5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

仏教 議論スレッド 10

1 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 13:33:11 ID:Iq6KbWT+
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。

仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
こちらへ誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。


Category:仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏教に関連するカテゴリ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99

直前のスレッド
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/
過去ログ保管庫
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html



2 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 13:34:55 ID:Iq6KbWT+
とりあえず、作っておいた。 これでいいよな?w

3 :てすと:2011/02/11(金) 15:08:39 ID:ShkyrgFq
>>1おつ。

>>996
とりあえず、好みの問題かな。
俺の好きなのは禅の作務とか、
愚かなパンタカが布で履きものの塵を払ったやつとか。

ラベルより先に動作がないとなんかしっくりこないんだよね。

日常生活が即仏道修業で、仏道修業が即日常生活になるやつじゃないと俺の性格だと続かないし。

4 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 15:26:17 ID:j7tyxVul
>>2
乙。
うぃきのURLは要らんと思うが・・w(水野さんの要語の方がよっぽど為になるw)
そういうのをリンクするなら、
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php とか
ttp://www.tipitaka.org/romn/ とか
ttp://ci.nii.ac.jp/ とか
ttp://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnllist_ja.php とか
ttp://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/ とか
ttp://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/monier/ とか
ttp://kintubo.kakiko.com/mirror/ とか
があってもいいwww

>>3
了解w
まさにそういうこと。
ラベルに惑わされるよりは、受領した後「これが○○と言われることか・・」という流れ・順序があってもいい。
それを否定するものではないよ。
後から、永き年月を経た後、「ああ、あれはこのことか・・」と、
種々の情報の合致を見ることは、日常のあちこちに溢れている。

ただ、こういう話になった時は、ラベルの便利さを捨ててしまうのは短絡だ、と指摘したいだけさw

5 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 15:39:26 ID:Iq6KbWT+
俺はね、三昧にしろ、いわゆる神秘体験にしろ、それらの99.99999・・・・%
は単なる脳内認知システム異常、または極度の精神的緊張における変性意識だと
考えているわけだ。 なら、「全てが生医学的または心理学的要因に帰結させ得る
ような、物理的現象に過ぎないのか?」というと、そうとは断言することもできない。
そのような特殊な精神状態を故意に創出または維持できるものなら、それは
どんなものなのか?っていう興味はあるなw
テストの言うように、「んなもんは、所詮、個人的体験の範疇の現象であり、普遍性を
もたないものであるから、ほっときゃいい」という意見もありだが、
「それって何?」という興味はあるなw
ただ、厄介なのは「あくまでも個人体験」であり、外部検証不能なことだな。
だから、この宗教板に、まあ、あきれるほど次から次へと「悟った君」が
現れるわけだがwww
ほんで、「お前はまだまだ。俺の方が分かってる。」とやりだすw

6 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 15:46:39 ID:jjMnbcS6
前スレ984
そりゃ、君が概説書ぐらいしか読んでないからだよ。

前スレ990
>仏教はユニクロではなく、オーダーメイドだから、八正道をユニクロ化するのは好きじゃないな。

その通り。仏教を本当に学ぶなら、伝統にあり、悟った師に就かなければならないよ。

ただ、ここは議論スレだから、要するにテキストに基づいて妥当性を云々するところですね。

もちろん、八正道だけではないけれど、解決するための道の代表という意味で、八正道は最も妥当だと思うけどね。

>>4
>うぃきのURLは要らんと思うが・・w(水野さんの要語の方がよっぽど為になるw)

だね。最近山口益先生が、凄くいいことに気がついた。
同じ山口でも大違い。しかし岩波はあんなドキュン本出していいのか〜
ほんと、トンデモ本に限りなく近いぞ。
岩波新刊は読んでないけどね。


7 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 15:46:58 ID:Iq6KbWT+
>>4
>後から、永き年月を経た後、「ああ、あれはこのことか・・」と、・・

と、頷けるのも、己唯一人かw
犀の角のように・・とは、よく言ったもんだな。

8 :てすと:2011/02/11(金) 15:51:39 ID:ShkyrgFq
>>5

ユングはビジョンの共通性の研究してるよ。

三途の川とか曼荼羅は住んでる大陸が離れていてもかなり似てるみたい。

輪廻や復活ねビジョンはも、仏教やキリスト教よりもずっと前からあったしね。

9 :てすと:2011/02/11(金) 16:00:52 ID:ShkyrgFq
打ちミスが、、タッチパネル打ちにくいぜ、、

>>5

悟った君がいないと、盛り上がらないし。

でもクリスレは悟った君が多すぎて、一般人は参加しにくい。

バランスの問題よね。

10 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 16:02:20 ID:j7tyxVul
>>7
冷や酒と 親の意見は後で効く ってねw

Aさんが暴飲してもBさんが二日酔いになることはない。
Bさんがみっちり予習しても、Aさんが良い点を取れるわけではない。
同じ場面で同じことを指摘されても、それが「届く」かどうかは別問題。
同じことが提示されていても、その理解度は同じではない。

「諸法は縁により生じ、縁により滅す」と提示された時、「一切行は苦なり」と提示された時、
それを、「ああ、確かにその通りだ・・」と頷くかどうかは確定的ではないよね・・w

11 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 16:03:27 ID:Iq6KbWT+
>三途の川とか曼荼羅は住んでる大陸が離れていてもかなり似てるみたい

それは全く正反対の研究報告もあるぞw
どこか忘れたが、ある国の死後世界の風景は、川など全く無く、
ほとんどが、でっかい門の前に立つとかw
やはり文化的影響が大きいと思われるな。

輪廻、復活については、「死による自己喪失の否定」から来るものだろう。
死後存続への願望は、ほとんど全ての社会で見られると思うな。

俺が解脱に関心をもつのも、そういう単なる人間の願望の投射を超えた
何かがありそうな気がするからなんだが、気のせいかね?www

12 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 16:08:03 ID:Iq6KbWT+
>>9
>悟った君がいないと、盛り上がらないし。

その通り。だから、机ちゃんは貴重なキャラなんだよww

13 :てすと:2011/02/11(金) 16:13:07 ID:ShkyrgFq
>>11
うーん、俺は気のせいだと思うけどな。

本人が解脱したと思う事と、まわりからその人をみて解脱したと思うのでは別の話だし。

解脱なんてないと思ってる。
仏教の時代はバラモン教やってる人が多かったから、解脱を前提として教えただけじゃないの?

14 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 16:19:45 ID:jjMnbcS6
>>8
ユンク、キャンベル、ツィンマー、エリアーデ、ジェームス、フレーザー、ベック、ベルクソン、ハイデガー、岸本英夫、波多野精一、鈴木大拙、西田幾多郎、井筒俊彦。

オイラが知る限りだめだね。みんなヒンドゥーの三昧レヴェルだと思う。

15 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 16:48:58 ID:iZ++Q1xe
創価はヤクザ後藤組を行使した。しかも本山を攻撃するのに右翼まで使った
これのどこが平和的かつ正義なのでしょうか。最近では創価公明のポスターに
「人にやさしく環境に優しく」などという標語を使っていたが、こういうのを偽善という
のです。
決してやってはならない宗教は
@ 創価学会
A エホバ
B 日本キリスト教団 です。これはしかるべき伝統スジから手に入れた
情報です
これらの宗教をやると人生のどこかがオカシクなり始めます。なんなら
みなさんも見学しにゆきますか?面白い光景をお目にかけます
創価との関係を元後藤組組長が暴路、後藤忠政「憚りながら」

創価学会に雇われ、殺人事件も起こしている。
墓苑事業では、反対住民の自宅にブルドーザーで突っ込み、
日本刀で片腕を切り落とした。
又、創価にはヤクザ右翼学会員が多いのをご存知ですか?聖教を読んでるせいか
素行の悪い学会員が多いのは偶然ですか?それと創価を誹謗中傷して破門になった会員もいる。学会批判をさせないために恫喝してきた。手法は

「創価はオウムより怖いのだよ」という恫喝でニセ本尊等々の批判
をさせてこなかったという話を会員から聞いた。また病人と貧乏人の集合体となり果ててしまったのは偶然ですか?


16 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 19:05:42 ID:tze4Q0h8
>>9
「悟った君」第一号が釈迦であることは、誰も異存はないなw。

>>14
みな、キリスト教の影響を受けている。岸本英夫の「宗教の定義」は、西洋の
学者の定義そのまま。東大の宗教学科の長ともあろものが、自前の定義もできない
とは。

原始仏教とキリスト教との共通性は、気になるな、

17 :神も仏も名無しさん:2011/02/11(金) 20:57:33 ID:0gCIJQMw
また 僕ちゃんたちの最強は誰だのお遊びが始まりましたねw
日頃から宗教知らない人他宗教ね人が馬鹿に見えて気持ちよいことでしょう。


18 :てすと:2011/02/11(金) 21:06:34 ID:2DgvIGjr
最強は嫁だろ。

2ちゃんばっかやってると怒られる。

19 :てすと:2011/02/12(土) 01:22:07 ID:una04kUo
なんか最近、クリ系とテラワダが狂いすぎて、ご隠居の正しさを証明しそうだ、、

20 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 06:47:10 ID:+jcUNlZj
最近
釈迦を 
詐欺師と感じてます 

猫猫達に教えられ
元々 みんな繋がっており 
想っただけで検索システムのように
全ての情報から 欲しい情報を
魂が検索してくれることを知りました 

それなのに
みんなと繋がる為に 
帰依したり 修行したり 欲を無くさないと
みんなと繋がれないような イメージを持たせるのは

ただの詐欺師でしかない!
そう感じてます
(-“-)


21 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 06:51:02 ID:+jcUNlZj
無償の愛はあり得ない 
生物学的に存在しえない
エネルギーの流れ的にも あり得ない
必ず対価は 派生する

物理的な対価でなくても派生する 
物理的に何かを与えた代わりに 精神的 もしくは 目に見えない形の対価を受け取っても 
それで対価は成り立ち得る 

物理的な対価と 精神的な対価を 敢えて分ける必要はなく 
何かをプレゼントして 相手の喜ぶ姿 子供の笑顔を見る事に 喜びを感ずれば
それで対価はひきあっている事になる
自分の中にエネルギーが湧きおこるから

でも 一生懸命奉仕させられ 尽くさせられ
相手が何ら響かず 一方的に捧げさせられたとすれば
何ら対価を自分の中で得てないとしたら 
それは愛ではなく  ただの搾取 ただの奴隷 
自己犠牲や無償の愛を 美徳として洗脳されてるだけ 

全然 美しい行為ではない

無償の愛
その言葉は 宗教の奴隷づくりに 良く使われる



22 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 11:03:49 ID:Nk0PaMrv
太陽も空気も大地も何も対価を受け取りませんよ。
あなたは両親に今までの対価を全て支払えますか?
子供に対して今まで育てた代金を支払えばお互いに全てを忘れてもいいとおもいますか?

