月) 14:07:48 ID:Y+D1oDAs
真田は語らずの本家だからなぁ
現当主の幸俊氏も上田真田祭りでお会いした際に「私より貴方の方がご存じですね」とか普通に言っちゃうし
直系でないのが負い目なのかねぇ

ちなみに幸俊氏の紹介は14世16代当主
系図上、家祖から14世代下の16番目の当主という意味
徹氏も同様の解釈で良いかと

196 :人間七七四年:2010/11/08(月) 14:13:40 ID:x5zuj3/G
ルイ十四世ならあってた

197 :人間七七四年:2010/11/08(月) 14:51:40 ID:Qup+r9qV
真田本家の人でも幸村っていうことに戸惑いを禁じえない

198 :人間七七四年:2010/11/08(月) 15:19:50 ID:3PigNtQo
幸村のほうが通りがいいからそっち使うんじゃね?


松代藩でも使っちゃったし…

199 :人間七七四年:2010/11/08(月) 16:45:06 ID:FY0qh4Ex
『葉隠』の中で信繁の事を幸村って書いてある一節を見かけた。
もうその時代には一般には幸村だったんだね。

200 :人間七七四年:2010/11/08(月) 19:03:46 ID:+IA0ruhl
幸村は、明らかに幕府をはばかっての俗称だと思うよ。
信繁じゃ、兄貴の信之との繋がりがはっきり分かるから、大権現様の御本陣を
突き崩した日本一の兵(でも反逆者)が、真田の通字の信を名乗っちゃ拙いって
配慮で幸村にされ、講談で世間に名前を広められていったんじゃないのかな?

201 :人間七七四年:2010/11/08(月) 19:06:12 ID:xkOMCjHD
>>200
「幸」も真田の通字なんですが。

202 :人間七七四年:2010/11/08(月) 19:09:41 ID:6Qp8XbXD
幸村とか通名の幸を使った松代藩の宣伝だろ

全然憚ってないし

203 :人間七七四年:2010/11/08(月) 20:13:48 ID:fEcVHg63
信は武田晴信から一字拝領でしょ

204 :人間七七四年:2010/11/08(月) 22:02:58 ID:PgObs3SO
>>202
諸大名はなんのはばりもなく信繁関連グッズwを集めたりしていたけど、
松代藩は早い時期にははばかっていた感じはする。

完全な創作話になっちゃうけど、PHP文庫の川村真二の小説の「真田信之」で、
信之が信繁の法要を行おうとした際、一族に真田幸村という人物がいたことにして、
その人物に対する法要っていう名目にしたなんていう話があって、上手いこと
考えたなぁとか思った。


>>203
たしかに当初はそうだった。けど、信綱以降は「信」も通字になり、しかも
そちらのほうがメジャーだったのは家系図を見ても明らかだ罠。真田幸弘以降は
また「幸」のほうがメジャーになるけど。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E6%B0%8F#.E7.B3.BB.E8.AD.9C

って、ここ真田スレじゃなくていい話スレやん…

205 :人間七七四年:2010/11/08(月) 22:27:38 ID:tjaQF6ga
まぁ、真田さんの物持ちがいい話、ということで。

206 :人間七七四年:2010/11/10(水) 09:12:24 ID:iF8657Ub

江戸時代初期。「知恵伊豆」こと松平信綱が治める武州川越(現・埼玉県川越市)
に瀬川嘉右衛門という男が居た。
中々の武勇の持ち主で、川越藩では槍持ちを任されていたと言う。

しかしこの嘉右衛門、武勇以上に名を馳せている事があった。
それは「酒飲み」。

とにかく酒が大好きな男で、毎日浴びるように酒を飲んでいたという。
そんな生活をしていたら勿論、金は貯まらない。
少ない貯えを全て酒に注ぎ込み、酒の肴を買う金すらなかったのだが、嘉右衛門は
悪食としても知られ、肉だろうが魚だろうが、酒と一緒なら何でも頓着せずに食し
ていた。
そして挙句の果てに、手持ちの無い彼が食すようになったのが『虫』。

蝗の佃煮とか、蜂の子だとか、そう言った食用の虫ではない。
とにかく眼についた生物は全て口の中に放り込み、酒で流し込んでしまったらしい。

槍持ちに任じられた侍の事を「槍持ち奴」と言った事から、嘉右衛門は「虫食い奴」
(むしくいやっこ)と綽名されたという。

そんな嘉右衛門は、普段から人と変わった事をするのを好み、「傾き者」として知
られていた。
「虫食い」もあるいは人と違う事をやって見せようというパフォーマンスの一つだ
ったのかも知れない。

嘉右衛門のパフォーマンスは、遂には自らの死後の事にまで及ぶ。
自分の墓石を自ら作成し、「オレが死んだ後はこれを墓石にしてくれ!」と寺に収
めたのだ。
しかもこの墓石、普通の墓石ではない。
嘉右衛門自身の姿を写し彫った肖像の墓石だったのである。

彼の墓に参る人々は、嘉右衛門自身の姿に手を合わせ、墓前に酒を供える。ちょっ
と気の利いた人なら、そこらを這っている蟻でもつまんで酒の中に落としてあげた
かもしれない。

現在、川越の法善寺には嘉右衛門が作った墓は無く、後に作り直した二代目の肖像
墓が鎮座している。
羽織袴姿で酒樽に腰をかけ、酒杯を手にする彼の『墓』。
本人の死後、数百年にも渡り、大好きだった酒盃を傾ける自分の分身があるという
のは彼にとって、最高の幸せだったのかもしれない。


まさか、仙台のじいちゃんと鼠汁で勝負したの、コイツじゃなかろうな?www
(>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-580.html)


207 :人間七七四年:2010/11/10(水) 09:15:50 ID:FznAY+r8
虫か・・・この時代には有効なタンパク源だったのかもな。
アル中は怖いよ・・・

208 :人間七七四年:2010/11/10(水) 09:20:25 ID:iF8657Ub
>>206
最後の余談と言うか、おちゃらかしに伊達政宗のネズミ汁の話へのリンクを
つけておいたんですが、後ろの)までアドレスと認識しちゃってて、上手く
繋がってくれませんね。

逸話の本題とは関係ないから放っておいてもいいんですが、一応貼り直して
おきます。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-580.html

お騒がせして申し訳ない。

209 :人間七七四年:2010/11/10(水) 12:23:29 ID:mXnv+oOj
もし嘉右衛門が戦国期の人で馬場美濃守と信玄がその話を知っていたら
芋虫握りつぶしの逸話が芋虫食いに変わっていたかも知れないな
いや惜しかった

210 :人間七七四年:2010/11/10(水) 20:18:30 ID:FznAY+r8
>>209
いや、あの話は信玄は芋虫つかんだだけで潰してはいない。
素手で潰したら青くなるどころじゃ済まないとおもうよw

211 :人間七七四年:2010/11/11(木) 01:51:54 ID:INjin6tZ
>>210
潰したバージョンと、潰してないバージョンと、両方読んだ事があるよ。

212 :人間七七四年:2010/11/11(木) 03:31:34 ID:+CvpBu8+
小田厨房は以後写メ貼りな
小田の話は切腹か写メ貼り

213 :人間七七四年:2010/11/11(木) 05:37:02 ID:ecvI3Kum
ttp://www.tabi2ikitai.com/japan/j1123a/a01022.html
酒樽の上に乗っかってるのか

214 :人間七七四年:2010/11/11(木) 15:07:36 ID:ZUFX/iyV
ハイデルベルクの宮廷道化師ペルケオ思い出した

215 :人間七七四年:2010/11/11(木) 15:29:08 ID:w/PeVpkf
天正10年(1582)、本能寺、二条城において織田信長・信忠親子を討ち取った
明智光秀は京の町衆の支持を得るため、彼らを集め屋地子(町屋敷地にかかる税金)の
免除を宣言、そして

「信長は殷の紂であったのだ!」

と訴えた。

これを聞いた京童たちは

『光秀は自分を周の武王に例えている。片腹痛いことだ』

と、心で思ったものの、地子が免除されることのうれしさに、光秀に向かって
萬歳と叫び彼の行為を祝い、賀した。

江戸時代、京において屋地子が無いのは、ひとえに明智光秀の恩である、と言われていたという。


京の、屋地子免除の由来についてのお話
(秀頼事記)

216 :人間七七四年:2010/11/11(木) 15:48:37 ID:Mntz5VMe
権力者が変わってもそういうの継承されるのか。
少なくとも徳川は継承しないと思ってたよ
豊臣家滅亡時に豊臣と名のつく物全て打ち壊されたし秀吉の墓さえも


217 :人間七七四年:2010/11/11(木) 15:59:42 ID:KyAMrvmj
>>216
> 豊臣家滅亡時に豊臣と名のつく物全て打ち壊されたし秀吉の墓さえも

それは完全な勘違い。
阿弥陀ヶ峰の秀吉の墓は破壊されておらず、妙法院によって供養され続けた。
江戸期に行われた秀吉「150周年忌」の記録もちゃんと残ってる。

豊国社に関しては徳川幕府において破却したことはなく、大坂の陣によって社領が没収されたため
自然と衰退していったが、家光の時代まで何度か再建案が出された。
だが旧豊臣系の牢人によると思われる大規模な献金が明らかになるなどの事件で
不平牢人への求心力を再び警戒され、豊国社のご神体は新日吉神社に移された。


218 :人間七七四年:2010/11/11(木) 16:18:55 ID:fndYu0Oi
そういえば、秀吉は大明神、家康は権現様違いは何だろう?同じ神様でしょ?神格の違い?

219 :人間七七四年:2010/11/11(木) 16:31:33 ID:HaX4qpOB
秀吉が明神だったから縁起が悪い、権現にしようぜ。と言う話
家康の死後天海と崇伝が話し合って決めたとか

220 :人間七七四年:2010/11/11(木) 17:15:35 ID:37cZrGD+
>>215
これまとめで読んだことがあるような。こんなに詳しくなかったけど。

ところで、中国の王朝の知識があるのに、一武官に対して「萬歳」を叫ぶなんて、不遜かつ不敬だよな、京童ども。

221 :人間七七四年:2010/11/11(木) 17:18:37 ID:9AMtga9S
京の人は、クールーなんだぜぇwww

222 :人間七七四年:2010/11/11(木) 17:49:54 ID:7t7+nbd4
>>220
この逸話だな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4276.html

223 :人間七七四年:2010/11/11(木) 18:44:14 ID:SrIQWawk
第六天魔王、豊国大明神、東照大権現

224 :人間七七四年:2010/11/11(木) 18:54:36 ID:YzU3hU7t
>>217
何気に幕府側のいい話だな


225 :人間七七四年:2010/11/11(木) 19:11:39 ID:curhtko4
天庵様ってゲームでの評価を調べてみたら

天下布武ってちと古いゲームで意外と有能だった。
※最高数値25なんだけど一つでも10以上あれば優秀。
20以上はほとんどいない

軍事10(ラスボス13)
政治10(鮭様13)
魅力13(信様13)
合計 1201人中183位



226 :人間七七四年:2010/11/11(木) 19:18:33 ID:jwtE/378
あのゲームって基本的には大名は家臣より有能なんだよな。
コーエーよりは妥当な能力設定だ

227 :人間七七四年:2010/11/11(木) 21:26:36 ID:FZCqiO8h
>>218
格の違いは特にないと思うよ

崇伝が大明神を推して、天海が大権現を推した
大明神は秀吉に通ずるから、ということで大権現に決定した
まあ2人の権力争いの結果でもあるんだけど

228 :人間七七四年:2010/11/11(木) 21:28:24 ID:6chBs9p9
>>217
豊国神社は秀吉の神社として祭る事を江戸時代ずっと禁じられてるぞ
恵比寿神を祭るように変えられてるんだよ
実は民衆は内緒でずっと秀吉を祭ってたんだけどね

明治維新になってようやく秀吉の神社と公に名乗れるようになった

229 :人間七七四年:2010/11/11(木) 21:29:26 ID:fFSXK1sf
>>226
天庵様低くし過ぎると北条が強くなりすぎるからなあ

230 :人間七七四年:2010/11/11(木) 21:37:44 ID:FZCqiO8h
崇伝も天海も「黒衣の宰相」って呼ばれてたんだよね
足利義満側近の満済もそう呼ばれてる
確か太原雪斎もそう呼ばれてたと思う

…惜しい、もう1人いれば「黒衣の宰相四天王」になったのに

231 :人間七七四年:2010/11/11(木) 22:06:17 ID:w/PeVpkf
>>230
5人揃わないと四天王にはならないからな

232 :人間七七四年:2010/11/11(木) 22:08:49 ID:fFSXK1sf
赤宰相とか青宰相とか桃宰相は居ないのか?

233 :人間七七四年:2010/11/11(木) 22:19:24 ID:VBVzhxDR
桃宰相はTERUだろう、大桃的に考えて

234 :人間七七四年:2010/11/11(木) 22:27:04 ID:KyAMrvmj
「スイマー宰相、宇喜多秀家でござる!」
「ヤンデレ宰相、細川忠興でござる!」


235 :人間七七四年:2010/11/11(木) 22:30:20 ID:6chBs9p9
日本の宰相は参議を貰ってないと名乗れないだろ
つーわけで上記では宇喜多秀家のみだな

236 :人間七七四年:2010/11/11(木) 22:34:59 ID:KyAMrvmj
>>235
忠興は従三位参議なので宰相。あ、あと池田輝政がいたな。
これは「いちもつ宰相」だろうか?w

237 :人間七七四年:2010/11/11(木) 23:05:45 ID:fFSXK1sf
暴走戦隊ゾクサイショーになるんじゃ…

238 :人間七七四年:2010/11/11(木) 23:19:35 ID:rcD/R6qM
>>236
いちもつ宰相を名乗っていいのはろうあいとラスプーチンくらいだろw

239 :人間七七四年:2010/11/12(金) 02:45:03 ID:tj8WcYnu
ビスマルクという輩もいるらしい

240 :人間七七四年:2010/11/12(金) 03:40:21 ID:NXwcnS0j
>>218
神格としては、大明神>権現

241 :人間七七四年:2010/11/12(金) 10:34:51 ID:06EEDWpW
>>232
「目赤不動レンジャー参上!」
「目黒不動レンジャー参上!」
「目白不動レンジャー参上!」
「目青不動レンジャー参上!」
「目黄不動レンジャー参上!」
「「「「「五人合わせて江戸を守る五色不動レンジャー!」」」」」

天海「・・・というのを考えた」

242 :人間七七四年:2010/11/12(金) 12:51:57 ID:GlKLhNtI
>>231
五大老も6人にすれば良かったのにな
前田利家・徳川家康・小早川隆景・毛利輝元・上杉景勝
ときっちり5人だからなんの面白みもない

243 :人間七七四年:2010/11/12(金) 13:32:21 ID:HhFBZrxS
>>242
泳いで云々の人が抜けているようだが

244 :人間七七四年:2010/11/12(金) 14:51:05 ID:HSjZ++dB
河童は隆景が病没した後の繰り上げ当選だから無視しておk

245 :人間七七四年:2010/11/12(金) 15:29:01 ID:nzozjbIB
どう考えてもTERUは叔父さんのオマケw

246 :人間七七四年:2010/11/12(金) 16:54:26 ID:bFwZ6gEd
まとめサイトを見ても家光の馬鹿話は出ても
案外有名ないい話が出てなかったので。

家光が将軍宣下の時、全国の大名を江戸城内に呼び寄せ
その場にて家光は異例の宣戦布告を行った。

「祖父や父は貴兄等と同属や盟友となった時期があったかもしれぬ、
しかしながら余は生まれながらの将軍である
これに不服があれば今すぐ国許へ帰り弓矢を取るがよい
我が徳川800万石、自らお相手致そう」

これまでと違い、楯突いても都合が悪ければ容赦なく潰す。
それも圧倒的国力を背景に、そういう異例の文言であった。

その場にて貴台の名将伊達政宗が口を挟む
「あいや待たれよ、そのような輩は将軍家のお手を煩わす訳には参らぬ
伊達40万石が陣頭に立ち成敗してくれよう」
これを皮切りに全国の大名が我も我もと続いた。

これは伊達政宗の策略だとか、講談の話だとか色々と議論はつきないが
事実はどうにせよ、そういう話は今も残っている。

これより応仁の乱より150年に渡り続いた戦国時代は終わった。
幾多の犠牲や策略や戦争、それらが支配する時代は
江戸城内の一喝によって終焉した。

ただ現代でこのスレを生きる人間において困ったことが一つある
相対的に戦国時代が無ったことはこの板で語ることは何も無くなるのだから
結局いいんだか悪いんだかの話。

247 :人間七七四年:2010/11/12(金) 18:20:18 ID:OAsTPB1O
>>225
天下布武、大好きなんだけど真田の兄ちゃんの能力設定だけは不満が残る…
軍事 11
政治 5
魅力 12
って何よ…

248 :人間七七四年:2010/11/12(金) 18:50:31 ID:JZ19Z8TP
>>247
政治力低すぎ!
15ぐらい有ってもいいと思うが

249 :人間七七四年:2010/11/12(金) 20:22:12 ID:Ef4tJDkb
>>246
まーくんの世渡り上手っぷりは老いても相変わらず健在ですなw

250 :人間七七四年:2010/11/12(金) 20:35:19 ID:0y8NlR0v
>>248
平和な江戸時代になっても、軍事費を増大させて農民を抑圧ししたお兄ちゃんは、政治1でも生ぬるいさ(棒

251 :1/2:2010/11/12(金) 22:02:11 ID:Pcp9T+QH
慶長19年(1614)、大阪城に置いて徳川への内応を疑われた片桐且元は大阪城から居城である摂州茨木に
逐電する。これにより大阪冬の陣が始まるのだが、この時のこと

泉州堺の津においてかねてから且元と心を通わせていた柴山小兵衛が大阪方の兵に攻められ困難な状況にある、
との知らせが入り且元は急遽兵を出した。且元の兵は、建部三十郎の収める尼崎まで至ると、茨木からの
兵だけでは心持たないと、建部三十郎に援兵を要請した。

建部三十郎はまだ幼少で、このころ尼崎城には建部の親類である池田利隆から、池田越前、宮城大蔵といった
武将が、兵と共に派遣されており、且元の軍はそれを知っていたため兵を請うたのである。

ところが尼崎の者達は且元の動向を未だ疑っており援兵を出さず、このため片桐軍は大敗を喫した。

このことは当然問題と成る。特に尼崎城に将兵を派遣していた池田利隆には世間からも、
大阪方に内通か!?と大いにとりざたされた。


さて、冬の陣の講和後、京の二条城において大御所、徳川家康直々に、この事件の詮議が行われた。
池田家からは宿老であり、家康からもよく知られている伴大膳というものが派遣された。

大膳は家康に対し様々に言い訳した。しかし家康の怒りは解けず、ついに

「今更色々言ったところで、現前に味方の兵が討たれていたのを見殺した事実は覆らぬ!
武蔵守(利隆)の心底、甚だ疑わしい!」

そう怒声を投げつけるとそのまま立ち上がって退出しようとした。その時である


伴大膳、脇差を後ろに投げ捨て、腹ばいに家康のものへと近づき小袖の裾にすがりつき

「これは何と情けのない上意でしょうか!?武蔵守(利隆)が御姫様(家康の娘で池田輝政の正妻督姫)の
お腹から生まれたのではないから、武蔵守をお孫とは思っていないということでしょうか!?

今、私の申し訳を聞きとどけて頂けないのなら、一体いつ、我が池田家の申し訳が聞かれることはあるのでしょうか!?」

そう、涙を流して訴えた。
家康は伴大膳のその姿に誠を感じ

「…よし。今お主の言うこと、聞き分けた。
早く帰って武蔵守に、安堵せよと伝えるが良い。」

これを聞くと伴大膳は手をあわせて平伏し、お礼を申し上げ急いで御前より下がった。



252 :2/2:2010/11/12(金) 22:03:14 ID:Pcp9T+QH
大膳が退出すると家康は、その場に居た者達にこんな事を話し始めた。

「あの伴大膳の父親も大膳と言って、武蔵守(利隆)の父、池田三左衛門(輝政)がまだ若年で庄三郎と
名乗っていた頃、その馬卒をしていたのだ。

小牧長久手の戦の時のことだ。父勝入、兄庄九郎(元助)が討死したと聞いた輝政は、自分も討死せんと、
戦場に馬を乗りつけようとした。
ところが輝政の馬の轡を取っていたかの父の大膳は輝政の命を聞かず、輝政の乗るまま馬を
引き下がらせはじめた。

輝政は怒り狂い、『離せ!離せ!』と馬上より鐙をつけたままの足で大膳を蹴りつけた。
2,3町(約2,300メートル)の間蹴り続け、大膳は頭から血が滝のように流れだした。
だがそんな事も構わず彼は馬を退かせ続け、ついに輝政を無事、退却させた。

あの時輝政が討死すれば、池田の家も絶えてしまっただろう。今、彼の家が播磨一国の大名としてあるのは、
その大膳の働きによって生き残ったが故のことなのだ。

…さすがその親の子ほどもある。あの大膳も主のために自分の身を庇うことがなかった。
今の世にわしの前に出て、あれほどのことを言う者を、他には知らんよ。
武蔵守は、良き人を持っておられる。」

そう、機嫌よく語ったという。


池田家の親子大膳、についてのお話。


253 :人間七七四年:2010/11/12(金) 22:31:09 ID:Ef4tJDkb
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3216.html
この逸話の某の息子か

宿老までなるなんて、息子はえらく出世したな。
利隆は見る眼があったな。

254 :人間七七四年:2010/11/13(土) 00:45:02 ID:9Yidvj2S
>>236
福島正則も従三位参議

255 :人間七七四年:2010/11/13(土) 00:54:37 ID:f38Rd4j1
>>250
信之の転封っていろいろ言われるけど
単純に領内を治め切れていないと判断されたって可能性はないのかな。

256 :人間七七四年:2010/11/13(土) 02:37:39 ID:oPOC2lpj
>>247
一方、弟の方は
軍事24
政治13
魅力13
という、超一流の評価をされていた。
軍事が全武将中2位の評価って…(1位は謙信公の25点満点)

257 :人間七七四年:2010/11/13(土) 03:08:44 ID:wOh9BwzS
ゲームと違って家光は優秀だったんだな

258 :人間七七四年:2010/11/13(土) 05:42:50 ID:JV9iNVJy
>>257
家光個人の優秀さを語るエピって聞いたこと無いけどなー。
あくまで有能な家臣団の言う事をよく聞いたってだけじゃね?
知恵伊豆さんとかさ。

259 :人間七七四年:2010/11/13(土) 06:12:24 ID:wGUfrbuK
家臣団の進言のうち、複数の進言から何が正しいかを的確に見抜けるのも指導者としては極めて重要な才能ですぜ。
持ってる典型例が劉邦とか。
持ってない典型例が後醍醐天皇とか。

260 :人間七七四年:2010/11/13(土) 07:24:32 ID:9Yidvj2S
>>259
後醍醐天皇は比叡山を降りるとき、新田義貞の進言を受け入れて、皇太子に譲位して、
北陸に脱出させたりしている。

261 :人間七七四年:2010/11/13(土) 08:22:06 ID:PXzBnM/q
家光は老中を合議にしたり権限を分散させたり月番にしたり
だれか一人に権力・責任が集中しないようにした
 
難しい案件がたらい回しになってしまい、それを修正するのに苦労ようしたがw

262 :人間七七四年:2010/11/13(土) 08:52:13 ID:wrl66x6D
>>260
新田義貞は武勇の面はともかく
知略は非常に微妙な人だと思う・・・w

263 :人間七七四年:2010/11/13(土) 09:36:50 ID:03s/JiMS
それを言ってやるなよ・・・

264 :人間七七四年:2010/11/13(土) 09:47:51 ID:hJveC0Vd
後醍醐の譲位だのは、相手を丸め込むための全く信頼できない空約束にしか見えない

265 :人間七七四年:2010/11/13(土) 13:07:53 ID:LzTCQgVI
>>259
劉邦は期間限定だろう

266 :人間七七四年:2010/11/13(土) 13:24:12 ID:+f3S1D7U
TOPは何もしないほうがいい ってのはよくあること・・・
ね、菅谷さん

267 :人間七七四年:2010/11/13(土) 15:44:27 ID:pvIJ0006
>>260
後醍醐天皇も楠木正成の信玄を突っぱねて失敗しているから、
もうさすがに言うこと聞くしかないと思ったんだろうね

268 :人間七七四年:2010/11/13(土) 15:45:24 ID:pvIJ0006
「進言」です
失礼しました
武田信玄は突っぱねてない

269 :人間七七四年:2010/11/13(土) 15:46:04 ID:sflfPDKq
>>267
一行目だけでかなり時空を飛び越えた気分になった

270 :人間七七四年:2010/11/13(土) 15:52:19 ID:TyRgsvl5
家康の話は、全部何となくイラッとする。
鬼武蔵に殺されてれば良かったのに。

271 :人間七七四年:2010/11/13(土) 18:44:23 ID:FuD3MRdl
家康嫌いって三成好きの女に多い気がする

272 :人間七七四年:2010/11/13(土) 19:13:47 ID:pvIJ0006
>>270
司馬さん乙

273 :人間七七四年:2010/11/13(土) 19:23:37 ID:wrl66x6D
関西人か?

274 :人間七七四年:2010/11/13(土) 19:28:39 ID:fLO2sdaI
>>260
そりゃ、それやんなきゃ新田が裏切る可能性あるからな


275 :人間七七四年:2010/11/13(土) 20:00:28 ID:pSR28xWX
>>256
2位は高すぎるなw

276 :人間七七四年:2010/11/13(土) 22:10:08 ID:XFdW3X0M
>>271
司馬小説を史実だと思い込んでる爺ちゃん達も激しいぞ
なんであそこまで嫌ってるんだろうなあ

277 :人間七七四年:2010/11/13(土) 22:45:34 ID:Sa6L79KY
司馬遼太郎はむしろ家康LOVEだぞ
若い頃は秀吉好きの家康嫌いだったそうだが、小説で家康を書いていくうちに家康の魅力がわかってきたそうな

278 :人間七七四年:2010/11/13(土) 22:47:50 ID:SeIaibzf
松本清張や海音寺潮五郎がほとんど同じ感じで
「ガキは信長とか秀吉が好きだよね。家康の凄さは大人じゃないと解からんよね」
みたいなこと言ってたなあ。

279 :人間七七四年:2010/11/13(土) 22:49:47 ID:4zXJiRP8
揃いも揃ってガキみたいなこと言ってるなw

280 :人間七七四年:2010/11/13(土) 22:51:17 ID:9yQUECx3
つまり「覇王の家」が短すぎるのが問題だと
→司馬ファンにおける家康嫌いの多さ

281 :人間七七四年:2010/11/13(土) 23:10:32 ID:+JD41I1w
その、、盛り上がってるとコ水をさすようで悪いんだけど、司馬作品でなく講談とか立川文庫のながれだとおもうよ

282 :人間七七四年:2010/11/13(土) 23:24:07 ID:wrl66x6D
>>277
どこが家康ラブやねんw
全作品で一言でも司馬が「家康が好き」といった文があるなら抜き出してみなよw

『城塞』は勝ったはずの家康が臆病で暗殺を恐れて脱兎の如く逃げ出すところで終わる。
これはもちろん史実でなく司馬の創作。
『覇王の家』は家康がいかに「覇王」という言葉に似合わない人間か再三繰り替えす話。
無意味に挿入される司馬創作の家康格好悪いエピソード満載。

遺作の『濃尾三州記』で繰り返される「家康は臆病だから○○した」という司馬的解釈。
三方が原も一向一揆も桶狭間も「臆病だから」で済まされる。
このごく短い話で「臆病」という言葉数百回使われてるぜ。

司馬遼太郎が大好きな秀吉と比べてみれば一目瞭然だ。

283 :人間七七四年:2010/11/13(土) 23:28:34 ID:pvIJ0006
最近、司馬史観に影響を受けた作家が多くなってきたからなあ
これでますます家康を陥れる小説とかが増えるんだろうな

司馬は家康のこと「功罪半ば」と言ってるので、一応の功績は認めてるんだよな

284 :人間七七四年:2010/11/13(土) 23:37:59 ID:+JD41I1w
講談や立川文庫の延長線上に忍豪小説のブームがあったわけで、その忍者ブームで一山当てたのが司馬さん

285 :人間七七四年:2010/11/13(土) 23:38:49 ID:4nh98T8f
家康嫌い以上に司馬の問題点は、太閤記を晩年の汚点にまるっきり触れずに終わらせたところだと思う。
きたない、さすが司馬きたないと思ったw

286 :人間七七四年:2010/11/13(土) 23:55:42 ID:bf/H7pq2
さすが司馬!俺たちに出来ないことを(ry

NHKと一緒だね!

287 :人間七七四年:2010/11/14(日) 00:07:20 ID:Lw6BxDZP
司馬は余談と脱線が多いよな。
大御所クラスだから許されるけど、ふつうの作家じゃ編集者がざっくり削ってあの半分くらいにしそうだw

288 :人間七七四年:2010/11/14(日) 00:19:50 ID:Vo7pMxvP
司馬の最大の問題は、史実や信頼性の高い逸話の中に自分が創作した逸話をいかにも史実のようにしれっと混ぜること・・・

そろそろ、司馬信者が「歴史作家になる才能の欠けるやつが司馬の悪口を言う」と書き込む頃合だw

289 :人間七七四年:2010/11/14(日) 00:46:06 ID:K/oVdpuh
大阪冬の陣の頃の事、

世間では、いわゆる豊臣恩顧大名が大阪方に内応する、との風聞激しく、
将軍である徳川秀忠もこれを心配し、立花宗茂に相談した

「世間では豊臣恩顧の大名が大阪方に寝返ると言っている。そのような者がいるのだろうか?」

「おりません!」

宗茂は断言した。あまりにはっきりと言う宗茂に逆に疑問を感じた秀忠

「どうしてそのように言い切れるのか?」

宗茂、答える
「それはこう言うことです。豊臣恩顧というなら、私ほど豊臣家の恩顧を受けたと考えられている
者はおりません。
仮に大阪方に内応しようとする大名がいれば、必ず私にも声をかけてくるでしょう。
そのような事があれば私は、御所様(秀忠)の恩に報いるためにも、その者と刺し違える覚悟でおりました。

…ですが、今までそのような者は私のところに来ず、幸いにも命を永らえております。
今にいたってそうなのですから、内応者はいない、と考えてしかるべきでしょう。

もし私が何者かと刺し違えて死んだ、ということを聞かれたら、その時は内応者が出たのだと
お考えください。」

この宗茂の言葉に秀忠、大いに安堵したとのことである。


立花宗茂、秀忠の不安を晴らす、と言うお話。

290 :人間七七四年:2010/11/14(日) 01:56:58 ID:EXDh49aH
家康嫌いというか、だいぶ屈折した愛情という感じじゃないか?>司馬遼太郎の家康観

>>283
特に最近はにわか西軍びいきも多くなってるからなあ。必要以上に三成が義将と持ち上げられている
けど、「へいくわい者」の面も忘れちゃいかんと思う(それ含めても三成は魅力的な人物だしね)

そもそも「司馬史観」とか言っちゃう痛い知識人が結構いるのがねえ。ムキになって
否定しにかかる奴も相当だけど、小説は小説として、エッセイはエッセイとして楽しむもの
じゃないかと。同じ人物でも、作家によってかなり解釈が違うのが歴史ものの楽しみでもあるからね。

291 :人間七七四年:2010/11/14(日) 02:28:23 ID:a+dZfkP3
そろそろ専用スレで話しませんか。

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152281475/

292 :人間七七四年:2010/11/14(日) 04:07:20 ID:p2SSjZXA
司馬遼が昭和軍人全否定してるのを読んだら
好き嫌いの激しい人物だって分かるだろ

そう言えば司馬遷も好き嫌い激しいよな
自覚してたから司馬ってペンネームにしたのかね

293 :人間七七四年:2010/11/14(日) 04:31:01 ID:uNj8HaXF
>昭和軍人全否定
須美大佐がノモンハンでかっこよくかつやくするのをかくはずだったからそれはないとおもうよ、
雑誌の対談で須美さんとなかの悪かった軍人とあったから癇癪おこした須美さんに絶交されてかけなくなったけど

294 :人間七七四年:2010/11/14(日) 04:33:41 ID:uNj8HaXF
いけね、須美じゃなくて須見だな

295 :人間七七四年:2010/11/14(日) 07:12:05 ID:KNPG9dKb
あれは商売用の小説だろう教科書じゃないんだから歴史に沿って無くてもいいんだよ
骭c一郎の花の慶次や影武者徳川家康もひどいぞ秀忠が悪人に描かれてるし

296 :人間七七四年:2010/11/14(日) 07:53:06 ID:y+ucnjOQ
小説を史実と混同するやつってバカじゃないかと思う、しょせんフィクションの世界なのにさ
小説にイチャモンつける奴も同類だけどな、お前にまともな小説の一つでも書けるのかって言いたい

297 :人間七七四年:2010/11/14(日) 08:25:35 ID:oKjv/OtX
隆慶一郎の(影武者云々は置いといて)「家康は開国主義者」って切り口は目からウロコが落ちたなー。
言われてみるとその通りなのに、教科書知識で「幕府の鎖国政策=家康の方針」って思い込んでた。

298 :人間七七四年:2010/11/14(日) 09:44:03 ID:9Ie1rKur
司馬の小説は、戦国モノだと国盗物語から城塞まで全部読んでやっと補完されるもんだと思うwww
秀吉のラスボス化と家康の狸っぷりは、太閤記や覇王ではなく関ヶ原や城塞で書かれてるしな〜
大きな合戦も作品毎にだぶって書くことないしね

299 :人間七七四年:2010/11/14(日) 09:52:16 ID:FW2hYQu4
サンデーモーニングのあるコーナーのキーワードが下克上だったんだが、
戦国時代に下克上をなした人物で、松永久秀の名が最初に挙がって思わず笑ってしまったw
世間一般じゃそんなにメジャーとはいえないと思うんだが…

汚いさすが弾正汚い。

300 :人間七七四年:2010/11/14(日) 10:29:47 ID:NAnF1vCv
>>299
北条早雲や斎藤道三は、下克上の例じゃないというのが最近の考えになってるようだし。陶晴隆よりかはメジャーだろうし

301 :人間七七四年:2010/11/14(日) 10:33:34 ID:7JqAGYBj
×晴隆

○晴賢
変換しにくいけど間違えないでね
ちなみに晴賢も下剋上からほど遠い人だと思うのよ

302 :人間七七四年:2010/11/14(日) 10:35:21 ID:4ymTMLRu
任那日本府が教科書からなくなったり最近はいろいろちがうのだな

303 :人間七七四年:2010/11/14(日) 10:52:55 ID:VHD+7td5
なんだか下克上の意味が狭くなってる気がする
いわゆる「謀反」とか「主家乗っ取り」とかを下克上と呼ぶものと思ってた
あとは親戚一族が宗家を乗っ取るとか

細川政元、陶晴賢、南部晴政、津軽為信、豊臣秀吉、明智光秀あたりは
どう解釈すればいいんだろう?

304 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:11:54 ID:Vo7pMxvP
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4866.html
悪い話の方で、思い差しと衆道の逸話が書かれたので便乗。

島津家久の息子で、関ヶ原で勇戦、討死した島津豊久は輝くような美少年であった。
唐入りに臨み、豊久は島津家中の勇士たちを一人ひとり前へ呼んで『思い差し』をした。
これにより勇士たちは感激した。
「豊久様は、私一人を愛して目をかけてくださるのか、このお方のためならば命はいらぬ」
豊久の思い差しを受けた者は、戦場で果敢に奮戦したという。

明治時代まで島津の士族の間で語り継がれた伝説的逸話。
有名な『薩摩の衆道』とはいかなるものだったか、そして薩摩兵の強さの理由の一端を教えてくれる話。

305 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:12:03 ID:aRLLNuIu
本来(というか平安時代の用法)では労働三権の行使も下克上です。

306 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:15:21 ID:EXDh49aH
>>299
松永久秀も下克上とは微妙に違うような。長慶は晩年まで実権をもっているし、むしろ
長慶死後に三人衆なんかと三好氏を「分裂」させた人物じゃないか?