誰も何に対しても相応な対価などというものは支払われていないのですよ。
一部をやりとりしてるにすぎません。

値段のつけられないもの、失ってから黄金の山を支払っても取り返せないもの、
そういう感動を味わう権利が人にはある。


23 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/12(土) 15:12:10 ID:UNTuYwNT
西洋哲学は、一応はドイツ観念論で終結を迎えるのですが、
その先の問題は「どうも分からん」。ということになる。
つまり「考えるのも馬鹿馬鹿しい」。ということで哲学は終る。
その総括がニーチェですね。

ニーチェの理論は、読んでて実に馬鹿馬鹿しさを感じるのですが、
これは実際、読解力のない拙者が原因しておるようで、
崇高な理論というのは、実に馬鹿馬鹿しさの中にあるのかもしれませんね。

正法眼蔵にも、かようなことが書いてありまして、
馬鹿馬鹿しいというのは伝えるのが難しい。
だから崇高な理屈?でもって語ちるのですが・・・
それは人間の理性をいかに破壊するか。ということになるかと思います。

「悟り」と「神秘体験」は、あまり関係はないでしょうね。
もっとシビアなもんだと思います。

24 :絶対神:2011/02/12(土) 15:16:46 ID:X2dion7y
>>22

「単にそれは無生物だから、元々勝手に光ってるだけで誰の為になにを
 やってる訳でもないからだ」

「実は空気が生物が作り出したもので、初期の生物には毒であった事
 を知っているかい?」

「空気を作り出した生物は、他の99パーセントの生物をそのせいで
 滅ぼしたんだよ」





25 :絶対神:2011/02/12(土) 15:18:00 ID:X2dion7y
>>23

  「悟りというもの自体が、夢物語で全然シビアじゃない」(大笑)

        『哲学というのも夢物語だしな』



26 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 15:22:38 ID:wTv/LiLA
              __
             .| ● |
               ̄ |
              〆 ⌒ ヽ
              i.   ^、,^ i
    ヾ        (6- (III)(III)  サッ
c~~⌒ )       ノ⌒ヽ 、 '◇〉
  ̄| |   ,____/  \ \⌒\) 此処で一旦、駒ー斜瑠でーす
   i ゝ_/ i i      \ノ`\丿 
   ヽ__|  ヽ ヽ    ノ      ノノ
       ゝ  _\ 二ノ
        \. ヽ
          ) )
        / /
       (  く
        \ ο  
坐禅と見性73章社会的関係性と損在が人
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1289689033/
坐禅と見性スレ避難所第1章
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11155/1296476490/
【仏経】悟りを開いた人のスレ90【天空寺】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1296618056/
悟りを開いた人のスレ の避難所 13
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1294520561/
【秘密の】 馬鹿者の集い 【しゃべり場】その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1279184518/
仏教 議論スレッド 10
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/
【正定】坐禅・立禅・歩行禅(経行)実践スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251513262/

27 :絶対神:2011/02/12(土) 15:25:58 ID:X2dion7y
>>21
      「あのなあ、無償とは物理的なことをいってんの」

        『精神的な対価は有償とは言わんのよ』
当たり前でしょ

     「煽りでなくもうちょっと勉強してよ言葉の意味」

「そもそも、精神的な要素を求めるからこそ崇高と言われてるんであって」

       『何も求めなけりゃ、ただの馬鹿か虚無だ』

            「大丈夫か、こいつ」

28 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/12(土) 15:31:41 ID:UNTuYwNT
>>25
>「悟りというもの自体が、夢物語で全然シビアじゃない」(大笑)

文意がよく分かりませんね。

「シビア」ですよ。検索よろしこ。


29 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 15:37:38 ID:2pnySzPU
>>25
「有名な書物である聖書」や「ナザレ村の偉人イエス」などに跪いている
絶対神は、「基地外クリスレ」に帰ってくれ。

30 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 16:30:32 ID:00p1poUr
>>21

ttp://www.tibethouse.jp/ ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

----------------------------------------------------------------------------
他者の幸せを大切にすればするほど、私たち自身の幸せへの意識も深まってきます。
他者へのあたたかい親近感が深まれば、自然に自分の心も休まってくるものです。
この気持ちは、どんな恐れや不安を抱いていてもそれを取り除く手助けとなり、
直面する障害と闘う力を与えてくれます。
これが、人生における究極的な成功の源となるのです。
----------------------------------------------------------------------------

+jcUNlZjさんが誰からも洗脳や搾取をされることがありませんように(−人−)

31 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/12(土) 17:12:02 ID:tIEyRa24
>>10 :神も仏も名無しさん:
>「諸法は縁により生じ、縁により滅す」

これは縁起のことを言っている訳でしょう?
ところでこの縁起の絶対性は中観思想では否定されているのではないでしょうか。
偉い人の参考書では縁起を絶対性があるようにも書いてありますが、どういう感じで捉えられているのでしょうか?

32 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 17:18:12 ID:2pnySzPU
道元の正法眼蔵を初めて読み始めたが、「生命」については、「生命教」の言ってる
ことと殆ど変わりはない。

「生は来にあらず、生は去にあらず、生は現にあらず、生は成にあらざるなり。
しかあれども、生は全機現なり、死は全機現なり。」

「しるべし、自己に無量の法あるなかに、生あり、死あるなり。しずかに思量すべし、
いまこの生、および生と同生せるところの衆法は、生にともなりとやせん、生に
ともならずとやせん。一時一法としても、生にともならざることなし。一事一心としても、
生にともならざるなし。」

33 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/12(土) 17:52:52 ID:UNTuYwNT
>>31
>>「諸法は縁により生じ、縁により滅す」

これは「諸法は縁により生じ、しかも生じることはない」と同義ですね。
つまり「縁生・縁滅」は「不生・不滅」と同義でして、
やはり論理矛盾を前程としての論理になってしまうのは中観の特徴です。
>>32
これは「即今即所」と「生死一如」の意味ですね。


34 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 18:47:29 ID:LjJjtzQ0
>>31
>これは縁起のことを言っている訳でしょう?

そうですよ。

>ところでこの縁起の絶対性は中観思想では否定されているのではないでしょうか。

中観の流れでも、如来出とも出ずとも縁起・此縁性は法性であるという
パーリ・ニカーヤにも説かれる伝承句が、完全に支持されていると思いますよ。

>偉い人の参考書では縁起を絶対性があるようにも書いてありますが、どういう感じで捉えられているのでしょうか?

上の意味で、世の中が縁起というあり方で成り立っている、
それは法則であるというような意味で、捉えるならそういういい方もできますが、
絶対性という言葉は誤解を招きそうなので使わない方がいいと思います。

法性という伝統的な言葉を使うべきでしょう。

35 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 19:08:15 ID:YmzL8r7W
>>33
>「生死一如」の意味ですね。

下記との関係はいかがでしょうか。

「たきぎはひとなる、さらにかへりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを、
灰はのち薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さき
ありのちあり、前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、
後あり先あり。」

現代訳の「要約」には、「生が生として完結している絶対の境地であることを
知るのが常識よりも、さらに高い死生観である」とあります。「生死一如」とは、
逆の意味のような気がするのですが。生の中にも一瞬の死がある、というので
しょうか。難しいですね。

36 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/12(土) 20:33:53 ID:UNTuYwNT
>>35
「たきぎは・・・・」云々は、たきぎが灰になる過程を説明したのですが、
木が灰になる訳ではないですよね。
(常識的にはそう捉えますが)
その過程における瞬間・瞬間が全てであり、木と灰には何らプロセス的変化はない。
つうことを・・・

人間の死生観に当て嵌めたのが
>「生が生として完結している絶対の境地であることを ・・・
ですよね。

つまり人間の生そのものは、その瞬間・瞬間が完結していて、
その瞬間・瞬間には生も死もない。ってことですね。→生死一如
(禅では「大死」といって、空性の無・絶対的境地のことですね)→彼岸到達です。
道元は、これを円相の位相とかいいまして円(つまり○の)完全性を言っておるんです。

つまり道元は、「生の延長が死」とは捉えてないわけで。
生はそれが全てであり、死はそれが全てであり、そこに全くの差異はない。
これが「即今即所」であり「生死一如」であるわけです。

では、おやすみ。

37 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 22:53:52 ID:oazNg89u
>>22
>>20-21は有名なアンチ宗教ブログのコピペだろう。
キリスト教イスラム教仏教全部洗脳搾取とかみついて、
仏教は庶民に欲を捨てさせながら自分だけ欲を追及して教勢を拡大して豪奢な建物建ててる、
って非難してる気違いブログ。

信者が多くなってきて神社寺社関係も苦慮してるキチガイブログだよ。
知らないのか?


38 :神も仏も名無しさん:2011/02/12(土) 22:56:57 ID:oazNg89u
>>22
最初は神社キリスト教にだけ噛みついてたが、
去年から寺にも噛みつくようになった。
マザーテレサやガンジーは醜い奴隷教洗脳者と説いてて、
しかも一見説得力のある持論を展開してるからキチガイ信者がどんどん増えてる。


39 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/12(土) 23:58:57 ID:tIEyRa24
>>33 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
>「諸法は縁により生じ、しかも生じることはない」

と言う事は法性も空であると言っているのでしょうか?

>>34 :神も仏も名無しさん:
>世の中が縁起というあり方で成り立っている

なるほど、良くわかりました。
しかしそれは縁起に空性は無いと言うことでしょうか?