主家の実権を奪った、あるいは放逐したというと朝倉敏景や長尾為景なんかはどうだろうか。

307 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:19:00 ID:K/oVdpuh
>>303
> いわゆる「謀反」とか「主家乗っ取り」とかを

最近は戦国期に、そういうような形での「下克上」はほとんど存在しなかった。
って言う考えが主流だな。
戦国時代を下克上で説明すること自体少なくなってる。

308 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:27:20 ID:8qbbwvnL
>>304
スパルタ教育
テーベの神聖隊的な絆
アレクサンドロス的な包囲殲滅戦法

これだけそれえば、負ける気しないな

309 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:28:20 ID:LB/k/SbY
小田と佐竹は下剋上?

310 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:29:37 ID:fGrsdfxQ
中世から使われている古い言葉に、現代の人間が解釈を自分の都合のいいように変えるからどうにもならない状況になってないか下克上。

311 :人間七七四年:2010/11/14(日) 11:30:28 ID:4ymTMLRu
へえ

312 :人間七七四年:2010/11/14(日) 14:43:03 ID:ZsdmcQEl
>>289
はぁ・・・なんだろう
かっこいいんだけど
なんか無いの?こう黒いお話とか・・・

313 :人間七七四年:2010/11/14(日) 15:16:54 ID:oKjv/OtX
>>312
そんなもんも残るような人だったら、九州で百万石ぐらいあったんじゃねえかな

314 :人間七七四年:2010/11/14(日) 17:10:09 ID:Jfg+xTPp
>.312
 本当に白い人だったから、柳川返り咲きでも12万石止まりだったわけで(豊臣時代より1,5万石低い)
 あの時代にこんな人が存在したこと自体が異常ともいえるが、道雪、紹運の二人が作り上げた最高の
戦闘サイボーグだからかもしれない。
 技の一号(道雪)、力の二号(紹運)、そしてV3(宗茂)って言葉が頭に浮かんでくるわな。
 ちなみにライダーマンは、高橋統増(宗茂弟)だろう。(兄貴より早死にだし)

315 :人間七七四年:2010/11/14(日) 18:56:50 ID:ZYK4wdS9
そしてアマゾンは水野さん


316 :人間七七四年:2010/11/14(日) 19:00:01 ID:K/oVdpuh
>>315
DQNが最終的に名君になったことと、半裸で日本に密航してきた野生児が
帰国するときにはスーツに身を包んだ文明人になってたことを掛けているわけだなw

317 :人間七七四年:2010/11/14(日) 19:45:51 ID:vheT1bHd
>>316
ならば、ストロンガーが政宗か!ライスピの影響かもしれない

318 :人間七七四年:2010/11/14(日) 20:28:56 ID:ZYK4wdS9
CV政宗「こいつは凄いぜ」

319 :人間七七四年:2010/11/15(月) 01:38:27 ID:uWnlfVr9
>>312
いやここそもそもいい話だからさ
てか腐女子とか居たりするの?ここ
君等喜ばせるようなとこじゃないよ、ここ

320 :人間七七四年:2010/11/15(月) 01:59:27 ID:7U7bDMib
どこから腐女子という話が。

321 :人間七七四年:2010/11/15(月) 02:08:36 ID:uWnlfVr9
>>320
一次元しか見ない浅い知識
これらの条件を満たすのは腐女子しかいない

自分としてはそれすらも疑惑で終わらせてあげたところに
>>312の求める優しさと黒さと表現してみた

322 :人間七七四年:2010/11/15(月) 05:31:24 ID:mFuCBd0z
>>309
違います。
佐竹は常陸守護。義重の息子の義宣の代に、常陸三十三館を虐殺して統一しただけ。
小田は佐竹に追い回されてえらい目に。

323 :人間七七四年:2010/11/15(月) 05:32:11 ID:mFuCBd0z
>>314
座布団三枚。

324 :人間七七四年:2010/11/15(月) 06:17:42 ID:WYUVnSEr
>>322
新羅三郎が先祖だもんね>佐竹
血筋の良さは戦国屈指

325 :人間七七四年:2010/11/15(月) 06:52:04 ID:mFuCBd0z
>>324
現実には一回血統が断絶してて、平氏なんだよ。

326 :人間七七四年:2010/11/15(月) 07:04:10 ID:GM1SlSQV
御旗も楯無も武田に伝わってるわけでw

327 :人間七七四年:2010/11/15(月) 08:22:07 ID:PYUuB72H
そもそも常陸を統一できたんだっけか?

328 :人間七七四年:2010/11/15(月) 08:24:05 ID:mFuCBd0z
>>327
秀吉の時代になってようやく、だね。
江戸氏、大掾氏、南方三十三館を滅ぼして、やっと国主になれた。
秀吉の関東征伐がなかったらとても常陸統一なんてできなかった。

329 :人間七七四年:2010/11/15(月) 08:28:14 ID:uWnlfVr9
常陸は佐竹だな、マニアックすぎてどうでもいい話だが

330 :人間七七四年:2010/11/15(月) 08:57:41 ID:CjuahJc3
小田の先の結城とかは降ってないから統一は出来てないでしょ?
土浦あたりまで秀吉にもらってるわけだし


331 :人間七七四年:2010/11/15(月) 09:14:58 ID:c+F0w69z
結城は下野であって常陸はあまり関係ないぞ
常陸にあった結城領は、佐竹に獲られたり佐竹派の多賀谷に掠められたり小田に奪われたりだし

しかし戦国期の佐竹の支配地域って地図で見るとずいぶんいびつだな
常陸より南郷を中心にした陸奥方面の領域のが影響力でかいんじゃないか

まあ本土の戦局悪化で最終的に伊達にほとんど盗られちまうが

332 :人間七七四年:2010/11/15(月) 09:21:08 ID:mFuCBd0z
>>331
なかなかお詳しい。
その通りなんです。
佐竹は戦国時代、ほぼ北への勢力伸長に意を注ぎ、南方は太田、梶原、真壁に任せっぱなしなんですな。

333 :人間七七四年:2010/11/15(月) 09:30:18 ID:MZzGyjM/
結城のあたりはグチャグチャに領地入り組んでるよ
結城・多賀谷・水谷中心だが、いわゆる『領国化』が極めて遅れていた地域だってこと。
結城の本城は下総の国だが常陸と下野にも所領があった。。

佐竹の支配領域ってのは・・・佐竹スレでも散々議論があったが
そもそも『領域』という見方が彼ら常陸・下野・下総の『洞中』の領土構成には馴染まないと思う。
大体どこまでが独立領主で、どこまでが佐竹の旗下と言えるのか線引きが極めてあいまい。

334 :人間七七四年:2010/11/15(月) 09:45:05 ID:mFuCBd0z
>>333
おおむね常陸北部だけが佐竹領だったようですね。
中部は江戸氏、南部は大掾氏と小田氏
佐竹氏の侵攻方面は陸奥南部と下野北部。
下野への侵攻は失敗だったようですが。

335 :人間七七四年:2010/11/15(月) 10:53:54 ID:EZ9Bl5XG
近代以降の集権化された社会から見ると、中世の支配者ってのはよう分からんよね

336 :人間七七四年:2010/11/15(月) 11:49:54 ID:HPO3ciZT
江戸期と室町期でコレだけ違う


江戸期の領国支配体制     室町期の領国支配体制

   【将軍】              【将軍】   
    ↓                  ↓                   
    大名             (鎌倉公方等)  
     ↓                 ↓  
    家中             (関東管領等)  
     ↓                 ↓  
    領民              守護大名    \  
                       ↓       │  
                      内衆       │  
                       ↓       │ここまで守護大名の
                    在地被官      │直接の権限が及ぶ範囲  
                       ↓(半済権) │
                      荘園      /  
                   
                     ↓↓↓ 軍役権  
                   
                   大名級国人(ほぼ独立。将軍もしくは鎌倉公方に直通)
                   国人・地侍(被官関係は様々)
                       ↓  
                    惣村、商工民(被官関係は様々)  
                   

                 ※国人・地侍・惣村・商工民は守護大名、大名級国人、あるいは
                 将軍家、あるいは他の有力守護家の被官となっており、必ずしも
                 当国の守護大名の被官ではない。二重、三重の被官関係も珍しくない。




337 :人間七七四年:2010/11/15(月) 12:27:37 ID:c+F0w69z
下野は武茂氏と松野氏の家臣化に成功してるけど、そこまでだったね>佐竹
那須氏の抵抗が激しすぎた
もたもたしてる間に下野西部が北条に靡いて那須氏ともども慌てる羽目になるが

しかし関東〜東北の『洞中』の概念はマジわかりにくい……
天正初年に家臣化したように見える白河結城ですら独自性保ってるもんなぁ

338 :人間七七四年:2010/11/15(月) 12:44:54 ID:F3jgbjwv
直属の部下には命令を下せるが、部下の部下には直接命令を出せない。
直属の上司の命令は絶対だが、上司の上司からの直接命令は受けるいわれはない。
みたいなもん?

339 :人間七七四年:2010/11/15(月) 12:50:40 ID:6ql0DmmU
>>337
洞中は簡単にいえば相互扶助の安全保障同盟だな。洞中のどこかに外部から攻め込まれる
危険があればその危機に対し共同で対処する。
ただしそのかわり、最初から国人の独立性を保証した上での同盟なので内部的な統合力は
非常に弱い。

白河結城も「洞中」の構造が解体されていない以上、従属化は出来ても
仕組みとしてある程度の独立性が保たれる。

又統合力が弱いので洞中が統一行動として他所に攻め込む、といった行動もほぼ不可能。

今の世界で言えばイギリス連邦とか、あんな感じかなあ?

340 :人間七七四年:2010/11/15(月) 13:18:29 ID:mFuCBd0z
>>337
何気に那須およびその一族がいい防波堤になっていたね。

341 :人間七七四年:2010/11/15(月) 14:55:01 ID:OCsI7RQi
派遣社員なので指示者として指定されてる人通してください。
上司の上司でも指示者じゃない人からの直接命令は聞けません。

とか

342 :人間七七四年:2010/11/15(月) 18:40:45 ID:M3C3PQpy
歴史に詳しくない妹でも、「信長の野望」をやっていた俺のプレイを見ていて
唯一憶えた家紋

それが佐竹家

343 :人間七七四年:2010/11/15(月) 23:11:52 ID:aW9si6eG
家康が本田正信と話をしていた時に、秀忠の人柄について
「秀忠はあまりに律儀すぎる、人は律儀というばかりではならない。」
それを聞いた正信は秀忠にこれを伝え
「上様には時々は嘘を仰せられるのがよいでしょう」と言うと
秀忠は笑いながら
「内府様の嘘なら、買い手はいくらでもあるが、わしが嘘をついても誰も買うものはいないだろう」と言った。

いい話ではないかもしれないけど、秀忠の人柄がよく表れている話なので。

344 :人間七七四年:2010/11/15(月) 23:27:02 ID:MZzGyjM/
そういや家康は佐竹義宣のことも
「困るほどの律義者」って評したと言われてるよね。
こういう逸話もあるし、律義者同士、秀忠と義宣は気が合ったのだろうか。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1939.html

345 :人間七七四年:2010/11/16(火) 00:33:35 ID:JuTLxD33
そういや秀忠は丹羽長重とも個人的に仲が良かったらしい。
関ヶ原後の処遇にはそういう理由もあるとか。

346 :人間七七四年:2010/11/16(火) 00:38:17 ID:1bo331D+
秀忠は本気で人格者だったらしいね。忠興が老年になった頃、帰国の挨拶に江戸城に出向いたとき
忠興の健康を心配した秀忠が「充分養生してくれ。生きてさえいてくれればそれでいいから。」
って言われて忠興ガチ泣きしたらしい。

347 :人間七七四年:2010/11/16(火) 00:51:59 ID:kKO1i+vp
この話も秀忠が藤堂高虎に示したいたわりだね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2526.html

348 :人間七七四年:2010/11/16(火) 09:30:49 ID:uWzMg+we
佐竹の家紋は的にしか見えないwww
そんなオレにも佐竹さんの血がちょっとは入ってるらすぃwwww

349 :人間七七四年:2010/11/16(火) 12:10:44 ID:Zm23GdNd
そう言えば源平合戦で那須与一が扇の的を射抜いてたな。

350 :人間七七四年:2010/11/16(火) 16:55:39 ID:djn3zSeK
なんで日本の家紋って幾何学的なものか植物ばっかなんだろうな

351 :人間七七四年:2010/11/16(火) 17:13:40 ID:oGz3Bizk
西洋の紋章は、色々と意味があってそれの組み合わせらしいね〜
マスターキートンでいってたwww

日本だと旗印の方がいろいろあって面白そうだね〜

352 :人間七七四年:2010/11/16(火) 18:24:28 ID:0Nkdul+L
>>350
鳥や虫もあるやん
と、思ったけど、たぶん350が言ってるのって動物かな、それなら確かに、なんでかあんまり見ないよね

353 :人間七七四年:2010/11/16(火) 18:52:22 ID:osGx92de
家紋なんて各自が勝手に造っても問題ない
真田さんみたいに


354 :人間七七四年:2010/11/16(火) 19:02:33 ID:YNYRMjkB
>>352
動物ってか海外だと幾何学模様以外だと竜とか虎とか獅子、象、鷲や盾、剣みたいに力強いモチーフが多いじゃん

355 :人間七七四年:2010/11/16(火) 21:32:23 ID:dnUrQWT4
>>354
龍や鳳凰は一応存在する。
ttp://www.otomiya.com/kamon/animal/ryu.htm
後は兎、鹿、雀、鶴、蝶、馬、猿など。
虎だの獅子、象は日本に近世まで殆ど関わり合いがなかったし、
家系を僭称する時は当然家紋も流用、分家は変えるだけなので
新しく出来にくいというのは有ると思う。

ヨーロッパでもフランス王家は百合、イギリス王家はエニシダ(プランタジネット)
->薔薇(バラ戦争以降紅白の薔薇)と家そのものは植物(花)が結構多い。
獅子(イングランド)、ユニコーン(スコットランド)、竜(ウェールズ)
といったように動物は国そのもの(王位)を示していたりする。
盾は元々紋章を盾に書いていたからだろう。紋章にある
盾の多くはただのフィールドと呼ばれる台座。
また鷲はローマの軍旗等から。東ローマから双頭(西洋と東洋を示す)
ローマを継ぐと主張した神聖ローマ帝国やロシア帝国を通じて
現ロシアまで継承されている。


356 :人間七七四年:2010/11/16(火) 21:44:20 ID:kKO1i+vp
そういやラストサムライでは勝元の旗印は白虎だったな

357 :人間七七四年:2010/11/16(火) 22:34:24 ID:djn3zSeK
>>355
なんとなく海外は動物ばっかなイメージがあったが(主要な紋章がそうだし)植物もないわけじゃないので
わざわざトン

358 :人間七七四年:2010/11/16(火) 22:47:11 ID:JuTLxD33
>>353
真田は滋野氏伝来じゃなかったっけ?

359 :人間七七四年:2010/11/16(火) 23:53:14 ID:7L6Susgn
六文銭旗印があまりに流行ったので家紋でも使うようになったちゅう
家紋はまぁ思ったより適当だな。5,6個併用するし。

360 :人間七七四年:2010/11/17(水) 00:17:36 ID:ke3RIG+n
さて、こちらは藤堂藩江戸屋敷です。家臣三名が、何やら押し問答をしております。
ようやく、一人の者が藤堂高虎の寝所に進み出たもようです。

「井上十右衛門でございます。西島八兵衛、青地五郎兵衛らと、雑務を取り仕切っておりますが、
日々憂えることありて、恐れながら申し上げます。」
「申してみよ」
「はっ、この屋敷には鉄砲の一挺もなく、万が一の際には不用心極まりございません。
ぜひ幕府に申し述べた上で、藩地より鉄砲千挺ほど取り寄せてはいかがかと」
「うむ、なかなかに感心である。だがな、鉄砲が入用の時は幕府に申し述べて
何挺でも随時取り寄せるのは簡単な事じゃ。心配には及ばぬぞ。」
「しかしながら、一、二の大名からの申し入れなら用意もできましょうが、
騒がしい世の中となっては幕府も警戒して許可なさらないかも知れません。」
「なあに、そうなればもはや乱世じゃ。かくなる上は、幸い向かいに肥前殿の
屋敷があるではないか、そちらに押し入り鉄砲の千挺ほども奪い取るまでのことよ。
なんで心配することがあるか、わははは・・・」

井上十右兵衛門、浮かぬ顔で戻って参りました。西島、青地に報告をしている様子です。
「なんと、我が殿の大雑把なことよ!」
一同、落胆とも驚愕ともとれる声をあげております。

はい、あのレポートから幾年月、藩主藤堂高虎がご逝去され、
しめやかに葬儀が執り行われた藤堂藩江戸屋敷です。ただいま物品をあらためて
いるようですが・・・、何やら東北隅の櫓二階が騒がしいもようです。
何と言う事でしょう。そこには磨き上げられた鉄砲千三百挺ならびに
これに添えた火薬、弾丸、猩猩皮の袋がずらりと取り揃えてあるではありませんか。
やはり高虎公、なんと用意周到であったかと、家臣一同感じ入って悲しみを新たに
しているようです。この中には、おそらく井上らの姿もあることでしょう。
以上、藤堂藩江戸屋敷からお伝えしました。



361 :人間七七四年:2010/11/17(水) 00:32:03 ID:o3nj+Z7H
珍しく大坂の陣まで弓を主力武器として使っていた藤堂家らしい話ですな。

362 :人間七七四年:2010/11/17(水) 08:40:22 ID:RFIHCYF7
家紋は切り紙で染め型を作ってたりするから
幾何学模様っぽくなることが多いと聞いたことが
http://www.amazon.co.jp/dp/4416309295 >こういうの
ずんだ市博物館で子供らがキャッキャいいながら三引両紋つくってた

363 :人間七七四年:2010/11/17(水) 09:18:16 ID:EnDRWBGk
ずんだ市ってあるのか・・・
知らんかったorz

364 :人間七七四年:2010/11/17(水) 09:43:15 ID:B2oH9jAF

島原の乱鎮圧を終えた福山藩御一行は船で福山まで帰る事に、ところが途中下関に差し掛かったところで突風に煽られ一団の乗る船があわや転覆といった事態になった

そこで家来たちは老体の勝成の身を案じて小舟で近くの陸地へ上陸させようとした、しかしそのやり取りを屋形の中で聞いていた勝成は

「それはとんでもない事だ、自分の一命をなげうって主君の為に働いた家士を見殺しにして主君である勝成ひとりが逃げたとあっては、それこそ天下の物笑いだ。人の存亡は天の命ずるところである、この勝成は士卒と運命を共にするつもりであるから無用の心配せぬがよい」

と屋形の障子を閉めてしまった。
しばらくしてその突風はやんだ



365 :人間七七四年:2010/11/17(水) 13:34:13 ID:K0JrlUrR
>>363
MATE

366 :人間七七四年:2010/11/17(水) 17:06:05 ID:ia5QDJ/D
家紋とはちょっと違うが、馬印の話を。
ただいま、徳島では「蜂須賀三代 正勝・家政・至鎮〜25万石の礎〜」(http://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/event/2010/201010/20101023_01.html)なる展覧会が開催中。
これといった出物はなかったんだけど、そこで紹介されてたちょっとした逸話より。

蜂須賀正勝公、桶狭間の合戦の際、縁起を担いで縁の寺にあった鉄製の地蔵像を戦場に持ち運ぼうとした。
しかし、さすがに重くて運べず(当たり前だ…)、錫杖だけを持っていくことにした。
その合戦で武功を挙げたことから、感謝の念を深くした正勝は錫杖を自らのトレードマークとし、以降、蜂須賀家では代々、錫杖が馬印となった。

蜂須賀正勝が桶狭間に従軍してたとか、戦場に地蔵像(しかも鉄製)運ぼうとしたとか突っ込みどころが多いのは勘弁。
そう書いてるんだもの。

367 :人間七七四年:2010/11/17(水) 17:15:10 ID:MzSPG0CF
新・陸戦型モンスター伝説HACHISUKA

鉄製の地蔵を振り回し当たるを幸いなぎ倒す

368 :人間七七四年:2010/11/17(水) 18:03:43 ID:FFoV+e2P
錫杖が馬印とかカッケーな
家康のと違って軽くて持ち運び楽そうだしカッケーな

369 :人間七七四年:2010/11/17(水) 19:58:59 ID:0cdywh9X
>>366
俺はその徳島城博物館の、太宗の香炉と呼ばれる香炉の
小堀遠州の筆と伝わる箱書きが縦書きで

   賀
蜂須家

ってなってるのが気になって気になってしょうがないんだよおおおおお
書き損じないで!そしてごまかさないで!
あと香炉のボディ真正面に 宗 太 って書いてあって
なるほど太宗の香炉ねって安易さも地味に気になる

370 :人間七七四年:2010/11/17(水) 20:29:37 ID:R8fari4u
書道とかでもよくあるじゃん、文字の大きさ配分を間違ってしまうこと

371 :人間七七四年:2010/11/17(水) 20:35:35 ID:GSxnIyEx
いや、達人はそうはやらんけどな

372 :人間七七四年:2010/11/17(水) 21:59:26 ID:5HOHq1lI
達人とか言われてる人の字なんて一般人には何が書いてるのかわからんがな

373 :人間七七四年:2010/11/17(水) 22:07:06 ID:o3nj+Z7H
んなことない。
8世紀の伝説的な書の達人である顔真卿の『顔勤礼碑』
現在でも書道のお手本に使われるほど。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Yan_Qinli_Stele.jpg

374 :人間七七四年:2010/11/17(水) 22:17:04 ID:ppa4zd0u
専門用語と一緒で「知ってないと読めない」というだけの話だな
書き方とかじゃなくて文字自体を変化させてるから

375 :人間七七四年:2010/11/17(水) 22:23:14 ID:UhoQ+cdz
江戸期の俗書のたぐいなら、変体仮名さえ覚えればなんとかなる。

376 :人間七七四年:2010/11/19(金) 03:22:47 ID:7c5nNQmK
>>25
シュレディンガーの雀か。

377 :人間七七四年:2010/11/20(土) 01:41:27 ID:7vny0g+F

ある時、一人の山伏が黒田長政に面会を許され、こう言った。

「昨晩、黒田様が五ヶ国の太守となった夢を見ました。お目通りが許されるタイミ
ングでこのような夢を見たとは、間違いなく吉兆の霊夢かと思われます」

それに対して長政、

「おおそうか、そりゃ目出度い!そなたの夢の通り、五ヶ国を拝領したら必ずや祝
儀を与えよう!」
と応え、その場では何も与えず、面会は終わった。


数日後……

「昨晩、鍋島様が五ヶ国の太守となった夢を見ました。お目通りが許されるタイミ
ングでこのような夢を見たとは、間違いなく吉兆の霊夢かと思われます」

佐賀城で同じ事を言う山伏の姿が。
その言葉を聞いた鍋島直茂、

「そりゃ良い夢だ!真に目出度い!おい、祝儀として金を包んでやれ!」
と、金百疋を山伏に与えたという。


「殿……よろしかったので?あの山伏、筑前の黒田家でも同じ事を言っていたと聞
いておりますが……?」

山伏が退出した後、恐る恐る直茂に疑問をぶつける家臣。

「よいのだ。我々が弓矢を取って生活を立てるように、皆それぞれの方法で生活を
立てねばならんのだ。あの山伏は、あのような事を言って金を施してもらわねば生
きて行けぬのだろう?あの金子はあ奴に恵んでやったと思えばよい」


直茂さん、山伏の嘘を見破った上で、「物乞いに金をくれてやっただけ」と平然と
言ってのける。の巻。
突っ込み所としては数日前の福岡での出来事を何故佐賀の家臣が知っていたのか。
早耳デスネ?と言った所だろうか(笑)

378 :人間七七四年:2010/11/20(土) 02:01:32 ID:gDmkp1VX
>>377
狼煙なら、3時間で伝わるし・・

379 :人間七七四年:2010/11/20(土) 02:39:54 ID:nN51s4Y9
>>378


380 :人間七七四年:2010/11/20(土) 04:50:13 ID:Yvq3my9o
のろくないのに「のろし」、とはこれいかに?

381 :人間七七四年:2010/11/20(土) 06:03:15 ID:PWJ8JH4o
>>377
既出じゃね?

382 :人間七七四年:2010/11/20(土) 08:01:10 ID:eFxm3Mvf
・・・<嘘くさいと思っても、その場で金子遣るくらいの度量がないから、うちのb・・・若殿はダメなんだよ。

383 :人間七七四年:2010/11/20(土) 08:12:11 ID:jxmb+j0T
これ、もしも勝茂さんだったら、どうなってたんだろう。金子を与えた事を家臣や奥さんから非難されて、何も言い返せない図しか浮かばないが

384 :人間七七四年:2010/11/20(土) 12:49:00 ID:XIlMvHZa
どこも二代目は苦労するな

385 :人間七七四年:2010/11/20(土) 13:21:33 ID:Q7V1/wZB
「殿様が五ヶ国の太守に(略)」

毛利輝元「よーし、徳川征伐しちゃおっか」
家臣「お止めください!」

前田利長「今より睨まれるのー!?(((;゚Д゚)))ブルガタ」


伊達政宗「五ヶ国……?
そーだ、百万石もらってねー!!今からねじこむぞ!!!」


386 :人間七七四年:2010/11/20(土) 13:25:38 ID:0mp2jpGY
>>385
なるほど、新年の恒例行事は本当は
毛利輝元「徳川征伐の用意は整ったか」
家臣「まだその時ではありません」
が正しかったわけか

387 :人間七七四年:2010/11/20(土) 14:10:21 ID:XIlMvHZa
五ヶ国てのが、ふと五州二島の太守思い出させた

388 :人間七七四年:2010/11/20(土) 15:38:36 ID:GI03jBwm
>>378
すげえな
昔の狼煙はずいぶん細かい情報を伝えられたんだな

389 :人間七七四年:2010/11/20(土) 19:46:00 ID:ucqWrv6w
乱数表を開発したのは山本勘助が起源ニダ

390 :人間七七四年:2010/11/20(土) 19:56:18 ID:vaRLvTYd
エチオピアなんかは通信手段に太鼓使ってたらしい
いろいろ考えるもんだな

391 :人間七七四年:2010/11/20(土) 20:52:45 ID:vU5A9Zud
>>377
なんか好きだね、この話。

392 :377:2010/11/20(土) 21:19:01 ID:7vny0g+F
>>381
まとめサイトを検索してみたが、まだ紹介されてなかった。

393 :人間七七四年:2010/11/20(土) 23:02:18 ID:1jw89/Dm
あぷろだ、どこがいいっすかね?

394 :人間七七四年:2010/11/20(土) 23:39:17 ID:gDmkp1VX
>>388
赤、青、黄色、白、黒の組み合わせで表現できる

395 :人間七七四年:2010/11/21(日) 00:06:31 ID:d7FKAjzh
穴山信君の勇気ある心遣い

長篠の戦いの直後、武田勝頼のもとに一門衆の穴山信君が訪れた。
戦後処理のために徳川と交渉することを許して欲しいというのである。

つまり徳川家に金品を贈って、捕虜の身請け、遺体や遺品の回収と弔いなどの許可を得たいというのだ。
ところが、これに対して勝頼は頑として許可を出さず、食い下がる信君に怒って罵声を浴びせた。
しかし、穴山信君にはどうしても戦後処理を進めねばならない理由があった。


wikipediaによると、戦死した主な武将について
>>武田四天王の山県、内藤、馬場を始めとして、原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、土屋昌次、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉重継
とあるが、これらは武田政権中枢の、言わば戦死した官僚たちである。
これらの武将たちが、武田の新領土である信州や山梨北部の領主なのもそれを表している。


しかし、本当に悲惨だったのは、河内(山梨南部地域)・木曽の半独立豪族たちであった。
特に戦場に近い河内では、下部左京、丹沢主馬、井出元輔、下村源助、市ノ瀬左衛門ら有力国人が戦死し、兵卒も大損害を被った。

主従関係こそなかったようだが、これら河内衆の指揮を執っていたのが穴山信君であり、責任を感じていたのであろう。
勝頼から許可が得られないと知ると、駿河の配下豪族・万沢氏に独自に交渉するよう命じた。無論彼の独断である。

信君の努力の結果、内々に許可が出た。戦死者の家族や部下たちは長篠に向かい、人捜しをしたり弔いをしたりした。

これらは本来、勝頼が責任を持つべき部類の仕事だと思われるのだが、なぜ指示せず交渉も却下したのかは分からない。
だが主君の怒りを恐れない信君の優しさに、家中の士卒のみならず河内衆みなが感激した。

武田滅亡時、これら河内衆は武田庶家までほとんどが穴山信君に従って徳川に寝返ることになる。

396 :人間七七四年:2010/11/21(日) 00:27:23 ID:d7FKAjzh
長篠だと、
「信君はお味方危うしと見るや、敵に背中を見せて一目散に逃走。武田逍遙軒と信豊も続き、ついに潰走が始まった」
というような認識が一般的だけど、実はこのあたりの記述は、例の甲陽軍鑑にしかないんだよね。

指揮下にあった武田の庶家衆まで討ち死にしているってことは、本当は奮戦したのかも知れない。

397 :人間七七四年:2010/11/21(日) 00:45:35 ID:L4DoOPR4
一門衆は後備えだから単に早く戦場から離脱できただけだろうな

398 :人間七七四年:2010/11/21(日) 01:06:27 ID:V3+RI8MR
酒井忠次の別動隊が長篠城を包囲していた部隊を壊滅させてたから
退路を断たれて全滅もありえた

399 :人間七七四年:2010/11/21(日) 01:07:21 ID:NWqfuSSQ
調べたら、市ノ瀬氏は馬場氏と同族で甲斐源氏。
下部氏は秋山氏や三枝氏と同族で甲斐源氏。
下村氏は井出氏と、穴山氏は丹沢氏と(ry


甲斐情勢は複雑怪奇なり

400 :人間七七四年:2010/11/21(日) 01:09:39 ID:gF9EBSbi
なぜ
「甲州情勢は複雑怪奇なり」
と言わない・・・と思ったら、甲斐と「怪」奇をかけているのか

401 :人間七七四年:2010/11/21(日) 01:11:58 ID:NWqfuSSQ
利口な奴は考えすぎるということだ(キリッ

402 :人間七七四年:2010/11/21(日) 01:12:14 ID:G+XKskO8
信長公記の記述だと武田逍遙軒も先陣として突撃している。
本来は脇備か後備を勤めてるはずの部隊も前面に出し兵力差を補ったんだろう。
そこから推測できる状況としては
予備兵力を前面に出してしまったことから酒井の片翼包囲に対応できず前に進むしかなく
精鋭たる本来の先手である山縣隊らとは錬度士気とも劣る親族部隊が
数時間の激闘に耐えられず、最初に敗走したって事だろう

軍鑑は本来軍事テキストで無理にでも理屈の通った敗因を作る傾向があり
穴山以外はその後も重用されてるから軍鑑の長篠の記述は鵜呑みには出来ないな

403 :人間七七四年:2010/11/21(日) 01:36:16 ID:M4yaFFC1
なんでもそうだけど説明しようとすると勝った方の意図通りになったから勝利を得たってなりがちだよね(結果論で語る解説者とか)
軍記ものとか兵法書とか戦場の霧を無視してること大石

404 :人間七七四年:2010/11/21(日) 08:25:25 ID:JyqEQqUU
最初の予定と大分違ったけど勝っちゃったって事がそれほど多いかな?

405 :人間七七四年:2010/11/21(日) 10:07:59 ID:zeoTJXYH
古今東西、最初の予定通りに勝ちました、なんて戦争の方がよっぽど少ないよ
だからこそ参謀組織が発達していくんだから

406 :人間七七四年:2010/11/21(日) 10:22:48 ID:SIiAnx3i
>>397
典厩は違うだろ。

407 :人間七七四年:2010/11/21(日) 10:49:38 ID:ywZFe45s
ヤケクソで突撃かましたら敵総大将を殺っちまったZE!
ってのはあるのかね?

408 :人間七七四年:2010/11/21(日) 10:51:15 ID:SIiAnx3i
>>407
桶狭間www

409 :人間七七四年:2010/11/21(日) 11:23:54 ID:4a70b2O8
>>405
情報収集と的確な分析というのは強調されるけど、近代戦ですら「戦場で手に入る情報で確実なものはない。全く正反対の噂が飛び交っていたりするから」
と言われてるくらいだしね

410 :人間七七四年:2010/11/21(日) 11:37:44 ID:tsfrYBQq
>>407
中国だと昆陽の戦いがややそれっぽい。
公称百万(実数は多説あり)相手に一万弱で籠城。
もちろんそのままじゃ落ちるだけなんで援軍呼んで挟撃するために13騎が夜間脱出。
劉秀は兄が反乱軍指導者の政敵のため、疎まれてか足止めのため周囲の地域から募兵後ゲリラ戦展開。

そこで本来文官で傍流皇族の劉秀が、うっかり雷雨の日に敵宰相を殺してしまってさぁ大変。
敵は虎の子の精兵が一気に瓦解するわ、従軍してた対異民族戦での歴戦の名将が散り散りに逃げて分断された地域に逃げ込むわ。
味方は劉秀の兄の発言力が強くなりすぎて兄が粛清されるわ、そのごたごたで洛陽奪取を赤眉に先越されるわ。
予想外過ぎて敵も味方も大混乱に陥れてしまった。

411 :人間七七四年:2010/11/21(日) 12:09:29 ID:iI+QVGP9
宮城谷の今連載してるやつがちょうどそのあたりやってたような

412 :人間七七四年:2010/11/21(日) 12:35:48 ID:iz8X6d5W
また、完璧超人って感じ?

413 :人間七七四年:2010/11/21(日) 12:57:53 ID:zu2BFfRz
そーなのかー

414 :人間七七四年:2010/11/21(日) 13:09:13 ID:iI+QVGP9
完璧超人であるということが、たれの辜であると言えるのか

415 :人間七七四年:2010/11/21(日) 13:44:36 ID:XJeSkVtC
>>399
みんなみんな♪親戚なんだ♪甲斐源氏な〜ん〜だ〜〜♪

416 :人間七七四年:2010/11/21(日) 16:10:54 ID:saAd/65U
ヤケクソで突撃?
こ、これは焼き味噌じゃ!!

417 :人間七七四年:2010/11/21(日) 16:43:24 ID:2hWSh0ji

上総国に酒井小太郎定隆という男がいた。
元々は遠江国の土豪だったのだが、知行が少ない事を不満に思い、戦乱の続く関東
で一旗挙げようとわずか三人の従者のみを連れて下向。鎌倉公方・足利成氏に仕え
たのだと言う。
しかし、公方家は鎌倉を追われ古河に逃亡。出世が望みであった定隆はそれを期に
足利家を見限り、上総国に渡った。

当時の上総国は安房国の里見義豊の支配下にあった。
諸国を見聞した浪人として義豊に面会した定隆は、各国の軍法や見聞きした戦の詳
細、大名の評判等を余す事なく義豊に披露し、その功で家臣に取り立てられる。

その当時上総を制したばかりの里見家は、下総からの執拗な攻撃に悩まされていた。
新参の定隆はまず、下総勢との最前線に投入される事になる。
この戦で定隆は活躍。上総、下総の国境地帯を押さえ、これ以上の敵の侵入を防ぐ
事に成功した。

これに喜んだ里見義豊・義弘の両将は、定隆に上総国の三分の二を任せる事にし、
越中守の名乗りを許した。
定隆は当時寂れていた土気の古城を再興してそこを居城と定め、上総を治めたと言
う。

大永元年(1521年)八十七歳になった定隆は土気城を長男・左衛門佐定治に譲り、
出家&隠居。隠居城となった東金城は後に三男・孫五郎隆敏が相続する。
これにより上総には土気・東金の両酒井家が並立する事になるのである。


『土気古城再興伝来記』から上総酒井氏の出世話。
通説では定隆は美濃国出身で、幕府の軍に従って下向。幕府から鎌倉公方家に乗り
換えて、成氏の命によって上総北部を平定した、という事のようですね。

この『土気古城再興伝来記』、中々面白い逸話が載っているんですが、あまり長文
なのも、連投での大量投下も、ウザいと思いますので、一日一〜二話位のペースで
投稿させていただきます。いい話、悪い話合わせて計六〜八話位かと思われますが、
よろしかったらお付き合いください。

……一つだけ言わせて貰おう。里見義弘はあからさまに年代が違うだろ!


418 :人間七七四年:2010/11/21(日) 19:10:52 ID:88qvFQ00
>里見義弘はあからさまに年代が違うだろ!

里見の謎だね

419 :人間七七四年:2010/11/21(日) 19:14:35 ID:djmKJfZM
http://stat001.ameba.jp/user_images/11/13/10130880841.jpg

420 :人間七七四年:2010/11/21(日) 20:13:05 ID:SIiAnx3i
>>417
連載是非にお願いつかまつる。

421 :人間七七四年:2010/11/21(日) 21:33:46 ID:XveU73MM
同名の別人じゃなくて?
伊達政宗だって9代目と17代目と二人いるじゃん

422 :人間七七四年:2010/11/21(日) 21:35:48 ID:4a70b2O8
島津家久なんて、ほぼ同時期に二人いたりするから・・・別に困らない。片方は、悪久の方で定着してるから

423 :人間七七四年:2010/11/21(日) 21:36:04 ID:OW74PhoH
後年、義尭に味方する義豊の息子だったりして


424 :人間七七四年:2010/11/22(月) 00:51:11 ID:b16A/BfL
河野通直に死角はなかった。

425 :人間七七四年:2010/11/22(月) 06:00:43 ID:UK1+okYB
岩城氏なんて何回同じ名前使うのさ、感じだしな。

426 :人間七七四年:2010/11/22(月) 06:26:48 ID:LsN32bIh
ルイ18世「ちょっと通りますよ」

427 :人間七七四年:2010/11/22(月) 06:39:39 ID:tbrnX57g
諱を語るスレから

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 03:53:48 ID:01sVF3IG
毛利家臣の福原氏も何がなにやら。

福原広俊(毛利元就の外祖父)

福原貞俊(筆頭重臣)

福原広俊(筆頭家老)

福原貞俊(四人衆の一人)

福原元俊(豊臣姓を賜る)

福原広俊(輝元時代の重臣)

福原元俊(長州藩永代家老)

福原広俊(長州藩永代家老)

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 02:11:59 ID:s2PiBCJL
こういうの見ると甲斐の郡内小山田さんとこがやっぱり奇異に写る

小山田信隆

小山田信有(越中守)

小山田信有(出羽守)

小山田信有

小山田信茂(↑の弟)


428 :人間七七四年:2010/11/22(月) 07:16:26 ID:auvWP8u5
あと通称を代々受け継ぐのも混乱のもと

429 :人間七七四年:2010/11/22(月) 07:44:59 ID:EBT+8M+/
うちの親は松たか子父を染五郎と呼ぶ。
おれは松たか子兄を染五郎と呼ぶ。
ややこしい。

430 :人間七七四年:2010/11/22(月) 09:23:30 ID:6YeM6tjh
>>427
俺の先祖もほとんど一代ごとに名前が入れ替わってるだけだったなぁ
昔はあまり名前に頓着してなかったと考えるには偏諱とかあるのはおかしいしよくわからんなぁ

431 :人間七七四年:2010/11/22(月) 09:45:35 ID:aHSadx3y
義豊時代の里見家はまともに史料が残ってないらしいから、同名異人の可能性はないでもな
いんですが、流石に寛政年間に書かれた本では、単純に当主の世代を把握し切れていなかっ
たと見るのが妥当かと。w

432 :人間七七四年:2010/11/22(月) 09:49:01 ID:aHSadx3y

>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4893.html
の酒井定隆の時代、下総国に日泰聖人という僧侶がいた。
定隆が上総に渡る際、船を襲った高波を鎮めたと言い、それが縁で酒井家の尊崇篤
い僧侶であった。

下総国八幡郷(千葉県市川市八幡)で八幡宮の神主を務める市川刑部の息子が疫病
にかかった。
病人は、
「これは八幡神の崇りだ。私には親しくしている高僧がいるから、彼の読経を聞か
せてもらいたい」
と訴えたのだが、何故か近所の者、親族一同は相談の上、それを無視。日泰聖人に
祈祷を頼んだ。
日泰聖人が読経を上げると、たちまちに病人は快癒してしまったという。


またある日の朝、本堂でのお務めの最中。
突然怪しげな風が本堂を舞い始める。
日泰が入り口の方を振り返ると、そこには一人の女性が赤子を抱いて立っていた。
「…………寒い……」
泣きながらつぶやく女性。
出産の際に命を落した女性が、子供を死なせてしまった後悔から化けて出てくる亡
霊、『産女』であった。

「ここは……寒い……この子…助け…て……?」
涙を流し、助けを求めながら日泰に赤ん坊を差し出す産女。
日泰はその赤ん坊を受け取り、片手で抱き上げて女性と赤ん坊の為に読経してやっ
た。
女性が深々と頭を下げて姿を消した時には、日泰の腕に抱かれた赤ん坊の姿も消え
ていたと言う。

しかし、それが夢でなかった証拠として、日泰の片腕は凍えたまま、一生涯動く事
はなかったのである。


『土気古城再興伝来記』から法華宗の坊さんの話。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4113.html
といい、法華宗の坊さんは産女に縁があるな。ww


433 :人間七七四年:2010/11/22(月) 10:29:55 ID:uAHfw04c
神主の息子なのに坊主にお払いを頼むもんなのね

いや父親では駄目だったから、ってことなんだろうけど

434 :人間七七四年:2010/11/22(月) 11:11:08 ID:LZ0rw23g
>>433
坊さんが神社の管理とか普通にしてる時代だぞ

435 :人間七七四年:2010/11/22(月) 11:16:38 ID:OFcpXlAj
多分この時代は、坊さんの方が禰宜よりも社会的地位も高く
功徳や霊能力もあると考えられていたのではないか。
もちろん個人差は非常に大きいが。

436 :人間七七四年:2010/11/22(月) 11:23:57 ID:ZYXAemV3
現代でも神主と僧侶兼務っていうとこを知ってる
お葬式やると穢れで神事ができないからって檀家をもってないんだよね

437 :人間七七四年:2010/11/22(月) 11:29:10 ID:LDgAF04R
例えば春日大社の宮司と興福寺の別当は兼務されていた。

438 :人間七七四年:2010/11/22(月) 21:59:07 ID:Rw0So04Z
>>432
成仏させてあげたのに片腕凍らせるとか

439 :人間七七四年:2010/11/22(月) 23:39:26 ID:n48vOzg3
>>438
確かにw
悪い話しだな。

440 :人間七七四年:2010/11/23(火) 08:24:29 ID:6q0XuDhK
>>438
成仏する前に
「赤ん坊なめんな?! 赤の他人が何で抱いてるんだよ?!
経唱えるのを止めないと凍らせるぞ? あ!?
凍らせちゃってるのに読経続けるなんて度胸あるな!? くッ!!」
てな感じで凍らせちゃってたんじゃね?

441 :人間七七四年:2010/11/23(火) 10:49:11 ID:1xlbSPMO
>>427
日本もJr.や 大小○○ の概念を取り入れるべきだ

大小山田信有(越中守)

中小山田信有(出羽守)

小小山田信有

442 :人間七七四年:2010/11/23(火) 12:52:12 ID:ySTUTlpN
>>441
大小○○ってのは外国人の名前を分かりやすくするためのものだろう?
だから日本人には外来語を導入すべきだ。

小山田信有α

小山田信有β

小山田信有γ

443 :人間七七四年:2010/11/23(火) 13:21:38 ID:n1FvhHH6
>>442
すごくダサいです…

ってか普通に二代目とか三代目とかでいいだろw

444 :人間七七四年:2010/11/23(火) 13:22:36 ID:0ILJiCxQ
風魔小太郎や市川團十郎とかもあるしいいじゃないか

445 :人間七七四年:2010/11/23(火) 13:26:54 ID:1C21UKU1
つーか江戸期は公家、大名、旗本から町人百姓まで普通に
「何代目〇〇守(官位)」、「何代目〇〇屋」、「何代目〇〇衛門」って呼ぶのが普通だった。
家督を継ぐとはその家の「屋号」を継ぐ事なわけだ。

446 :人間七七四年:2010/11/23(火) 13:48:52 ID:Z69JN7gC
屋号や通称の襲名はわかる。
だが現代人的感覚だと名前(諱)まで使い回すのはそれでいいのかよ、という
もやもや感は拭えないな。当時の感覚では別に気にしなかったのだろうけど。

447 :人間七七四年:2010/11/23(火) 13:55:59 ID:WJzUmZ63
イミナなんて普段使わないからな。
もちろん絶対に口に出して言うことはない。

448 :人間七七四年:2010/11/23(火) 14:12:08 ID:dqWEyWjP
( ´w`)<諱なんて意味ない。ナンチテ

449 :人間七七四年:2010/11/23(火) 14:49:52 ID:D4SD4O3l
永禄2年、松平元康は本多鍋之助と叔父の忠真を呼んだ。

元康「忠真、鍋を元服させようと思う。」
忠真「鍋之助をですか?鍋之助はまだ12歳ですぞ?」
元康「何を言う。鍋はもう大人顔負けの働きをしているではないか。問題なかろう。」
忠真「しかし…まだ早すぎでは…。」

元康「そうと決まれば名前を付けなければならんな…まあ通称は父親と同じ平八郎でいいだろう。」
鍋之助「ドキッ」
元康「諱はどうしようかのう…。やはり『トンヌラ』かのう。ちと平凡すぎるな。」
鍋之助「(た、助けて…)」
忠真「あの、せめて『忠』の字は入れて…」

元康「何かいいダジャレはないものかのう。本多平八郎ホニャララ、うーむ。」
鍋之助「ガクガクブルブルブル…」
元康「父も祖父も戦死しているからのう。勝てそうな名前がいいのう。本多平八郎勝つ…。」
鍋之助「…」

元康「本多平八郎ただ勝つ…。忠勝…。よし、これにしよう!ただ勝つのみ。
    鍋、これからは本多平八郎忠勝と名乗るがよい!」
忠真・鍋之助「ホッ…」

こうして本多鍋之助は元服して本多平八郎忠勝と名乗るようになった。
家康公、このころはまだネーミングセンスは普通だったというお話。

450 :人間七七四年:2010/11/23(火) 14:55:57 ID:WJzUmZ63
つーか別に家康のネーミングセンスが「悪い」ってことはないよな。
オシャレではないけど。

451 :人間七七四年:2010/11/23(火) 15:25:55 ID:xt4/Xerf
本多山県「…」

452 :人間七七四年:2010/11/23(火) 15:51:47 ID:eHpHqfNz
何気に信長並のネーミングセンツでつよね家康は。


453 :人間七七四年:2010/11/23(火) 16:02:44 ID:1C21UKU1
キュアマリン
http://feb.2chan.net/img/b/src/1290480474629.jpg

454 :人間七七四年:2010/11/23(火) 16:03:36 ID:1C21UKU1
ごめん誤爆orz

455 :人間七七四年:2010/11/23(火) 16:06:16 ID:1xlbSPMO
KOEEEEEEEEE!

456 :人間七七四年:2010/11/23(火) 17:06:18 ID:ydIFhD3L
「私・・・キュアマリン・・・今あなたの部屋の前にいるの・・・」
たいへんだ。入ってくる。どうすればいいんだ・・・!!
「私・・・キュアマリン・・・今あなたのベランダにいるの・・・」
ベランダだと!? ベランダから入ってくる気か!?
「私・・・キュアマリン・・・今セブン・イレブンにいるの・・・」
あれ? うちの裏のコンビニか?
「私・・・キュアマリン・・・今吉野家にいるの・・・」
おお・・・遠ざかってゆく・・・。

それは3年も前のことでした。
今朝、会社へ出かける前に、「ハバロフスクにいる」
との便りをもらいました。春はまだ遠いだろうなあ。
がんばれよ。

457 :人間七七四年:2010/11/23(火) 17:07:24 ID:8PcBT6/K
>>448
[ー。ー;]つ<< ´w`)「帰りますよ。」

458 :人間七七四年:2010/11/23(火) 22:01:45 ID:TaCKzR+m
元康「今日からお前は本多キュアマリンだ」

459 :人間七七四年:2010/11/23(火) 23:49:14 ID:WuaCG2FH
おじゃ魔女とかプリキュア見るとこの人を思い出す。
戦国もアニメも関係ないけど。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/38_1.html

460 :人間七七四年:2010/11/24(水) 00:31:00 ID:1Loh8rnM
>>449トンヌラさんとか分かりにくいネタ混ぜ込むのやめい!w
ちょっと懐かしくてホロリ。今じゃ平仮名だそうですが

461 :人間七七四年:2010/11/24(水) 00:48:12 ID:UDaj1NRj

第二次国府台合戦の結果、里見家の勢力は大きく減退する事になった。
北条家は下総、上総を踏み潰し、そのまま安房まで攻め込もうと大軍を動員。手始
めに池野和田城の多加蔵人を攻め、自害に追い込む。

国府台合戦の折には北条勢の追撃を食い止め、敗走中の里見勢を無事に逃がした土
気城の酒井中務丞胤治。
当然、自分も攻められると考え、半ば以上切腹も覚悟で篭城の準備を進めていた。

が、そんな所にやってきたのは北条家からの使者。
なんと和睦に応じて欲しいと北条家の方から打診してきたのである。

「上総酒井家の初代・定隆公は遠江の出身。その頃に今川家の客将であった我が北
条家初代・早雲公が定隆公と入魂のお付き合いをさせていただいておりました。
我等としては胤治殿に何の恨みも持っておりません。昔の友誼を忘れず、我等に力
を貸してはいただけぬでしょうか? 北条家には早雲公と定隆公で交わした手紙も
残っております。その様な縁がある家を、我等の手で滅ぼしたくはないのです」

胤治は和睦に応じ、息子を人質として小田原に送る事になった。

この和睦に激怒したのは里見義弘。
「裏切り者の末路として見せしめにしてやる」
と意気込み、六百騎の軍勢を土気城に送り込んだ。
しかし、安房からの遠征で疲れが取れない所を土気勢に攻め立てられ、逆に敗走に
追い込まれてしまう。

酒井家中の竹内太郎左衛門、逃げる里見勢を見て、
「こんな事もあろうかと、抜け道を準備してたんだよ!」
と、里見勢の敗走路に先回り。物陰から弓の狙撃であっと言う間に十四、五人を打
ち落としてしまう。
里見勢はこれを一人だとは思わず、別働隊による奇襲にあったと勘違い。パニック
を起こしたように散り散りになって安房に逃げ帰ったと言う。

462 :人間七七四年:2010/11/24(水) 00:49:45 ID:UDaj1NRj

戦後、論功恩賞の場で
「一番の手柄は竹内太郎左衛門を置いて他にはいない」
と皆が口をそろえるが、そんな中ただ一人富田伊豆守が、
「太郎左衛門が十数人を討ち取ったと言っても、勝ちに乗る味方に追い立てられて
逃げ回る連中を討ったに過ぎない。敵に打ち勝ち、敗走させた我々を差し置いて、
そのおこぼれに預かった太郎左衛門が一番手柄とは納得出来ない。それに、奴は討
ち取った連中から武具やら衣服やらを剥ぎ取って自分の物にしている。それだけで
十分の恩賞といえるんじゃないか?」

この言葉によって議論は紛糾。
「富田の言葉にも一理ある」「いや、でも竹内が十数人を討ったのは事実だぞ」
主君重臣を交えて様々な意見が噴出する中、板倉長門守が口を開く。
(>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4895.html の板倉大蔵の息子)

「味方の武士が敵に向かって命を賭け、謀を巡らすのはすべて恩賞の為だ。功を立
てたのに恩賞をケチッては誰も戦場で働かず、国が成り立たない。ここは当然、太
郎左衛門への恩賞はケチるべきじゃない。それに太郎左衛門は人より抜きん出た手
柄を立てようと謀を巡らせた結果の手柄だ。伊豆守は彼のような謀を持たなかった。
当然、一番手柄は太郎左衛門の物だと言うべきだろう。そもそも太郎左衛門が敵か
ら剥ぎ取った武具等は、主君から下された恩賞ではない。その様な物を理由に恩賞
を減らされたのでは道理が立ち行かなくなってしまうではないか」

これによって竹内太郎左衛門の一番手柄が決まり、恩賞が下された。
しかし富田伊豆守は板倉長門守を恨み、これ以降不和になったと言う。


流れで一緒に並べてしまったけど、『土気古城再興伝来記』から北条家&酒井家の
旧交のお話と、スタンドプレーでの手柄も超OK!な戦争のお話。

……長台詞が多いな。我ながら読みづらい。orz


463 :人間七七四年:2010/11/24(水) 07:00:16 ID:OMBXBp4I
>>449
それ、逸話なのか?

464 :人間七七四年:2010/11/24(水) 10:02:14 ID:1Loh8rnM
>463まあ多少脚色されてても、いい話だべさ。
 >451の山県さんも平八さんの名付を喜んでいるジャマイカ

465 :人間七七四年:2010/11/24(水) 19:25:04 ID:fAQ5IgJD
最上八盾の忠信神仏であり、のち最上義光に臣従した延沢満延といえば、若年の頃より
大力として有名であった。
彼が16・7の頃のことだという。

若侍達が多く寄り集まり、諸国の武辺のことなど語り合う事があった。
そのなかで非常によく喋る者が一人居たが、彼が急に進み出て

「そうそう能登守(満延)聞いてくれ。貴殿は力持ちだという話だが、それを是非試してみたい。
山形両所宮に大鐘が釣ってあるだろう?最近も力自慢の兵たちが集まって、この鐘の掛け下しが出来るかどうかで
その力を見せ合っていたよ。
貴殿ほどの大力ならあの位の鐘簡単に持てるだろう?俺達が見物している前で、それをやって見せてくれよ!」

まあ、大人の力自慢でも手こずる鐘を、満延もそう簡単に持ち上げられるものか。
持ち上がらなければ笑ってやろう。という魂胆なのだろう。
これに満延

「いいよー」

と簡単に答え、皆と共に山形両所宮に着くと、その鐘を見るやいなや、瞬く間もあらん、気がついたらすでに鐘を
取り下ろしていた。
さらにひょいと抱えると自由自在に頭の上で回し、さらに鐘を持ったまま雲井の上に飛び上がり、
お手玉のようにポンポンと取り扱った。

「何だ、提灯より軽いじゃないか。この程度の軽い鐘を、なんでお前たちは大げさに言ってたんだい?」

そしてふと気が付き

「あ、そうそう!この鐘俺にくれないか?在所の鶴子(現山形県尾花沢市)まで持って
帰りたいんだ!」

「い、いいけどお前、鶴子ってここから10里以上離れているじゃないか…」

「大丈夫大丈夫!」

延沢満延、この鐘を難なく鶴子まで持ち運んでしまったとか。
これを見た者、この話を聞いた者は、彼のあまりに常識はずれの大力に、
呆れぬものはいなかったという。


延沢満延少年と山形両所宮の大鐘、というお話。


466 :人間七七四年:2010/11/24(水) 20:48:15 ID:OADkwknv
鐘を持ち逃げされた両宮所が気の毒すぎる
「くれないか?」は宮司さんに聞かないとw

467 :人間七七四年:2010/11/24(水) 22:19:29 ID:83L2p/ih
            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ     く れ な い か ?


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468 :人間七七四年:2010/11/25(木) 13:16:17 ID:pnbFlo9T
わっふるわっふる

469 :人間七七四年:2010/11/25(木) 13:42:12 ID:aDdCkTFB
戦国有数のDQNな事で知られてる水野勝成

実はこの勝成という名前、関ヶ原以降に自分で付けた名前である。

幼名は国松だし、本来は忠則と言う水野家の諱を継いだ立派な名前を持っていた。
じゃあ、なんで名前を変えたのか?

伝承によれば
自分は「戦に勝つなり」だから勝成と言う名前に変えたらしい。

って言うか関ヶ原以降に変えたのならとっくに30半ば過ぎてるわけで
もうこの頃にはそれなりの立場にいただろうに

と思ったが、この人放浪中も「六左衛門」と名乗ってる
今の意味で言うと「ろくでなし」と自分から名乗ってたらしい。
ある意味納得。


まあ、ともかく水野勝成はこの「勝成」と言う名前はいたく気にいってたらしく
後年、島原の乱の平定に行く際、沼隈郡能登原沖矢の島近くを通った時にこんな一首を残してる。


武士の 矢のにかかる 門出には 矢種つきせぬ 軍かつなり


歌の内容はかつてその地であった源平の合戦の故事を題材にしたものであり
平教経がその地で那須与一の部隊らと対峙した際、平教経が射た矢がとある島に当たり
その後、この島から矢竹がたくさん採れるようになり、
この島を「矢の島」と名付けたことに由来する話なのだが

歌の最後に自分の名前とかけて
「軍かつなり」つまり戦に勝つなりと、親父ギャグな一首を残したw
まあ縁起担ぎが出来る名前に改名したのは、ある意味良かったのかも。


左義長まんじゅうといい、
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3036.html
名前の付け方がストレートな水野さんのお話。

470 :人間七七四年:2010/11/25(木) 15:03:46 ID:w/ZZb8hq
これをオヤジギャクとか言っちゃうなんて・・・

471 :人間七七四年:2010/11/25(木) 15:45:52 ID:oZeTXhQU
かつしげ

472 :人間七七四年:2010/11/25(木) 16:32:45 ID:34jYn308
シバタはどおする

473 :人間七七四年:2010/11/25(木) 18:14:56 ID:p2nffH7V
昔の小説なんかだと
みずの かつしげ と読ませてる例も多いな

474 :人間七七四年:2010/11/25(木) 18:39:09 ID:YqZTvPlO
ふと思ったが信長から偏諱受けた信長の家臣って、丹羽長秀に金森長近、それに鬼武蔵くらいか。
他にも居るかもしれんがかなり少ない感じ。
あと家臣には下の方の「長」で、「信」のほうは、一族以外は同盟大名やその子弟にしか許してない
感じですな。

475 :人間七七四年:2010/11/25(木) 18:41:55 ID:K34eHT6j
秀吉「佐久間信信殿は誠に果報者でござるな。」

476 :人間七七四年:2010/11/25(木) 23:10:34 ID:txhbKGEn
>>474
利家の息子とか恒興の息子とか乱丸の弟とか長の字を使ってるよ

477 :人間七七四年:2010/11/25(木) 23:18:49 ID:YqZTvPlO
>>476
利家の息子は信長時代は利勝。秀吉の時代になってから利長。
つーか信長の時代にその偏倚を利の後ろに持っていけるわけ無いでしょw

森家の長隆、長氏は確かに信長の偏諱だね。森家は信長から愛されすぎてるわw

478 :人間七七四年:2010/11/25(木) 23:58:20 ID:EFii+6Qq
信長が、「森家の者には特別に『信』やんよ」って言ったら、
蘭丸が、「イヤ、『長』でいっすよ」
と答えたという話を聞いたことがあるけど、さすがにデマだよな?

479 :人間七七四年:2010/11/26(金) 00:04:29 ID:+556C9Ed
>>478
真実かどうかはともかく、信長と蘭丸の関係ならそういう事もありそうだね、
ってことが重要なんだろうな。

480 :人間七七四年:2010/11/26(金) 00:53:48 ID:+556C9Ed
江戸中期ほどのことだそうだ

幕府の旗本の中に、古に福島家に仕えたものの子孫があり、この者が家より、
立花宗茂が福島正則から借金をした、その証文を見つけ、立花家に差し出し
その証文を返した、という事があったという。

その証文には、このように書かれていた

『拠無き儀にて金子借用いたし候。いついつの頃には、きっと返却致すべき候。
もし違約いたし返済致さずば御笑い成さるべく候。』

これを見た人々

「古の武士は義の心も強く、笑われることを何にも代えがたい恥だと思っていたのだ。」

と、感嘆したとのことだ。

宗茂がその借金を返したのかどうか、証文が何故その旗本の家に残ったのか、
その事はよくわからない。

ともかくも戦国の武士の風を感じさせる、借金証文についてのお話。

481 :人間七七四年:2010/11/26(金) 00:59:25 ID:J+L1UfJw
宗茂って忠興から借金して茶器買ったりするからな
意外と人にたかるのがうまかったのかも知れん

482 :人間七七四年:2010/11/26(金) 02:31:25 ID:6hoLr8Za
宗茂に頼られたら悪い気もせずホイホイ貸してしまいそうだ

483 :人間七七四年:2010/11/26(金) 05:26:32 ID:wXqm3rKb
寛永十三年、徳川家光の御世。

家光が朝鮮人(朝鮮通信使だろう)の曲馬を観覧する機会があった。
この時伊達政宗も家光に相伴にしていたのだが、どうやら早朝の催しだった様で、
少なくとも政宗のほうは朝食がまだだったらしい。
ここで仙台藩士、大越茂世というものがあった。
かつて大阪の陣で片倉重長の軍に属して兜首を上げた武勇の人だったが、
実のところそれよりも料理の腕で政宗に数々の奉公を立てた人であった。

この茂世、主君が腹を空かしているだろうと思い行厨(弁当)を一つ拵えると、
数奇屋橋を通って政宗のもとへと急ごうとした、のだが……

「あいや、またれい。例え伊達公の御家中と謂えど、今通ること罷りならん」

この数寄屋橋、ちょうど将軍警護のために幕臣が通行規制を行っているところだったのだ。
まあ将軍が江戸市中に繰り出してるわけで、当然の厳戒態勢だっただろう。
というか陪臣を将軍に近づけるわけが無いのが道理である。
とはいえ茂世としても、家臣としての面子というものがある。

「主君はおそらく飢えている。お許し願いたい」
「いや無理。貴殿の主君は上様のお傍にある。近づけるわけにはゆかぬ」

茂世にも義務があるなら、番士にしたって同じこと。当然答えはノーだ。
では茂世は諦めるか。普通なら諦めるところだろう。
というか、将軍の傍近くまで近よろうとか近づけるとかそもそも考えない。
ところがどっこい、この大越茂世という武士は、
政宗からすら「こいつ勇敢だけど平気で法を犯す人柄だからなぁ」といわれる類の男だった。

「主人を飢えさせる。何の面目あって生きていけるだろうか」

言うが早いが、どっかと番士の前に座り込んだ茂世は脇差の鞘を払い、
その切っ先を迷わず突きたてようとする!
驚いたのは番士である。当然の義務を果たしてるだけなのだが、
よりにもよって将軍の間近で祝いの席を血に汚されてはたまらない。
ましてや、相手は家光の覚えめでたき伊達政宗の家臣なのだ。
何がどう転んで自分に罪が及ばないとも限らないではないか。

「……そこまでなさるならやむを得ぬ、通られよ」
「かたじけのうござる」

話がどう通ったのか、誰が許可したのかは記録には残らない。
だが茂世は数奇屋橋を通過し、家光の傍らに控える政宗の下に弁当を届けた。
こうした数々の茂世の忠勤に、政宗は大いに気をよくしたという。

大越茂世、法を曲げてでも政宗に弁当を届けるの巻。


……ただし、政宗は茂世の出身(大越顕光の義弟、大越源兵衛(甲斐守の弟)の子)自体は大嫌いで、
嫡男でやっぱり茂世の忠勤を評価していた忠宗に対しては、
「俺こいつ自身はともかくこいつの出身嫌いだから取り立てない。お前の代で取り立てろ」
なんてむちゃくちゃを言い残していたりするからまーくんもたいがい執念深い……

484 :人間七七四年:2010/11/26(金) 07:29:42 ID:lHmgAf8I
「取り立てるな」じゃなくて、「お前が取り立てろ」なだけマシとか思ってしまう

485 :人間七七四年:2010/11/26(金) 10:42:58 ID:+DiPReHf
誰かみたいに番士相手にヒャッハーするかと思ったよ

486 :人間七七四年:2010/11/26(金) 11:55:41 ID:UY0lCKSq
これってちょっといい話なのかよくわからん。

むしろ、出自で恨まれて
当時だったらもっと可哀想なことになりそうなのが
俺の代は取り立てないけど息子の代では取り立ててもいいよ
って話になってるあたりがちょっといい話の部分じゃないのかと。

487 :人間七七四年:2010/11/26(金) 12:08:13 ID:/FL1osud
「出自で恨まれて」じゃなくて「出自を恨まれて」とか、「出自を惜しまれて」がよい表現ではないかな。
本人自体のことは恨むどころか出来れば取り立ててやりたい、って思ってたんでしょ。

488 :人間七七四年:2010/11/26(金) 12:40:13 ID:UY0lCKSq
実際どう思ってたかは知らんけど
自分の代で取り立てないのは周りへのけじめもあるのかもね。

489 :人間七七四年:2010/11/26(金) 12:45:20 ID:MF5CnMsz
牛縊さんに対しても配慮したんじゃないかな

490 :人間七七四年:2010/11/26(金) 13:07:31 ID:SpIFX+YN
いくら当人が誠実に仕えたとしても他の一族郎党がアレだったら簡単には出世させられないよなあ

491 :人間七七四年:2010/11/26(金) 14:07:50 ID:fwNoKnVy
>>483

嫌いだからて、いかにも印象操作してる感じがする。
田村家出品で、反伊達派だから、政治的な配慮もあるだろ。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1249.html

492 :1/2:2010/11/27(土) 00:04:26 ID:tE13QuhJ
文化1,2年(1804,05)の頃の話だそうだ。

讃岐は松山の善通寺に、納所(施物の金品・米穀などの出納事)そしている僧があった。
彼は大変に律儀篤実な性格であったため信頼され、その年の寺中諸勘定(年間の収入と支出の計算)を
任された。

ところがこの僧、もとより計算など不案内で、一切の不正無く正直に計算したにもかかわらず、どうしても
20両ほどが足りない、ということになった。
彼はこの事を朝夕思い悩み、計算をしなおしたり数字の確認をしたりしたが、やはりどうしても20両足りない。

真面目な性格のこの僧『これは私の責任である。こんな体たらくで生きていても恥辱であるだけだ。
…よし、死のう。』と思いつめ、遺書を書き『今宵死のう』と坐禅を組んで夜がふけるのを待った。

その時である

「死ぬのはしばらく待ちなさいよ」

戸の外から突然、声が聞こえてきた。
僧驚き

「わ、私は死ぬことを誰にも言っていない!私の心中を知るお前は何者か!?」
「まあまあ、ちょっと外に出てきてください。言っておきたいことがあります。」

僧が外に出てみると、そこにいたのは大きな古狸であった。

「恐れながら、聞いて頂けますかね?俺はね、この山に数年来住んでる狸で、こう言うことには鼻が効くのさ。
あんたはどうしてそこまで心が追い詰められて、死のうなんて思ってるのさ?」

「…もはや決心したことであるし、隠すこともないだろう。
かくかくしかじかの理由で私は死を決したのだ。…それにしても、かねてからこの山に年久しく住む狸がいるとは
聞いていたが、おまえだったのか。その狸が、どうして私が死のうとするのを止めようとするのか?」

「その前にちょっとお聞きしますが、足りない額はいくらで?ふむ、20両…。分かりました、俺がその20両、
明後日までに用意しましょう!だから死んじゃだめですよ?じゃ!」

去ろうとする狸に僧、慌てて呼び止め

「ちょっと待て!お前の志は大変ありがたいが、それは駄目だ!
狸は金を持っているわけがない。金を用意するというのならおおかた、どこかから盗み取ってくるのだろう。
それは私が盗むのも一緒である。やはりいけない。この事止めにしよう!」

「ははは、あなたがそう疑うのも尤もなことだが、そんなことはしないよ。安心して待っていなさいって。」
そう言って立ち去った。

493 :2/2:2010/11/27(土) 00:05:22 ID:tE13QuhJ
翌々日の夜、僧のもとに狸が現れ、20両を渡した。
本当に持ってくるとは…」
僧、大いに喜んだ。…が小判を見るうちに
「違う!これは違う!」

僧、驚いて
「た、狸よ、この小判はたしかに金で出来ているが、我々が使っている小判とは形がまるで違う!
これは一体どういう金なのか!?」

「これはね」

狸、答える
「讃岐と土佐の境、人家も耐えた幽谷に埋まっていた、長宗我部の埋蔵金さ。

長宗我部盛親が関ヶ原の後没落したときのことだ。
長宗我部の連中はその幽谷に、金銀を埋め隠したんですよ。
これがまた恐ろしく深く険しい谷でね、我々の眷属であってもなかなか、手がだせないんなが、
まあどうにかこうにかして、そこからこの20両を揃えてきたのですよ。」

「どうしてそこまでして…?」

「俺はこの山に住んで年久しくなるわけだが、そのうちに子孫も増えて、食料にも事欠く時があったのさ。
だがそんな時、納所のあんたが寺のお供え物を山に捨ててくれた。それを拾ってきて俺は自分の
眷属を養うことが出来たんですよ。その恩返しさ。

…ま、もう一つ正直に言えば、あんたに死なれて新しい納所になったら、あんたみたいに俺達に良くして
くれないんじゃないか、とも思ってね。まあそんなわけで俺たちの眷属一同、必死でその埋蔵金を探したのさ。
じゃあな!」

そう言って姿を消した。

残された僧は途方に暮れた。

「このような金、今の世間に通用しないではないか。」
もはや致し方なく、住寺にすべてを告白した。住寺大いに驚き
「計算が合わないからと言って、死を考えるなどあっていいものか!」
と、彼の誠実さを感じつつ叱った。しかしてその長宗我部の20両、住寺にもどうにも取計れず、
事の訳と共に松山の役所に届けた。事のあまりに奇異さに役所から領主に伝えられ、領主からは
「その金子、現在通用している小判に直せばいくらほどになる?」との諮問を受け、専門家が計算したところ
「百両あまり、といったところです」との答え。

そこで長宗我部の埋蔵金20両は領主のもとに差し置かれ、善通寺には新たに、通用金で百余両が
下げ渡された、とのことである。

讃岐善通寺の狸と長宗我部埋蔵金、のお話。

494 :人間七七四年:2010/11/27(土) 01:36:27 ID:40SVBwaw
餌付けをするための狸がいない

495 :人間七七四年:2010/11/27(土) 01:41:26 ID:ELa52p38
>>494
世田谷に引っ越せ

496 :人間七七四年:2010/11/27(土) 11:05:08 ID:vGEDQhUj
周囲をよく見渡せ
常に赤ら顔ででっぷりと突き出た腹、短足、風呂嫌い、そいつが狸だ
最近は飲みに行く同僚も金もなくて寂しがってるからちょっと相手してやれ

497 :人間七七四年:2010/11/27(土) 11:09:41 ID:kIKHEjZH
200年間でおよそ5倍のインフレ
これは経済規模が拡大したから?