40 :≧(´▽`)≦ ア-ハッハッ八ツ八ーノヽノヽノヽノ \ / \/ \ /  \:2011/02/13(日) 03:13:50 ID:M14ICdjf
最新研究でわかった笑いのチカラ
http://www.youtube.com/watch?v=ne69dhVOAT4&feature=related
健康21 40 笑いと健康 その1
http://www.youtube.com/watch?v=kksxtkbQVf4&feature=related
笑い力 The Power of Laughter
http://www.youtube.com/watch?v=yDl2DHxCmbw&feature=related
笑いはとても大事です.みんなちゃんと笑ってますか?
http://www.youtube.com/watch?v=9B_HKJOQBRY&feature=related
ラフターヨガの元祖 Dr マダン・カタリア
http://www.youtube.com/watch?v=E4uru9gIt-I&feature=related
LaughterYoga 有川陽大
http://www.youtube.com/watch?v=TMTcD9_ORgE&feature=related
笑いヨガの紹介1
http://www.youtube.com/watch?v=ZIlJK5JqDeI&feature=related
笑いヨガ紹介2
http://www.youtube.com/watch?v=WYtOkx2Q53U&feature=related
笑いヨガ
http://www.youtube.com/watch?v=gXPAQ_9m0tk&feature=related
笑いヨガ(ラフターヨガ)1
http://www.youtube.com/watch?v=Ww_0XW1fTtY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ApZ60M2SyA0&feature=related
笑いヨガ Part1
http://www.youtube.com/watch?v=ov0NNYyq_As&feature=related
笑いヨガ Part2
http://www.youtube.com/watch?v=xerE63IeBiI&feature=related
ミルクシェーキーラフター(ラフターヨガ/笑いヨガの基本)
http://www.youtube.com/watch?v=efxKDFU6l2Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=pMndf08CRUc&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=kI2Za8rYNAY&feature=related

41 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 05:51:17 ID:Eth5zDVD
>>39
いえ、縁起の法性と言っても、それが何か実体的な本質として実在するというわけではなく。
ものごとは「これあらばこれあり、これなくばこれなし」という因果を持って縁起するあり方を言っているだけです。
例えば、万有引力とか相対性理論みたいな、そのような法則を言っているだけで、法則も実在するわけではなく、
そのようになっていることを縁起と名づけているだけです。

もちろん、縁起も空性ですよ。ここは理解しにくいかもしれません。


42 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 07:22:45 ID:7JxCfqt6
>>41
「縁起も」ではなく、「縁起(相互依存性・関係性)」という抽象概念だから、
無自性で空性なのです。原始仏教の「因果関係(これあればあれあり)」では、
大乗仏教の空は成立しません。

43 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 07:41:58 ID:Eth5zDVD
>>42
君・生命教とか机・タヌポンは何も分かってないんだから、黙ってるように。

中観派で「これあらばこれあり」という此縁性を否定する人は誰もいない。
『宝行王正論』1.48で龍樹菩薩が「これあらばこれあり」を引用しているし、『因縁心論』は正にそれだ。

清弁菩薩、月称菩薩も『中論』註で「これあらばこれあり」を縁起と呼んでいる。
しかも、重要な箇所では『勝義空性経』を引用している。

『勝義空性経』はアビダルマや唯識でも北伝系では引用される重要な縁起の意味、空性、仮設の意味を示す伝承句なのである。

44 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 07:50:10 ID:Eth5zDVD
「これあらばこれあり」という此縁性を否定するものは、もはや仏教徒ではない。

もちろん、空性なのだが、「これあらばこれあり」という空性に基づく因果関係の認識論を否定したなら、
因果が崩壊し、世俗の言語習慣が崩壊する。
要するになんでもありの虚無論になってしまう。

「これあらばこれあり」という認識論、言語習慣を尊重することが
眼横鼻直なんだが、これが三昧や空性体験を経たものであることが、
分からないと唯の常識が仏教だってどうしようもないことになってしまう。

45 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 08:38:15 ID:7JxCfqt6
>>44
単なる「因果関係」なら、原始人でも馬鹿でも分っているw。

石飛あたりが、縁起を「因果関係」としているのは、「業報論」を導くため
ではないの。

それに、「これあればこれあり」では、意味不明な日本語。

46 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/13(日) 08:46:07 ID:GZG3RuOi
>>39
>と言う事は法性も空であると言っているのでしょうか?

いやいや違いますね。
「法性も空」というなら、アビダルマ哲学に逆戻りです。
法性とか、本性とか、本質とか、法則とか、それら言語形態を破壊するのが、
そもそも空思想ですからね。

言語論理で説明しても、それを否定することにおいてしか空は説明はできない。
何故なら、縁生を説明した瞬間に既に自性を肯定することになりますからね。
空は無自性ですから、
「諸法は縁により生じ、しかも生じることはない」。としか説明できない。

空思想は、既に古典にもその萌芽がありまして
>諦に聽き善く思へ。當に汝が爲に説くべし。云何が第一義空經と爲す。
>諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
>是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
              第一義空経
              国訳一切経阿含部一

というふうに、最後に「生ぜず」「滅す」と、否定しておりますね。


47 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 09:05:07 ID:Eth5zDVD
>>45-46
分かってないんだから、黙ってろてのに〜

しょうがないなこの二人は

48 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 09:13:50 ID:7JxCfqt6
>>44
>唯の常識が仏教だってどうしようもないことになってしまう。

「自分のおかれたあるがままの現実」即ち「常識」をそのまま受け入れて、
精神の安定と平安を得るのが悟りだよ。

「しかあるを、水をきわめ、そらをきわめてのち、水そらをゆかんと擬する
鳥魚あらんは、水にも、そらにも、みちをうべからず、ところをうべからず。
このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。このみちをうれば、
この行李したがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず
小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずる
にあらざるがゆえに、かくのごとくあるなり。」(正法眼蔵)
(現代訳の要約:現実をはなれたところに理想はない。現実の一歩一歩が、
理想実現の絶対境なのである。)

49 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/13(日) 09:16:58 ID:GZG3RuOi
>>47
貴殿は空性体験をしたのですか?

>これが三昧や空性体験を経たものであることが、
>分からないと唯の常識が仏教だってどうしようもないことになってしまう。>>44

仏教は「唯の常識」とは違いますね。
詳しいことは後に、暇なとき。

50 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 09:27:27 ID:7JxCfqt6
>>44
「現成これ生なり、生これ現成なり。その現成のとき、生の全現成あらずと
いふことなし、死の全現成にあらずといふことなし。」(正法眼蔵)

51 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 09:42:32 ID:7JxCfqt6
>>47
「迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する
漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なり
と覚知することをもちゐず、しかあれど諸仏なり、仏を証しもてゆく。」
(正法眼蔵)

52 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:01:08 ID:Eth5zDVD
>>50-51
正法眼蔵って、凄く釈尊と伝承、師匠から学ぶことを重視してるんだけどね。
なにより、四禅のような三昧体験があるような人への、アドヴァイスとして書かれたものなんだけど。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html

どう読んでも君の提唱する生命教とは相容れないことは間違いない。

53 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:15:55 ID:7JxCfqt6
>>52
そんなことはない。例えば「現成公案の巻」は、道元自身の奥書によれば、
1233年8月に書かれて、九州の俗弟子、揚光秀に与えられたものである。
これは僧侶たちに対して、禅門の共通語を使って説いたのではなく、俗弟子
に対して平易な例を用いて禅の奥義を示したものである。揚光秀は奥書の
書かれた年を考えてみれば、おそらく一生出家しなかった人と考えられて
いる。

54 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:24:21 ID:7JxCfqt6
>>52
釈迦からは、現成公案のような高度で深い思想は、絶対に出てこない。

55 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:29:18 ID:fim7wn4V
>>54
公案なんて、そもそも必要なのか?

56 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:34:23 ID:Eth5zDVD
>>53
出家してないからって、三昧体験がないわけではない。
在家でも高い境地の人はいくらでもいるんだよ。

正法眼蔵はかなり高度な内容で、とても平易なものではない。
せめて現成公案だけでなく、10個ぐらいは読んでくれや。

この例だけで君の主張は全く話にならない妄想だって分かると思うんだが
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html


この生命教は思い込みが激しくて文が普通に読解できないから仕方ない。

だから、話にならない妄想家と言われてるのが分かんないんだから、困ったもんだ。

57 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:38:29 ID:Eth5zDVD
>>55
公案は方便だよ。三昧がなければ、なぞなぞみたいなもんだけど、三昧体験のある人には分別・戯論を打ち壊す強力な武器になる。

これは『中論』も同じこと。

三昧に達してない人が、その手のものを常識で理解したつもりになってるのは、戯論で戯論を壊す装置を、戯論で戯論を増やす装置にしてるだけ。
タヌポン、生命教は正にそれ。オイラもヤバイ!


58 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 10:55:29 ID:ygnyIkAX
>>57
>三昧に達してない人が、その手のものを常識で理解したつもりになってるのは、
>戯論で戯論を壊す装置を、戯論で戯論を増やす装置にしてるだけ。

耳の痛い台詞ですなw


ついでに苦言を呈せば
>>44 >「これあらばこれあり」という認・・・  はマズイっしょw
後者は「かれ」でないとw

59 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 11:05:18 ID:Eth5zDVD
>>58
>>>44 >「これあらばこれあり」という認・・・  はマズイっしょw

いやいや、これは原語ママですよ。
「これ」という指示代名詞は、名指し、言葉の働く根源状態をよく表していると思う。

例えば、「これ」と指さしながら説かれていることを想起すると分かりやすいと思う。

釈尊のお言葉は、一見すると単純なことを述べておられるように見えて、
重層的にいろんな段階でも対応できるようになっていて、流石ブッダと
驚愕することが沢山ありますが、中でもこの此縁性は最も含蓄の深い言葉ではないかと思われ。



60 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 11:23:45 ID:ygnyIkAX
>>59
水野片山を始め、どちらをも「これ」と訳している者は居ないと思われるが、
その意図も汲むべきでは?(特に「この場面(隠居相手)」に於いてはw)
その使用に際しての曖昧さは日本語の指示代名詞でも同様だが、同一であることが示されているわけではなかろう?
文脈として別個であるから(→時間的先後を加味するから)、「かれ」と訳されているのではないかい?
それとも、中観的には「同一」であることが強調されねばならない?