498 :人間七七四年:2010/11/27(土) 11:26:04 ID:74Gns0id
>>497
重さ・含有率

499 :人間七七四年:2010/11/27(土) 13:13:47 ID:cbQ5ndMJ
>>497
純度と大きさ、も+かな。

200年後の金の方が他の混ぜものして質を落としている。
8代将軍の頃で例えると「家康の頃より今の方が小判1両の質が落ちており、含有率が半分以下」
って言われてる。

その後含有率はどんどん下がっており、15代の頃には開国その他の小判改訂の影響で
トンでもない内容に。

500 :人間七七四年:2010/11/27(土) 14:47:28 ID:w/UemxFO
豊臣家が作った天正大判がかなりでかいらしいね

501 :人間七七四年:2010/11/27(土) 14:49:04 ID:eB89gQu3
大判は小判の10倍クラスだろ

502 :人間七七四年:2010/11/28(日) 00:48:37 ID:xpDCb4XP
葉隠から豊臣秀吉の話

山本常朝曰く
「春岳和尚の言うには、天地をも動かす気合を備えた者は、
日本開闢以来、豊臣秀吉ただ一人だったろうと思う、とのことだ。」

503 :人間七七四年:2010/11/28(日) 06:33:24 ID:yWasqKfi
まあ、思うのは勝手ですから

504 :人間七七四年:2010/11/28(日) 10:41:43 ID:XWDtN4Z5
>>501
そらそうよ。大判=十両なんだから。
江戸時代には大判にはプレミアがついて十倍以上の価値になったらしいが。

505 :人間七七四年:2010/11/28(日) 11:35:52 ID:wC+n/paj
大判=7両半では?
対小判相場があるのは認める

506 :1/2:2010/11/28(日) 17:15:38 ID:HMxmlkup
文禄元年(1592)豊臣秀吉による朝鮮出兵。いわゆる文禄の役である。

いち早く釜山、登莱を攻略した日本軍は、これから直ぐに朝鮮の都に向かって進撃するか、
それとも秀吉からの命令を待つかで評議をした。
ところが諸将の議論様々に分かれ、とても纏まりそうにない。
この時、福島正則が進み出て発言した

「今回日本を離れ高麗の地に向かうと決まった時から、この命は太閤殿下に捧げ、死骸を
朝鮮の地に晒そうと思い定めて来た。

このような事今更あなたがたに申すのもおこがましいが、三千の兵が一致して命をかるんずるときは
万の兵を破るのも安いと言う。いわんや今我々には十余万の人数がある。
進んで決戦をするのに何の不足があるだろうか!
各々方、どう思われる!?」

すると加藤清正が進み出て言う

「武具を肩に懸けるほどの人間であれば、戦場に望んで誰が命を惜しむものか。
ましてや今回の戦、上古にも例のない朝鮮征伐のために我々は差し向けられた。
その先陣を仰せ付けられた私に言わせれば、なおもってこれからの行動こそ慎重にすべきだと考える。
我が身命を捨てるということはさておいても、進むべきでないときに進み、止まるべきではないときに止まり、
この戦全体を壊してしまっては、上の御為、またさらには日本国末代までの瑕瑾となってしまう。

評議というものは意見を調整し行動を一致させるためのものであろう。
福島殿の言葉、近頃稀な傍若無人である!」

「傍若無人とはなにか!?」
「そうではないと言うのか!?」

正則と清正互いに非難しあい、斬り合いでもしかねぬ勢いとなった。


507 :2/2:2010/11/28(日) 17:17:43 ID:HMxmlkup
列座の諸将これに大いに慌て、とにかく穏便にと二人を落ち着かせる。
ここで座長役と言っていい小早川隆景が、立花宗茂の方を向いて言った。

「宗茂殿、あなたは秀吉公から西国一の武勇と呼ばれたほどの方です。
若手であるからと遠慮せず、思ったことを遠慮なく申されると良い。」

宗茂、これを再三辞退したが、正則と清正の喧嘩による空気を変えてほしい、そんな気持ちもあったのだろう、
隆景の言葉に促され、諸将もしきりと宗茂に発言を求めた。そこで宗茂も断りきれず、
ようやく発言をした

「私のような若輩者が申し上げるようなこと、少しも役に立つとは思えませんが、
申さねば隆景殿の権威を軽んずるようにも思え、愚見を申し上げます。

我々の捕虜にここから都までどれほどあるか尋問したところ、まだ遥々と遠い。と申しました。
ところで、多人数というものは直ぐに集められるものではありません。
もしここでの議論が整わず、都への進軍が遅々として遅れれば、敵は大軍が都に集まり、
我々がこれより進軍する道すがらを、その大軍をもって難所難所に配置しこれに防がれれば、
我らにとって由々しき困難と成るでしょう。

ここは一刻も早く都へ討ち入り、都において合戦を遂げ、あるいは敵が都も放棄するようでしたら
そこを占領し、ともかくも都まで進出した上で再び如何様にも評議いたせば良いのではないでしょうか?」

これに諸将
「それは大変正しい意見であると考えます。しかしながら朝鮮の都に人数が未だ集まっていないと申されたが、
そう考える根拠は何であろうか?」

「そこです。仮に大軍が既に招集してあるのなら、釜山、登莱をはじめ各城に少人数が籠城しているだけ、
という事になるはずがありません。既に人数が集まっているのであれば、彼らは大軍をこれらの城に差し向けて
防衛をしたでしょう。そうでない以上、未だ人数は集まっていないと考えてしかるべきだと思います。」

この宗茂の意見に諸将尤もと同意し、日本軍は釜山に留まること無く都に向かって進軍した。


文禄の役発進の軍議、と言うお話。


508 :人間七七四年:2010/11/28(日) 18:22:46 ID:rNf5YOEl
さすが西国一 賤ヶ岳七本槍ごときとは格が違った

509 :人間七七四年:2010/11/28(日) 18:24:57 ID:fAaiSzv2
常に満点の解答を出す男・宗茂
安心の宗茂

510 :人間七七四年:2010/11/28(日) 18:50:01 ID:7CzQdynq
釜山を陥落させてから今後の方針を軍議で決めるとはw
慎重な清正も、史実とは違うなw
問題は、なぜ、どこからこういう逸話が作られたのかだね。

511 :人間七七四年:2010/11/28(日) 19:10:06 ID:UkNzBkDi
>>480
宗茂の証文の話が出たのでついでに

水野勝成が猟に出かけた時の話し、猟に熱中し過ぎて案外遠くまで来てしまった勝成、そのため路銀が乏しくなったので放浪時代から馴染みのある庄屋 江草五郎左衛門という者にお金を借りる事になった


水野「すまんが路銀が底をついてしまったので少しばかり都合してもらえないか?」

江草「それは構いませんがいくら水野様とはいえしっかりと証文を書いてもらいますよ、それと借金は私の年貢の前払いって形にしてもらいます!」

勝成はその条件を快諾しすぐに証文を書いて渡した

証文
金二百両 年貢の一部としてにわかに受取った 勝成
江草の大馬鹿者へ
と、

五郎左衛門とかなり仲が良かった事と「普通に書いたんじゃ面白くねぇな」とふざけた勝成の性格が垣間見える話

ちなみに証文も現存しています


512 :人間七七四年:2010/11/28(日) 19:29:06 ID:MKZVfzjf
>>506-507
安心と信頼の立花ブランド乙


513 :人間七七四年:2010/11/28(日) 19:29:32 ID:fAaiSzv2
まあ勝成が大馬鹿者なんだがw

514 :人間七七四年:2010/11/28(日) 21:29:25 ID:DTJnfDCk
勝成「五郎左そのほうも馬鹿よのう…」
江草ILE「いえいえ、お殿様にはかないませぬ」
勝成・江草「わはははは」

515 :人間七七四年:2010/11/28(日) 21:43:19 ID:xpDCb4XP
葉隠から鍋島直茂の話

山本常朝が言う
「直茂公が本庄村の梅林庵で習字を習われていた頃の話なんだが、
梅林庵の近くにあった宝持院という寺が、
髪の手入れ、着付などすべてにおいて心からのお世話を直茂公に尽くされた。
その後、直茂公がご成長なされ感謝の気持ちから宝持院に対して、

『何なりと望みのものがあればかなえましょう』

と仰せられたので、宝持院は、

『当寺としてはなにも御願いすることはありません。
ただ蒟蒻を一生の間食べ続けたいと思っています。
直茂公がご親切に仰ることでございますので、どうかこの望みをかなえてください。』


と申し上げたそうだ。
なに!その願いはどうなったかと?
もちろん我が鍋島藩の誇る直茂公のこと、それ以前に武士に二言はないのが当たり前でもあろう。
生涯に渡り、2日に1度、使いの者が宝持院へ蒟蒻を届けたということである。

516 :人間七七四年:2010/11/28(日) 23:25:22 ID:44CUhdD0
一生こんにゃくか ヘルシーだな

517 :人間七七四年:2010/11/28(日) 23:29:02 ID:rNf5YOEl
後のマンナンライフである

518 :人間七七四年:2010/11/29(月) 00:23:26 ID:xNPSrX4U
当時こんにゃくって一年中作れたんだっけ?
ぐぐったら1700年代後半に粉こんにゃくができるまでは
収穫期にしか食べることができなかった、としてあったが
でも葉隠の成立時期から考えるとこの逸話のほうが正しいのか

519 :人間七七四年:2010/11/29(月) 01:47:55 ID:OEVQNE8B
>>518
賞味期限の概念がない時代だし、蒟蒻をどう保存していたのかもわからないし、
じっくり調べないと答えが出なさそうな問題だね

520 :人間七七四年:2010/11/29(月) 01:49:39 ID:NQE4ka3t
その前に、「一生こんにゃくを食べ続ける」ということが、
毎食、あるいは毎日食べ続けることに直結するか否かという問題があるが。

521 :人間七七四年:2010/11/29(月) 01:58:31 ID:MVJYrPUX
当たり前だがこんにゃくは『作る』ものだ。
買ったりもらったりするようになったのはここ4,50年くらいだよ。
群馬じゃ今でも家庭で作るしね。

522 :人間七七四年:2010/11/29(月) 03:32:29 ID:c2xRG3Z6
佐賀でも作るよ
ばあちゃんが作ったこんにゃく食べると市販の物は食えない


523 :人間七七四年:2010/11/29(月) 10:16:22 ID:U+fTly3G
蒟蒻芋だったら保存効きそうだしね。

524 :人間七七四年:2010/11/29(月) 15:19:06 ID:PxPDDUSz
本当に食用に使ってたのか気になる

525 :人間七七四年:2010/11/29(月) 18:24:51 ID:1EY/M0Ue
群馬県の県庁舎
http://www.hagex.com/pic/2010/0105001.JPG
群馬県の県庁舎 空撮
http://www.hagex.com/pic/2010/0105002.JPG
群馬県の民家
http://www.hagex.com/pic/2010/0105003.JPG
群馬県民
http://www.hagex.com/pic/2010/0105004.JPG
群馬県民
http://www.hagex.com/pic/2010/010514.JPG
群馬県から逃亡する県民
http://www.hagex.com/pic/2010/010513.JPG
栃木県との戦いに備える群馬県職員
http://www.hagex.com/pic/2010/0105005.JPG
群馬県民と栃木県民の戦い
http://www.hagex.com/pic/2010/0105006.JPG
裁きを受ける群馬県民
http://www.hagex.com/pic/2010/0105007.JPG
群馬県の日常
http://www.hagex.com/pic/2010/0105008.JPG
群馬テレビの放送より
http://www.hagex.com/pic/2010/0105009.JPG


526 :人間七七四年:2010/11/29(月) 19:14:19 ID:Vc5Ov/BE
このスレにそんなノリでこられてもなぁ

527 :人間七七四年:2010/11/29(月) 19:17:53 ID:leP6P1pf
そのネタは好きだけど、この板には合わない。

528 :人間七七四年:2010/11/29(月) 20:22:05 ID:sT0CZEmI
世の中、何がスイッチになるかわからんもんだな。
まさか蒟蒻でこんな反応する奴が出てくるとは。

529 :人間七七四年:2010/11/29(月) 21:09:41 ID:zMULgwBt
だれもふれてない話題を一つ

「本願寺の血統の凄さ」

本人は、摂関や清華七家の猶子となるのが慣例で、
奥さんは上流貴族の姫君ばかり
坊主が姫さんを孕ませて、世襲してきたのが真宗本願寺派の歴史
17世法如に至っては、子供30人も生ませてるw


寝所で、深層の姫君が、坊主にオマンコされてたんだぞw

530 :人間七七四年:2010/11/29(月) 21:19:30 ID:eZDVCVQO
深窓の姫君なら惜しいが、
深層の姫君なら仕方ないな。
色んな意味でディープそうだし。

531 :人間七七四年:2010/11/29(月) 21:19:59 ID:rpAN+KAW
まあ、姫君だから可愛いわけではないけどな。

532 :人間七七四年:2010/11/29(月) 21:35:21 ID:NQE4ka3t
そもそも本願寺家自体が堂上家である日野家を男系で伝える血筋。
更に足利将軍家とかなり関係の深い外戚の家柄。

その上で一つの権威を握る地位に居るんだから何もおかしくない。
単なる坊主みたいな詐欺めいた言い方はちょっと頂けないかな。

533 :人間七七四年:2010/11/29(月) 21:38:41 ID:X6eDrTqF
そうそう、美貌の姫君なんてのはドラマの中だけさ

534 :人間七七四年:2010/11/29(月) 22:00:57 ID:W9teTtm6
>>529
美しいのは字面だけのやんごとなき姫君と子造りを強制させられる気持ちが
お前にわかるのか!?

535 :人間七七四年:2010/11/29(月) 22:13:25 ID:j9nD9UvB
誰か細川幽斎の出生について話してくれない?
三淵兄弟や細川蔵人についてよみたい

536 :人間七七四年:2010/11/29(月) 22:18:07 ID:2q4Q+oPM
>>533
お姫様(とくに悲劇のヒロイン)が不細工じゃお話にならないからな。

>>534
顕如の場合は正室と仲良かったみたいだけどなあ。
政略結婚で云々といっても、わりと上手くいっているケースのほうが多そうだな。

537 :人間七七四年:2010/11/29(月) 22:18:48 ID:3H5qS9Zg
そうでもないんじゃないか?
金持っているやつは美女こませるし、
複数女の中でも良い女の方が交渉回数増えるだろうし
それが正室じゃないにしろ
美貌の遺伝子は家系にどんどん食い込んでくるだろ

538 :人間七七四年:2010/11/29(月) 22:20:25 ID:dALEQ9BN
旭姫「兄に、仲の良かった夫と別れさせられ、狸に嫁がされた悲劇のヒロインなのに
ブサイク認定されておりますがなにか」

539 :人間七七四年:2010/11/29(月) 22:29:44 ID:gIMOCkA0
>>534
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-919.html

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2452.html
といった逸話(というより史実)が残ってるくらいだから、必ずしもいやいや政略結婚てわけでもないと思うが。

540 :人間七七四年:2010/11/29(月) 23:41:26 ID:f80pRbOb
むしろ子供産ませすぎで嫁さんの命を縮めてないか

541 :人間七七四年:2010/11/30(火) 00:12:35 ID:eITgxNEe
>>530
半魚人めいた容貌の姫君と聞いて

542 :人間七七四年:2010/11/30(火) 00:15:46 ID:DXmRQbU3
>>533
毛利家の次男坊がなにか言いたそうです

543 :人間七七四年:2010/11/30(火) 00:41:03 ID:NS5kdboN
元春さんの嫁さんは痣が無ければ美人とかそういうんじゃ中田

544 :人間七七四年:2010/11/30(火) 00:52:43 ID:XDhg9cgY
>>543
そもそも後年の逸話集みたいなのに初めて出てくる話なので信ぴょう性が全然ない話。

545 :人間七七四年:2010/11/30(火) 09:50:21 ID:2hkiFQ/V
小松姫の講談が公開されてたよ。
特に新しいエピソードは無いけどね。

http://www.podyose.com/

546 :人間七七四年:2010/11/30(火) 11:20:01 ID:JIsLDlPw
>>541
いあいあ

547 :人間七七四年:2010/11/30(火) 11:57:33 ID:KjH1v3cy
>>541
日本にもインスマスがあったのかっ!


548 :人間七七四年:2010/11/30(火) 12:05:12 ID:Px8u745T
>>544末裔に吉川晃司がいるから末裔はイケメン

549 :人間七七四年:2010/11/30(火) 12:07:00 ID:HgyGrIXf
>>545では、逸話というほどでもないけど小松さんネタ

“突然の陣触れのでしたので、支度もロクに出来ず、さぞ大変だったと存じます。
そちら(大坂)で他家と万事調整して行くのも難しいこととは存じますが、よろしくお願いします。

また、今回は河内守(長男・信吉)が大将ですが、息子はまだ若く、信之様のようには行かないし、
最近は幕府の法度も固く、さぞかしやり辛いでしょう。

ですが、どんな難しいことを言ってきても、御陣のうちは信之様に免じて忠義を尽くし、
奉公していただくよう、お頼み申し上げます。
この書状は、家老衆に回覧の上、御意見をいただきますよう、お願いします。

少なくてお恥ずかしいのですが、金子を用意しました。どうぞ皆様で分けて下さい。”
(まことニすこしにてはつかしく候へ共、金子すこし進し候を、みな手前よりうけとり候べく候)



大坂の陣直前、小松殿より真田家重臣団への書状。
息子に「兄弟のうちどっちか死んでも良かった」、本気でそんな事言う親はいませんよ・・・


550 :人間七七四年:2010/11/30(火) 12:11:07 ID:5yTG6cwv
>>546
深層ならディープ・ワンっぽいからダゴンじゃねーの

551 :人間七七四年:2010/11/30(火) 18:04:23 ID:90NdDKu2
ディープ・ワンズじゃなイカ?

552 :人間七七四年:2010/11/30(火) 19:56:53 ID:8LFKZm7N
スレチな流れをさっさと戻さないと、知恵伊豆がやって来るゲソ

553 :人間七七四年:2010/11/30(火) 20:27:45 ID:gupvwgjy
燃料になる話はないが。

つくばの国史跡 小田城跡 大規模改修の跡 発見
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20101130/CK2010113002000065.html



554 :人間七七四年:2010/11/30(火) 20:31:18 ID:WUbndmjP
>>549
大阪の陣で弟が豊臣側に付いて胃が痛い時期に
小松に小遣いまで減らされる信之の悪い話ですね


555 :人間七七四年:2010/11/30(火) 20:36:42 ID:Rx6fe16p
>>553
小田城、南北朝時代からあるからな〜

556 :人間七七四年:2010/11/30(火) 20:46:07 ID:RPMfp4R4
少なくてお恥ずかしいのですが、金子を用意しました。どうぞ皆様で分けて下さい

「それ、今月のわしのお小遣い…(´;ω;`)ウッ」

557 :人間七七四年:2010/11/30(火) 20:47:57 ID:Rx6fe16p
「ご飯はまだかの」
「おじいちゃん、ご飯は昨日食べたでしょ」

558 :人間七七四年:2010/11/30(火) 20:59:36 ID:WIjO28Qo
普通に小松姫の気遣いできるいい話なのに、お前らときたら・・・

559 :人間七七四年:2010/11/30(火) 21:00:00 ID:OFM+wjju
>>557
鬼嫁過ぎる・・・

560 :人間七七四年:2010/11/30(火) 21:12:03 ID:wZHaP0Nm
>>540
加賀前田家三代目の悪口はやめろ

561 :人間七七四年:2010/11/30(火) 21:15:28 ID:jCxiZd8T
天皇家のブサイクの遺伝子はなぜだ?やっぱ朝鮮人だからか?

562 :人間七七四年:2010/11/30(火) 21:26:45 ID:m3UT8wuX
>>561
昔の美形だろうに。
江戸時代までは大きい目の娘さんは切れ長細めに見えるように
がんばってメイクしてたんだぞ。

563 :人間七七四年:2010/11/30(火) 21:39:16 ID:nS3pIBql
今の天皇家の顔立ちは、昭和帝の皇后由来だろ。
明治帝は割りと端正だし、大正帝・昭和帝も平安面ではない。
皇太子&サーヤ&娘まで遺伝するって、どんだけあの皇后の遺伝子は強いんだ……。

564 :人間七七四年:2010/11/30(火) 22:01:53 ID:WUbndmjP
>>561
朝鮮渡来系は朝鮮発祥民族では無いし経由しただけ
今の朝鮮人の祖先とは遺伝子的にも別物
そもそも天皇家のルーツって朝鮮渡来系で確定だっけ?
とりあえず明治天皇の眉毛でも見て勉強し直そうな


565 :人間七七四年:2010/11/30(火) 22:02:35 ID:X99GUtrF
>>562
>>563
>>564
キチガイに構うな。

566 :人間七七四年:2010/11/30(火) 23:07:46 ID:n3ualORv
>>561
>>564 天皇家は部落と同じで近親相姦しすぎで顔とかおかしいとも言えるんじゃ?
親子でとか家族でとか
皇太子とか、もろ朝鮮顔だけど。
あと、どの道朝鮮の血筋は途中からは入ってるし、そもそも藤原氏から山ほど嫁を
送り込まれた時点で、朝鮮系の血が濃いのは確かじゃないかな

567 :人間七七四年:2010/11/30(火) 23:11:45 ID:m3UT8wuX
>>565
そうみたいだね。単発とか。

568 :人間七七四年:2010/11/30(火) 23:45:32 ID:nS3pIBql
>>566
いやだから今の皇族の超平安面は、香淳皇后由来だってば。
香淳皇后の血が入る前後で比較したら、全然違うだろ。

569 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:00:20 ID:LrgXHGVr
>>566
だから藤原氏が朝鮮渡来系なの
因みに今の朝鮮人はモンゴル系がルーツ
藤原氏(百済民族)はツングース系です
藤原氏の血が濃くてモンゴル系の顔になる訳が無いんですよ


570 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:01:35 ID:09zkh3dX
まぁ佳子様は俺の嫁だけどな

571 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:17:31 ID:LrgXHGVr
>>570
野良犬無勢が恐れ多いわ
つか秋篠宮の家系はルックス良いよな


572 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:31:38 ID:W8jMBJ/G
伏見において、太閤秀吉、関白秀次、内大臣徳川家康、大納言前田利家といった錚々たる面々の立ち会う
能が催された。
この時関白秀次が、楽屋にて腰のものを差したまま見物をしていた。

これを見た前田利家は
「常に刀を差して油断をしていない。実に若い人に似合いの振る舞いである!
太閤殿下の躾が宜しいのであろうから、このことお伝え致そう。」
などと、大いに褒めた。

この言葉は直ぐに秀次の耳に入り、家臣の猪子内匠に

『大納言が、私の意図に気が付いてくれた!何と喜ばしいことだろうか。
今日本中の大名に気付かれるよりも、大納言一人に気付かれる方がずっと嬉しい。」

と話した。この発言は後で猪子内匠が前田利長と共に利家の元へと参り、伝えられた。
これを聞いた利家、大いに機嫌を良くしたそうだ。

秀次がこのように喜んだのは、当時武道において前田利家に肩を並べるほどのものは
天下にいなかったためだ、とのことである。

以上『利家夜話』より、豊臣秀次、前田利家の褒め言葉に歓喜する、と言うお話。


…まあ『利家夜話』は全編にわたって恥ずかしげもなくこんな話ばっかり収録されている、胸焼けがするほどの
前田利家賞賛冊子なんですけどねw


573 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:31:41 ID:AOLyrRpX
>>569
中臣氏が渡来系とは始めて聞いたというか、蘇我氏と混同してないか?

574 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:33:00 ID:4FGhGy/B
>>569 そうなんだ?知らなかった
>>568 それは、明治天皇以前の人の顔が良く解らないです
参考HPとかあったら、URL下さい

575 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:39:32 ID:AOLyrRpX
>>572
武道というか、利家程の権勢を誇る人間は少ないからじゃないかなぁとは思わないでもないなw

576 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:42:22 ID:KcDCf50K
犬千代って小物臭がすごいんだけどどうしてだろう?

家康と互角といわれてもぜんぜんピンとこない・・・



577 :人間七七四年:2010/12/01(水) 00:43:14 ID:lcp+Cgnq
マタザえもんは槍働きのひとですからねい

578 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:21:32 ID:oMSjmJX/
その槍働きってのも内実がかなりショボいっていうか・・・
まあ数名の首を取っただけで大名まで出生し、自分は爺さんになるまで生きてたのだからすごい勝ち組だよね。
これほど運がよかった人も珍しいな。他には一豊くらいか?

579 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:22:33 ID:652mal4C
>>573
そりゃそうだ。藤原氏が渡来系なんて聞いたことがない。
少なくとも有力説ではない。

580 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:29:38 ID:fGxWCde0
中臣って鹿島神宮の神官だったっけかな?
いつだかwikiでそう書かれていたのを見た記憶がるが
あと鎌足には、当時、人質になっていた百済王子説があるんだそうな
ぐぐったらそんなことを書いてるブログがあった

581 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:33:38 ID:4FGhGy/B
>>579 そうなんだ?
うちの中学時代の藤原って教師が、藤原氏は朝鮮系で自分もそうであるって、大声で学校で
力説してたけどあれ嘘なのか?

当人は思いっきりモンゴロイドな顔っていうか、朝鮮系な顔してたな
目だけタレ目だったけど、混血なのか整形なのかは知らない

まあ学校の教師なんて、部落系とか朝鮮系がやたらに多かったり幅利かしてたりするし
嘘だったのかもな 同和教育とか、思いっきりな捏造歴史の教育してたし

582 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:40:53 ID:fGxWCde0
>>581
その先生がただの在なんではないかね?

583 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:45:08 ID:4FGhGy/B
>>582 国籍は日本だと思う
近年の帰化系かなあ?公立中学校だった

知ってる創価系の在日韓国人でも、今川とか日本の現地の大名の名前を勝手に名乗ってたりするから、
帰化した時とかにそのまま本名にした口かも知れないけど

当人がそう大声公然と主張してた以上、当人は認めないと思う

584 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:46:12 ID:H3JfxBaP
>>578
利家は算盤を使いこなすインテリだったりと内政の方もすごい

585 :人間七七四年:2010/12/01(水) 01:48:04 ID:AOLyrRpX
そもそも貴族の藤原氏の子孫は99%以上が現在藤原という苗字ではないはずだが。
全部五摂家とかの「家名」を苗字にしているはず。
あるいはこの板の有名所だと大友氏とか少弐氏とか蒲生氏とかみたいな土地や官制由来の姓。
あと、地域名+藤で伊藤とか近藤とか。

586 :人間七七四年:2010/12/01(水) 02:46:12 ID:JL55XrbA
>>583
いい加減消えろ、キチガイ

587 :人間七七四年:2010/12/01(水) 02:53:31 ID:4FGhGy/B
>>586 B系や在系や帰化系の中の、創価みたいな性格した奴のそういう反応にはもう慣れたわw

588 :人間七七四年:2010/12/01(水) 06:10:19 ID:652mal4C
荒らしなら荒らしなりにせめて戦国時代に関係あることで荒らしてくれ。

589 :人間七七四年:2010/12/01(水) 06:22:05 ID:4FGhGy/B
え?荒すネタなら、凄い荒れるネタにここから繋げられるけどいいいの?
ネトサヨもネトウヨも発狂したように荒すと思うよ?まあ荒す気は無いのよ
藤原氏とか天皇家の話で、Bや朝鮮ら絡むとぶっちゃけ発狂する連中が怒る
ネタだったけどそこまで書かないと意味不明だから書いただけ

私は部落系右翼や宗教に遠慮するマスコミじゃないから

590 :人間七七四年:2010/12/01(水) 07:31:36 ID:cp0Hm7o2
うちも藤原南家の流れだけど藤原さんではありません。
氏は領地の地名を名乗っています。

だからその怪しげな藤原先生の御説がおかしいと
分かって良かったねと言う所で手打ちにしなよ。
その先生は氏と姓の違いも分かってないと思う。

591 :人間七七四年:2010/12/01(水) 08:40:55 ID:4FGhGy/B
了解っす
ご教授感謝します

592 :人間七七四年:2010/12/01(水) 10:24:07 ID:WCUoAbED
脇坂安元が家系図を持って出番を待っています。

593 :人間七七四年:2010/12/01(水) 10:40:59 ID:vxnp32xM
氏姓の根本を知らんからその先生の先祖が藤原みたいな名字をつけると。
どう贔屓目に見ても平民苗字必称義務令以降につけたのが丸わかりと。

594 :人間七七四年:2010/12/01(水) 12:45:42 ID:+VXZSlTB
>>591
はやくおちんちんがむけるといいね!

595 :人間七七四年:2010/12/01(水) 12:50:48 ID:OsC2mg4P
なぜか山奥で暮らしてる自称平家の落ち武者と一緒だろ
生暖かい目で嘲笑って許してやろうぜ

596 :人間七七四年:2010/12/01(水) 12:56:59 ID:Ou9ye7OD
いいからおまえらまとめて出てけ。

597 :人間七七四年:2010/12/01(水) 18:45:28 ID:TwuTTbTP
そして誰もいなくなった、と(^_^)

598 :人間七七四年:2010/12/01(水) 23:46:38 ID:W8jMBJ/G
ある時、大野治長、蒔田広定などが、大納言前田利家の前に出て色々と物語をしているとき、
こんなことを言った。

「大納言様は内府様(徳川家康)に対して、その官位も支配する国の数も劣っております。
ですが御城(大阪城か?)において人々の言うことには、『利家様は内府様より五層倍は強い』と
されています。

その理由は第一に、利家様ご本人が無双の武辺者であること。
次に利家様が、太閤殿下の覚えが大変めでたいこと。
さらに浅野幸長、有馬法印、徳山五兵衛、斉藤刑部、村井豊後、奥村伊代といった、有力な
与力大名や有能な家臣を持たれていることです。

我々のようなものでも登城するとき、内府様と同行するのと大納言様と同行するのでは、
気持ちのあり方が全く違います。
利家様のお供をするときは気分も良く、我々まで心が清められたかのようになります。」


以上『利家夜話』より、大野治長らによる前田利家と徳川家康の比較。

利家がこの歯の浮くようなおべんちゃらをどう聞いたのかは書かれておらず、
想像するより他にない。
だが前田家としては、記録するに価する出来事だった模様であるw

599 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:05:25 ID:Wole6jt5
なんか最近、戦国版全体が酷いな
はじめてここに来たときは、実りある板だと感動したのに・・・


600 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:10:05 ID:SjcyPE56
高山右近のヒストリアを見ていて思ったんだが、
鬼武蔵が「戦国の平和主義者」として紹介されたら面白そうだよな
そして誰もいなくなった的な平和主義者だけど


601 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:18:14 ID:YKZLm19V
>>600
まあ遺書だけ見てそれを極限まで拡大解釈すれば出来ないこともない>平和主義者鬼武蔵

602 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:27:13 ID:K8Es14JB
そんなこと言ったら
山岡家康なんて平和のために日本を制圧してるじゃんw

603 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:27:43 ID:5aYH46hz
想像力次第でなんとでもなるよ!

604 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:29:10 ID:YKZLm19V
>>602
家康が制圧した日本への評価はともかく。家康が平和の為に天下をとったのは
別に間違いじゃないぞ?

605 :人間七七四年:2010/12/02(木) 00:31:36 ID:XabtKWGj
僧兵も仏法を守護するためには武力も辞さずというのを聖徳太子を引き合いに出して説いてたらしいw
まぁ理屈と膏薬はなんにでもつくってのは本当だよなぁ

606 :人間七七四年:2010/12/02(木) 04:38:05 ID:k1KuZ3bn
>>605
結局のところ、武力は絶対悪とする行き過ぎた平和主義も理屈なんだよねw
この世の思想として形が出来たものは全て理屈。

607 :人間七七四年:2010/12/02(木) 08:18:11 ID:hBBFC7j1
そもそも秀吉からして本願寺に援軍出してくれってせがんでるわけだし、
為政者たちからも求められた部分があるしなぁ。
そこになんやかや理屈は必要なわけで

608 :人間七七四年:2010/12/02(木) 10:00:40 ID:4Ib0gEdG
鬼武蔵「愛と平和の世の為に…礎になってくれ」
門兵「嫌だぁ死にたくない、死にたくない」


609 :人間七七四年:2010/12/02(木) 10:10:30 ID:caSzaZZN
まあどの時代でもその時代の受け入れやすい理屈で世の中はまわってるわけで…
それは必ずしも合理的だとか科学的に正しいとは限らないわけで…
我々も後世からみたら馬鹿な理屈で動いていると思われるかもしれないわけで…

610 :人間七七四年:2010/12/02(木) 12:26:07 ID:euS1WrLA
>>604
それ言うならば、ジョンイルだって平和の為に戦っているぞ。w

611 :人間七七四年:2010/12/02(木) 12:37:11 ID:skxtHIsZ
>>609
細川政元
「その通りだな おれは生まれる時代が500年早かった」

612 :人間七七四年:2010/12/02(木) 13:28:24 ID:+1mMNY8a

天正十三年、常陸国田野の領主・羽石内蔵允盛長が、結城晴朝から離反し、宇都宮
家に通じているのではないかと風評が立った。

晴朝は配下の久下田城主・水谷蟠龍を呼び出して告げる。
「羽石の謀反は噂などではない。本当の事だ。奴の討伐は他の者にも命じてあるの
だが、もし討ち損じたら結城家の恥となってしまう。念には念を入れて、そなたに
も出陣して貰いたいのだが、どうか?」

この申し出をあっさりと引き受けた蟠龍、結城家諸将の軍勢を待たず、水谷軍のみ
で田野城を急襲する。
「羽石が宇都宮家に通じているのは明白だ。長引くと笠間からの援軍が来るぞ!て
っとり早くサクッとヤッちまえ!」

しかし、これは流石に羽石の事を舐め過ぎていた。
元々晴朝が、他の連中だけでは心許ないと言う程に武勇に優れた武将であり、田野
城も堅固な要害である。
水谷軍は攻め込みながらも攻めきれず、宇都宮家配下の笠間軍による援軍を許して
しまう。

早くも水谷軍が戦線を開いた事、笠間軍の援軍が田野城に入った事を聞いた晴朝は、
急いで結城軍からも援軍を編成して田野に送り込んだ。
また、宇都宮家の家臣でありながら結城家に通じ、笠間家とは犬猿の仲であった益
子家からも援軍が届いた。

「援軍忝い!これから水谷軍が城を落します故、益子・結城の両軍は周囲の警戒に
当たり、重ねての援軍がある様なら、これを追い払って頂きたい!」

速攻での決着を諦め、腰を据えて攻撃を始めた蟠龍。
三晩四日の間、攻めに攻め続けて、三千の敵兵は三百余りにまで数を減らしていた。
「最早ここまで」
勝負を諦めた羽石はしかし、腹を斬る事よりも、戦って死ぬ事を選ぶ。

「我こそが羽石内蔵允!雑兵共はそこを退け!水谷蟠龍、尋常に勝負いたせ!」
最後に残った本丸の門を開け、水谷軍に向けて突撃を決行する羽石軍。
この突撃を知った蟠龍も、羽石の奮戦に報いるべく、前線に馬を走らせた。
水谷蟠龍、この時六十三歳。
互いに槍を合わせ、半刻程の打ち合いの末羽石内蔵允は力尽き、田野城は落城した。


田野領が水谷・結城・益子の三家で分割された時、羽石家で飼われていた名馬「田
野黒」を蟠龍が手に入れた。
後に徳川家康から書状が届いた際、その返信と共に田野黒は徳川家へと贈られた。
家康からは名馬のお礼として、一羽の鷹が蟠龍に贈られたと言う。

いよいよ老境に至った蟠龍、自ら筆を取って自画像を描き上げたのだが、その際に
家康から貰った鷹を一緒に描き、
「私の死後、この鷹も私と共に成仏させてやりたいのだ」
と語ったのだと言う。


>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4886.html
のコメ10でちょっと触れられている水谷さんの田野城攻め。
『水谷蟠龍記』だとこう書かれてますよ、と。

つか、全体的には良い話寄りだとは思うんですが、援軍に対して「俺達だけでやる
から、お前等はそこらで見てな!」ってのはどうよ?
彼等にも面子ってもんがあるんじゃないか?


613 :人間七七四年:2010/12/02(木) 20:55:05 ID:hACedRSl
まとまらねえ文章だな

614 :人間七七四年:2010/12/02(木) 21:05:55 ID:skxtHIsZ
実際、軍記物を直訳するとこんなもんだ。

615 :人間七七四年:2010/12/02(木) 21:25:11 ID:V/Gfwmfp
本人が書いてる内にノリノリになったハッチャケた意訳をだらだら書かれるよりは全然ましだろ?

616 :人間七七四年:2010/12/02(木) 21:36:55 ID:KH0ouGsx
『ある山寺の僧が弟子を小僧として仕込んでいた。
しかし、ある時この小僧は寺から逃げ出して親のところに帰って来た。

親が小僧に理由を尋ねるには
「僕は立派なりたいと思って頑張って耐えていたのですが、お師匠の
折檻が酷いので逃げてきたのです。お師匠は僕に髪剃りをさせるのですが、
初心者なものですから時々失敗してお師匠の頭から血が出ると、大変折檻されます。

それと味噌をするときに、すりようが悪いと朝夕叩かれたり、便所に行くと
便所に行くのは悪いと折檻されました。もうとても耐えられない」

なんて酷い師匠だろうと思った親は住職にクレームをつけて子どもを引き取ると言った。
すると住職は呆れた顔でこう言った。
「大人のお前が小僧のたわ言を鵜呑みにするとは情けない。
望み通り引き取ってもらうが、檀家の手前、真相をはっきりさせておこう。

味噌の件だが…すりこぎでするのが当たり前なのに、あやつは味噌を鍋に入れて塗り杓子の
背中でこするから注意してるのに、何度も繰り返して何本も杓子を折ったのじゃ。これが折れた杓子ね。

便所の件だが、わしがあやつに何か申し付けると、あやつは代官衆のために新しく作った来客用の便所で
居眠りをしおるから叱ったのだ。誰も入らないように下していた鎖を捻じ切ってな。これが壊れた鎖ね。

そして髪剃りの件だが、あやつも剃る練習をしたろうと、わしの頭を剃らせたら腹を立ててわざと
傷をつけおったのだ。ほれ、わしの頭は傷だらけじゃろ」
そのように証拠を見せられた親は納得して帰っていったということだ』

「…という話でな。これは訴訟で裁く時にも大事なことだ。一方の話だけを聞くと相手はなんて
酷い奴だと思うものだ。また納得した話であっても、ゆっくり聞くと何かおかしいと後で気づく。
断片的なことで全体を判断することなどできはしない。それさえ心得ておれば、もう何も言うまい」
板倉勝重は息子重宗にそう教えた。

617 :人間七七四年:2010/12/02(木) 21:46:47 ID:sc4GiUvy
ネトウヨにとって耳の痛い話ですね、わかります。

618 :人間七七四年:2010/12/02(木) 21:56:47 ID:eQOczuiU
>>617
こんな所まで出てくんなよ。気持ち悪い。

619 :人間七七四年:2010/12/02(木) 22:12:24 ID:ZuPKwu3h
いい加減ウザいんだよチョン

620 :人間七七四年:2010/12/03(金) 00:14:52 ID:6qh5rOk3
>>598むしろ悪い話スレむきなんじゃw

無双かどうかは兎も角、内府だって相当の武辺者だからなー
刀も槍も、馬術に水練・・・ 算盤はとっしーのが上で間違いないだろけど

621 :人間七七四年:2010/12/03(金) 00:22:42 ID:JY9qqdAp
杓子を折るだの鎖をねじ切るだの、
なんか寺の小僧として育ててはいけない逸材じゃなかったんだろうか。
ヒャッハーさんとかそっちのほうに預けたほうがw

622 :人間七七四年:2010/12/03(金) 01:05:33 ID:MtOgbT0w
>>620
そもそも利家夜話以外で利家を家康より上だとか天下無双だとか褒めてるのってあるのか?
槍の又左ってのは聞くけどその武篇話は聞いたことないな〜。忠興とかの方が……

623 :人間七七四年:2010/12/03(金) 01:19:12 ID:/hgrEFV6
病的な家康嫌いが徳川家や家康を貶めるために前田をヨイショする例は昔からあるな
最近だとゴミみたいな新書沢山出してる八幡和郎なんか典型
史料は・・・前田家のものしかないと思うがw

624 :人間七七四年:2010/12/03(金) 01:30:08 ID:/YE+SeQC
>>620

集めて使いどころ無し、まつにまで罵られるあり様の利家より
莫大な金を集めつつもそれをいざとい言うときに使える家康の方が・・・
やっぱり利家って小物臭が漂うなw

625 :人間七七四年:2010/12/03(金) 03:23:52 ID:twSRFJrt
むしろその小僧が朝鮮人とダブった

626 :人間七七四年:2010/12/03(金) 07:08:51 ID:oY+hcrgD
>>624
小物と言うより周りが大物過ぎて「名脇役」にしかなれなかった
と思う。
社長が信長、同僚に秀吉と光秀、ライバル企業の社長が家康って…
これで抜きん出た業績上げろって言われても常人なら無理ゲーの域。
しかも一度クビになった社員だぜ?生え抜きのエリート社員から脱落
して、ニートから這い上がった偉人だよ。

627 :人間七七四年:2010/12/03(金) 12:56:38 ID:/Mk2wI8x
濃厚なホモ野郎が槍働きの末に(大納言まで)昇りつめる話ですねわかります

628 :人間七七四年:2010/12/03(金) 16:48:36 ID:BurMyOpx
まあ大納言に成ったってのは凄いことだな

629 :人間七七四年:2010/12/03(金) 17:52:53 ID:suAWVBLM
>>598
大名は他家や家臣に舐められたらおしまいだろw

630 :人間七七四年:2010/12/03(金) 18:10:17 ID:w24R5uGX
>>629
NGMS「本当、家臣に舐められたらおしまいですよねー」

631 :人間七七四年:2010/12/03(金) 18:21:29 ID:0zIDgTdY
似たような下ネタや2番煎じ3番煎じで笑いが取れたら芸人いらねぇよ

632 :人間七七四年:2010/12/03(金) 21:39:12 ID:Aurw/2vn
>>625
いや、朝鮮人もネトウヨも大して変わらん
同属嫌悪みたいなもん
戦国時代でこれぞまさに同属嫌悪っていう逸話ないかな?

633 :人間七七四年:2010/12/03(金) 21:40:47 ID:yIpUaVgF
お船の方や崇源院は名器だったらしい
オマンコの具合が良かった

634 :人間七七四年:2010/12/03(金) 21:53:17 ID:kvKs0j2c
ちゅうか、ネトウヨも反ネトウヨも嫌韓も嫌嫌韓も余計な争い呼び込むから、控えて欲しいなーって思ったり。
自分が正しいって思うのは構わないんだけど、TPOはわきまえて欲しいというか。

635 :人間七七四年:2010/12/03(金) 21:58:17 ID:yIpUaVgF
豊臣完子─九条道房─九条待姫─九条輔実─九条幸教─二条宗基─二条治孝─九条尚忠─九条道孝─貞明皇后─昭和天皇─今上天皇

豊臣完子は、豊臣秀勝と浅井長政と市の娘・江(崇源院)の娘
伯母である茶々の養女となり、関白・九条忠栄に嫁いだ
今上天皇は織田信長・浅井長政・豊臣秀吉の血も継いでいる

636 :人間七七四年:2010/12/03(金) 22:15:04 ID:gsiYezwB
>>635
いい加減他所でやれ

637 :人間七七四年:2010/12/03(金) 23:43:29 ID:96DA0LLq
ネトウヨとかいう定義もどうかと思うのよ
韓国人がやたらにネトウヨとか言うけど、実際の右翼動揺その急先鋒みたいな顔して
おかしな真似する部落や在日韓国人当人だったりするんじゃないかと

個人的に、在日特権に反対する会みたいなのもそうじゃないかと思う
まあスレ違いではあるけど、関連あるならそれも多少は議論もいいかとは思う

>>635あれ?、秀勝は養子であって秀吉の血は引いてないんじゃないの?
私が間違えてる?

638 :人間七七四年:2010/12/03(金) 23:43:40 ID:GvanS3gN
信長の血は継いでないだろ

639 :人間七七四年:2010/12/03(金) 23:45:04 ID:mpK4FuLu
豊臣秀勝は養子で秀吉の姉の子。
だから秀吉自身のの血は継いでいない。

つまらない書き込みするな。

640 :人間七七四年:2010/12/03(金) 23:51:46 ID:z0gj06Ji
羽柴秀勝って3人いるんだよ。
秀吉の夭折した息子の名前が秀勝。
良質の史料では確認できないが、長浜行くと実在が信じられている。

641 :人間七七四年:2010/12/04(土) 00:35:59 ID:i85is0ZE
つか、これですよね

http://otona.yomiuri.co.jp/mystyle/hiscolumn/101202.htm

642 :人間七七四年:2010/12/04(土) 02:01:59 ID:Jkv0mX8x

現在の栃木県足利市を領していた足利長尾氏。
この足利長尾氏には、山鳥を「縁起の悪い鳥」として忌避。捕ってはいけないとい
う触れが出ていたと言う。

それは長尾氏の先祖であり、鎌倉武士団の頭領でもあった鎌倉権五郎景政が、奥州
後三年の役で左目を矢で射られたのが由来である。
権五郎を射た矢に付けられていた矢羽が山鳥の羽だったと言うのである。


足利市の路地裏には現在も『ごんごろ様』と呼ばれる、小っさな社がある。
これが鎌倉権五郎景政を祀った物だと伝わっている。


どっちかと言うと鎌倉・室町スレか?でも、鎌倉よりも更に昔の話だし、足利長尾
氏の話でもあるから、こっちに。
足利以外の長尾氏ではどーだったんかな?長尾以外にも権五郎の子孫は残ってるん
だし。皆、揃って山鳥は禁止だったんでしょうか。



643 :人間七七四年:2010/12/04(土) 22:30:27 ID:KGfwYQp6
前田利家は常々、「呪詛とかしないほうがいいぞ。意味ないから。」と言っていたそうだ。
その理由はこうである。

利家が織田信長からの命で前田の家督を継ぎ、荒子の所領を兄である蔵人から
引き渡されたとき、兄の内室は大変に怒り憤り、屋敷の中に様々な呪いごとをして、
さらにそれが外に逃げないよう障子屏風まで完全に封じさせた上で、屋敷より出たのだそうだ。

ところが

「わしはその兄嫁の呪いのかかった屋敷に入ってから吉事ばかりが起こり、
大いに出世もした。
これから考えるにつまり、人を呪うという事は全く効果がない、やっても意味のない行為
だと言うことだ。」

前田利家、その実体験から来る呪詛否定のお話。

644 :人間七七四年:2010/12/04(土) 22:39:50 ID:bNPXX6Xd
八王子城の亡霊たち「この恨みはらさでおくべきか〜」
なるほど、マイナスかけるマイナスで加賀百万石が生まれたのか

645 :人間七七四年:2010/12/04(土) 22:56:50 ID:vwG03Fzt
>>643
うわ、戦国時代にはありえないぐらいの合理的考えの持ち主なんだな。

646 :人間七七四年:2010/12/04(土) 22:56:55 ID:uBcVPQAM
最終的には呪いが効かないって事かもしれんけど、
一度は小姓斬って出奔してるんだから効いてることは効いてるんじゃないの
幸運の神様、超時空太閤大明神の御加護かもしれんけどさ

647 :人間七七四年:2010/12/04(土) 23:00:04 ID:EHSEBM/L
小姓斬って出奔したのは家督を継ぐよりも結構前のことだぞ

648 :人間七七四年:2010/12/04(土) 23:01:42 ID:hO55I8B1
まあ恩人を裏切っても攻め殺しても、上司の覚えのために必要以上の虐殺しても
高いびきかいて寝られるくらいの神経の持ち主じゃないと戦国時代渡っていけないよね。

649 :人間七七四年:2010/12/04(土) 23:04:01 ID:bNPXX6Xd
前田慶次「呪いより水風呂のほうが効いたみたいだな」

650 :人間七七四年:2010/12/04(土) 23:09:28 ID:RI3Pno6G
くたばる時に、「現世での殺劫をさんざん犯してるんですから、せめて経帷子でも着てください」と言われて
「儂は恥じるようなことは何一つしておらん。それでも閻魔が咎めるんなら一戦するまでだ」と断った人だからなー。
ある意味、信長以上の自分本位・合理主義者だよね。

651 :人間七七四年:2010/12/04(土) 23:17:57 ID:4tyj8BWl
俺もネットで散々しねと言われたけど現に生きてるしなあ
あと神社から「あなたの呪い人形が境内から見つかったんですけど…」とか連絡あったけどなにも起きなかったしなあ

652 :人間七七四年:2010/12/04(土) 23:50:15 ID:EvSV1/mR
>>651
そんなん教えられても困るwww>呪い人形
まあ呪いの舞台になるって、その神社が身近な人からすると相当頭来ることらしいから
名前がわかった>>651に犯人をどうにかしろよって言いたかったのかもねw
丑の刻参りとか、冷静に考えると「呪いとか信じてる変な格好した人が釘とトンカチ持って
夜中にウチ(の近く)に来る」って状況なわけで、普通に怖いわー

653 :人間七七四年:2010/12/05(日) 00:43:45 ID:3VWj0m99
ネットでもリアルでも呪われる>>651と知り合いになりたくはないがな

654 :人間七七四年:2010/12/05(日) 05:49:09 ID:saMqIsOh
利家「いや、呪詛するには験者を雇わなくちゃならんから金かかるし」

655 :人間七七四年:2010/12/05(日) 07:28:52 ID:faWDD5c8
>>648
そんな人が論語を愛読してたのね・・・

656 :人間七七四年:2010/12/05(日) 07:42:25 ID:7qRpPDRb
むしろ利家以外の連中が大金をつぎこんで
験者読んで呪詛とか盛大にしてたかと思うと…

657 :人間七七四年:2010/12/05(日) 07:47:08 ID:+KewGARF
「わざと呪わせるようにして
修験者から税金とれば儲かるな」

658 :人間七七四年:2010/12/05(日) 08:00:51 ID:Nzo3QupK
>>651はきっと各地を荒らしまわった鬼武蔵に違いない。

659 :人間七七四年:2010/12/05(日) 08:33:18 ID:zltA7ykW
>>341



上官の命令は恐れ多くも天皇陛下の命令とこころえい!

660 :人間七七四年:2010/12/05(日) 11:20:34 ID:SH1J2ONJ
>>651
安心するのは早いな
呪い人形は儀式期間中に誰かに知られた時点で無効になる
だから何も起きないのは当然
呪い人形が牛の刻参りと呼ばれる由縁は
人に見つかりにくい時間帯に儀式を行わざるえなかったから
とりあえず>>651は酒癖の悪さをなおそうな

661 :人間七七四年:2010/12/05(日) 12:51:18 ID:PxGNlk6p
651「大仏焼いてもバチあたらなかったよ」
651「妊娠した同級生と別れようとして100万回くらいしねと言われたけどいきてるよ」

662 :人間七七四年:2010/12/05(日) 12:52:47 ID:oKbsD39j
>>660
なーんだ、>>651は自称将来人間国宝になる人間か

663 :人間七七四年:2010/12/05(日) 12:55:04 ID:oKbsD39j
sage忘れてスマソ

664 :人間七七四年:2010/12/05(日) 12:57:30 ID:wI9n7Cvn
大仏焼いたといえば、松永久秀が奈良の大仏殿を焼いたとき

『大仏も焼けた 狂えただ 遊べただ 浮世に不定の身を以て』

という、実に刹那的で末世的な小唄が流行ったそうな。

665 :人間七七四年:2010/12/05(日) 12:58:31 ID:wI9n7Cvn
オレもsage忘れてたスマンorz

666 :人間七七四年:2010/12/05(日) 13:32:03 ID:PxGNlk6p
sage忘れは将門の呪い

667 :人間七七四年:2010/12/05(日) 15:49:49 ID:YdtZNPb+
呪いというのは効くのがのろいもんだ

668 :人間七七四年:2010/12/05(日) 15:59:25 ID:eM2psqAH
戦国時代でもゲン担ぎは結構やってたと思うんだけど都合の悪いことはスルーってことなのかな?
女性の陰毛をお守りにするのってこの時代にはまだなかったんだろうか
情を通じた相手じゃなきゃダメとか処女じゃなきゃ効かないとかいろんな話を聞くけど


669 :人間七七四年:2010/12/05(日) 17:15:48 ID:bgzH12Ex
オレもノロイルスに感染したようだ

670 :信長の菩提寺の・・・:2010/12/05(日) 17:20:14 ID:wfofgJy3
朝倉宗滴は「朝倉宗滴夜話」の中でこう述べている。

-----------------

人というものは妻を娶って子供が出来たならば、たとえその子が片輪者で
あろうとも相続をさせるのが普通である。
私が実の子を廃嫡して養子を迎えた(※宗家から景紀を養子に迎えている)
ことを不思議に思っている者がいるが、こういう理由がある。

貞景様(義景の祖父)の時代に一族の小次郎(初代孝景の次男景明の子景純)
が孝景様の孫でありながら、既に宗家とは縁が遠くなり、集まりの際の席次も
決して高くはなかった。それを見た家中の者どもも彼を冷淡に扱った。
我が兄景明の子がそうであれば、末弟である我が子も同じであろう。
だから自分は惣領貞景様の子を養子に迎えたのだ。これは我が家のためでも
あり、我が家臣のためでもあるのだよ。

-----------------


時は変わって本能寺の変の後の京都。
羽柴秀吉が主催する織田信長の葬儀で導師を務める一人の高僧がいた。

名を古渓宗陳、あるいは蒲庵古渓。

出家後、下野国足利学校に学んだ後、京都大徳寺の江隠宗顕に師事。
堺の南宗寺住持を務めた後、天正元年より大徳寺住持となる。
信長菩提寺となる大徳寺塔頭総見院の開祖でもある。

堺時代に千利休と親しく交わり、その茶道の弟子となり、その参禅の師となった。
後に信長の新たな菩提寺建設を巡り、秀吉の怒りを買い博多へ配流される。

許されて帰洛するも、大徳寺木像事件に関与し利休は切腹、怒りの収まらぬ秀吉は
大徳寺をも破却しようとする。
命を伝える使者の面前で、古渓は短刀を手にして自害を試みる。この命懸けの抵抗に
秀吉も驚き破却を諦め、大徳寺は救われたのである。
その後は洛北に隠遁し生涯を終えている。


この古渓、実は朝倉氏の出身である。
信長に滅ぼされた朝倉氏出身の彼が信長の菩提を弔うとは皮肉だが、まだ二十歳そこそこの
大徳寺修行時代に宗滴一周忌に際して悼文を捧げている。



古渓は廃嫡された宗滴の実子   であったのかも知れない。


671 :人間七七四年:2010/12/05(日) 17:25:56 ID:b45c+zNm
>>667
日露戦争に際して、ロシアのギリシア正教会は全土の教会で
日本へ神罰が下るよう、全力で神に祈った。
しかし何も起こることなくロシアは敗北。
18年後、関東大震災が発生。
このことから、ロシアの物理学者カピッツァはこう結論した。
「神は、我々から9光年以内にいる」

お祈りして神に届くのに約9年、
神の怒りが地球に到着するのに約9年。
神の御意志も光速は越えられないらしい


672 :人間七七四年:2010/12/05(日) 17:32:14 ID:dbhZkW9k
>>667
田中啓文「蹴りたい田中」という本でまんまそのネタが(スサノオの呪いが光速を越える、というSF)
>>671
爆弾正が大仏を焼き討ち?したのが永禄10年(1567年)10月10日
自爆したのが天正5年(1577年)10月10日
「仏は、我々から5光年以内にいる」

673 :人間七七四年:2010/12/05(日) 17:33:07 ID:FSD/GZSR
>>664
ちなみに利家もその歌大好きだったらしいぞ

674 :人間七七四年:2010/12/05(日) 17:38:46 ID:5/cEH2xX
>>671
人の祈りと神の力を同じ速度と考えるとは、なんという不信心者

675 :人間七七四年:2010/12/05(日) 17:49:07 ID:Fa/WUKp1
>>674
関東大震災の時は既にソヴィエト成立後だからな。
むしろ無神論者が滑稽ジョークとして言ったんだろう。

676 :人間七七四年:2010/12/05(日) 20:57:56 ID:V8xgvBwI
高野山のルーズベルト呪殺の方が効果顕れるのが早かったなw

677 :人間七七四年:2010/12/05(日) 21:14:41 ID:k6DezwAU
朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクと効きまくりじゃなかよ・・。

そろそろ呪縛解いておかんとやばいぞ・・。


678 :人間七七四年:2010/12/05(日) 22:14:30 ID:QmaC/P0W
>>667
>>669

 ONMSS殿ではなくニューカマー富田長繁どのがそちらへ向かっておりますぞ

679 :人間七七四年:2010/12/06(月) 05:24:50 ID:/1LUBfWE
土橋信鏡「返り討ちにしてやるよ」

680 :人間七七四年:2010/12/06(月) 15:45:26 ID:f0zEpWkg

常陸国下館に水谷蟠龍斎という武将がいた。
母が老僧から貰った玉を飲み込むという夢を見てから、ちょうど一年後に生まれた
子供であり、左眼には瞳が二つあった為、
「観音様の御加護を受けた若君だ」
と評判になった。

赤ん坊の頃に一度も泣き声を上げた事がなく、七歳で弓馬兵法を習い、八歳で師匠
を超えた。九歳からは仏道の修行にも励み、十一歳で家臣の間の争いを自ら決裁す
るという知勇を兼ね備えた少年であった。

十七歳で初陣を飾り、見事な手柄を上げた蟠龍であったが、その翌年、とある事件
を起こしてしまう。
水谷家と共に結城家に仕えていた多賀谷家。
その多賀谷の家老であった成田主馬が蟠龍の前を騎乗のままで通り過ぎようとした。
それを見咎めた蟠龍が、問答無用で成田を斬り殺してしまったのである。

多賀谷家ではこれに怒った。
「成田に無礼があったと言うなら我等に訴えるべきではないか、それが事実である
なら謝罪もしよう。だが、詮議もせずに問答無用で斬り捨てるとは乱暴過ぎる!」

同じ結城家の配下武将同士でもある。力を合わせるべき両家なのだから、過激な行
動は控えるべし、と言った所か。
しかしこの抗議に蟠龍、
「無礼を働かれてその場で処断しないのは臆病者のやる事だ。味方だろうと何だろ
うと、我が水谷家に無礼を働いた者は即刻斬る!これが水谷家のルールだ」
と、返答。

多賀谷の抗議に対して「お前等のやり方は臆病者のやり方だ!」と罵りを返したの
である。
これはもう、全面衝突しか残っていない。
多賀谷軍が下館城を囲み、水谷軍もそれを迎撃する構えを取る。

慌てたのは結城政勝、二人の主君である。
両軍が対峙する下館城に、自ら出馬して双方に説得を試みた。
「多賀谷と水谷は車の両輪、鳥の両翼である。片方が滅亡したら、もう片方も、結
城家までもが滅びてしまう。私の顔に免じて、これ以上の争いは勘弁してくれない
か」
最早説得と言うより懇願である。

主君にそこまでさせてしまった事に、流石に罰の悪さを感じたのだろうか。二人は
共に兵を退かせ、政勝の前で和睦の酒盛りを執り行った。
政勝は両将の仲直りを非常に喜び、感激のあまり家臣のお囃子に合わせて自ら『高
砂』を舞う程であったという。


『水谷蟠龍記』より蟠龍少年の度胸の良い話? 私は部下の戦争に自ら割って入った
結城政勝さんの良い話のようにも思えた。
まとめブログの方では「坂東を代表するヒャッハー」などとコメントされてますが、
水谷側の記録ですからかなり良い感じに描かれています。
やってる事自体は敵陣に単騎突入したり、味方の重臣切り殺したりと、確かに制御
不能のヒャッハーという気がしないでもないですね。ww

681 :人間七七四年:2010/12/06(月) 20:40:56 ID:q3RRfTys
文禄元年(1592)正月朔日の事だという。

この日、諸大名は関白秀次のいる聚楽に出仕、正月年賀の拝謁をし、それを終えてから
太閤秀吉の御座所へと出仕した。

ところがこの日、秀吉は大変機嫌が悪く、出仕した諸大名への対面もしようとしなかった。
皆どうしたものかと戸惑っているところ、、太鼓打ちの樋口というものが御前にまかり出て

「目出度の御正月にて御座候」

とご挨拶申し上げたところ、秀吉

「なにが目出度の正月なものか!天下を人に取られ、このように手狭なところに隠居してしまっては、
面白いことなど何も無いわ!」

とものすごい剣幕で吐き捨て、樋口、言葉もなく這々の体で引き下がった。

このような事なので大名衆への対面も何時まで経っても行われず、これについて話し合った結果

「今のようなご機嫌ではどうにもならない。ここは主計殿(加藤清正)が御前へ罷り出られて
お心に合うようなことを申し上げてご機嫌を直してきてくれ。」

こうして加藤清正が一人、秀吉の御前へと出た。
この時清正、赤装束だったとか。

さて秀吉は清正に声をかけた

「主計、名護屋城の普請はどうなっておるか!?」

清正はすぐさま

「ははっ!名護屋の城、ことごとく出来ました!大阪城に劣らない、素晴らしい出来でございます!」

「なに?もう出来た?ふむ…ふふふ、そうでなくてはならぬ」

秀吉、たちどころに機嫌が直った。
そして名護屋城の完成を大いに喜び、諸大名へのご対面も無事、果たされたそうである。


加藤清正、拗ねた秀吉の機嫌を直す。というお話。


しかしこの時ホントに名護屋城は出来ていたのかね?
まあある程度確信があったから言えたのだろうけど。

682 :人間七七四年:2010/12/06(月) 20:53:52 ID:o3lZyXkD
まあ虎ちゃんなら多少の嘘も見逃すんじゃね?

683 :人間七七四年:2010/12/06(月) 20:58:07 ID:lzo8QWy2
>天下を人に取られ、このように手狭なところに隠居してしまっては、面白いことなど何も無いわ!

自分の意思でやったんじゃないのかw
気分屋は怖いなw

684 :人間七七四年:2010/12/06(月) 21:01:15 ID:5w8K//Yo
>>683
禿同。ラスボスは痴呆か老人性妄想状態だったんだろうな

685 :人間七七四年:2010/12/06(月) 21:02:11 ID:xMGDA/Im
秀次に家臣の気持ちをむかせるための演技でもなさそうなところがなんとも…
単に先に秀次に挨拶に行っちゃったのが気に入らないという真正かまってちゃん

686 :人間七七四年:2010/12/06(月) 21:14:51 ID:GvF9jC8o
これ位執着心が有ればこそ、
天下人までのし上れたんだろうな。
そういう意味ではラスボスらしい逸話だ。

687 :人間七七四年:2010/12/06(月) 22:53:58 ID:o3lZyXkD
秀次ではなく秀頼なら、この様な態度を取っただろうか?

688 :人間七七四年:2010/12/06(月) 23:35:34 ID:gc/2yqXO
中村の足軽農家から天下人にまで上り詰めた男がこの程度の気難しさで済んでいるところが秀吉の凄さ。
現代の成り上がり者(某歌舞伎役者殴った連中)と比べてもその凄さがわかる。

689 :人間七七四年:2010/12/07(火) 00:12:32 ID:vyLkdiGr
>>688
26歳海老パンチャーは単に気分屋というか、
戦国だと主君が侮辱されたので切り殺しましたというとこかもね

690 :687:2010/12/07(火) 00:15:13 ID:abU+zQ2/
>>689
なるほど!!
その見方もあったか

691 :688:2010/12/07(火) 00:16:17 ID:abU+zQ2/
御免
687ではなかった

692 :人間七七四年:2010/12/07(火) 00:37:31 ID:T7NEcgLM
戦国時代に端を発するが落ちは昭和なので
スレチだったらすいません。またガイシュツだったら更にすいません。



「368年後の赦免状」


大阪冬の陣における旗本の切捨てや、
大阪夏の陣の遅参を理由に、
松平忠輝は家康から蟄居謹慎を命ぜられた。
忠輝は元和二年(1616年)の家康の臨終にも立ち会えず、
また葬儀参列も許されなかった。

同年七月には伊勢朝熊へ流罪、元和四年(1618年)には飛騨高山へ、
寛永三年(1626年)には信濃諏訪高島城へと移される。
夫人である五郎八姫は元和六年(1620年)に仙台へ帰り、
14年ほどの結婚生活も終わりを告げた。

そんな忠輝は諏訪で57年ほど長生きし、
天和三年(1683年)に逝去、今の長野県諏訪市の貞松院に葬られる。



さて、時は流れ、昭和五十年代に入った頃。
貞松院の山崎和雄住職から、
徳川宗家十八代当主徳川恒孝氏に書状が届けられた。

「松平忠輝公が、夜な夜な夢に出てきて、
予を赦免してくれと仰有っておられるので、
ぜひご配慮願いたい」

書状はこれきりではなく、この後も再三にわたって懇願があった。

そこで昭和59年(1984年)、徳川氏は忠輝に「永対面禁止を解く」と
赦免状を出し、368年ぶりに忠輝は自由の身となった。
昭和62年(1987年)10月24日、
忠輝公三百回忌に合わせてご赦免報告会が行われ、
同年11月には五郎八姫との再会の催しが執り行われ、
伊達家の現当主の妹さんが出席したという。


368年たってようやく赦免された忠輝の
ちょっと良かったねという話。


693 :人間七七四年:2010/12/07(火) 08:54:39 ID:t9cbbySN
貞松院の住職は何者なんだすごいな

694 :人間七七四年:2010/12/07(火) 09:50:56 ID:35oetDbw
徳川家、伊達家をはじめ旧大名家は現在も
なんだかんだで親交があるのか?


695 :人間七七四年:2010/12/07(火) 10:10:47 ID:v+KEU5Y3
祖父母の代くらいまでなら旧大名家ってか華族間での結婚が寧ろ普通だろ?
親戚付合いの延長みたいのもんだからそんなに驚くことじゃないと思うが・・・

696 :人間七七四年:2010/12/07(火) 10:23:54 ID:rLqzIf0E
永対面禁止って、蟄居謹慎のこと?
家康と終生会えないということだと思ってた。


697 :1/2:2010/12/07(火) 12:15:34 ID:Lep7ejhJ
永禄7年(1564)の事だという。

桶狭間において今川義元を破った織田信長に対し京の朝廷は、熱田参拝を名目として
禁裏御蔵職・立入左京亮宗継を密かに勅使として尾張清須へと派遣した。
信長への依頼内容は

一・断絶した公家の相続についての協力
一・横領された御料所の回復についての協力
一・京都御所の修繕についての協力

であったらしい。

立入宗継は10月24日、京を出立。同28日、清須の道家尾張守(武井夕庵の事か?)宅に到着。
朝廷からの奉書の内容を知った道家尾張守は「織田家の面目、これに勝るものはない!」と喜び、
「今朝鷹狩にでられた信長様は帰りにちょうど、ここに立ち寄られる。」と知らせる

7つ(午後3〜4時頃)に道家の邸宅に帰り、風呂に入りながら道家からの報告を聞き歓喜した。
「忍びの勅使であるというからにはここで対面しよう、村井貞勝を呼べ」「昼からこちらにおります」
そこで村井に奉書の内容を読み上げさせると座敷にて立入と対面。
信長はまず村井から綸旨(天皇のお言葉)書の内容を聞く。そして三箇条の書き立てを受け取ると
先ず日付の下に花押を書き入れ、喜色を隠すこと無く

「私は未だ尾州でさえ半国の主でしか無いのに、天下の御用を仰せ付けられました。
この御力を以て当国を年内にも従え、来年は美濃国を退治いたしましょう。
それもこれも、この二通(綸旨書と書き立ての奉書)の御力です。」

と、花押を入れた三箇条を立入に渡した。

さて、そのあとは宴会と成る。下戸と言われる信長もこの時は大いに杯を交換したようだ。
そして興に乗り「私がこれから料理しますよ!」と座から立つ。この時家臣に
「使いを出して三左衛門(森可成)、権六(柴田勝家)、五郎左衛門(丹羽長秀)、藤吉郎(木下秀吉)、
左近(滝川一益)を呼べ。この事を知らせねばならん。年寄りどもには申すことはない。機密事項だ、
この5人だけに伝えろ。」と命じた。

そうしているうちに料理が出来た。昼間信長の鷹狩の獲物を調理した雁の汁と鶴の刺身である。
信長は料理の出来が気になったようで、2度も3度も台所から出てきて

「どうぞどうぞ召し上がってください!酒の方は心のままに致して、…料理の出来はいかがですかな?」

これに立入たち
「このように新鮮な雁や鶴、生まれて初めてです!」
と絶賛。

これには信長も満足至極の体で「さあどうぞどうぞ、どんどん飲んでくだされ」
と、2,3遍も酒を勧めた。そのようにしているうちに森可成ら5人が到着し立入に引き合わさせた。

さて、立入たち勅使一行の表向きの目的は熱田参拝である。
この事を信長の伝えると

「2,3日過ぎて11月1日頃、吉日を選んで参拝なされませ。
村井貞勝と道家尾張守を案内人にしてください。先の5人(森可成ら)もどうぞお召しください。
そして暮方に船で清洲城へと帰って、ゆるりと御休息なさればよいでしょう。

明日は未明から鷹狩に出るつもりです。明日の晩はその獲物を料理して出しますよ!」
どうも信長、京からの勅使に自分の獲物の料理を褒められたのがよほど嬉しかったらしい。

その上で
「勅使の皆様には、明日の朝飯が済んだら船を出して清洲城の周りを巡らせ、網を打って振舞うように。
先の五人とわしの小姓の外は、誰も彼らに合わせぬようにせよ!」
道家たちに命じ、屋敷へと帰った。しかし夜明け前には又、鷹狩にと出発したという。

698 :2/2:2010/12/07(火) 12:16:34 ID:Lep7ejhJ
翌29日、勅使たちは勅使たちは朝食を終えると、用意された船2,3艘のうちの1艘に乗り込む。
そして森、柴田ら織田家の将5人が網を打った。
ところがこの時船頭が船の操縦がうまく行かず、船がうまく停止せず網を打つことが出来ない。
接待の責任者である道家尾張守はこれに苛立ったか、滝川一益や木下藤吉郎に

「あなた方が操船をしてください!私が網を打ちます!」

と言った。これに木下藤吉郎

「まあまあ、いつも網を打っている者にお任せなさい。これは舟遊びではありませんか。
みなさまも舟遊びをいたしましょう。滝川殿は小鼓を、小姓の(堀)久太郎ともう一人は太鼓、村井殿は笛、
京から来た皆様は謡い候へ!」

そこから船の上で大いに音曲で遊んだ。

そのうちに七つ時(3〜4時頃)
舟遊びをしているところに、一艘の小舟が現れた。乗っているのは頭巾を深々とかぶって人相を隠した
謎の男。2,3人の配下を引き連れている。
信長から、勅使に誰も合わせてはいけないと命ぜられている一同は緊張した