61 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/13(日) 11:27:38 ID:GZG3RuOi
>>57
>三昧に達してない人が、

白隠の見性体験を読んでみると、三昧状態で神秘体験をするのだが、
その神秘体験こそが魔境と悟ると、ここで大悟する。
自分ほど悟った人間はいない。と思い込むのだが、
それこそが「迷い」と悟ると、
これを再度の大悟とした。

そういった大悟を繰り返すうちに、もう三昧とか空性体験とかの余分なものが
削げ落ちてきて・・・脱落する。→身心脱落
これで目出度く彼岸ですね。

彼岸は、ひとつの通過点で、その先もあるが・・・
詳しいことは後ほど。

62 :てすと:2011/02/13(日) 12:07:19 ID:or/bgS21
人間なんて食べて糞して寝るだけの存在でしかないのに、三昧とかただの馬鹿だろ。

63 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:11:08 ID:WsG1w9lP
なんか難しい話してるな。
結局、禅は、山川草木から瓦礫に至るまで、仏性を有することになるわけで、
瓦礫や水も、無駄に扱ってはいけないことになるんだよな。
瓦礫や水も、まぁ私と同じ。

ご隠居は生命に限定してるから、生命教と言われる。
ご隠居的には死して消滅。瓦礫や水は、風景に過ぎない。
釈迦の入滅は、ご隠居的には消滅になるから、ご隠居は唯物だな。



64 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:16:39 ID:Eth5zDVD
>>60
そこはママがいいと思ってる。
「これあらばかれあり」と訳すと意味が損なわれるように思うっす。

生命教とかタヌポンは何書いてもどうせ分からないから、彼に書いてるわけではないです。


65 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:17:16 ID:WsG1w9lP
当たり前だけど、仏教は唯物じゃないから。


66 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:19:28 ID:Eth5zDVD
>>63
山川草木悉有仏性という言葉は、梅原モウちゃんの造語なんだって、
モウちゃん罪深い。

動機は自己顕彰か、商売だろうから。


67 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:22:37 ID:Eth5zDVD
>>62
チベット聖者の言葉に「わしらは喰わにゃならん。寝にゃならん。
クソしにゃならん。他のことはほっておけ」っていうのがあるけど。
当然、世俗的にという限定が暗黙の内にあるのね。


68 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:23:31 ID:WsG1w9lP
>>62
「てすと」は、機械論的だと思う。

欧米か?


69 :てすと:2011/02/13(日) 12:26:32 ID:or/bgS21
>>63

仏性があろうとなかろうと、
無駄に扱ったら駄目なんだよ。

小学生でもわかること。

行動にいちいち根拠や理由はいらないんだよ。

70 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:28:57 ID:WsG1w9lP
>>66
釈迦って、復元出来ないよなぅ。
てか禅は、老荘でいいんじゃないの?


71 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:29:49 ID:Eth5zDVD
>>68
彼はヴィッパー気質でしょ。


72 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:34:50 ID:WsG1w9lP
>>71
嫁からの逃避を、解脱としているらすぃ。


73 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:36:09 ID:Eth5zDVD
>>70
復元という考えは、原始仏教というかんじ?
それだとキリスト教的だと思わない?
つまり、神の唯一の真実、御言葉を復元するみたいな。

仏教はそういうものでなく、お言葉は尊重するけど、
その内容は、悟った境地の聖者によって伝えられるものとされるので多様ですよ。

禅は老荘じゃないよ。老荘とかヒンドゥーみたいな解釈・見解は野狐禅。
要するに三昧の境地を悟りと勘違いしてるもの。
以上をよく教えてるのが以下の正法眼蔵ね
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html



74 :てすと:2011/02/13(日) 12:40:14 ID:or/bgS21
ある程度三昧を極めてないと、俺の発言の意味はわからないだろうな。

75 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 12:54:03 ID:WsG1w9lP
>>74
てすとの三昧は、動的無心。


76 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:06:02 ID:7JxCfqt6
>>59
「これあらばこれあり」のどこから此縁性が出てくるのか、自分だけ分った
積りではなく、自分の頭で考えて、他人に分るように説明してみ。

「釈迦が言った」と「書いてあるから」といってそんなに感心することはない。
「真理」は釈迦が言ったから生じるものではない。真理とは「誰が言っても
真理」のことである。勘違いも甚だしい。

釈迦の哲学・思想は、少なくとも竜樹や道元に比べれば、極めて未完成で格段
に程度が低い。スッタニパータに見られるように、病的な厭世観とカルト性のみ。
これは、忌むべきキリスト教の「終末論」に通じる。

>>66
>山川草木悉有仏性という言葉は、梅原モウちゃんの造語なんだって、
>モウちゃん罪深い

道元も同じことを言ってるぞ。道元は「一切衆生悉有」と「仏性」とを、区切って
読んでいる。即ち、「一切衆生もその他の万物」も「仏性」を有するという
意味だ。

これは、生命とその生命を維持する万物とを根源とする「生命教」と同じ
なのだよ。

77 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:13:23 ID:ygnyIkAX
>>64
峻別(断絶)の危険性を怖れれば、その方が良いかもしれない。
その意味で気持ちは解るが、格変化のない日本語での表現に於いては、
言い換えておいた方が良いように思うわけさ。
分析的には、
「認識が常に一回性である、一瞬一瞬の連鎖であることを踏まえ」、「前者の“これ”と後者の“これ”が完全同一なものではない」
ということはあるのだが、それは、(貴方がいみじくも>>59>指さしながら(説かれていることを)想起すると と言うように)、
「何が指示されているか」をきちんと把握し得れば、ということだ。
そうした「別物性」(この言い方は頗るこなれてないが・・w)を「此縁性」として、或いは連関として示すに際しては、
同じ語(「これ」)を重ねる危険性にも注意が払われていいと思うんだw

上で触れた認識の一回性で言えば、
「これ」と言われる時は「今まさに把捉している(=見ている)」というニュアンスを持ち得る。
「かれ」と言った時は、「過去把捉していた、将来把捉する」というニュアンスを持つ。
だから、たとえば、『かれあればこれあり。〜』という言い方も実は可能だ。
これは、『今ある「果」についての因や縁の遡及』に注視した形と言える。
対して『これあればかれあり。〜』と言った時には、『今ある「因(縁)」から、将来の果を見通す視線』に注視した形と言える。

(「今ここ」という意味で)「これ」という指示の仕方の重要性はあるにしても、
(それが、主観的頷き・観察の上での「如実に見る」ということであったとしても)、
「かれ」という表現が、客観的他者性を惹起し、分別を断絶として助長する可能性を孕んだとしても、
日本語の定型フレーズとしては、別表現にしておくメリットの方が大きいような気もするのだが・・。
 *(まさに、主体的、主観的視座として、「これ(imaM)」 でなければならなかったということはよくわかるが・・。)

78 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:31:35 ID:7JxCfqt6
>>56
>せめて現成公案だけでなく、10個ぐらいは読んでくれや。

「古来、現成公案が解れば正法眼蔵が解るとまでいわれているように、この巻
は正法眼蔵を学ぶものにとって絶好の参究課題であるとともに、汲んでも尽きない
味わいの深い巻である。おそらく道元禅師にとっても特別に愛着のあった巻で
あろう。」(「現代訳 正法眼蔵 (新装版)」(禅文化学院著、平成20年
1月15日誠信書房発行)より)

「日本の仏教者」を自称するのなら、すくなくとも竜樹や道元くらいは熟読
して理解せよ。「釈迦カルト」で洗脳され、思考力、批判力を失った「文献
記載君」の君たちには、理解は困難だとは思うが。

それから、やたらとネット情報など引用するな。誰が書いたか分らないネット
情報など、信用すべきではない。

79 :てすと:2011/02/13(日) 13:32:44 ID:or/bgS21
釈迦よりも阿佐田哲也の方が凄い。

80 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:41:27 ID:ygnyIkAX
>>77補。

>>64
『ブッダから道元へ』(東京書籍/1992)所収の片山さんの小論読んだことある?
(これを踏まえれば、>>77の〈「これ」と「かれ」の入れ替え〉は乱暴な援用・応用ということになるが・・w)

81 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:47:16 ID:7JxCfqt6
>>77
当時の言葉では、「これ」と「あれ」とが同一の単語であった可能性
はないのか。さもなけれは「これあるからこれあり」では、此縁性など
どこからも生じない。釈迦の言葉だからという理由で無理に引っ張り出そ
うとするのは滑稽。ましてや、「相依性」など到底無理。

此縁性を考えなければ、「これあればこれあり」とは「あるがままの
現実」と解釈するのが、最も合理的である。しかし、釈迦がそこまで
考えることができたかどうかは疑問。

82 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:54:08 ID:ygnyIkAX
>>81
印欧語の格変化を舐めてんじゃねーぞw

83 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 13:58:11 ID:Eth5zDVD
>>80
>『ブッダから道元へ』(東京書籍/1992)所収の片山さんの小論読んだことある?

多分、読んでない。出た時、松本に入れ込んでるヤツと話すために読んだ。

>>81
おいおい、「此縁性」イダッパッチャヤター、イダムプラティヤヤター、キェンニー・ディパツァムってのは
「これあらばこれあり」という伝承句を指す言葉なんだぜ。
何も分からず妄想すんなよ。


84 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:04:25 ID:7JxCfqt6
>>82
いくら格変化しても、「語幹」の意味は変わらない。

いい加減で「文献記載君」は卒業したらどうかね。文献自体の信憑性そのもの
が殆どないのだから。おそらく誤解だらけだろう。

そんなことをするくらいなら、現代の社会にあわせた「自分自身の教義」を
作り上げたほうが、よほど手っ取り早い。

「釈迦の言葉だから、何か深い意味があるに違いない」という根拠の無い
先入観をまず捨て去ることが先決だ。

85 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:05:02 ID:FRjU2OtH
>>71 ビッパー気質ってどんなの?