「何者にて候や!?ここは忍び遊びの場であるぞ曲者め!」

これに男
「このように派手に囃したてているものが忍びの舟遊びとは、珍しいことを聞くものだな。」

と、頭巾を取る。そこには

「あっ!信長様!」

「楽しそうにやっているな」
にこやかな顔の信長であった。

「信長殿、今晩の肴はいかがでしたか?」
立入、鷹狩の成果を尋ねた。これに信長はっきりと

「少しも獲れませんでした!」

これには一同大爆笑。信長も大いに笑いながら

「それにしても小鼓を打って騒いでは秘密を守るのも難儀です。舟遊びはここまでとしましょう。」

と、船から上がらせ、料理を振舞ったそうである。


織田信長の勅使接待、のお話。


699 :人間七七四年:2010/12/07(火) 12:46:48 ID:rLqzIf0E
稲葉山攻略前の信長ってファンキーだよな

700 :人間七七四年:2010/12/07(火) 12:55:58 ID:oAbrbSM+
永禄年間なのに
なぜか天正年間の重臣たちばかりに囲まれてる信長様w

701 :人間七七四年:2010/12/07(火) 13:01:20 ID:35oetDbw
藤吉が既にそんなに活躍

702 :人間七七四年:2010/12/07(火) 18:28:59 ID:sfioSWZs
Q太郎何歳なんだよw

703 :人間七七四年:2010/12/07(火) 20:04:16 ID:Iijy3/f7
戦国初期 ある家中の叔父と甥の雑談。


叔父「小太郎、お主は弓道を好むか?」
甥 「ええ嗜みますが…何か?」
叔父「人の主になるものは弓道を好み自ら稽古すれば徳が多いものだぞ。
   何故かと言うと、主人が弓を好めば家来の者どもも主人の相手を
   しようと末端にいたるまで稽古をして、家中に優れた射手が多く
   生まれるからだ。そうしないとな、義務的に感じたり面倒臭いと
   感じたりして、一向に稽古しないものだからな」
甥 「なるほど」
叔父「大将が常平生稽古していれば、不慮の合戦が起き、敵味方双方が
   睨み合いになった時、弓矢は役立つ。ほら唐でも日本でも「弓取」
   とは言うけれど「鑓取」とは言わない。だから主人は弓道を好み
   自ら稽古すべきなのだよ」
甥 「馬上でも鑓・長刀より弓の方が有利ですね」
叔父「それからな、小太郎、天晴れな戦いぶりをする武者に対してな、
   あれ程の者は他にはおるまい、と誉めてはならんぞ。その場合は
   並ぶ者はいても優れたる者はいないだろう、と言って誉めるのだ」
甥 「言葉を選んで増長させないと言うことですか、なるほど」
叔父「合戦の時、武者奉行たる者は後方に陣取らず先頭に立つのが基本だ。
   その理由は、兵が討ち取った敵兵や功名の負傷を大将に見せようと
   旗本に集まるからだ。大将が虎口(陣の出入り口)に控えておれば、
   前面の人数が自然と厚くなり、陣の配りがより一層強くなるからだ。
   後方に陣取るとなるほど退却には都合がよい。だが、大将が健気に
   その場に踏み止まろうとしても、恐慌にかられた味方に踏み殺される
   場合もあるぞ」
甥 「自分は決して後ろに控えることは致しません!」
叔父「その心意気やよし!最後に言うておくが、たとえ武者奉行として
   軍権をまかされたとしても、御屋形様のことを軽々しく思っては
   いけない。あくまで大将は御屋形様なのだ。御屋形様は扇の要。
   そう思って日々ご奉公しようではないか、小太郎よ」



およそ半世紀後

甥 「わしは叔父さんのことばを胸に刻んでこの歳までご奉公してきたよ。
   陣では決して後ろに陣することもなかった(笑)
   叔父さんの子、私の従兄弟は御屋形様に弓引いて滅亡してしまったが…
   
   世間の老人は暇で暇で仕方ないというが、自分はこの歳になっても
   少しも暇ではない。御屋形様と二人でいかに諸国を切り取るか思案を
   めぐらせているといつの間にか夜が明けてしまう(笑)

   いや、わしは名将ではないよ。名将と呼ばれる者は一度ぐらいは大きな
   敗北を喫しているからね。敗北していないわしは名将じゃない(笑)」


叔父の名は朝倉景冬、甥の名はご存知朝倉宗滴。
以上「朝倉宗滴夜話」からの抜粋でした(意訳ありまくり)。

704 :人間七七四年:2010/12/07(火) 20:44:01 ID:VsYeLoGt
なんか「(笑)」がすごく目を引くんだがw

705 :人間七七四年:2010/12/07(火) 21:46:28 ID:Iijy3/f7
余裕の表れとでも思ってくれい

706 :人間七七四年:2010/12/07(火) 23:17:05 ID:OzSmRfbi
佐久間はこの頃から嫌われたんだなw

707 :人間七七四年:2010/12/08(水) 01:45:40 ID:m9p8F0KX
>>696隆慶センセの「捨て童子」じゃ、勘当ってことで神君との対面禁止みたいな解釈だったね
で、>692エピからすると徳川当主に対面禁止のようで。


708 :人間七七四年:2010/12/08(水) 07:16:07 ID:xIDj8KYo
>>697
どこから突っ込んだらいいのやらって話だが小ネタとしては面白いな

709 :人間七七四年:2010/12/08(水) 09:08:08 ID:iEynUsa9
葉隠から、『義』を語る鍋島直茂

山本常朝が言う
「直茂公が、

『義ほど深いものはないだろう。
身内が死んで涙の流れないこともあるが、縁もゆかりもなく、
会ったこともない歴史上の人物の逸話に義を感じ涙がこぼれるのだから。』

と言われたとのことだ。」

710 :人間七七四年:2010/12/08(水) 09:15:26 ID:No5BJJ9J
既出

711 :人間七七四年:2010/12/08(水) 10:16:55 ID:0Oe5N/82
>>703
ていうか、朝倉家は小太郎多いな。宗滴自身も小太郎だし。

712 :人間七七四年:2010/12/08(水) 10:21:50 ID:0Oe5N/82
読み間違えた。忘れてくれ

713 :709:2010/12/08(水) 11:50:25 ID:iEynUsa9
既出見落としすみませんでした。

714 :人間七七四年:2010/12/08(水) 16:38:00 ID:ZpFtcZ4M
今度の大河の主人公お江の母親はご存じお市だが、北は津軽にもお市の方と呼ばれた女性がいた。
そのお市の方は津軽和徳城主 小山内讃岐の娘だったが、
元亀2(1571)年、大浦為信によって和徳城は陥落、父・祖父・兄弟が戦死してしまう。
その後15歳の時に田舎館城主千徳政武と結婚する。だがその結婚生活もわずか3年で終わりを迎える。
天正13(1585)年、田舎館城も攻め落とされ、千徳政武は郎党300人と共に玉砕。
夫を殺したのは、またしても津軽為信だった。
お市の方は山中深くに逃れた。

時は流れて慶長6年(1601年)3月。津軽為信は居城の堀越城からほど近い清水森で
津軽征服戦争の開始以来戦死した者を、敵味方問わず供養する大法要を10日に渡り営んだ。
三町四方に柵を廻し、横7間・縦15間の仮仏殿を建て、中央に9間の須弥檀をしつらえ、
130人の僧侶を並べて、線香のけぶる中、読経を読む。
亡者の名は貴賤無く紺紙金泥でずらりと書かれ、内陣には108の灯明に花飾りが飾られた。

法要の4日目、参拝者に混じって、三十路を過ぎた気品のある女性が仏前に歩み寄った。お市の方だった。
彼女は一巻の文を掲げ、朗々と読み上げた。


  それ義によって軽きものは武士の命 情けによって捨てやすきは婦人の身なり。
  わが夫はなはだに武名を重んじ すみやかに戦場一葉の露と身をなし給う 惜しいかな。
  この人世にありし程は、武士の道いささか迷い給うことなし さるによりてその深浅またいくばくぞや。
  伝え聞きし高麗、唐の勇士にも恥じず、勇めるときは千万刃のなかへも、われ先に行かんこと難しとせず。
  またその情けの勇なることは、もののあはれを敷島や大和島根の道芝の露に宿れる月影の
  はかなき世のありさまを、よく知り給えしぞかし。

  われまた、その妻となりて、その人の座の片端にその身をおき 年月を経ること すでに三年になり、
  起き臥しをともにして、人の情深き淵に沈みし身なれども、
  別れしその日よりは、ただ浮かべるものは涙のみなり。
  せめて亡き霊の菩提ともならんかしと思い、その年より十年余り七とせに満ちぬるまで
  人目枯れにし山かげに、この身を隠し、朝な夕な、その亡き跡をとぶらうといえども、さらに答うる事なし。

  亡き魂よあわれと思え添寝せし 三とせの夢の さめもやらぬを

  その年のその目にやがて伴いて 行きしむを しるやしらずや

  御身の仇ならんとせし者までも、かく御法(のり)の網にもらし給わで、救いとらんと誓い給う御心をば、
  亡き霊もいかぽかり御悦び尊み奉らんかし。
  わが慕うその面影は、たまの軒端にたなびくなる紫の雲にほの見ゆる心地こそすれ、
  誠に君が情をよすがとして、われもつれ行き給えや。

  伴いて われも行きなん まてしばし 死出の山路の 道しるべせよ

  かかるつたなき筆の跡は、恥を書き残すに似たれども、誰に向かいて何事をいいおかんよりもあらされば、
  ありがたき御芳情によりて、夫の幽霊もさぞ成仏にいたりなんと、
  いく尊くありがたく、御心を鄙びたる一巻に残すのみ。

   慶長六歳三月十日 田舎館掃部妻
   積る年三十四 敬白」


読み終えた彼女は文を祭壇に捧げると、懐から短剣を取り出した。
参拝者の視線が集まる祭壇の前で、彼女は己の胸に短剣を突き刺した。
彼女は突き刺した短剣を抜き、最後の力を振り絞って再び胸を突き、その場に崩れ落ちた。

亡き夫への切々たる想い、仇である津軽為信への怨念の清算を語り終えた彼女の胸中は、
いったいどのようなものだったのだろうか。
千徳政武夫人、お市の方の鮮烈なる最後。

715 :人間七七四年:2010/12/08(水) 16:43:15 ID:S1eZ7nNo
津軽為信は女性に嫌われる何かを持っていたんだろうか。

716 :人間七七四年:2010/12/08(水) 17:32:34 ID:x6z9Mdk2
訛りが酷かったんじゃないか?

717 :人間七七四年:2010/12/08(水) 17:38:53 ID:QPib7uRD
あのヒゲが悪い

718 :人間七七四年:2010/12/08(水) 17:54:08 ID:RReOphV0
あのヒゲ
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/81/3e50a90de685c81dda478a0afdb774d9.jpg

木像にも
http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-bunka/img/juho_tyoukoku_image1_66.jpg

銅像にも
http://stat001.ameba.jp/user_images/20100901/22/sengoku-busyou-asiato/72/c6/j/o0440058810725803231.jpg



719 :人間七七四年:2010/12/08(水) 17:59:24 ID:No5BJJ9J
そう卑下してやるなよ

720 :人間七七四年:2010/12/08(水) 18:53:56 ID:nv/6Ho/l
ひげ生やした武将は珍しくないがあそこまで立派なひげは明治を待たねばならんからなぁ
むしろ誇るべきだろ

721 :人間七七四年:2010/12/08(水) 18:55:04 ID:ItDbwCvo
信長が天下とってたらヒゲ禁止令とかだしてそう

722 :人間七七四年:2010/12/08(水) 19:00:36 ID:RReOphV0
>>721
>信長が天下とってたらヒゲ禁止令とかだしてそう

ピョートル1世「呼んだ?」

723 :人間七七四年:2010/12/08(水) 19:54:32 ID:2BiAwexX
【政治】菅首相「すごいヒゲを生やしているなあ」 大久保利通の写真に関心 議会政治展を鑑賞
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1291802634/

724 :人間七七四年:2010/12/08(水) 19:55:59 ID:NqD9OvKm
徳川氏も実際に出してるけどな→ヒゲ禁止令

725 :人間七七四年:2010/12/08(水) 20:16:04 ID:LlO6eVqG
デアゴスティーニ・ジャパン(東京都中央区)は来年1月18日、
「週刊 戦国甲冑(かっちゅう)をつくる」を創刊する。

特定分野に関する知識や情報を、週刊・隔週刊形式で提供する同社のマガジンシリーズ。
これまで歴史・映画・音楽・人物・乗り物・アニメなどで135タイトルを展開し、
累計4億冊を売り上げる。数年前からは戦国時代ブームに着目し、「週刊 安土城をつくる」
「週刊戦国武将データファイル」を発売。「好評を得たことから今回の企画に至った」という。

今回発売するのは、パーツ付き「本格甲冑模型」クラフトマガジン。
毎号付属のパーツを組み立てることで、伊達政宗公所用の甲冑「黒漆五枚胴具足」を
2分の1スケールで再現できる。「戦国時代に関連した模型として、特に人気が高く
特徴的な甲冑である伊達政宗公所有の甲冑模型を作ろうということになった」(同社広報担当者)。

完成品の大きさは高さ約80センチ・幅約38センチ。パーツ素材には、
金属・皮革・麻布・正絹・組みひも・馬毛など、当時の素材に近いものを使用。
組み立て方も本物の甲冑の工法を元にした。「詳細な調査と研究を重ね、全国でも
数名しかいない甲冑師の協力を得て完全再現した」(同)。

A4変形判13ページ。価格は、創刊号=790円、2号以降=1,990円。全55号。

以下ソースである
http://sendai.keizai.biz/headline/820/
http://images.keizai.biz/sendai_keizai/photonews/1291797572_b.jpg


726 :人間七七四年:2010/12/08(水) 20:18:49 ID:NqD9OvKm
>>725
流石に目を疑ったw
置き場所に困るだろw

727 :人間七七四年:2010/12/08(水) 20:45:04 ID:g1zN4iiW
なんか意外だな信長秀吉家康といったメジャー武将から始めると思ったのに
おまけの雑誌にまだここで紹介されてない逸話なんか載せてあるといいね

728 :人間七七四年:2010/12/08(水) 20:54:54 ID:Ij+qi8yj
こりゃ中々のもんだなw

729 :人間七七四年:2010/12/08(水) 21:00:19 ID:U6X0zD+b
tesuto

730 :人間七七四年:2010/12/08(水) 21:04:26 ID:U6X0zD+b
ごめん・・・規制解除されてるか試したら解除されてた・・・

やっぱ政宗の甲冑はセンス良いね、中の人はアレだけど。
現代に生まれてたらピー子みたいな仕事してたのかもね。

731 :人間七七四年:2010/12/08(水) 21:11:26 ID:ViUnNH8A
山本寛斎がTVで政宗の甲冑のセンスを褒めてたな


732 :人間七七四年:2010/12/08(水) 21:49:20 ID:e7N5TUBv
>>722
土居利勝「大賛成!」

733 :人間七七四年:2010/12/08(水) 22:12:35 ID:mwCnCzb3
>>725
全部で108,250円か・・・

734 :人間七七四年:2010/12/08(水) 23:28:00 ID:NMAqrwC8
何で今更こんな記事を・・・・と思ったら新潟先行発売だったのか


735 :人間七七四年:2010/12/09(木) 00:20:31 ID:alXUQX7w
>>733参考までに
伊達の鎧なら
1,723,500円+半年程でレプリカが手に入るZE
http://m.rakuten.co.jp/rms/msv/Item?i=10000017&s=198062&c2=1832519796
子供用なら259,350円
http://m.rakuten.co.jp/rms/msv/Item?i=10000027&s=198062&c2=1832519796
子供用の兜だけなら10万円をきる
http://m.rakuten.co.jp/rms/msv/Item?i=10000143&s=198062&c2=1832519796
未組立ハーフサイズ鎧の10万円は妥当だと思うが
漆で処理して欲しい箇所がプラスチックだったりしたら…
この手の商品はクオリティが分からないから怖い

736 :人間七七四年:2010/12/09(木) 00:52:11 ID:pBWfLCNT
>>734
甲冑といえば、真田信繁が着てたと言われてる鉄二枚胴具足もなかなか

737 :人間七七四年:2010/12/09(木) 03:01:47 ID:AnwDK9k+
>>731山本寛斎ってセンス悪いだろー
ダイエーホークスのヘルメットとかセンス無さ過ぎ
寛斎とかに誉められると評価落ちる

738 :人間七七四年:2010/12/09(木) 03:11:54 ID:050bN8MA
>>737
10人中3人に好かれるセンスでも、その3人が熱狂的ならメシは食える。
ダサい人間に評価されても、そのものの本質は変わらない。
評価している人ではなく、評価されているものを見るべき。

理屈御免

739 :人間七七四年:2010/12/09(木) 04:16:36 ID:l2ZQNPNx
見事な屁理屈だ。

>>727
伊達政宗の鎧兜は恐らく日本で一番知られているし、人気もあるでしょう。
一般的にも歴史オタやその他的にも。

740 :人間七七四年:2010/12/09(木) 06:07:28 ID:4m3FWthR
>>739
愛の人のは記憶しやすい形だけど、知名度的にはどうなんだろ

741 :人間七七四年:2010/12/09(木) 06:47:05 ID:exNxDjFx
愛の人のは前立以外はデザインはイマイチなんだよね。

政宗は甲冑以外の衣服を見ても、寛斎とかデザイナーが唸りそうなセンスをしてるような気がする。
まぁファッションショーで使った服をそのまま普段着るような感じだけどw

742 :人間七七四年:2010/12/09(木) 07:19:17 ID:2zB+8ik5
政宗の格好良さって具足120点で
本人がマイナス20点くらい


743 :人間七七四年:2010/12/09(木) 11:16:04 ID:lNeThrFW
本人がマイナスでも甲冑がかっこよければいいんだよ
そういう意味では忠興も似たようなもんか

個人的にはソーラーパネルが欲しかったなー

744 :人間七七四年:2010/12/09(木) 11:39:12 ID:E5fXw7SP
天正17年(1589)4月下旬のこと。

北条氏配下である安房万喜城主・土岐頼春は、北条氏による里見義康討伐のための派兵要請に従い、
重臣である大曽根右馬充、三階図書之助らに300騎をつけ、名代として小田原へと派遣した。

さて、これを見逃さなかったのが里見義康である。土岐頼春は房総の里見家にとって喉元の棘であった。
義康は上総庁南、庁北両城の城主、武田信栄に「万喜城からは多くの兵が相模へと派遣された。
これを攻め滅ぼすのは今しかない!」と、万喜城攻めを命じ、武田信栄は先鋒として家臣・多賀六郎左衛門、
多賀勘解由左衛門らに数百騎をつけ万喜城攻めに向かわせた。

さらに武田信栄は
「万喜城を囲んでもあの城は屈強の要害であり、簡単には落ちないだろう。
攻略に手間取れば万喜城の支城である鶴ヶ城、亀ヶ城より援兵が出て、我々は却って危機に陥る。
この両城を抑えた上で無いと安心して万喜城を攻め取ることは出来ない。」

と、佐々駿河守が籠っている亀ヶ城へ鶴見甲斐守70騎、鶴見弾正が籠る鶴ヶ城には一宮隼人50騎を
押さえとして派遣した。さあ万全である。

寅の刻(午前3時頃)、武田信栄は馬に轡を結び、密かに兵を率いて万喜城に向かい出陣。
万喜城からわずか1キロ、川一つを隔てた松丸村というところに陣を張った。
これまで武田が兵を出しても土岐は難所に兵を置いてこれを防いでいたのだが、今回は土岐の兵が
相模に派遣されて少なくなったことから、一気に城際まで押し寄せたのである。

万喜城の側はこの武田の動きを全く察知できず、夜明けになって敵が押し寄せていることを知り大いに驚いた。

土岐頼春が櫓に登ってこれを見れば、武田勢は持ち楯掻き楯をつき矢弾を飛ばして一気に攻め破ろうとする。
頼春は弓鉄砲を放って必死に防衛の指揮をとるも敵は大軍、衆寡の差はいかんともしがたく
城は危うきの縁にあった。その時である

武田勢の後ろに突然、軍勢が現れた。

これは万喜城の危機を知った土岐頼春の家臣、安房矢竹城主・浅生主水助が、付近の領民を集め、
高野城の勢と合わせて500騎で後詰めを決行したのだ。

「万喜城中の方々出て、先駆けの者共の剛臆を見給え!」

そう言い放つと後詰勢は鐘太鼓を鳴らし、大声で喚きながら武田勢の後ろを襲う!
武田勢、大いに驚き浮き足立つ。
これに万喜城の兵たちも力を得、城門を開いて討って出る。
一転、武田勢は挟撃される形となった。

その頃、巳の下刻(午前10時頃)、武田勢は寅の刻(午前3時頃)から深夜移動して長駆ここまで押し寄せた
上に、食事も出発前に取ったきりで、疲労はピークに達していた。その上でこの思いもよらぬ後ろからの
襲撃である。

武田勢は前後の敵に揉まれるように責め立てられ、悉く潰走。武田信栄は命からがら庁南城へと
逃げ帰る。土岐頼春、見事な逆転、大勝利であった。


天正17年、安房万喜城攻防戦のお話


745 :人間七七四年:2010/12/09(木) 13:02:00 ID:EF1MqZIr
兵の数が少ないが
やはり面白い


746 :人間七七四年:2010/12/09(木) 15:51:36 ID:hjRoHILz
>>741
直江兼続の愛の甲冑は、兜は本物だが鎧は偽物なんだよなあ。
昭和40年代と平成に入ってからで、写真も違っている。
どうも所蔵している上杉神社内部の問題らしいが・・・

747 :人間七七四年:2010/12/09(木) 16:17:08 ID:0QM4xyhT

いい話スレに投下したのに、「確かにコイツ、ヒャッハーだよね」なんて一言を付
け加えてしまった水谷さんのお話。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4936.html
お詫びがてらに今度こそ、正真正銘良い話……かな?(^^;


ある年、常陸国では不作となり、水谷蟠龍が治める下館領では、年貢が例年の三分
の一程度しか納められなかった。

「これでは来年までの一年間、財政的にやって行けないぞ」
水谷家の重臣達が頭を抱えて対策を練っていると、
「おい、これを処分して金を作れ」
主君・蟠龍が差し出したのは水谷家に伝来する家宝の刀、六振り。

「な、何を仰いますか!? 家宝の刀を質に入れるなどと……」
「質? 何を言うか。質では安く買い叩かれる。こういう時はパァッと売り払うに限
るのだ。売っちゃえ、売っちゃえ!」
「……そ、そんなっ!」

「名刀など千振り持っていたとしても、千人の侍がいなければ役には立たんではな
いか。無駄に名刀を持っているより、百人、五百人の譜代の衆を助ける金に替えた
方がどれだけ有益な事か。いいから売って来い!」

蟠龍は六振りの名刀全てを売り払い、来年度の予算に充てた。しかも余った金は家
中の侍、百姓達にまで配布し、生活の足しにさせたと言う。


これに感激した領民一同、翌年が豊作となると皆で金を出し合って、一旦は売り払
った家宝の名刀を全て買い戻し、蟠龍の元へ献上した。

「お前達……せっかく今年は豊作だと言うのに、こんな事をしたのでは、今年もお
前達の生活は苦しいままではないか……」

蟠龍は皆の心遣いに感激しつつも、領民の生活を思い、布告を出す。

「今年の年貢は例年の三分の一を納めればそれでよい」

百姓一同、これに驚き、「それで国はやっていけるのか」と、布告の撤回を求めた
のだが、蟠龍はこれを譲らず、結局その年は三分の一しか年貢を受け取らなかった
と言う。


……あれ?三分の一じゃ、やって行けないから刀を売ったんじゃなかったっけ?
『水谷蟠龍記』から領民思いの良い君主と恩返しする良い領民のお話。


748 :人間七七四年:2010/12/09(木) 17:06:17 ID:7O+p02KP
 四天王戦隊ゴレンジャー が来る

749 :人間七七四年:2010/12/09(木) 17:24:22 ID:ripwzP3u
>>727
四人の中で言われてパッと思い浮かぶのは、
政宗>秀吉>信長>家康な気がする。

750 :人間七七四年:2010/12/09(木) 17:31:35 ID:1Tpr/D9c
信長と家康はいっそのこと南蛮胴で
実際には使用してない気もするけど

751 :人間七七四年:2010/12/09(木) 17:33:09 ID:E5fXw7SP
つーか映像作品やマンガなんかで信長が良く付けてる南蛮胴って、
実際は家康のものなんだよな。

752 :人間七七四年:2010/12/09(木) 18:43:54 ID:qfMMp56Y
信長が南蛮胴を所有していた記録は一切ないです。
家康も所有してた記録はあるが、合戦で着用した記録はないね

753 :人間七七四年:2010/12/09(木) 18:58:57 ID:1Tpr/D9c
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1163.html
>>751
この話では信雄が西洋兜作る→子孫が西洋甲冑作る→信長のものにされる
ってことになっていたけど、家康のを参考にして西洋甲冑つくったってこと?

754 :人間七七四年:2010/12/09(木) 19:01:34 ID:E5fXw7SP
>>753
映像とかで信長が良く付けてる南蛮胴のほとんどは、家康のこの南蛮具足がモデルなのよ
http://www.toshogu.jp/shisetsu/images/imageh02.jpg


755 :人間七七四年:2010/12/09(木) 19:06:13 ID:1Tpr/D9c
>>754
なるほど、「影武者」の鎧に似ている
ありがとう

756 :人間七七四年:2010/12/09(木) 19:10:18 ID:NpoITbE5
>>747
なんという名君。
あと「例年」の1/3と「豊作時」の1/3じゃ後者の
方が多いんで財政的に困んなくても不思議は無い。

757 :人間七七四年:2010/12/09(木) 19:19:44 ID:1CrEEs7+
豊作時にも例年の三分の一って言ってるが

758 :人間七七四年:2010/12/09(木) 19:50:55 ID:NpoITbE5
あ、本当だ。見落としてたごめん。

759 :人間七七四年:2010/12/09(木) 20:18:09 ID:+0VGiwu9
>>747
だからあれだよ。領民が買い戻した名刀をもう一度売り払ってだな。

760 :人間七七四年:2010/12/09(木) 22:54:17 ID:lGQtqJTA
数百の戦話って楽しいな(^-^)

761 :人間七七四年:2010/12/09(木) 22:59:38 ID:lGQtqJTA
小大名スレにも書いたけど

荒砥城07・二の郭物見櫓
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20101126210140
みたいな小城を数百人で守ったのだろう。

762 :間違えた:2010/12/09(木) 23:02:46 ID:lGQtqJTA
荒砥城07・二の郭物見櫓
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20101126210139 か

763 :人間七七四年:2010/12/10(金) 11:32:21 ID:iEOPFJv+
>>747
平和だwww

764 :人間七七四年:2010/12/10(金) 13:26:19 ID:bB5Lgh6Q
>>757
例年、要するに「今までと同く」って意味だから、
756の解釈、豊作時の三分の一ってことでいいんじゃないの?

そうじゃないと凶作豊作関係なく同じ年貢を納めなくちゃいけなくなるだろう。

765 :764:2010/12/10(金) 13:27:28 ID:bB5Lgh6Q
去年の収入の三分の一=例年
がわかりやすいか。

766 :人間七七四年:2010/12/10(金) 17:29:08 ID:lJtNhjQt
その分兵役課すからなヒャッハ‐ってことだろ普通に考えて

767 :人間七七四年:2010/12/10(金) 20:35:48 ID:lJtNhjQt
長宗我部一族の史料発見 「内部構造分かり貴重」
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101210/acd1012101928003-n1.htm


768 :人間七七四年:2010/12/10(金) 20:38:20 ID:cRL4nQ95
>江戸幕府に滅ぼされた土佐の豪族

斬新な言い回しだなw

769 :人間七七四年:2010/12/10(金) 20:40:52 ID:HloUx1ZN
恨みを向ける方向がちがうw

現代で高知県内の上士と下士の子孫を憎み合わせるわけにもいかないから
敵は幕府であり東京ってことなのか?

770 :人間七七四年:2010/12/10(金) 20:45:05 ID:43kuLpT4
そもそも江戸幕府の成立は1603年だろ?

どれだけ土佐で抵抗してたんだよw

771 :人間七七四年:2010/12/10(金) 20:47:02 ID:zNcxKqJZ
国親時代の史料か。しかも状態えらくいいね
探せばあるもんなんだなあ

772 :人間七七四年:2010/12/11(土) 06:25:55 ID:6x0jf7xE
>>769
土佐は大河を観る限りでは上士の下士に対する態度はひどすぎる。
あれなら憎み合ってもしょうがない。

まぁ、あの大河は見廻組が新撰組に対して、
幕府直参であることをたてに威張りまくっていたから、
ありもしない演出する脚本家が作ってるとはわかるけどw

773 :人間七七四年:2010/12/11(土) 16:17:06 ID:aMszVBP5
でも新撰組が狭い路地に入るときは、刀を肩に担いでいたり、細かいところの所作が
しっかりしてたり。

昨年の天地人みたいな修正しようの無い脚本じゃなかったからいいじゃない。

774 :人間七七四年:2010/12/11(土) 17:58:12 ID:g81+Qrvw
来年の大河が心配だ…
特に秀忠の扱いが

775 :人間七七四年:2010/12/11(土) 18:05:50 ID:WCNjiVqL
>>774
異母兄を暗殺し、異母弟を暗殺しようとして、さらには同母弟の鷹を殺しておきながら自分の鷹を与えて「兄上は優しいなあ」と信頼を得るような策士キャラは
期待しない方がよさそうです

776 :人間七七四年:2010/12/11(土) 18:57:10 ID:T9bjNgF+
いや、秀勝が出てくるんだぜ。
それだけでも見ものだと思うんだが・・・・

777 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:04:41 ID:g81+Qrvw
羽柴秀勝トリオそろい踏みだったらすごいな

778 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:14:54 ID:T9bjNgF+
しかし全員が夭逝、早世とは縁起悪い名前だよね。
二人目まではいいとしても、流石に三人目は別の名前にすりゃいいのにな。


779 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:18:19 ID:9NrdB7Yu
二度あることは・・・と考えるか、三度目の・・・と考えるか、悩ましい〜

780 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:31:36 ID:UpCWqPM2
>>772
上士下士が本格的に憎み合ってたのは薩摩じゃねえかなぁ、と思うが
「また上士に好き放題されたいのか」って川路寿明に言われた薩摩下士出身の警察官が誰も西郷に味方しなかったとか

781 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:37:22 ID:J7VjYktY
幕末の土佐の上士下士の争いって実態は、上士と経済的に成功して新たに郷士株を買った
「新興下士」との争いなんだよね。貴族とブルジョアだな。
土佐勤王党のメンバー見れば解かるけど、下士なのにほとんどが金持ちの家の子息。
あれは新興ブルジョアが「金持ってる俺達にも参政権をよこせ」っていう運動なわけだ。

いわゆる「長宗我部由来」の下士は幕末期、ほとんどが上士についている。

782 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:54:37 ID:WCNjiVqL
>>776
織田信包が出てくるってのも、レアなのかも

783 :人間七七四年:2010/12/11(土) 19:58:14 ID:g81+Qrvw
>>782
小谷城から救出された3姉妹を保護する以外に、登場機会はあるんだろうか?

784 :人間七七四年:2010/12/11(土) 20:03:07 ID:ET1WmbrH
>>774
来年の秀忠くんは陰で親父の悪口を言うようなキャラです
でもお江や秀康とは仲良しです

785 :人間七七四年:2010/12/11(土) 20:05:19 ID:WCNjiVqL
四天王で大河ドラマ的に一番レアキャラなのは、森長可か?悪久は、二作品ほど出てきてるが

786 :人間七七四年:2010/12/11(土) 20:25:48 ID:nRzlBcX7
>>780
西郷自身は下士出身じゃなかった?
妙円寺詣りの時「道をどけ」って言った年上の上士を投げ飛ばして
下士のヒーローになったって逸話があった気が
それが原因で上士の子に襲撃されて以来どっちかの手が不自由になったはず

787 :人間七七四年:2010/12/11(土) 20:29:50 ID:J7VjYktY
>>786
西郷は上士だよ。じゃなきゃ薩摩士族の青年団体である郷中のリーダーになんかなれない。

788 :人間七七四年:2010/12/11(土) 20:49:53 ID:iedl3Jen
西郷隆盛の身分は高くはないが、郷士(下士)ではないね

789 :人間七七四年:2010/12/11(土) 20:58:06 ID://L/ncvM
薩摩って上士=藩主に直属、郷士=それ以外って区分じゃなかった?
んで、西郷家は藩主直属とはいえ下から2番目の御小姓組で、格的には
郷士と一緒のはず。

790 :人間七七四年:2010/12/12(日) 02:16:46 ID:j+iXo1qN
薩摩の郷士は分かりにくい。
200石鳥の郷士もいれば無高の上士もいたり・・。

791 :人間七七四年:2010/12/12(日) 02:29:34 ID:YHNiIDwc
>>790
というかさ、昔から身分と権力は比例しないんだな。
名前と実力と言い換えてもいいけど

792 :人間七七四年:2010/12/12(日) 10:59:59 ID:VDJQizwB
薩摩は恐ろしいところ
http://blogs.yahoo.co.jp/hoshiyandajp/25307278.html

793 :人間七七四年:2010/12/12(日) 11:09:03 ID:GurneYxx
薩摩KOEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!

794 :人間七七四年:2010/12/12(日) 12:32:03 ID:oBHatUUq
こんな奴らに国の行く末を任せて大丈夫だったのか?
土人に負けるとか幕府弱すぎワロタw

795 :人間七七四年:2010/12/12(日) 12:55:47 ID:BNxuRy5I
いい話か?いい話か?いい話なのか?

796 :人間七七四年:2010/12/12(日) 13:14:18 ID:Kh3bnQ9V
昭和34年か・・・・もうちょっと前ならこういう話はゴロゴロしてるんじゃね?
田舎は特に・・・・

797 :人間七七四年:2010/12/12(日) 13:19:51 ID:t4mx0UHs
中国では今でもゴロゴロしてます
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2284401

798 :人間七七四年:2010/12/12(日) 13:25:20 ID:VGt/xQGi
婚と言う字は女に黄昏と書く。古代の結婚とは夕闇の中で女をさらうことだったのである。なんて話があったな…
こういう話って全世界にあるんだよね。

799 :人間七七四年:2010/12/12(日) 14:10:59 ID:ZjJ2J/np
おっとい嫁じょ
ひえもんとり
肝練り
えのころめし
みんな薩摩の貴重な文化なんです尊重してあげてください

800 :人間七七四年:2010/12/12(日) 15:17:07 ID:A/hLD+2L
西洋の結婚式でのお姫様だっこの起源は略奪婚だったからなんて話もあります

801 :人間七七四年:2010/12/12(日) 18:17:28 ID:oBHatUUq
まあ芋だって殿様自ら家臣を率いて女をさらいに行く地域の連中には言われたくないと思うぞ

802 :人間七七四年:2010/12/12(日) 20:24:28 ID:2FCN0QXg
今の結婚観なんて式場業者が宣伝して作ったものだからな。
地域・時代ごとの結婚の形式に正しい、間違っているなんて言っても詮無いし
結局その後の当人同士の付き合い方次第なのはここの逸話が示すとおりだしな

803 :人間七七四年:2010/12/12(日) 20:35:16 ID:vAu96Z0o
>>802
久保姫がどうしたって?

804 :人間七七四年:2010/12/12(日) 20:41:20 ID:VpRZZ0jp
今の結婚観作ったのは式場屋じゃなくて恋愛小説と戦後改革派(左右込み)な様な。

805 :人間七七四年:2010/12/12(日) 20:54:38 ID:3N47KFMn
誘拐婚を復活させれば日本の少子化にも歯止めがががが!!

806 :人間七七四年:2010/12/12(日) 22:48:04 ID:YHNiIDwc
>>805
少子化に歯止めはかかるが、海老蔵殴ったような集団が増加して治安が悪くなるw

807 :人間七七四年:2010/12/12(日) 23:28:47 ID:Kerw5unU
>>805
御成敗式目でも辻取り(路上で女性を捕まえて妻にする)は禁止されていて、御家人がやらかすと100日の停職処分になるとのことw
御伽草子でもものぐさ太郎が辻取りをやっているな。

808 :人間七七四年:2010/12/12(日) 23:36:06 ID:LrpghTUj
中世には押しかけ婿という死ぬほど迷惑な慣習があってだな・・・
略奪婚は娘を取られるだけだが
押しかけ婿では、嫁だけでなく家屋敷も財産も田畑も全て分捕られるという・・・

809 :人間七七四年:2010/12/12(日) 23:44:21 ID:ITeJ3gij
そこまで言ったらただの掠奪でんなw

810 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:07:34 ID:Hxm8UP3o
ただの押し込み強盗じゃないかw

811 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:12:14 ID:A4egQgC9
司馬の義経に貴種ってことで田舎の娘を抱いてくれってのが続いてウンザリ
みたいな描写があった気がするんだがこういうの見てるとどっちが受益者なのかわからないな

812 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:19:29 ID:dSiIKObW
誘拐・監禁・集団強姦

和田さんの判例からすると懲役40年くらいの量刑だな

813 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:23:54 ID:bRWQzd3h
他の国、中国だと三国志の張飛が夏侯さんとこの娘さん略奪婚してたな。
こないだ正史スレで信憑性について侃々諤々の議論になってたが。

814 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:38:56 ID:AXAqysHt
昔は女性にも相続権があって夫婦の双方が独立した財産をもっていたというけれど
略奪婚の場合嫁さんの実家の財産の分与はどうなるんだろう。

815 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:42:02 ID:TOkzhyl+
ヨーロッパとかだと奪還期間があったような話も聞いたことあるけど。
その期間過ぎて奪還できないと、それは神の祝福したもう結婚と認められたとかで。

816 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:53:30 ID:KK0ibJs6
司馬の太閤記に諸国を歩き廻る人らが押しかけ婿をする記述があったな。
尾張地方では夜道怪と読んでいたそうな。

817 :人間七七四年:2010/12/13(月) 00:57:29 ID:+/GID+f3
司馬のは与太話と聞きかじりの知識だけだから、信じるな。

818 :人間七七四年:2010/12/13(月) 01:23:40 ID:jpsC8GHe
夜道怪って修験者が元ネタじゃなかったっけ?

819 :人間七七四年:2010/12/13(月) 03:01:09 ID:JfnhbZnf

織田家の甲州征伐によって武田家が滅ぼされ、信長が富士山や駿河路の名勝を見物
しながら安土に帰ると決定すると、道中を領する徳川家康は粗相のない様、道を整
備し、宿舎や休憩所も用意し、信長を迎える準備に大わらわとなった。

そんな信長の元に、一人の男が訪れる。
「信長殿!マロも一緒に富士山を見たいでおじゃるよ!」
どこまでもアグレッシブな元・関白にして現・太政大臣、近衛前久であった。

が、信長からの返答は冷たい。
「あんたね、家康が今、どんだけ苦労して街道整備してるか判ってる?右大臣の俺
を迎える準備だけですっげー迷惑掛けてんのに、今から『太政大臣も一緒に行くね』
なんて、家康に言えると思う?あんた何考えてんの?木曽路を通って帰んなさい!
ハウス!!」
門前払いを喰った太政大臣様は、とぼとぼと山道を引き返して行ったという。


そんなトラブルもありながら、道中を楽しんだ信長一向。
浜松での盛大な祝宴の際、家康に対して礼を述べた。

「今まで吉良に兵糧を蓄えていたのは東国征伐が長く、困難な戦になるだろうと考
えていたからだ。これほど簡単に武田を滅ぼせた為、蓄えた八千石がほぼ手付かず
で残っている。もうこの八千石は必要ない米だ。徳川家で良いように使ってくれ」
と、気前良く大量の兵糧を徳川家へと贈ったと言う。


『徳川実記』より家康に気を使う信長さんの良い話……の筈。
こんだけ家康に気を使ってるのに、前久を追い返したのは「驕り高ぶり、高慢であ
る」と、他ならぬ徳川家の記録で非難されちゃうのはちょっと気の毒じゃないか、
信長さん。


820 :人間七七四年:2010/12/13(月) 03:09:55 ID:qBpmnI+c
まぁ徳川実記の頃に太政大臣ザマーミロとはもっと書けんしw

821 :人間七七四年:2010/12/13(月) 07:46:15 ID:vpHE1Thb
>>799
稚児二才も

822 :人間七七四年:2010/12/13(月) 09:44:32 ID:bd7R9kKO
>>813
つまり三国志とは孫権(呉初代皇帝)の妹の夫・劉備(蜀初代皇帝)の息子・劉禅の妻・張皇后の母の叔父・夏侯淵の従兄・
曹操(魏王)の甥・曹真の姪の夫・司馬師の甥・司馬炎(晋初代皇帝)の伯父・司馬?(東晋初代皇帝・司馬睿の祖父)の舅・
諸葛誕の従兄・諸葛亮が互いに戦う話と言うことか

823 :人間七七四年:2010/12/13(月) 09:58:15 ID:5jXYi9Sg
鍋島さんとこには押しかけ気味の嫁が・・・

824 :人間七七四年:2010/12/13(月) 13:13:10 ID:bRWQzd3h
>>822
そういう奇遇な話だと、三国時代は、
劉邦(魯の人)の作った前漢を王莽(元斉の人)が禅譲を受けて滅ぼしたあとに、
劉秀(元魯の人)が再興した後漢が分裂時代に入り、
曹操(魯の人)劉備(元魯の人)孫権(元斉の人)の間で天下を奪い合った。

という話でもある。

あと、北周、隋、唐の皇族が実は結構近い血縁集団となってるが、これを結びつけてるのが独孤氏。
その独孤氏の祖は劉秀の三男、沛(元魯国の地域)の献王劉輔となっている。

どれだけ魯国&斉国内で国をやりとりすれば気が済むのかと。
まぁ、スレチだが。

825 :人間七七四年:2010/12/13(月) 13:44:22 ID:Ir0Vs+U4
信長も結構、家康には気使いしてるよね
家康が安土城登城の際、街道整備や兵や馬の為の食糧を街道に配布したり

826 :人間七七四年:2010/12/13(月) 15:35:35 ID:aM8wuEEe
信康の事があるからねぇ……

827 :人間七七四年:2010/12/13(月) 17:04:00 ID:JU1sl7ap
信康に関してはむしろ徳川の方が気を使ってるだろ
徳川幕府成立後にも千石以上の所領を五徳に与えたり

828 :人間七七四年:2010/12/13(月) 17:10:10 ID:gwqFjTdi
まだ信康の処断は、信長が強要したとか思って輩がいるのか?

829 :人間七七四年:2010/12/13(月) 17:24:09 ID:+/GID+f3
>>828
信康事件が「徳川内部の事情」っていうのは、未だに断定できる証拠の一切無い
想像の産物にすぎんよ?

史料的には彦左さんなんかがはっきり書き残した分、「信長強要説」のほうが分がいい。

830 :人間七七四年:2010/12/13(月) 18:28:14 ID:JU1sl7ap
んー他の一次史料でも信長強要説が無いと
彦左さんの史料自体が疑われると思うんだが
永倉新八の自伝から幕末語るようなもん
家忠日記あたりに夫婦仲最悪で信長の命令って書いてあったらいいんだけど
安土日記にゃ、信長は「家康の好きなように」としか言っとらんね
牛ちゃん織豊系だから、でスルーするなら彦左も徳川系だからでイーブンだと思うし

831 :人間七七四年:2010/12/13(月) 19:12:20 ID:dSiIKObW
長篠で武田の脅威が完全に取り去られたから徳川の防波堤は完全に必要なくなった。

無理難題を言いつけて徳川と手切れをしようとしたら、あっさり従ったので、もうしばらく生かしておいて利用しようとしただけ

832 :人間七七四年:2010/12/13(月) 19:29:12 ID:+/GID+f3
>>830
一応重要なことは作左さんもそうだが徳川家の側では、徳川が天下をとる以前から
信康事件を「信長の強要」と理解しており、一方の織田家の側には、当時を知っている人々が
残っていた時期であっても、それに対する何らかの反論は存在しない。

信長強制説も徳川内部の事情という説も確かに決定的な証拠は存在しないが、
どちらが有力かといえば「信長強制説」の方が、少なくとも現在の時点では有力、
と見たほうが公平だと思うよ。

>>831
> 長篠で武田の脅威が完全に取り去られたから徳川の防波堤は完全に必要なくなった。
それはない。長篠のあと信長は家康に、武田家に対する集中的な調略を行わせている。
信長は長篠の結果武田が弱体したとは考えていたが、止めも刺さないうちに
「もう東は大丈夫」などと思うような脳天気な武将ではないよ、信長は。


833 :人間七七四年:2010/12/13(月) 19:30:03 ID:+/GID+f3
作左じゃないや彦左さんね1行目w

834 :人間七七四年:2010/12/13(月) 19:44:33 ID:JU1sl7ap
徳川家の側の信長の強要とする史料って何よ?
家忠日記にゃ家康と信康の仲が不穏な様は書かれているけど

835 :人間七七四年:2010/12/13(月) 20:16:25 ID:O/1k9IMg
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
それ以上はこちらでどうぞ

836 :人間七七四年:2010/12/13(月) 20:17:10 ID:+/GID+f3
>>834
三河物語も当然として、松平記や当代記にもそう記録されてるでしょ?もちろん徳川実紀にも。

というか「徳川家内の紛争説」は想像や推測で補完している部分が大きすぎて、
まともに受け取るべき説とはとでも思えないんだわ。
一種の創作小説だと思う。

837 :人間七七四年:2010/12/13(月) 20:19:06 ID:+/GID+f3
すまんかった。自重します。

838 :人間七七四年:2010/12/13(月) 20:21:35 ID:FRyovLe/
当代記には書かれてない

839 :人間七七四年:2010/12/13(月) 20:23:13 ID:A4egQgC9
二次レベルの資料によると、信康と禁断の関係にある築山殿との女の戦いに敗れた五徳が
信長に畜生レベルの親子関係をチクってそれを知った信長がうらやましからんといって
両方殺せと命じたが家康はまんちょに無中だったのでどうでもよかったという話

840 :人間七七四年:2010/12/13(月) 20:31:11 ID:FRyovLe/
徳川家の史料の中には築山殿は朝倉義景の妻になって
子供まで産んだというのもあるぞw

841 :人間七七四年:2010/12/14(火) 00:46:35 ID:/dopAFUA
なるほど、いったんは朝倉に嫁がせ、後家にしてから娶ろうというのだな

842 :819:2010/12/14(火) 00:55:28 ID:SqtyEf0o
>>834
『徳川実記』には書いてあるね。
悪い話向きだと思うからあっちに投稿しておく。

織田、徳川どちらの史料にどんな事が書いてあっても「捏造だ」で済ませられちゃう様な
気がする。
北条の手紙なんかで残ってたら面白いんだけどね。

843 :人間七七四年:2010/12/14(火) 02:36:57 ID:fmhf0ugE
正一位 毛利元就(笑)

844 :人間七七四年:2010/12/14(火) 04:44:30 ID:guvEiJsl
>>841
いや家康に離縁され、その後復讐の為に嫁いだとされているらしい

845 :人間七七四年:2010/12/14(火) 06:19:44 ID:WetDDjoe
信康の暴君逸話を書いてるのも三河物語なんだよな

846 :人間七七四年:2010/12/14(火) 13:08:59 ID:x2srTH9u
>>782-783
まつが天下の命運を握っていたり、篤姫無双だったり、千姫を兼続が救助したりするNHKですよ?

847 :人間七七四年:2010/12/14(火) 19:09:10 ID:W+0e02Wj
>>845
神君の判断に間違いはあり得ないので
信康は死んで当然の人間にしなくてはならなかったんだろう。

848 :人間七七四年:2010/12/14(火) 19:30:16 ID:9vzUE/DO
信康の墓って結構ひどい状態で放置みたいだけど永対面禁止の扱いとかなのかな?

849 :人間七七四年:2010/12/14(火) 21:20:26 ID:OdKWoZRR
ある国の大名の子が家臣の村井七郎左衛門にこういう質問をした。
「王(天皇)というものは厨子に入れて持ち運ぶ事ができるのか?」

「いいえ、王は厨子に入れて持ち運びはできません。吉法師様。」
七郎左衛門は茶筅髷の若殿にこう答えたという。

850 :人間七七四年:2010/12/14(火) 21:58:32 ID:SPZySiTH
アバウトすぎて誰を調べたらいいのか解らないので既出だったらゴメンナサイね〜
あと悪い話でもないのでこちらに・・・

正月の門松の竹の先端を斜めに切り落としてるのと平らに切ってあるのがありますよね?
斜めの切り口は「ソギ」と呼び、平に切られた切り口は「寸胴(ずんどう)」と呼ぶそうです。

「寸胴」は節が詰まっていて漏れないと縁起を担いで金融関係で使われるそうです。
元々は「寸胴」だけでしたが「ソギ」の門松を広めたのが徳川家という説があるそうです。

ある年の大晦日に、武田家から松平家(後の徳川家)へ次の一句が送られました。

「松枯れて 竹類なき 明日かな」


これを見て松平から武田に返句が送られる。

松枯れで 武田首なき 明日かな」

松平家では、こう詠みながら門松の竹の上部を斜めに切り落としたといいます。
この時を境に、松平家の門松の竹の頭は「斜め切り」となり、
江戸開幕後、関東に「ソギ」が広がってたそうです

返句を酒井忠次さんが詠んだという話もあるそうですよ〜


門松に「ソギ」と「寸胴」の二種類あるのか不思議だったのでググってみたらこんな話にぶち当たった次第。

851 :人間七七四年:2010/12/14(火) 23:31:30 ID:i4+jp2j9
由比正雪事件の後の事である。
生前の正雪は徳川頼宣のもとに親しく出入りしており
その最期においても捕吏に「紀伊大納言家来」を名乗るなど繋がりを感じさせた。

正雪の遺書には
「紀伊大納言の名を騙ったのは人を集める為であり、扶持を受けたりはしていない」と書かれていたものの
幕閣の疑いは晴れず、頼宣を江戸城に召喚し正雪の遺書を示して釈明を求めた。
すると頼宣はおもむろにこれをみて
「まことにお家のために慶賀にたえぬ。もしこれが外様諸大名の名を騙りたれば安心し難いが
 お家の血脈たる某の名を騙るとは、これぞまさしくお家安泰の兆しである。」と答えたという。

852 :人間七七四年:2010/12/14(火) 23:54:30 ID:3m8ymkJ3
>>847
階級闘争史観乙

853 :人間七七四年:2010/12/15(水) 11:49:40 ID:63XqE5/V
酒井忠次の子孫、旧出羽庄内藩の山形県鶴岡市では、忠次以下の藩主4人を祀った荘内神社がある。
毎年の例大祭では、まず最初に徳川信康公慰霊祭を行ってから、藩主たちの番となるのであった。

いい話ですねー。でも400年も気にし続けなくちゃならないのは大変だ。

854 :人間七七四年:2010/12/15(水) 12:05:02 ID:PDEQAXpe
酒井忠次は信康・石川数正の岡崎派とは対立してたからね。
俗説の12ヶ条の逸話などを別にしても後暗い所はあったんだろう。

855 :人間七七四年:2010/12/15(水) 22:25:18 ID:gGh/wb+j
>>850
やっぱり、刀ですっぱり切り落としたのかね?

856 :人間七七四年:2010/12/16(木) 06:29:03 ID:jCna04B+
ごめん、まとめサイト見れないんだけど、他にもそういう人いる?
アクセスが集中して見れませんって、エラーページになってるんだけど
これアクセスブロックされてんのかな……

857 :人間七七四年:2010/12/16(木) 07:27:17 ID:9ZLJmoro
>>856
fc2がメンテ中。fc2はアホ仕様なのでメンテ告知ページではなくエラーページに
強制リダイレクトするようになってる。

858 :人間七七四年:2010/12/16(木) 20:21:14 ID:AdsW1wN4
元亀2年(1571)、会津蘆名家と常陸佐竹家は、陸奥南郷で対峙したが決着はつかず、和議を結んだ。
両者が帰国の準備を進める中、会津四天の佐瀬源兵衛のもとに、佐竹の客将・太田三楽斎より書状が届いた。

“このまま帰国すれば、今生の別れとなろう。互いにいつ果てるか分からぬ身である。老後の思い出に、
顔を合わせて旧交を温めたし。”

「さすがは三楽じゃ、よし、会おう!」
源兵衛は小躍りして喜び、すぐさま主君・蘆名盛氏の許しまで得てしまったが、同僚たちはこれを危ぶんだ。

「相手は謀将として名高い太田三楽だ。ノコノコ行けば、何が待っていることか。」
「いや、わしはヤツを良う知っておるが、そんな男ではない。」
心配する同僚をよそに、源兵衛は甲冑を脱ぎ捨て道服に着替えると、わずかな手勢を連れて佐竹陣へ向かった。


久しぶりに対面した源兵衛と三楽斎は、膝を突き合わせて来し方行く末を語り合い、名残を惜しみつつ別れた。

無事戻って来た源兵衛に、同僚たちが詰め寄った。
「いくら三楽と懇意と言えども、昨日までの敵のもとに、鎧も着けずに出かけるとは何事じゃ!
我ら、手に汗を握って待っておったのだぞ!?」

「何を言う。わしは昔、関東に武者修行に出向いた折、三楽の居城でやっかいになった。その時は武辺話に
花が咲き、毎日夜が更けるまで語りあったものだ。そのわしらの仲に、妙な謀略などあろうものかよ。」

「それでも万に一つ、という事もある。やはり危なかろう。」
「なぁに、万に一つなどという事があっても、顔と顔、眼と眼を合わせておれば、そうそう不意を打たれる
ことはないわ。向こうが動いた瞬間、こちらもお相手し、刺し違える。会津と佐竹、一人ずつ減るだけよ。」

「だ、だが帰るところを、後ろから襲われたらどうする?」
「わしの馬の名はご存知かな?」「……確か、『韋駄天』だったか。」

「そう!その名の通り、風のごとく逃げ去るのみよ。このようになっ!!」
そう言って笑みを浮かべると、源兵衛は愛馬に一鞭当て、懐かしき会津へ向けて駆け出した。

859 :人間七七四年:2010/12/17(金) 01:11:44 ID:WD6cwNo9
悪い話で南部さんの盟友?がちょっと出ていたので

戦国時代の二つの南部


天正18年(1600)、南部軍の大将として津軽氏と戦っていた八戸政栄は、
三戸の南部信直の呼び出しを受け急遽帰国した。
二人はそれぞれ三戸南部氏・八戸南部氏の二大巨頭ではあるが、
家中で立場の弱い信直になにかと親身になってくれたのが政栄だった。

このとき信直は人生最大のピンチを迎えていた。彼は思い詰めた末、政栄にこう切り出した。

信直「八戸殿は小田原に行かれるおつもりですか?」

政栄「…………」

信直「いま関東の大小名はこぞって太閤様のもとに参陣し、御沙汰を待っています。
   我らも一刻も早く小田原へ行かねば後々よろしからぬことになるでしょう。
   しかし参陣したくとも、津軽は騒ぐし九戸も不穏だし、領地を留守にはできない。
   だからといって参礼をしないわけにも行かない。

   …あなたは他の末家と違い、朝廷公家に直参するお家ですから、
   一緒に小田原に行き、本領安堵されたいと思っています。
   しかし我ら二人が領土を空けるわけにはゆかないのです。
   
   だから、どうかこの地に残り、南部の土地を守っていただけないでしょうか。
   御朱印を拝領する名代として、ご子息の直栄殿をお連れします。
   当主のあなたが直接参陣できない理由は私から利家様に必ずご説明します。
   
   当家の存亡はあなた一人の思慮に懸かっております!お願いいたします!!」


政栄は少し考えこんでから、静かに語り出した。


政栄「おっしゃる通り、八戸は三戸から一度も禄を受けたことはありません。
   ですが、先祖代々不幸のあるときは互いに助け合い、家を存続させてきました。
   いま九戸政実と津軽為信の反逆によって、ご領内は三つに分裂してしまっています。
   こんなとき私まで太閤様に参礼したら、嫡家の威勢はさらに弱まり、滅亡してしまうでしょう。
   南部の大事に自分の家の都合のことなど申してはおられません。
   
   私が自領とあなたの領地をお守りします。
   あなたはお気遣いなく、すぐに小田原へ行きなさい。
   息子は参陣させますが、八戸の所領安堵はご領内が落ち着いてから後日願い出るつもりです」


信直はうなだれて政栄の話を聞いていたが、話が終わるとワーッと泣き崩れた。
「八戸殿、かたじけない…。ご親切は決して忘れません」


こうして信直は領内に八戸政栄を残し、ようやく小田原に参陣できたという。
結局八戸は大名になれなかったんだけど、
信直が八戸家を立てたので彼の生前はまあ良好な関係だったそうな

860 :人間七七四年:2010/12/17(金) 01:15:10 ID:WD6cwNo9
天正18年(1590)です。申し訳ない。

861 :人間七七四年:2010/12/17(金) 01:39:06 ID:f1LztK/7
政栄死後の八戸家に対する南部の扱いがなけりゃいい話で終わるんだがな・・・

862 :人間七七四年:2010/12/17(金) 07:29:04 ID:yGpFqwuY
八戸さんはもうちょっと評価されても良いと思う。

信直はいいんだが、利直がなあ…。ただでさえ外様豪族の力が強い南部で
権力を確立する為には外様潰しが必須だったとはいえ。

863 :人間七七四年:2010/12/17(金) 15:45:15 ID:KsTHsijc
今更だが>>703のIDがいいじいさん…
宗滴本人の書き込みか?

864 :人間七七四年:2010/12/17(金) 18:13:23 ID:4+BgzHWc
>>858
佐瀬源兵衛って三忠碑に名前のある佐瀬種常、佐瀬常雄のどっち?

それとも全然関係ない人なのか

865 :人間七七四年:2010/12/18(土) 10:49:15 ID:3ASRHVGE
>>864
どちらでもないけど関係なくはない


源兵衛(常教?)――種常―(養子)―常雄

の親子三代とされる

866 :人間七七四年:2010/12/18(土) 13:00:08 ID:fzn9ifAV
知ってる人は何をいまさらって感じだろうけど、喪れが最近知ったので書かせてくれ

音泉 ttp://www.onsen.ag/

ネットラジオのサイトだがアニメ・ゲーム・声優ネタがほとんど。
特に興味なかったんだが
戦国時代を扱う「遠近孝一のスキモノ!戦国RADIO」というのを流してる。

いずれ実際の歴史と関係ないゲーム・アニメの話をしてるんだろうと思ったら、結構コアな話してて驚いた。
今週はキリシタンの歴史を話してる。


867 :人間七七四年:2010/12/18(土) 18:36:15 ID:SrhgMEe6
喪れとか言ってる人久しぶりに見た

868 :人間七七四年:2010/12/18(土) 20:09:36 ID:1h0kVlqe
こういう書き込みをみると、宣伝のふりをした荒らし依頼なんじゃないかと勘繰りたくなる

869 :人間七七四年:2010/12/19(日) 00:15:19 ID:3D8ctbXA
天正15年(1587)、四国を制圧した羽柴秀吉は、生駒親正に讃岐17万6千石を授けた。
讃岐に入国した親正は、丸亀・引田といった讃岐旧来の城に飽き足らず、高松の地に新城を築くことにした。

しかし、高松での築城に決定的な自信の持てなかった親正は、黒田官兵衛に縄張りについて相談した。
「官兵衛殿、どうでしょうか?」
「・・・問題なし。むしろ、一段と良き城地にござる。」

「そうですか!いや良かった。それ、その地図にもある高松より半里ばかり西南の石清尾山、なかなか大きい山で
高松に近過ぎるので、要害のため如何かと思ったのですが・・・」

「何を言われる。石清尾山あってこそ高松は良き城地なのです。この山、高松のためには味方千騎に値しますぞ。

もし阿波・伊予等から敵が寄せて来れば、海に面した高松は、ひとたまりもありますまい。
しかし、石清尾山で敵の進軍を妨げる事によって、京・大坂から援軍が来るまで、持ちこたえる事が出来ましょう。

軍略上で大事な土地を『要害』というのは、味方には『要(かなめ)』、敵には『害』となるからなのです。」




( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー いや、ホントかどうかは知らんけど。

870 :人間七七四年:2010/12/19(日) 01:16:14 ID:uoYQJMH1
官兵衛さんといえば、有岡城幽閉で足が悪くなったというのは
山本勘助と同じで名軍師=河豚というお約束、という説を見たよ。
ベッキー道雪もそうだし、首から下はいらない人たちの系譜は
史記の孫ヒンまでさかのぼりそうだね。

いや、ホントかどうかは知らんけど。






871 :人間七七四年:2010/12/19(日) 01:19:03 ID:X+orVbJ1
半兵衛は張良以来の「その容貌、婦人の如し」な優男イメージを引っ張ってるよね。

872 :人間七七四年:2010/12/19(日) 06:39:47 ID:cU/EqjfW
半兵衛 主君が「アッー」な趣味な人でなくてよかったでござる

873 :人間七七四年:2010/12/19(日) 10:02:12 ID:Y6Kfc226
>>869
要害:地形が険しく重要な場所

官兵衛の思いつきトリビアだそれw

874 :人間七七四年:2010/12/19(日) 10:20:44 ID:67CQfCJl
この人が褒めたたえると何か裏がありそうな気がしてならないんだが。

875 :人間七七四年:2010/12/19(日) 11:51:32 ID:hWEioXdo
戦時ならともかく、平和な時はよく相談に乗ってくれたり、余計なお節介したりする気さくなおっさんというイメージがあるんだけど

876 :人間七七四年:2010/12/19(日) 13:08:57 ID:THHK4Ctf
要害は漢文直訳的には、
「陥とす(殺す)ことが必要」
或いは
「死が必要」
だな。
害が「死」とか「殺す」とかを意味していて、要が動詞的用法だと「必要である」ということになる。
つまり、割とそのまんま、文字通りの意味だったりする。

877 :1/2:2010/12/19(日) 17:08:55 ID:5KSHtmH+
薩摩島津家が天皇のもとに参内することになった前日、宮中から箱が送られてきた。箱の中には、

『 難波の霞 』と書かれた紙切れが入っているだけだった。

「これは、何のことじゃ?」
島津家の重臣達がいくら頭をひねって考え抜いても、何の意味があるのか、さっぱり分からない。

「まずい。これでは明日、義久様に恥を掻かせてしまう!」
「だが、どうすれば・・・」

「おや、何の騒ぎですかな?」
「おお武蔵どの!良いところに来てくれた!実は、こんなものが宮中より届いたのですが・・・」
重臣達は最後の頼みの綱、通りかかった新納武蔵守忠元にすがりついた。


「ああ、こりゃ和歌の定番ネタのことじゃな。」忠元は、あっさり謎を解いた。

“難波潟 刈りふく蘆の 八重霞 ひまこそなけれ 春のあけぼの”(二条為氏・新後撰集)

「難波の入り江には蘆が生い茂り、それを覆い隠すように霞が立ち込める、というのが定番の情景でな。
つまり『難波の霞』が隠すのは『あし』、『あし』を隠すのは履き物。
すなわち、宮中に特有の履き物である木靴・革靴を改めて参れ、という謎かけじゃよ。」

「「「おおお!さすがは武蔵どの!!」」」


「新納忠元が謎を解いた」という噂はたちまち宮中に伝わり、公家衆はその姿を見んと宮中で待ち受けた。

878 :2/2:2010/12/19(日) 17:09:44 ID:5KSHtmH+
参内当日、島津義久に随行した忠元を、公家衆は奇異の目で見つめた。

(あれが名高い新納武蔵守かいな)(武名高く教養深いと評判の武蔵守が、こんな小さいお人とは)
(しかし、ほんにえらいおチビさんどすなあ)(あれで有名だから、むしろ大したモンやホホホ・・・)

「・・・・・・!!」「忠元。」
「・・・わかって、おります。」義久に暗に釘を刺された忠元は、暴れ出したい衝動を必死で抑えた。

無事、参内を遂げた島津家一行に、天皇は親しく声をかけた。

「さて、薩摩は遠国だ。何ぞ上方と変わっている、珍しき事はないか?武蔵守よ、どうだ?」
「そうですな、薩摩では跳び方が面白いと、良く蛙を棒で突っつくのが上方と変わっておりまする。」
「か、蛙?!」
「ええ、あのゲコゲコ鳴く蛙です。都にも蛙が多いようで、楽しみな限りにござる。ハハハ・・・」
忠元は、天皇の左右に控える百官を見渡して笑った。
「さ、左様か。それは面白い事を聞いた。島津家の者ども、今日は下がって良いぞ。」


島津家一行が退出した後、公家衆は忠元を嘲笑った。
「聞くと違って、何や阿呆なこと言うお人でしたなあ。」「ほんに・・・ホホホ・・・・・・」

「阿呆は卿達だ。」

「な、何を申されます主上!」「・・・『井蛙』という言葉を知っているか?」
「『大海を知らず』、という話でおじゃりますか?」

“井蛙不可以語於海者、拘於虚也。夏虫不可以語於氷者、篤於時也。”(荘子)

「和歌の知識という井戸に篭もる都の蛙を、薩摩者が漢籍という棒で突ついた、という訳だ。
分かったか。以後、田舎者とて武家を嘲笑うこと、まかりならぬ。これ以上、朕に恥を掻かせるな。」

天皇の静かな怒りに、公家衆は一言も返せず、うなだれるばかりだった。

879 :人間七七四年:2010/12/19(日) 17:37:21 ID:uElzWMr0
新納さんかっこいいー!
そして公卿ざまぁw
こーいうスカッとする話良いな

880 :人間七七四年:2010/12/19(日) 20:01:10 ID:yzSaXCRW
>>869
大辞泉から

ぬみ【要=害/▽要】
・攻防上で重要な地点。要衝。ぬま。

よう‐がい〔エウ‐〕【要害】
・地形がけわしく守りに有利なこと。また、その場所。「―の地」「―堅固な城」
・戦略上、重要な場所に築いたとりで。要塞(ようさい)。「天然の―」

大辞林から

ぬま 【▽要・〈要害〉】
・要害。要衝。ぬみ。

ちなみに要衝↑は
・軍事・交通・産業のうえで大切な地点。要所。「交通の―」

やっぱり官兵衛さん凄いや、どうしてこう言う事がスラスラ出てくるのかね。

881 :人間七七四年:2010/12/19(日) 21:11:56 ID:m+4oBwsY
>>877-878
この切り返しはかっこいいな。
まーくんの逸話にしてもそうだが、自分もイヤミに対してさらっと皮肉で返せるだけの
教養を身に着けたいと思うわ。


882 :人間七七四年:2010/12/19(日) 23:04:08 ID:1sNA1Ur2
天皇って後陽成天皇?
こんな知的な人だったのか

883 :人間七七四年:2010/12/19(日) 23:13:55 ID:jaNk5+rD
まあ夢のない話をすると、島津家関連のこの手のコンプレックスを跳ね返して
自尊心を回復するタイプの話はだいたい後世の作り話

つーかこの時代公家こそ漢詩の本家本元みたいな集団で、島津の連中がどうひっくり返ったって
そっち方面の教養でかなうわけがないw

884 :人間七七四年:2010/12/19(日) 23:15:16 ID:We44p8Ws
野暮な奴だ

885 :人間七七四年:2010/12/19(日) 23:45:47 ID:6ABmzllg
>>883
この頃の公家にまともな学問をするだけの余力が会ったかはかなり疑問だがな。

886 :人間七七四年:2010/12/20(月) 00:40:04 ID:wlfUvjdu
>>882
島津が上洛できる時期の天皇だと後陽成天皇しかいないけど、この時期だと
15〜20歳とかだもの。年齢設定だけでも、まず作り話確定かと。

さんざ馬鹿にされたので、こういう作り話で鬱憤を晴らしたんだろうねい。

887 :人間七七四年:2010/12/20(月) 00:41:03 ID:4XVUKRai
前述の逸話が事実だとするなら、デニーロさんが一番苦労したのは公家の嫌みへの切り返しではなく、いかにしてお留守番大好き太守を館から引っ張り出すかのような気がしなくもない(もっとも秀吉政権時代にはしょっちゅう都に呼びつけられているようですが)。

888 :人間七七四年:2010/12/20(月) 00:41:58 ID:D8Fa/BJt
逸話の90%くらいは作り話だから今更作り話とか言われてもw

889 :人間七七四年:2010/12/20(月) 00:54:39 ID:YeFZGQtA
>>869
「要害」というのはそもそも中国語では
人体において命にかかわる重要な部位の事ですな。
そこから転じて「要害之地」は取られたら終わりの
軍事上最重要地点の事を指すようになったわけです。

昔の日本人は漢籍に出てくる「要害之地」を見て
「要害」が何の事かよくわからなかった。
(書き下してみるぞ!→害を要するってなんじゃらほい??)
でも時々一緒に出てくる「易守難攻」から察するに
攻め難く守り易い、凄い場所なんじゃなかろうかと考えた。

まぁとにかく、こんな風にして日本語における
「要害」の強くて堅いイメージができあがったわけです。
言葉とはかくも難しく、そして面白いというお話。


890 :人間七七四年:2010/12/20(月) 01:11:27 ID:vnp5y9Pn
>>885
学問や文化の担い手だったから
公家がはるばる地方に出向くと歓待を受けたんだろ。

891 :人間七七四年:2010/12/20(月) 01:52:20 ID:Om+tdkOf
>>886
なにその朝鮮人根性…

892 :人間七七四年:2010/12/20(月) 02:12:30 ID:r7VS/C1n
島津一族とか島津の重臣とかは教養あったんじゃない?
新納とか戦場で和歌の応酬をする話とか残ってるし
4兄弟のお父さんやそのお父さんの和歌を見る限り教養レベルはかなり高いと思うが

それが転じてこんな話になったんだろう
公家相手ってところが薩摩の田舎精神醸しだしてていいじゃないかw
この当時の公家の学問レベルがどれくらいだったかきになる

893 :人間七七四年:2010/12/20(月) 03:52:08 ID:wlfUvjdu
ちょっといい話のはずが、コンプレックス丸出しの作り話でしたって感じの
ちょっと悪い話にw

>>892
たとえば、当時でも公家では家学 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E5%AD%A6
やら、細川幽斎で有名な古今伝授なんてものが綿々と受け継がれていたわけで。

儀式と学芸をするのが皇族や公家のお仕事。武家の嗜みなんかと同じレベルで語っちゃ
いけないでそ。もちろん、武家にも先に挙げた細川幽斎みたいな例外もいるけどさ。

894 :人間七七四年:2010/12/20(月) 07:28:54 ID:vQUDL0WD
鈴木正三の話

仏教者として有名な正三ですが、生まれは三河則定城主鈴木重次の長男です。
初陣は天下分け目の関が原でした。後の大阪の陣では武功を挙げ200石取りの旗本となっています。
彼は戦場で生死に近かった三河武士の経験を通じて、仏教に傾倒していきます。
ついに42歳のときに出家をします。しかし本来旗本の出家は禁止されています。
しかし、後に名を残す僧のなにか凄いオーラがあったのか、秀忠公が正三の人柄仏法への真摯さに感じたのか、
出家の罪を不問とし、長男正三のいなくなった本家が養子を取ることも認め鈴木家の存続も認めました。
これが正三道人誕生の話です。他のエピソードもありますのでまた書きたいと思います。

895 :人間七七四年:2010/12/20(月) 09:12:43 ID:P1VmSyrn
>>893
室町、戦国期は公家の断絶や没落がバタバタ起きてる
朝廷に強い影響力があるか、下野して成功出来るほど高い能力を持った公家以外が
一定の文化レベルを保持し続けられるかはちょっと疑問かな
真偽についてはそういうスレじゃないんで言わない

896 :人間七七四年:2010/12/20(月) 12:53:20 ID:galYymbM
>>893
義久も幽斎や近衛前久から古今伝授を受けてるっしょ

897 :人間七七四年:2010/12/20(月) 15:04:50 ID:X6EpBuBo
つまり、この流れの結論としては、
「幽斎さんは神」で異論は無いな?