86 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:07:11 ID:FRjU2OtH
>>79 出目徳が好きだったなw
あとは満州チビw

87 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:08:30 ID:7JxCfqt6
>>83
だから、その伝承句の「意味」を問うているのだよ。

88 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:11:17 ID:FRjU2OtH
>>84 自分自身の教義を作るのも結構だが、それが生命教のようなトンでも教なら、
どうにもならんww

89 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:11:51 ID:ygnyIkAX
>>83
そか。
勿論、(註釈込の)伝統解釈というスタンスからのものではあるがw、一読の価値アリだよ。
特に、当該応答のお題(及び時間性との関連)と、件の定型句理解に於いて。

90 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 14:17:45 ID:7JxCfqt6
>>88
偉大な思想家なら、最終的には「根源」に行き着くものだ。「根源」から離れた
思考をいくらやっても時間の無駄。得られるものは「皆無」である。

91 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:01:09 ID:Eth5zDVD
>>85
否定から入る。からかう。ある程度の能力はある。

>>90
君の場合は、根源も何も普通の日本語が読めんからな〜


92 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:01:57 ID:Eth5zDVD
>>89
今度、観てみる。なにせ重要なものだから。


93 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:08:50 ID:BWRB0Vix
ttp://www.tibethouse.jp/ ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

----------------------------------------------------------------------------
私は広島を訪れました。その地で起きた核爆発に関しては、いくらか知識がありましたが、
実際そこに行き、自分の目で見て、当時原爆の被害に遭遇した人々に会ってみると、
聞いて知っているだけのこととは全く異なり、悲嘆にくれてしまいました。
恐ろしい兵器が使われたのです。
私たちは、誰かを敵と思ってしまうことがあるかもしれませんが、
より深いレベルで考えると、敵という人もはやはり人間なのであって、幸福を望み、
幸せになる権利が与えられているのです。
広島の惨劇を目の当たりにし、これについて考えると、
怒りや憎しみでは問題を解決することはできないのだという思いをますます強くしました。
----------------------------------------------------------------------------

>>85
スレの流れから推測するに、
すぐれた感性によって物事の本質を感覚的に知ろうとする性格の人
を指す言葉なのだと思います

94 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:08:51 ID:BNlb6pzP
仏教の根源は
人を自殺に追い込むことだ

95 :93:2011/02/13(日) 15:13:47 ID:BWRB0Vix
違った(;−;)

96 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:30:13 ID:Eth5zDVD
>>94
違うなあ

>>95
アナタの読みは、素晴らしい。清らかな見方だから。


97 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:37:46 ID:FRjU2OtH
>>95 違いましたか?w

98 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 15:40:51 ID:FRjU2OtH
>>91 なるほどね、てすてに当てはまるなあw

「からかっちゃダメだって」
わかったか? てすとwww

99 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 16:05:36 ID:ygnyIkAX
>>84
ahaM gAmaM hatthinA gacchAmi.
ahaM hatthI gAmaM gacchAmi.
ahaM gAmaM hatthInam gacchAmi.
ahaM hatthiM nAmaM gAmaM gacchami,
私は象に乗って村へ行く。
私は象の居る村へ行く。(私は「象」という村へ行く。/象の爲に(象を目的として)村へ行く。)
私は、象たちの爲に村へ行く。
私は、「象」という名の村へ行く。

この文章を同じだと読むのかい?w
『語幹の意味は全部一緒』だねw

>いくら格変化しても、「語幹」の意味は変わらない。
とかw  アホですかwww

 *( >>ALL 中二つの文は、ちょいと無理があって怪しいかもしれんが・・w )


>>93>>98
ttp://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A3%C1%2D%A3%DA%A1%E4#i210
ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/VIP
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E9%80%9F%E5%A0%B1(VIP)%E6%9D%BF

100 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 17:12:00 ID:wU7dmFpl
>>99
「象」に対する関係性(が、を、に、で、等等)が変化するだけで、「象」という
語幹は変わらない。

ところで、サンスクリット語の入門書(CD付きw)があったら、教えてください。

101 :てすと:2011/02/13(日) 17:47:45 ID:V+/Nuf8U
>>98

2ちゃんで他に何をしろとw

102 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 17:55:56 ID:ygnyIkAX
>>100
語幹(の意味)が変わる、などと誰も言ってないw
「文意」が変わる、と言ってんだよ。 タコスケw

103 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 18:10:12 ID:Eth5zDVD
>>102
生命教は、登場する中で、最も理解力がなく妄想力の高い一人なんだから、
まあ、そう熱くなんないで


104 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 18:18:53 ID:wU7dmFpl
>>102

「格変化」とは名詞、代名詞、形容詞などの「単語の形(意味の関係性)」
が変化することでり、「文章の形」が変化することではありません。

ところで、「これあるゆえに、あれある」において、サンスクリット語では
「これ」と「あれ」とが同一語形であることはありえないかについてご教示
ください。

105 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 18:40:18 ID:Eth5zDVD
>>104
お前に教えるのは、妄想を助けるようで、いやなんだが。

日本語のコソアドに照応するようなイエタアヤカがあるから。

妄想すんな。アホなの自覚しろよ。


106 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 18:47:13 ID:wU7dmFpl
>>105
君(?)が言った「これがあるからこれがある」が間違いではないかを確かめる
ためだよ。やはり間違いなのかねw。

107 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 18:53:39 ID:wU7dmFpl
>>105
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す

– 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)

108 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 19:01:12 ID:ygnyIkAX
>>104
どこの誰が、「文章の形」が変化すること、なんて言ったんだい?w
文意が変わる、と言ってるんだがw

109 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 19:06:16 ID:ygnyIkAX
>>107
パーリ原文は、過去既に二度挙がってるw
貴方はそこに返レスしてるから、必ず目にしている筈なんですけどねぇ・・w

ほんと姑息さでは民主与党答弁以上ですなw

110 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/13(日) 19:20:26 ID:+KH3MAsk
>>42 :神も仏も名無しさん:
>「縁起(相互依存性・関係性)」という抽象概念だから、無自性で空性なのです。
>原始仏教の「因果関係(これあればあれあり)」では、
大乗仏教の空は成立しません。

因果関係と縁起では何処が違うのですか?
両方とも抽象概念ではないでしょうか。

>>43 :神も仏も名無しさん:
>中観派で「これあらばこれあり」という此縁性を否定する人は誰もいない。

しかし素人の私から見ると般若心経では縁起とか因果関係が否定されている感じを受けるのですが・・・

>>44 :神も仏も名無しさん:
>因果が崩壊し、世俗の言語習慣が崩壊する。

現に物理学では因果律は崩壊していますがそれにより科学技術は大発展をしています。

>要するになんでもありの虚無論になってしまう。

そんなことにはならないと思いますが。

>>46 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :

よくわからないです。

>法性とか、本性とか、本質とか、法則とか、それら言語形態を破壊するのが、そもそも空思想ですからね。

ならば法性を破壊する空ですから、「法性も空である」と言う事で良いのではないですか?


111 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 19:58:45 ID:wU7dmFpl
>>110
>因果関係と縁起では何処が違うのですか?
>両方とも抽象概念ではないでしょうか。

広義に解すればそうかも知れませんが、「因」が一方向的に「果」を生じる
のですから、やはり大乗の空ではなく、実体関係だと思う。竜樹の空は、因も
果もない相互依存性・関係性です。この意味で、業報や12縁起も、一方向性
であり、大乗の空ではない。

112 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:07:06 ID:ygnyIkAX
>>110
>若心経では縁起とか因果関係が否定されている感じを
少し、仏教から距離を置いた言い方をすれば
≪「事象そのもの」「事象の連鎖そのもの」を予断無く見たとき、
 そこに「楔」を打ち込むが如き抽出作業(「これが因、これが果」等)無きこと≫を心経は云うからです。
≪縁起する諸法を、そうした抽出作業無しに見なさい≫というのが心経だからです。
そこにはもはや、因も果も、そして縁起ということさえも無く、ただ諸法の空なることだけが見られるからです。
そこを悟りの境地とするので、心経始め般若経典群の空思想の流れは、全てを否定する姿として見えてしまうのです。

>現に物理学では因果律は崩壊していますが
因果律が崩壊してたら、怖くて電車も乗れやしないw

>そんなことにはならないと思いますが。
「行為」というのは、基本的に何らかの期待される果を目指して行われるものです。
「こうすれば、こうなる」ということが法則的に定まっている、予測されるから、
或る行為が爲されるわけです。もし、そこにそのような予測が立たなければ、
行為する意欲は失われます。 (「どうせ無理だし・・」という“あきらめ”も近いものがあります。)
貧困層のアナーキーな志向性、或いは無気力な空気、等も、そういうことに依拠している筈です。
そういう意味で、虚無的(≒ニヒリズム)な世界観になる、ということじゃないかな?
全てが、そのような予測不能性、不可能性に覆われてしまう、と。
発言者じゃないんで推測だけどw

113 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:07:22 ID:Eth5zDVD
>>109
>ほんと姑息さでは民主与党答弁以上ですなw

姑息なんじゃなくて、天然なだけでしょ。

あれだけ最初から誤解指摘され、ほんとに短文すら読めないのを皆に認識されても、正論のつもりだから。

タヌポンは、狸だけど生命教は天然だからなあ

114 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:09:57 ID:ygnyIkAX
>>113
       lヽ ノ l        l l l ヽ   ヽ
  )'ーーノ(  | |  | 、      / l| l ハヽ  |ー‐''"l
 / D  | | |/| ハ  / / ,/ /|ノ /l / l l l| l  D ヽ
 l   ・  i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'"   `'メ、_lノ| /  ・  /
 |  V  l  トー-トヽ| |ノ ''"´`   rー-/// |  V |
 |  ・   |/     | l ||、 ''"""  j ""''/ | |ヽl  ・ |
 |  D   |       | l | ヽ,   ―   / | | l  D  |
 |   !!  |     / | | |   ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | |  !! |
ノー‐---、,|    / │l、l         |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
 /        / ノ⌒ヾ、  ヽ    ノハ,      |
,/      ,イーf'´ /´  \ | ,/´ |ヽl      |
     /-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ    |  l
   ,/   | ヽ  \  _,ノーf' ´  ノノ  ヽ   | |
、_    _ ‐''l  `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_   _,ノ ノ
   ̄ ̄   |           /


今更だがw

115 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:16:04 ID:Eth5zDVD
>>110
>しかし素人の私から見ると般若心経では縁起とか因果関係が否定されている感じを受けるのですが・・・

いえいえ、誤解ですよ。例えば、縁起するという、「これあらばこれあり」にあてはめて、
「毒をのんだから死んだ」という場合、
毒にしても死にしても、空ですが、言語習慣として仮設されるだけです。
実体的な毒が、死に作用したという素朴実在論の因果関係ではありません。

>>>44 :神も仏も名無しさん:
>>因果が崩壊し、世俗の言語習慣が崩壊する。
>
>現に物理学では因果律は崩壊していますがそれにより科学技術は大発展をしています。

因果律が崩壊したのではなく、実在論やアルケー、物の基体が無かった、
つまり、実在論や本質主義が崩壊しただけのことでしょう。
ところが、西洋思想は実在論、本質主義だから、説明体系が構築できない。
そこで一部の科学者は仏教に接近しているわけですが、
大部分の科学者は、相変わらず実在論、本質主義による説明の筋道を模索しているというのが、
素人の所見です。

>>要するになんでもありの虚無論になってしまう。
>
>そんなことにはならないと思いますが。

ならなければ、いいのですが、空を虚無論、なんでもありとか、
現状肯定の根拠にする人は後を絶ちません。
唯の誤解ですが。


116 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:17:02 ID:Eth5zDVD
>>114
どういう意味?