898 :人間七七四年:2010/12/20(月) 15:41:04 ID:J3XK/Q0O
ところでさあ、深イイ話って番組では
武将の話題扱った事あるの?

899 :人間七七四年:2010/12/20(月) 16:18:55 ID:RuG0Nvsp
ほんとどこにでも出てくるな近衛前久は

900 :人間七七四年:2010/12/20(月) 17:08:09 ID:yteEorP8
古今伝授について質問なんですが、例えば和歌の古今伝授を持っている場合は他の人物を
弟子にしたりして教えてもいいって事なんですか?剣術でいう免許皆伝みたいなもの?

901 :人間七七四年:2010/12/20(月) 17:19:53 ID:UsCRXYPl
ここそういうスレじゃねぇから!

902 :人間七七四年:2010/12/20(月) 17:51:42 ID:vQUDL0WD
鈴木正三の話2

>>894で話した通り出家した正三。
あるとき正三のもとに一人の百姓が訪ねてきた。

百姓「正三さぁ、ワシは浄土へ往生しとうていつも念仏しとるんじゃが、
   果たしてこれでええんやろうか?」

正三「おお!素晴らしいことではないか。
   念仏の誓いを建ててもすぐ辞めてしまう者もおるのに立派な心がけじゃ。
   ではすこし念仏の参考になる話をしようかね。
   まず念仏には五つの種類があるんだ。
   一つは功徳(善言を成して御利益を願う)の念仏じゃ。
   二つは慙愧懺悔の念仏。
   三つは裁断の念仏よ。この三つめの念仏とは念仏の剣を持って善念、悪念どちらも南無阿弥陀仏と切り払う念仏じゃ。
   四つは末期の念仏。
   五は平等の念仏じゃな。万事に碍えられず、南無阿弥陀仏と、松吹く風と斉しく申す念仏じゃ。
   まぁ、この五種じゃね。」

百姓「正三さぁ、どれも気持ちいい念仏じゃなあ。
   そのなかでもワシは三つ目の裁断の念仏が気にいりました!!
   これ一つでワシの念仏の用は調うですよ。
   本当にありがとうごぜえます。」

と、その百姓は喜び勇んで帰り六年ほどの後、見事な往生を遂げたということである。

903 :人間七七四年:2010/12/20(月) 17:54:49 ID:vQUDL0WD
ちなみに正三道人は曹洞宗の禅者です。
尋ねてきたのは恐らく三河にも多い念仏宗の農家の方です。
他宗派の相手にも見事に法を説いた正三と、それをすぐに理解した百姓。
いい話なので投稿させてもらいました。

904 :人間七七四年:2010/12/20(月) 18:14:54 ID:7kXG8d/L
鈴木正三って、島原の乱の後で天草地方に禅宗を広めた人だっけ

905 :人間七七四年:2010/12/20(月) 18:16:34 ID:vQUDL0WD
>>904
そう、その人です。
天草でも治水関係かなにかで伝説残していたような記憶がありますね。
また気が向いた時でも調べて書き込みます。

906 :人間七七四年:2010/12/20(月) 21:51:58 ID:TO1loJjJ
阿部豊後守忠秋が名物の茶壷を手に入れ、これに見合った箱など作らせるため、細工職人を呼んだ。

ところが、職人が懸命に木材を組んでいるスキに、一緒について来た職人の子供が茶壷で遊び出しており、
そのうち壷の口に突っ込んだ手が抜けなくなってしまい、オマケに忠秋の近習たちに見つかった。

「殿様の大事な壷に、なにをしておる!?早く抜かんか!」
「それが、どうしても抜けないんで!」
「ならば止むを得ぬ。その子の手を切り落とすか。」
「そんな!お、お願いします、どうかお助けくだせぇっ!」

父親と近習の剣幕に、とうとう子供は泣き出してしまい、泣き声を聞きつけて忠秋もやって来てしまった。
騒ぎの原因を聞いた忠秋は、
「なにをいつまでも愚かな事をしておる。早う、こうせぬか。」

と言って脇差に手を伸ばすと、その柄頭を茶壷に叩きつけた。壷は打ち砕かれ、子供の手は抜けた。
すぐさま職人は忠秋の前に土下座し、感謝した。

「大切な壷を割ってまで倅を救っていただき、まことに有難うごぜぇます。この罪は、あっしが受けます!
どうかどうか、倅だけはお助けを・・・」

「何の罪だ?」土下座したままの職人を横目に、訳が分からない、という顔をして忠秋は去った。


職人は、泣いた。

907 :人間七七四年:2010/12/20(月) 22:48:24 ID:M5yl7yy3
俺も泣いた

908 :人間七七四年:2010/12/20(月) 22:50:25 ID:P1VmSyrn
俺も泣いた
潔さにまったく感服だ

909 :人間七七四年:2010/12/20(月) 23:02:48 ID:r7VS/C1n
これは文句なく良い話

910 :人間七七四年:2010/12/20(月) 23:03:17 ID:mvhlA8n1
これぞいい話

この茶壷は修復されて名前伝わったりしてないのかな

911 :人間七七四年:2010/12/20(月) 23:13:56 ID:arsXuBo8
あれこれ言わずただ一言だけ言って去るのがまた格好良いな

912 :人間七七四年:2010/12/20(月) 23:21:58 ID:cUmdBwFm
阿部△

913 :人間七七四年:2010/12/20(月) 23:44:27 ID:M5yl7yy3
>>912
            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ     
             ト.i   ,__''_  !
          /i/ l\ ー .イ|、
    ,.、-  ̄/  | l   ̄ / | |` ┬-、
    /  ヽ. /    ト-` 、ノ- |  l  l  ヽ.
  /    ∨     l   |!  |   `> |  i
  /     |`二^>  l.  |  | <__,|  |
_|      |.|-<    \ i / ,イ____!/ \
  .|     {.|  ` - 、 ,.---ァ^! |    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{   ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
  }/ -= ヽ__ - 'ヽ   -‐ ,r'゙   l                  |
__f゙// ̄ ̄     _ -'     |_____ ,. -  ̄ \____|
  | |  -  ̄   /   |     _ | ̄ ̄ ̄ ̄ /       \  ̄|
___`\ __ /    _l - ̄  l___ /   , /     ヽi___.|
 ̄ ̄ ̄    |    _ 二 =〒  ̄  } ̄ /     l |      ! ̄ ̄|
_______l       -ヾ ̄  l/         l|       |___|

914 :人間七七四年:2010/12/21(火) 01:38:19 ID:SSgOVa/+
本多百助は顔が四角かったという。

本能寺の変の前日、堺見物をしていた徳川家康は、百助を食べさせ、

915 :人間七七四年:2010/12/21(火) 01:58:06 ID:WfrU1g6A
>>914
おい、どうした、大丈夫か?

916 :人間七七四年:2010/12/21(火) 07:02:47 ID:ny4dfNZc
釣りだろ
>百助を食べさせ、
こんな文章に続きなんかないんじゃないのw

917 :人間七七四年:2010/12/21(火) 10:00:14 ID:PhE/ytnd
>>906での爽快感を返せ

918 :人間七七四年:2010/12/21(火) 10:41:11 ID:awmvwei9
アンパンマンを見ていて食べ物を暗に示す文を書こうとしたが挫折したと見た。

919 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:16:00 ID:tUWAV86S
割らなくても手なんて普通に抜けるだろ・・・

920 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:34:50 ID:PPNL95xc
>>919
物にもよるが、茶壷の口はかなり狭いぞ。
後、入れ物の口は入れるより出す方が難しい。徒然草の仁和寺の和尚の話然り。

921 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:41:24 ID:eOqZj02M
良い茶壷だとこんな感じ。たしかにうっかり手を入れると抜けなくなる事もありそう

万休院茶壷 京丹後市指定文化財
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/kyoiku/bunka/shiryokan/digitalmuseum/data/images/c36-01_1.jpg

922 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:42:20 ID:awmvwei9
指輪が抜けなくなる事もよくあるでな。

923 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:45:00 ID:Clonsq4H
一瞬「茶壷の中身を掴んでおるのであろう。」って感じの知恵話が来るかと思った。
度量が広い忠秋がかっこいい。

924 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:45:50 ID:vTt+wDc4
指輪が抜けなくなったら消防署にな。

925 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:46:50 ID:H5JTVFtj
一方ブラックジャックは腕を切った後、再びつなげた

926 :人間七七四年:2010/12/21(火) 18:50:57 ID:eOqZj02M
そういえば茶壷で思い出したが、童謡の「ずいずいずっころばし」は
将軍に新茶を献上する御茶壷行列が来たら粗相の無いよう家の中に入るように、って内容だそうで。


927 :人間七七四年:2010/12/21(火) 19:16:46 ID:UmyveuxH
壺の中でこぶしを握ってたから抜けなかっただけだったりしてw

928 :人間七七四年:2010/12/21(火) 20:29:01 ID:JKOUaWki
なんか小泉八雲のk猥談みたいだな>914

929 :人間七七四年:2010/12/21(火) 20:30:26 ID:awmvwei9
そのタイポは不味いわwww

930 :人間七七四年:2010/12/21(火) 21:16:49 ID:hvw+D8Wq
ゲヒなら金を流し込んで修理して高く売りつける
三歳なら…

931 :人間七七四年:2010/12/21(火) 23:05:43 ID:3emiZKE1
指輪はリングカッターで切ると後の修理がラク ・・・はともかく
>>919
圧迫されてると浮腫んで本気で抜けなくなる

932 :人間七七四年:2010/12/21(火) 23:35:18 ID:eOqZj02M
細川幽斎はあるとき、こんな事を語った

「私は連歌における作法の大切さを、三好修理太夫(長慶)殿から学んだ。

連歌の席において修理太夫殿は、まるで人形であるかのようにじっと座られていた。
膝の傍らには扇が、少し斜めに置かれていた。

夏の暑い時期などは、その扇をいかにも静かに右手に取り、左手を添えてそっと三、四間だけ
開き音を立てずに使い、終えるとまた左手を添えて閉じ、元の場所に置いた。

驚くべきことにはその置いた位置が、前と畳の目一つほども違っていなかったのだ。」


若き日の細川幽斎に感銘を与えた、天下人三好長慶の連歌の作法についてのお話。



933 :人間七七四年:2010/12/21(火) 23:52:26 ID:npjYFSs+
>>932
晩年はあれだったけど、やっぱすごい人だったんだろうね

934 :人間七七四年:2010/12/22(水) 01:28:08 ID:IAUddHuX
超時空太閤H「誰じゃ!わしの陰口を叩いておる奴は!>>933お主か!」

935 :人間七七四年:2010/12/22(水) 01:36:50 ID:UmiZs8RO
三好長慶って晩年、安宅冬康を殺して鬱病なった人だよね?

936 :人間七七四年:2010/12/22(水) 01:59:34 ID:egFmaFqS
この人と弟が顕在なら下手すれば信長の出番が回ってこなかったかもしれなかった程度には凄い人だよ

937 :人間七七四年:2010/12/22(水) 02:05:40 ID:2RrRhynu
三好長慶ってなんか微妙なんだよな
凄い人ってのは分かるんだけど…
中途半端な所で終わってるからだろうか?

938 :人間七七四年:2010/12/22(水) 02:05:52 ID:bkl73xJg
>>926
そういう解釈もありか
将軍家と同様問答無用で容赦しないからみんな隠れたのかと思ってた
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8E%A1%E8%8C%B6%E4%BD%BF
上林家って、利休とつながって同僚を追い落としてトップになったんだよね
まあ、いまもって続いてるブランドだからこういうのは書いちゃいけないのかもしれないけど

長慶は子供を失ってからダメになりはじめたんだっけ?
やはりみんな同じなんだね
もし本能寺の時に信長だけが生き残ってたらどうなったかな

939 :人間七七四年:2010/12/22(水) 09:28:04 ID:W+rPJZKY
むしろ、前と畳の目一つほども違っていなかったことに気づく幽斎さんが恐いわwww

940 :人間七七四年:2010/12/22(水) 15:58:11 ID:1HhChuTH
石田三成さんなら、本当に畳の目を数えてそうだ。
「ふーむ、扇は前7列、左29列目に置くのが作法でござるか。メモメモ」

941 :人間七七四年:2010/12/22(水) 18:09:16 ID:FLsDvIaD
前田慶次郎ペーパークラフト甲冑できました。
ttp://www.yonezawa-naoe.com/images/information/IMG_1076.jpg
ttp://www.yonezawa-naoe.com/images/information/IMG_1078.jpg


前田慶次郎が使用したと伝えられる甲冑は全国に3つ現存しますが、最も有名な
米沢市宮坂考古館に所蔵される甲冑をペーパークラフト化しました。
ttp://www.yonezawa-naoe.com/information/101219.html

942 :人間七七四年:2010/12/23(木) 10:23:55 ID:J/tYhSj4
>>941
なんか風呂に入ってるじいさんみたいな顔してて和むw

しかしよくできてるな

943 :人間七七四年:2010/12/23(木) 10:41:36 ID:JQ7Y5mdn
ちょっと首を傾げてる風に見えるのがいい!

944 :人間七七四年:2010/12/23(木) 19:16:53 ID:SYYvQTnN
天皇誕生日にちなんで天皇ネタ(?)
戦国時代からアナタの頭脳に挑戦!!(『後奈良院御撰何曽』より)


Q1,竹生島には山鳥もなし?

Q2,風呂のうちの連歌?

Q3,海中の蛙?

Q4,稚児の髪なきは 法師に劣り 田舎に置け?

Q5,一昨日も 昨日も今日も 篭もり居て 月をも日をも 拝まざりけり?


正解は一時間後に
一応現代人でも解けそうなのを選んだつもり


945 :人間七七四年:2010/12/23(木) 19:47:23 ID:72/+g28X
このスレって後世につくられたでっち上げの話もありなの?

946 :人間七七四年:2010/12/23(木) 20:00:35 ID:IzyyeUJB
9割がたの逸話はでっち上げだろうな

947 :人間七七四年:2010/12/23(木) 20:18:22 ID:SYYvQTnN
Q1答,『笙』
「竹生島」に「山鳥」→「嶋」が無いのは「竹生」→「笙」

Q2答,『袋』
「ふろ」の内に「連歌の会の作品」、つまり「句」を入れると「ふ句ろ」→「袋」

Q3答,『蔦』
「うみなか」→十二支の「卯・巳の中」にあるのは「辰(たつ)」、それが「返る」と「つた」

Q4答,『碁石』
「ちご」の「頭(かみ)」が無くなれば「ご」、「ほうし」の「尾」つまり末尾だけ取っておけば「し」、
その中に「い」を置けば(「い」なかに置く)、「ごいし」

Q5答,『御神楽』
「おととい、きのう、きょう」で「三日」、「月も日も無く引き篭もる」のは「暗い」→「三日暗」



個人的に「破れ蚊帳」→「蚊入る」→「蛙」がこの時代すでにあった事にビックリ

948 :人間七七四年:2010/12/23(木) 20:21:26 ID:C0tcKKZN
>>947
全然わからんかったw;
なぞなぞでも発想の方向性が違うな。

949 :人間七七四年:2010/12/23(木) 20:24:50 ID:d65jbRhN
>>947
おお信じられん、笙だけ当たってた!他はさっぱりわからんかったがw
昔の謎かけは品があっていいな

950 :人間七七四年:2010/12/23(木) 21:01:31 ID:GpWyhL64
>>941
これの兜は↓の表紙のような西洋兜をモデルにしてるんだよな。そういうわけで実物は兜のつばの前後が上に反っている。

ttp://www.amazon.co.jp/Conquistadores-Men-at-Arms-Terence-Wise/dp/0850453577/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1293105429&sr=8-2#reader_0850453577

951 :人間七七四年:2010/12/24(金) 00:15:04 ID:Luv9nhQo
豊臣秀吉の時代のことか。

ある日の日暮れの頃、越後春日山30万石の領主堀秀治が、伏見の屋敷にて客を送り出すため、
家臣などを引き連れ門の外まで出た。
家老の堀監物直政は、一団の中で秀治から最も離れた位置にいたという。

と、秀治が外に出た瞬間、彼に恨みを持つ者であろうか、外に隠れていた者が突如、
秀治に駆け寄り斬りつけた。
秀治もとっさに刀を抜いて応戦しようとした。その時である

一番遠くにいたはずの堀直政が、気がつけば最初に秀治の元に駆け寄り
この狼藉者を一刀のもとに斬り倒した。
秀治の左右の者たちは、倒された狼藉者に止めを刺すのがやっとであった。

後日、秀治の近習の者たちは直政に面会を求め、このように聞いた

「あの時は日暮れで視界も悪くなっていた上、さらには突然の出来事でもありました。
そのようであったため我々も心ならずも秀治様のお側に行くのが遅れたのですが、
我々より遥か隔たった場所にいた直政様が一番に狼藉者を斬り捨てました。
どうしてそのようなことができたのか、我々にはさっぱりわからないのです。」

これに直政
「いやいや、お主達の武辺が私に劣るわけではない。ただ私は、かねてから一つの心構えを
決めていたのだ。お主達はその心構えを知らなかった。ゆえに私に先を越されたのだよ。
調度よい機会だ、今後もそなたたちは殿のお供を勤められるわけであるし、今後の心得にも
成ることだろうから、今までこれを人に話したことはなかったが、ここでお主達に
伝授いたそう。

総じて殿の御前に伺候し、御後に供奉する時は、仮初にもよそを見ること無く、
最初から最後まで殿から目を離さない。これが最も重要なことだ。
そうしていれば殿の動静において、たとえ針ほどの細かな異変でも気が付かないということはない。

そういう心構えを持っていれば、先日のような不慮の事があっても自分が考えるよりも早く
体が動くものなのさ。

お主達は今私の言ったこと、どうか忘れないようにしてくれ。」

堀直政の、主君を守る心構えについてのお話。

952 :人間七七四年:2010/12/24(金) 10:05:08 ID:5/m2kIJt
周囲を警戒するんじゃなくて、主君に意識を集中しておく事でとっさの対応ができるようにしておくのか
なんという逆転の発想

953 :人間七七四年:2010/12/24(金) 10:20:56 ID:q77dxGsP
宇喜多弟「兄上……じゃなくて主君に意識を集中しておかないととっさの対応ができません。鎖帷子を着ておくとモアベター」

954 :人間七七四年:2010/12/24(金) 10:32:50 ID:XhJg9qTJ
>>953
「伯父上!鎖帷子を着ていたら泳げません!」

955 :人間七七四年:2010/12/24(金) 10:33:55 ID:dcGceEBv
>>953
あなたのDQNな息子の方にも集中してあげて下さい。

956 :人間七七四年:2010/12/24(金) 11:21:39 ID:An9Cz/Ar
>>954
八郎殿、伯叔の区別くらいつけなはれ。そんなんだから旧臣が離れんだよ。

957 :人間七七四年:2010/12/24(金) 11:30:20 ID:XhJg9qTJ
>>956
すまんすまん、伯叔どっちが年上かつい失念していた

958 :人間七七四年:2010/12/24(金) 11:51:45 ID:eEN0YUxV
ちょっと勉強になったw

959 :人間七七四年:2010/12/24(金) 16:22:43 ID:JWamZpie
>>952
しかしこれは近接戦闘に特化した備えで
弓とか鉄砲を持ち出されたらどうしようも無いような・・・

960 :人間七七四年:2010/12/24(金) 18:15:51 ID:oJtZlbFG
今日はクリスマス・イヴです
籠城戦の話を募集します

961 :人間七七四年:2010/12/24(金) 19:46:12 ID:ucXBffq2
毎度初陣

有名な話だが、まだ出ていないと思うので。

戦国有数の勇将・山県昌景にあやかりたいと思う人物は数多く、武田信玄の弟・一条信龍は彼に活躍の秘訣を問う。

昌景応えて曰く、「訓練も大事だが、心がけもまた大事。常に初陣のつもりで戦いの臨み、慎重に策を練ります」と。

彼ほどの歴戦の猛者でも、おごることもなく常に緊張感を持ち続けることができたということ自体がすごい。
また、信龍も同じく常に武備を怠らないなど、平時に乱を忘れないという姿勢だったそうで通じるものがあるようで。
新田次郎の「武田勝頼」だと、信龍はただの偏屈なおじさんだったので意外だった。


ただ、相手が勝頼だったら話がかみ合わなかったかも。

962 :961:2010/12/24(金) 19:46:58 ID:ucXBffq2
あ、籠城の話でなくてすみません。

963 :人間七七四年:2010/12/24(金) 20:52:52 ID:mazqxYVJ
悲しい失恋の話とかお願いします・・・
他人の不幸は蜜の味、とか思えるようなのを・・・

964 :人間七七四年:2010/12/24(金) 20:54:51 ID:1+oUmrFu
籠城戦の話というかその前哨戦の話だけど。


1592年10月、日本軍は釜山から漢城への補給路の安全を確保すべく
朝鮮軍の策源地と見られていた晋州城の攻略を決定した。

この動きに対して朝鮮軍は晋州牧使金時敏に城の守りを固めるように命じると共に
柳崇仁に官兵及び義兵を率いさせて日本軍を迎撃させることとした。
が、柳崇仁は日本軍に敗れ、晋州城への撤退する。

しかし柳崇仁に対して晋州城の門が開かれることはなかった。
金時敏は柳崇仁の入城を拒否を拒否したのである。
なおこの時の柳崇仁の役職は慶尚道兵使
朝鮮の行政単位は道・府・牧・郡・県なので晋州牧使の金時敏よりもかなり上である。

柳崇仁の入城を拒否した結果金時敏はわずか3800の兵で20000の日本軍と戦うこととなった。
しかし兵や住民は金時敏の下で団結しており、城外にあって日本軍の後方を脅かした義兵たちの働きもあって
見事1週間に渡る戦いを勝ち抜き、日本軍を撤退させた。

この時晋州城外にあった義兵の将郭再祐はこの事を聞いて「此計足以完城, 晋人之福也」と歎じたという。

965 :人間七七四年:2010/12/24(金) 20:59:48 ID:1+oUmrFu
補足だけど入城を拒否された柳崇仁はそのまま引き返して日本軍に挑み、敗死している。
悪い話の気もするんだけど、朝鮮では金時敏の働きが働きだけに帳消しにされているっぽい。

966 :人間七七四年:2010/12/24(金) 23:04:32 ID:AESOfYUg
家康「そうだ!本多山県と名づけよう」
本多某「・・・」

967 :人間七七四年:2010/12/24(金) 23:15:23 ID:mL+gXyit
羽柴秀吉の中国攻めの際、弟の羽柴美濃守秀長は因幡丸山城の攻略を任された。
秀長軍は連日、激しく攻め立てたが、先鋒の藤堂与右衛門が城方の境与三右衛門春時と戦い、
互いに傷ついたのを期に、兵糧攻めに切り替え、じっくりと攻めるようになった。

そんなある日、丸山城に秀長からの書状が届けられた。
“この近くの山に、狼が出没している。双方で人を出して狩り、長陣の退屈しのぎにしようではないか。”

「何をこしゃくな。よし、受けて立て!」さっそく秀長軍と城方、双方で人手を出して山狩りを行なった。

秀長は狩り立てた狼を胴切りにして、頭側を手元に残すと、尾の方に酒十樽と肴を添えて城方に贈った。
思っても見ぬ贈り物に城中は沸いたが、ある者が疑問を呈した。

「敵からの贈り物だぞ?毒が入っているかも知れぬではないか!」
「しかし羽柴美濃守という男、そんな悪辣な手を使うような者ではないと聞くが。」
「うーむ、どうする?」

城中の皆が悩む中、境与三右衛門が名乗りを上げた。
「わしとしては美濃守を信じたいが、毒入りかも知れぬというのも、然るべき疑問じゃ。そこで、だ。
ここは、わしが毒見をしよう。おのおの方は、わしが飲んだ後しばらく様子を見ても、遅くはあるまい。」

この意見にみな賛成し、与三右衛門は自分の飯茶碗を取り寄せると、酒樽から七、八杯汲み上げて飲み干し、
自室で静かに座りこんだ。城の皆が注目する中、与三右衛門はそのうち体を傾けると、完全に倒れこんだ。
「すわっ!やはり毒であったか!」
城中は色めきたったが与三右衛門の容態を確かめると、かすかに息をしているので、医師をつけて見守った。

翌日の夕方になって、与三右衛門は眼を覚ました。

「おおっ、与三右衛門!おぬし一日中、寝ておったぞ。やはり毒だったのか?!」
「…いいや。あれは極上の美酒じゃ!あんな酒は飲んだことがないわ。わしは久しい篭城の苦しさも忘れ、
心を仙境に飛ばしておったわい。」
「なんじゃ、そうだったか。よーし、飲むぞーっ!!」
「あいや、待て待て!わしのような飲み方をすれば、たちまち酔い潰れて城の守りに差し支えてしまうぞ!
少しずつじゃ、少しずつ!」

こうして贈られた美酒は、城方の一人ひとりに少しずつ配られた。
「そうと知っていれば、最初にガブ飲みしておいたものを……」と、城方のうちノンベエは与三右衛門を恨んだ。


>>960のご期待に沿えるか疑問だが、篭城と贈り物のお話。

968 :人間七七四年:2010/12/24(金) 23:33:16 ID:hLdqxQMj
なんつーか双方余裕ありすぎるだろw

969 :人間七七四年:2010/12/25(土) 00:18:45 ID:O3ze9m3Y
一方その近所には渇え殺しにあってる城がありましたとさ(´;ω;`)

まあラスボスと秀長の違い、とか言っちゃうと話は簡単だけど

970 :人間七七四年:2010/12/25(土) 00:29:13 ID:d24pOLv8
真っ二つになった狼をどうするんだろう、という素朴な疑問。

971 :人間七七四年:2010/12/25(土) 00:41:44 ID:Ap/L5lTK
食うんじゃね?
江戸時代初期まで犬はご馳走だったし

972 :人間七七四年:2010/12/25(土) 00:46:28 ID:c218PFmw
犬食ってたってのは聞いたことあるがごちそうってのは初耳だわ

973 :人間七七四年:2010/12/25(土) 01:01:33 ID:GHsD1Fdz
羊頭狗肉という言葉があるように、基本的に日本や中国では劣った肉として見られてたと思うが。
朝鮮ではどうか知らないけど。

974 :人間七七四年:2010/12/25(土) 01:06:37 ID:d24pOLv8
与三右衛門の傷は癒えたようだが、その頃与右衛門は?

975 :人間七七四年:2010/12/25(土) 03:06:59 ID:bIDVcBIe
>>940

そりゃ東條上等兵だわな。

976 :人間七七四年:2010/12/25(土) 08:13:02 ID:E/VLMAt5
>>971
待てよ。家畜なら生類憐れみの令なんかで犬殺しを規制されたりしないだろう
どこからそんな話持ってきたの?

977 :人間七七四年:2010/12/25(土) 11:35:48 ID:8wf1wLwK
作家の藤原京がたしかそんなことを書いてたな。

江戸の庶民にとって年に数度食べる犬がご馳走だった、って話で、
それを生類哀れみの令で禁じたために綱吉はひどく庶民から恨まれたとか。

ただこれ、真偽はおいておくとしても大都市江戸の話だからな。
他の地方でどうだったかまではちょっと。


978 :人間七七四年:2010/12/25(土) 11:57:20 ID:S4WEEx4i
大道寺友山 『落穂集』

「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
 若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
 冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」

(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。
 というのも、武家方町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、
 冬向きになると、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)

979 :人間七七四年:2010/12/25(土) 12:28:17 ID:ERpvuv5a
慶長17年(1612)7月11日、駿府でのこと

黄昏の頃駿府の市街において、当時の駿府城主徳川頼宣の家臣である飯田伝吉が、
同僚である朝比奈甚太郎、松野勘助と喧嘩となった。
(ちなみに飯田は朝鮮から帰化した者だったそうだ。)

その喧嘩の仔細はこうである、朝比奈と松野が飯田に対して悪口を言い、さらに刀を抜いて
斬りかかろうとした。おそらく脅しのつもりだったのだろう。が、これに飯田伝吉は、彼らの挑発に
遂に耐え切れず自らも刀を抜き立ち向かい、松野とその従僕をたちまち斬り殺した。
朝比奈も死にはしなかったものの、三ヶ所に傷を負ってその場に倒れた。
飯田はそこから退転した。

この事件は駿府町奉行彦坂九兵衛より、徳川家康にまで報告される。

これを聞いた家康は、飯田伝吉が侮辱した相手を見事に斬り捨て退けた手腕が
神妙であると褒め、速やかに召し返すことを命じた。

また重症を負いながら生きながらえた朝比奈甚太郎に対しては、相手を過言によって
侮辱した罪もある上、返り討ちに会うなど未練の振る舞いであると、切腹を申し付けた。

この当時の武士というものが、どういう所を認められどういうところが忌避されるか、
何となく見えてくる記録である。

980 :人間七七四年:2010/12/25(土) 12:36:48 ID:ERpvuv5a
そろそろ新スレたててみる

981 :人間七七四年:2010/12/25(土) 12:39:52 ID:ERpvuv5a
駄目だった。どなたか頼みます。

↓スレタイ

戦国ちょっといい話24

↓テンプレ

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/

982 :人間七七四年:2010/12/25(土) 13:24:54 ID:U0HLGF9L
>>981
行ってくる
テンプレもらうよ

983 :人間七七四年:2010/12/25(土) 13:27:39 ID:U0HLGF9L
立ったよー

戦国ちょっといい話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1293251214/

984 :人間七七四年:2010/12/25(土) 17:35:19 ID:k3z7AU1H
>>976
犬も歩けば棒に当たると言われるように、
当時の江戸では、犬が外を歩いていると普通に撲殺されて食われてた。
江戸は人口が多いので獣肉の供給が不十分だったからだ。
その為に江戸付近では犬を見る事ができないという有様となり、
ついには生類哀れみの令で犬「も」規制対象になったという訳。
あれは犬目的でなく、あくまで捨て子や老人などの弱者救済の為のものだからね。

985 :人間七七四年:2010/12/26(日) 01:45:49 ID:BO82FvtZ
ある日、豊臣秀吉の御伽衆たちが議論を始めた。「最も心構えの立派な武士は誰か?」

「何と言っても畠山家の被官、三木牛之介じゃろう。」「おお、そうじゃ!牛之介がおったわ。」

三木牛之介は畠山稙長・政国に仕え、天文11年(1542)、河内太平寺の戦いで木沢長政軍へ一番槍を入れ、
天文16年、摂津舎利寺の戦いでも武功を表し、三好為三入道政勝に討ち取られたという剛の者である。


「牛之介はの、古式ゆかしい大鎧で身を固め、兜に五尺の鍬形を立て、その片方に

“運在天見敵無退”(運は天に在り、敵を見て退くこと無し)

と書き付け、もう片方に

“人は只 さし出ぬこそ よかりけれ 戦にだにも 先駆けをせば”

という歌を書き付けていたそうな。」
「ふむ、そりゃ確かに武士として天晴れな心構えじゃな。」


「なんじゃそんな歌、なーんも感心できんわい。」と言ったのは誰あろう、関白秀吉その人だった。

「大体そんな心得、昔の話じゃろう?わしなら、こうだ。

“人は只 さし出るこそ よかりけれ 戦のときも 先駆けをして”

今時こんな心構えでなければ、出世なぞ出来んぞい?」

986 :人間七七四年:2010/12/26(日) 01:48:30 ID:uqoGHCGd
こういう秀吉のもとだから
加藤清正みたいなのが大出世できたのかもな

987 :人間七七四年:2010/12/26(日) 12:37:29 ID:eSQDgiLi
  南 大    // ̄> ´  ̄  ̄  `ヽ  Y  ,)   大 え
  北 鎧    L_ /              / ヽ  鎧  |
  朝 が    / '              '    i  !? マ
  ま 許    /               /    く    ジ
  で さ    i   ,.lrH‐|'|   /‐!-Lハ_  l    /-!'|/l   /`'メ、
  だ れ   l  | |_|_|_|/|  / /__!__ |/!トi   i/-- 、 レ!/ / ,-- レ
  よ る    _ゝ|/'/⌒ヽ ヽ/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ    ,イ ̄`ヾ
  ね の  「  l ′ 「1     /てヽ′| | |  「L!    ' i'ひ}
   l は   ヽ  | ヽ__U,     ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ,     ヾシ _ノ
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  |   〈     _人__人ノ_  i  く
人_,、ノL_,iノ!  /!ヽ   r─‐-  「  キ   L_ヽ   r─‐- 、   u
ハ キ  /  / lト、 \ ヽ, -‐ ノ  モ    了\  ヽ, -‐┤
ハ ャ  {  /   ヽ,ト、ヽ/!`h)   |     |/! 「ヽ, `ー /)
ハ ハ   ヽ/   r-、‐' // / |く  イ     > / / `'//

988 :人間七七四年:2010/12/26(日) 19:51:21 ID:RMrY86OH
刀剣収集マニアは当時も何人もいたが、大鎧とかへの骨董品的価値観は
当時はまだ早かったかのう。

989 :人間七七四年:2010/12/26(日) 19:57:42 ID:YK4CSP8Q
島津は現役で大鎧付けてたし骨董って感じじゃなかったのでは?

990 :人間七七四年:2010/12/26(日) 19:59:58 ID:uAG8gc+W
全国的には大鎧から当世具足に切り替わったのは秀吉の天下統一以降らしいな。
江戸初期、って話すらあるくらいw

991 :人間七七四年:2010/12/26(日) 20:07:15 ID:uqoGHCGd
まあさすがに平安時代に活躍したような30kgある大鎧そのものを戦国時代に着てたとは思わないな。
戦国時代式に軽量化等アレンジして使ったんだろう。
大鎧は騎馬じゃないと力を発揮できない。鉄砲にも全くの無力だ。

992 :人間七七四年:2010/12/26(日) 23:29:51 ID:oWYE7rax
>>989
義経が奉納したと伝わる赤糸威鎧は胴丸だし、義弘のやつも大鎧風の胴丸なんじゃね?

993 :人間七七四年:2010/12/26(日) 23:50:20 ID:rga6NwjD
まあ、大将がつける鎧は見栄えも重要だしなぁ

994 :人間七七四年:2010/12/27(月) 08:21:53 ID:HUzcies5
>>991
2ch書き込み転載
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」

「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」

「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」

「広東新語・語器」 屈大均(1630〜95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」

「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」

995 :人間七七四年:2010/12/27(月) 08:41:09 ID:I4ahUmbY
>>994
えーと・・・・・・だから、何?

996 :人間七七四年:2010/12/27(月) 08:46:14 ID:cTTU4HxJ
超人揃いで重量なんかものとせずって所でしょ。

997 :人間七七四年:2010/12/27(月) 09:17:03 ID:I4ahUmbY
『(大鎧は)総体に騎射戦を考慮した構造である。
ただし、その重さが兜を含めて最大40kgにも及ぶ重厚な甲であり、しかも付属具が多く、攻撃の機能性を考慮した兜とはいいがたい。
あくまで騎射戦での矢に対する防御を第一に考慮し、草摺の構造からしても徒歩には適さない(前の草摺に足が当たって歩きにくい)馬上用の甲である。』
近藤好和「弓矢と刀剣」P.29

一方、大力で特に重い甲冑を着けていたとされる井伊直政所用の当世具足の重量は24・5kgしかない。
あとは分かるな?

998 :人間七七四年:2010/12/27(月) 09:21:03 ID:I4ahUmbY
訂正:

×攻撃の機能性を考慮した兜とはいいがたい。
○攻撃の機能性を考慮した甲とはいいがたい。

999 :人間七七四年:2010/12/27(月) 09:40:23 ID:uWO4zQvM
鎧2枚重ね云々というのも実際にあったことなのかな。

1000 :人間七七四年:2010/12/27(月) 10:00:35 ID:Nd6kabk/
>>997
対矢用としては優秀な効果があったから
陣や馬上で采配を取る大将にはそれなりに適してたともいえるな>大鎧

1001 :1001:Over 1000 Thread
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