117 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:18:31 ID:ygnyIkAX
>>116
つID:Eth5zDVD

ttp://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%A3%C1%2D%A3%DA%A1%E4#i31

118 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:34:50 ID:v2Q03K+/
怒りは自然な感情だ、と思っている人は是非読んでください
怒りは人工的な感情だ、と思っている人は読む必要はありません

戦争は無くならない、と思っている人は是非読んでください
戦争は無くせる、と思っている人は読む必要はありません

虐めの原因は虐められる側にもある、と思っている人は是非読んでください
虐めの原因は100%虐める側にある、と思っている人は読む必要はありません

真実は一つだけ、と思っている人は是非読んでください
真実は人の数だけある、と思っている人は読む必要はありません

感情自己責任論  http://sky.geocities.jp/dwhsg178/

119 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 20:40:58 ID:Eth5zDVD
>>117
あんたもすきね〜

さっぱりわからない?


120 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/13(日) 20:54:24 ID:GZG3RuOi
>>110
>ならば法性を破壊する空ですから、「法性も空である」と言う事で良いのではないですか?

いやいや、それはオカシイですね。

そもそも空とは、非有であり非無です。
つまり思惟における対象を越えて得られる無分別智のことですから、
法性とか、そういった一連の“名称&形態”そのものが寂滅した位相のことでありますね。

また、違ったアプローチも可能なのですが・・・
例えばですね、
「法性も空」であると仮定したとします。
法性とは、非法性において「法性」である訳ですね。
(論理的にはそうなります)
つまり、「法性とは、非法性において法性である」。となります。
ならば、
非法性を定義しなければなりません。
もし、定義不可なら、論理自体が成り立ちません。

ようするに、法性とは対象化において法性であるが、
空は、そもそも対象化不可の位相(無分別智)ですから、
「法性ならば、すでに法性そのものは寂滅します」。
なんにしても、論法的に空を定義することは不可です。

121 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/13(日) 20:59:28 ID:+KH3MAsk
>>111 :神も仏も名無しさん:
>竜樹の空は、因も果もない相互依存性・関係性です。

では「空」は相互依存性・関係性のことを言うのですか?

>>112 :神も仏も名無しさん:

まず確認しておきたいのですが、因果律と言うのは一意的決定論のことを言います。
原因と結果が一意的に決定していると言う意味です。
その逆が非決定論で例を挙げると確率です、同じ原因でも何通りかの結果がありうるという立場です。
「これあらばこれあり」と言うのは決定論であり「これあらばこれしかない」と言う意味だと解釈できます。
もし非決定なら「これあらばこれかもしれない」と言う表現になり、全く因果性を表さなくなります。
縁起と言うのは一意的決定論の事だと断言してもいいのではないでしょうか。

そこで因果律の崩壊ですが物質現象が一意的に確定できないと言う量子論が現実の科学技術を支えています。

>因果律が崩壊してたら、怖くて電車も乗れやしないw

わずかの確率で事故にあうが、それは予測できない、と言う感じです。

>「行為」というのは、基本的に何らかの期待される果を目指して行われるものです。

まさにこのことを問題にしているのではないでしょうか。
其の期待が裏切られるときに人は苦しむわけです。
努力と成果の関係を一意的に期待する事が煩悩なのではないですか?

行為?食べるときに目的を問うでしょうか?
逆に農業のような産業には強い目的意識があります。
このため仏教は産業に対して余り肯定的でないのでは無いですか?


122 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 21:06:34 ID:Eth5zDVD
>>121
その因果律は、前提として実在論、外界に自立的に実在するものが、
個々に作用し現象するという考え方ですね。

ところが、仏教の縁起はそう考えません。
一水四見ということがよく言われます。
人にとって水に見えるものが、魚には人の空気、
神々には甘露、餓鬼には血膿、地獄の住人にはマグマのようなものに見えるとされます。

これとコペンハーゲン解釈でしたか、二重スリットでしたかの観測は照応するように思えます。

恐らく、マチウ・リカールの『掌の中の無限』を読まれるといいでしょう。
原書のフランス語か、英訳がいいと思います。
和訳は仏教関係の部分に誤訳が多いので残念です。


123 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/13(日) 21:13:09 ID:+KH3MAsk
>>115 :神も仏も名無しさん:
>素朴実在論の因果関係ではありません。

しかし、色 受想行識 眼耳鼻舌身意 色聲香味觸法
と言うように極めて具体的に例を挙げて否定しているのは素朴実在論の因果関係を否定していると受け止めた方が自然なのでは?

でとりあえず素朴実在論を否定して、其の後でどう捉えなおすかといった時に・・混乱しています。

>なんでもありとか、

そうですよ、その場合全て選択は自己責任になるとも考えられます。
虚無論になる理由は無いはずです。

>現状肯定の根拠にする人は後を絶ちません。

現状肯定がもし出来るなら、自殺する人も居ないし、苦しむ人も一人も居ません。

>> 120 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
>法性とか・・・・それら言語形態を破壊するのが、そもそも空思想ですからね。

と言う事だったので「法性」と言う言語を破壊する(空)なのですねと聞きました。



124 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/13(日) 21:14:39 ID:GZG3RuOi
>>121
>そこで因果律の崩壊ですが物質現象が一意的に確定できないと言う量子論が現実の科学技術を支えています。

中論においては既に因果律は崩壊してますね。

時制のプロセスは全く考える必要性はないです。
しかし縁起は別ですね。






125 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/13(日) 21:18:23 ID:GZG3RuOi
>>123
>と言う事だったので「法性」と言う言語を破壊する(空)なのですねと聞きました。

そうですね。そのとおりです。

では、おやすみ。




126 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/13(日) 21:27:16 ID:+KH3MAsk
>>122 :神も仏も名無しさん:
>その因果律は、前提として実在論・・・・

はいおっしゃるとおりだと思います。
現に「因果律が崩壊してたら、怖くて電車も乗れやしないw 」とおっしゃる人も居て素朴実在論を信じている人が居ます。
そう言う人が多いこで般若心経(中観)は素朴実在論を徹底的にしつこく否定したと思います。
仏教は嘘八百ではないと思います、現実に即した教えだと思います。
素朴実在の否定はあれはお経の中のことで現実には適応できないと言うのであれば残念なことだと思います。

>一水四見ということがよく言われます。

それはやはりあくまでも人間の一主観の一面的見方の域を出ていません。
所詮「私」から見た水、魚、空気であることは明らかだからです。
観測点は一箇所です。

127 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 21:32:40 ID:ygnyIkAX
>>121
因果の拾い上げは恣意的です。(そこに、現代科学、物理学の限界があるのかもしれませんw)

>縁起と言うのは一意的決定論の事だと断言してもいいのではないでしょうか
ざっくりとした、且つ俗っぽい喩えになりますが、
朝、いつも食べている食パンが無く、御飯と味噌汁だった。このような事象に出会った時、
・自分にA:「朝はパンでないと駄目だ。以降の気分やモチベーションが全て台無しになる」
という想い(=思い込み)があれば、B:「なぜ買い足しておかなかった!」という妻への怒りの念が生じることでしょう。
・しかし、そこに「パンでなくとも良い」「買い足す余裕がなかった」「人間だもの、気付かない時もあるか・・」
という要素Xが加われば、怒りの念Bは生じないことでしょう。
前者に於いては、Aという固執した想いが、Bという怒りを生じさせています。
これを「これあればかれあり」「AればBあり」と言うことができます。
しかし、後者に於いてはそうはなりません。なぜでしょう?w
また、そもそも、Aを因、Bを果とすることからして、妥当な因果の抽出でしょうか?
Aによる果は、C:「仕事に身が入らず、ケアレスミスを連発した」というものかもしれません。

縁起とは、単なる因果律ではありません。まさに「縁のもの」だから「縁起」なのです。
因果(因果律)は縁起の一部にしか過ぎません。
上記の例でも様々なバリエーションが夢想できますが、
AやB或いはCやXがどのような内容であろうとも共通する点があります。
それが「これあればかれあり云々」なわけです。その意味で「因果」である(「一因一果」である)、≒一意的である、と言い得るわけです。
(ほんとはもっと厳密ですが・・w)

128 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 21:36:14 ID:Eth5zDVD
>>123
いやいや、縁起は初めから、本来仏教であれば素朴実在論ではないのです。
素朴実在論で縁起を解釈しているなら、それは縁起ではありません。


129 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 21:40:52 ID:Eth5zDVD
>>126
ですから、本来仏教全てが素朴実在論を否定しています。
ただ、教えでも常識寄りの見方から、極めて高い見方まで様々です。
例えば、無常という見方は、素朴実在論に近い見方です。
これは凡夫の認識に合わせた教えだからです。

知覚は人によって違うと仏教は捉えます。

例えば、精神異常者が凡人と見えるものが違うように、
三昧体験などで、見えるものが違うと仏教は考えます。



130 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/13(日) 23:34:59 ID:+KH3MAsk
>>127 :神も仏も名無しさん:

ABC全て因果律だと思います、直接にも間接にも因果律は関連すると言われております。
A→B→C・・・・→Z のばあいA→CとかA→Z と捉えても因果律は成り立たねばならないからです。

>縁起とは、単なる因果律ではありません。まさに「縁のもの」だから「縁起」なのです。

今ひとつ判りません。

>因果(因果律)は縁起の一部にしか過ぎません。

では因果律と縁起とはどう違うのですか?

>

>>128 :神も仏も名無しさん:
>それは縁起ではありません。

ではどう縁起を解釈したら良いのですか?

>>129 :神も仏も名無しさん:
>知覚は人によって違うと仏教は捉えます。

それは解ります。
素朴実在論と縁起はどう違うのですか?

131 :てすと:2011/02/13(日) 23:46:22 ID:ZgQxAW3E
>>130

因果律と縁起は全く違います。


因果律は過去から現在。現代から未来。

縁起は同時です。


時制の違いです。

132 :神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 23:52:13 ID:wU7dmFpl
>>128
人間は、素朴実在論によらなければ生存できない。釈迦も、僧侶も例外ではない。
托鉢も、素朴実在論によらなければ受け取れない。釈迦が、「世界を空と観ぜ
よ」と言った時、その前提となる世界は、素朴実在論による世界である。もし
その世界が「幻の世界」なら、「空と観ぜよ」は同義反復。

>>129
健常者の知覚はほぼ同一である。だから社会が成立し得る。仏教とは、知覚を
狂わし、狂気を発生する営みなのか。そうであれば、仏教は人間にとって無益・
有害な代物以外の何物でもない。

縁起が、素朴実在論による実在物を対象にしないのなら、縁起の対象は一体何か。
「幻」がどのように縁起するのか。縁起概念は、この世界では通用しないものに
なってしまう。

133 :てすと:2011/02/13(日) 23:57:31 ID:ZgQxAW3E
>>130


>素朴実在論と縁起はどう違うのですか?

網の目は実際には中空であり網の目という物質は存在していません。

縁起は実在論ではなく、全ては網の目のように他に依存してなりたっているという事です。

人間は1気圧の大気の微妙なバランスによってなりたっており、条件がかわれば消滅します。
人間の存在に大気など環境諸条件を含むのが縁起の考え方、箱庭の思考実験により人間の周りの環境を考慮しないで抜き出して時間を止めたのが実在論です。





134 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 03:50:56 ID:3qbjv0uO
>>131
因果も同時だよ。
現象面で考えるから、同時にならない。



135 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/14(月) 06:13:04 ID:T1vbZp8m
>>130
>ではどう縁起を解釈したら良いのですか?

縁起において「これ」と「かれ」が生じる。
縁起がなければ「これ」と「かれ」は生じない。
(中観にとっては、ここのとこが重要です)→素朴実在論の否定
ならば、「これ」と「かれ」は自性ではない。
といふ、論法上の実有論否定のことですね。

また「生じる」も論法上の仮定の説示であることを
「不生不滅」において否定する。

つまり、論理的には縁起の説明は不可ですよね。
しかし人間は、論理的不可であっても理解することは可能です。
(これがつまり思惟を超える、ですよね)
縁起と空は不可分ですね。

136 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 07:09:19 ID:reNeqBbD
>>130
既に説明してますよ。よく読んでください。

では、単純に言い換えて対比してみましょう。
素朴実在論のばあい、
外界が自立的に個々に実在していて、それに名前が付けられている。
だから、認識する場合、実在対象が実在する脳に知覚されるといった因果関係です。
物理的因果関係は、実在物によって、別の実在物が影響されたり、発生したりすると考えます。
最も典型的なのは原子還元主義だと思います。

これに対して縁起の場合、
実在物は何もありません。
過去の業と諸縁の力が、言語習慣と結びついて名づけられ、認識されると考えます。
ですから、本来は空で、無我、無自性、本質や実体がないとされるわけです。
『般若心経』などは、こちらを強調しています。

ですが、因果律はあります。こちらは言語習慣どうりです。
言語習慣というのは、それぞれの習慣、言い習わし、仕来りで適当に形成されたものですが、それは否定しようもなくあるがままあるものです。

認識する場合、過去の業が諸縁と結びついて言語習慣通り意味分節されて認識されます。
対象の因果関係も、業と諸縁と言語習慣がそのように意味分節されて立ち現れ認識されると考えます。
ですから、外界対象も自立して実在しているのではなく、意識も自立して実在しているのではなく、ただ縁起しているだけと考えます。

過去の業というのは、例えば、人の認識機能を持っていると言った、限定された能力、環境、時間なども含みます。
こちらも本質的に習慣と考えられます。



137 :てすと:2011/02/14(月) 09:06:00 ID:Ix9KB9rw
>>132

>健常者の知覚はほぼ同一である。だから社会が成立し得る。

ガリレオの知覚を大衆は理解できなかった。
だからといって釈迦がガリレオだとは思わないが、社会が成立しうるのは天才がリードしてきたからであり、
大衆知覚の同一性はあとから補完されるにすぎない。

>>134
因果は縁起ではなく無常からくる考えだから、変化には冲が必要なので同時じゃない。

>>136

>過去の業と諸縁の力が、言語習慣と結びついて名づけられ、認識されると考えます。

仏教用語を説明するのに別の仏教用語を使う人は基本的に信頼されないから控えた方がいいと思う。

138 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 10:44:20 ID:ryep1KF1
>137
ガリレオの視覚も他の健常者の視覚と同じ。彼はその健常者の視覚を以って、
望遠鏡を利用して天体をより注意深く観察することにより地動説を発見した。

社会の構成員の知覚がそれぞれ大幅に異なっていたら、交通信号による
交通整理もできないw。視力検査表も色盲検査表も意味が無い。建物も
建てられないし、電車にも乗れないし、飛行機も落下する。

社会を維持しているのは、無数の名も無い生活者たちである。釈迦も、
イエスも、いかなる天才たちも、これらの生活者たちから生存に必要な物資と
サービスを提供されなければ、そもそも生存できなかった。

「人は、パンがなければ生きられない」のである。

139 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 11:17:22 ID:ryep1KF1
>>136
「言語習慣」という言葉は意味不明だから、使わないほうがよい。「言語」及び「習慣」の
意味か。それとも「習慣としての言語」という意味か。「言語」も広い意味では習慣の
一部ではあるが、「共同体における成員間の意思伝達の手段」という意味で、他の「習慣」
とは区別して使用される。

「対象物の知覚」と「知覚された対象物の意味・性質・名称」とは区別すべき。前者は、
実在(それが何であれ)を判断するための先天的な機能。後者は、「共同体における成員間
の共通の合意の学習の結果」に基づく。例えば、四つ足で動く物体を知覚することにより、
その実在を判断するが、その対象物が、犬であるか、猫であるか、それとも牛であるかは、
あくまで共同体における合意の学習の結果による判断(観念作用)である。両者を混同すべき
ではない。

縁起やその他のいかなる思考も、素朴実在論による実在の判断に基づき、それを観念化
したに過ぎない。釈迦の「世界を空と観ぜよ」も、その極く一例に過ぎない。釈迦も、
素朴実在論によらばければ、そもそも生存できず、したがって仏教も発生し得なかった。


140 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 11:27:12 ID:EMnXZmXQ
諸行無常栄枯盛衰生者必滅・・・有名な言葉ですね。うーん、味わい深い・・

「ソロモンによる伝導の書」の一部の要約としてよく知られていますね。

141 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 11:28:04 ID:BJVURZBV
>>137
> 因果は縁起ではなく無常からくる考えだから、変化には冲が必要なので同時じゃない。
「因果倶時 因果異時」でググると幸せになれるかもな。

142 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 11:43:30 ID:ryep1KF1
>>140
>諸行無常栄枯盛衰生者必滅・・・有名な言葉ですね。うーん、味わい深い・・

それらもすべて「素朴実在論」による判断であるw。

なお、旧約聖書の「コヘレトの言葉」で使われる「空」と、大乗仏教における「空」とは、
その意味と性質が全く異なる。前者は単に「無い」「空しい」という意味。

>>141
釈迦仏教(小乗仏教)における「縁起」と、大乗の竜樹の「縁起(空)」とは、その
意味が本質的に異なるから、常に区別すべきである。竜樹は、釈迦の「縁起」を
換骨奪胎し、コペルニクス的転回を行ったのである。

143 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 14:03:22 ID:3qbjv0uO
>>137
これから起こる現象について言ってるんじゃなくて、
すでに起こったこと・・・例えば、成長した木『A』があったとする。
この『A』には、種Aと芽Aが存在することになる。
種Aが幻想ならば、芽Aと、木Aも、幻想というこになるよね?
逆もしかり。木Aが幻想ならば、芽Aも種Aも幻想ということになる。

もし、種A 芽A 木A いずれか実在するものならば、残りの二つも、
実在のもの、ということになる。

144 :てすと:2011/02/14(月) 14:28:24 ID:Ix9KB9rw
>>143

>木Aが幻想ならば、芽Aも種Aも幻想ということになる。

なぜ?木Aが幻だと芽A種Aが幻想なの?
実存する芽Aを観て「ここに木Aがある」と狂った人が言ったとして、芽Aは存在するでしょ。

>成長した木『A』があったとする。この『A』には、種Aと芽Aが存在することになる。

なぜ種Aと芽Aだけなの?重力も太陽光も大気も土も存在することになるよね?
木Aが存在するということは「無限の原因」が存在するという事であり、原因が無限に薄まるから因果律は厳密には崩壊している。。

おけ屋がもうかったのは風が吹いたというのと、太った原因は食べ過ぎ、というのは使い方が違うんだけどね。

145 :てすと:2011/02/14(月) 14:43:52 ID:Ix9KB9rw
>>138

ちなみに地動説を最初に提唱したのは、カトリック司祭のコペルニクス。
イエスもなかなかやるじゃないか。

>社会の構成員の知覚がそれぞれ大幅に異なっていたら、交通信号による
交通整理もできないw。

信号機の切り替えシステムは普通の人はしらない。

社会の構成員が知覚できるのではなく「馬鹿でもわかるように」知覚しやすいように、賢い奴が作ってるわけ。
信号を渡る奴と信号システムを作る者とでは会話が違うわけ。

池上彰がなんで受けるのかというと、馬鹿にもわかりやすく難しい事をつたえる技術があるから。

釈迦は馬鹿と賢い奴で説法を使い分けていて、口伝以外で文字に残しちゃいけないよといったのに、
だれかが文字に残したから馬鹿が難しい説法に触れて勘違いするようになったの。

146 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 15:14:58 ID:3qbjv0uO
>>144
>実存する芽Aを観て「ここに木Aがある」と狂った人が言ったとして、芽Aは存在するでしょ。

例えば狂った人が実在する芽Aを見て、『木A』と認識した場合、それは「実在する芽A」 ということじゃなくて、
『実在する芽Aを木Aと誤認したもの』=幻覚の木B であって、
実在する芽A上に存在する、木Aじゃない。

幻覚の木Bには、当然、幻覚の芽Bと、幻覚の種Bが、存在することになる。


>なぜ種Aと芽Aだけなの?重力も太陽光も大気も土も存在することになるよね?

もちろん、種と芽だけじゃなくて、それにまつわる色々なものも存在することになる。
じゃあ、そういうのをまとめて、『種Aが存在する宇宙』 『芽Aが存在する宇宙』 『木Aが存在する宇宙』 ということにしよう。
『木Aが存在する宇宙』があるということは、『芽Aが存在する宇宙』があるということになり、
『芽Aが存在する宇宙』があるということは、『種Aが存在する宇宙』があるということになる。

もし『木Aが存在する宇宙』が幻想であるとするならば、『芽Aが存在する宇宙』も、『種Aが存在する宇宙』も、
「幻想」ということになる。

147 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 16:29:45 ID:zkuf/Ave
>>145
>イエスもなかなかやるじゃないか。

冗談じゃない。コペルニクスやガリレオを迫害したのはキリスト教会w。
同じく地動説を唱えたブルーノは異端として火あぶりにされた。イエスも、
「神の言葉とは異なる」という理由で、当然、迫害に加担したであろう。

バチカンがガリレオ裁判の誤りを認めたのは、つい数年前。

「真理は、キリスト教を離れることによってのみ得られる。」

148 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 17:00:47 ID:IkgJfADu
>>145
>口伝以外で文字に残しちゃいけないよといったのに

ダウト。
そのような伝承はありませぬ。

149 :てすと:2011/02/14(月) 19:08:28 ID:Ix9KB9rw
>>147

馬鹿な話だ。教会が金を吸い上げたから司祭は潤沢な生活環境で研究に打ち込む事が出来た。

発見したあと死刑になろうがなんだろうがそんな事は関係ない。

真理は一度でも発見して継承されれば発見者が死のうと残るから問題ない。

だから真理の発見はイエスのおかげ。

150 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 19:42:41 ID:IkgJfADu
>>130
>ABC全て・・・・・・からです。
Xはどこへ? また、「B→C」ではなかった筈ですが?
「A→B」ということも「A→C」ということもある、という話ではありませんでしたか?
貴方の主張は≪「Aならば必ずBである」というものでなければならない≫だったと思いますが、
Bである場合もCである場合もある時、必ずしも一対一、或いは一意的・決定的ではありませんが?

また仮に、横道・枝道の無い、一本道の流れとして見たとしても、
まさにそのように、AtoZのどこを因とし、どこを果とするかは恣意的だと言ったのです。
そうした楔を打ち込まない時、中論の(中観の)縁起となるわけです。
だから、心経のような謂いが可能となり、重々無尽の縁起、華厳的法界の構築が可能となるわけです。
因も果もなく、ただ「諸法が縁起しているだけ」という世界が・・。
 *(「時制」もまた楔の一つですので、これを捨象すれば、悠久の昔から未来永劫まで、
   過去も未来も無く、ありありと生き続ける法身、法性を言うこともできます。
   縁起が同時だという発言は、ここにのみ依拠することができるものです。
   *ただ、ここが「常住する」という反縁起的考え方と接点を持ってしまうのです。)

>今ひとつ判りません
貴方のフィールドに合わせた表現をするなら、Xという「変数」の存在を無視するから解らなくなるのです。
≪条件(≒変数)によって、因と果の結び付きが、「それ以外に無い」「決定的・一意的」なものとなるケースがある≫
ということです。ですから、決定論的でもありませんし、問答無用の一意的連関ではないのです。
だから、「縁のもの」(条件(≒変数)に依拠するもの)と表現したのです。

>では因果律と縁起とはどう違うのですか?
上で述べたように、(変数の作用を考慮するが故に)、
「縁起」は「因果(因果律)」を包括するのです。(だから、「(論理的)同時性」を言うことが可能なのです。)
先の例と絡めれば、Xを因と「見做す」ことがあってもよいのです。
片山一良的に言うなら、仏教は「因果関係」を説くものでなく、『縁果関係』を説くものなのです。

151 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 20:25:09 ID:5JFEdgHl
>>150
>、『縁果関係』を説くものなのです

「果」という言葉を使った時点で、すでにおかしい。「因」も「果」も縁起に
支配されているのだから、縁起によって「果」が生じるとしたら、実体論、
常在論になってしまう。「因」も「果」もない抽象的関係性が「縁起(空)」
である。

小乗的には、そういわざるを得ないのかもしれないが。

152 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 20:41:31 ID:IkgJfADu
仏教 議論スレッド 8
62 2/3 sage 2010/11/20(土) 14:22:32 ID:1dISWLbT
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/660
>「因」と「果」という「実体」が前提とされ
それが思い込みだと何度言ったら理解するのでしょうw
【「実体」である必要は全くありません】。
寧ろ、《なぜ、『「実体」である』『「実体」でなければならない』と考え得るのか》、不思議でなりませんw
そういえば、
「実体」絡みの話も、貴方が逃亡(スルー)したから議論が止まったのですよ?w
《「中道」は「道の両端」、「両端は実体」》の話も、貴方が逃亡(スルー)したから議論が止まったのですよ?w
《これあればかれあり》の話も(過去スレに原文挙がってますけどね・・今更ですがw)、
《(「あれ」「これ」「かれ」等)「代名詞」の指示対象は「実体」》の話も、
《原文・原典無視の翻訳依拠かと思えば、更に現代的再解釈こそが至高》も、
《対象を認識する際、刹那に静止させると、そこに「実体」がある》《高速度カメラ云々》の話も、
貴方が逃亡(スルー)したから議論が止まったのですよ?w
《生命現象の観察は、その根源を何ら担保しない》という指摘も、
《「死」は、根源性を担保しない》という指摘も
《「苦」は機能である》《○○という機能》の話も、
《貴方は「因果無き生活・生」を送っているのですか、貴方の生に因果は無いんですか》という問いも、
《岩波辞書執筆者》《執筆者選定》の話も、《仏教及び釈尊への現代的批判》の話も、
《諸行無常》についても、《自灯明法灯明の私のレス》も、《無明=生命》についても、
どれもこれもどれもこれも、てめぇが【スルーして】、【違う話題へシフトして】るだけだろがw
どれもこれも、既に【「論破」と言ってもいいくらいの「きっちりした反論」】をしてるんだよ。
それらを悉くスルーしておいて、いけしゃあしゃあと同じ問いをしてくんじゃねーよ。ボケナスが・・。
てめぇが「無知」で「世間知らず」だと言ったことの意味する所はな、
『社会的人間として、大人として、対話をする者としての、礼儀やマナー、文脈の把握等』に決定的に欠けているってとこだ。
どれだけ非礼の極みを尽くせば気が済むんだ?
てめぇには、「屑」という言葉さえ勿体無い。

153 :てすと:2011/02/14(月) 21:19:36 ID:Ix9KB9rw
「自然の摂理は決して人間が万能ナイフを作るような貧しい振るまい方はせず、
それぞれに個別の目的を持つものを作ります。多くの用途を持つ道具ではなく、
たった一つの用途をもつ道具こそ何にも増して役に立つからです。」

アリストテレス


うーん、素晴らしい。その通り。

154 :神も仏も名無しさん:2011/02/14(月) 22:50:30 ID:taew1y/r
質問ですが何故仏教スレでキリスト教の正当性とかイエスが神とか議論になるのか
よくわかりません。池上某みたいに優しく教えてください。

155 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/14(月) 23:53:00 ID:STjeKHEO
>>131 :てすと:
>縁起は同時です。

月と地球は互いに引き合っていますが、これは明らかに同時です。ならば月と地球の引き合いは縁起ですか?

>>132 :神も仏も名無しさん:
>托鉢も、素朴実在論によらなければ受け取れない。

そんなことは無いと思います、普通に受け取ればいいし、現実に受け取っています。
素朴実在論が否定されても世間は昔のままです、論で生きてるわけではないでしょう。

>>133 :てすと:
>縁起は実在論ではなく、全ては網の目のように他に依存してなりたっているという事です。

成る程よく判ります、大気の話。
事象の因果関係ではなく条件(縁)のことですね、私なりに理解すると因果の要素(条件=縁)を中心にする見方と言うことでしょうか。
有難うございます、その辺でもう少し考えます。

ちなみにその場合「これあらばこれあり」と言うのは不適切な感じですね。


156 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/15(火) 00:15:56 ID:kYK47jMb
>>135 :机龍之介 ◆
>論理的不可であっても理解することは可能です。

どういう理解ですか?
「空が何故青いのか」は論理的不可でも理解することは可能だと思います。同様に縁起が有る事は理解(納得)することは出来ます。
しかし宗教的に中心的な考えとして取り上げる意味が分からないのです。
私が考えうる意味は因果の一意性(絶対性)を否定するだけの意味です。
空もそうだと思います、ただ単に実在しない(本質は無い)という否定の意味だけだと思います。

>>136 :神も仏も名無しさん:
>外界対象も自立して実在しているのではなく、意識も自立して実在しているのではなく、ただ縁起しているだけと考えます。

はい分かりました。
其のときに縁起と捉える意味が実在の否定だけの意味なのか、事象の関係の本質だと言う意味なのか、わからないのです。

例えば業と認識に一意的な縁起は有るのでしょうか?
まあ「良い事をすればよい結果になる」と言う事は言えるのか?
と言う疑問です。






157 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/15(火) 00:21:19 ID:kYK47jMb
>>150 :神も仏も名無しさん:
最初にお断りしておきますが、私は因果律を否定する考えです。
なぜなら因果律(一意的決定論)はビッグバンから未来永劫全ての事象は一意的に決まっていると言う考えだからです。
恣意的にどの時点をとっても全ての関連性が確定していると言う考えです。

>≪条件(≒変数)によって、因と果の結び付きが、「それ以外に無い」「決定的・一意的」なものとなるケースがある≫

因果律とか決定論と言うのは全ての初期条件を因と言ってます。
変数も勿論含まれて居ます。
「事象は先行する事象のみによって(一意的に)決定する」と言う事らしいです。

>「縁起」は「因果(因果律)」を包括するのです。

因果でない部分の縁起とはどういうケースですか?

158 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 00:22:24 ID:AaAkXr6O
禅問答状態

159 :てすと:2011/02/15(火) 00:32:40 ID:9qosn1Qr
>>157

海岸の波のように球形を伝わってくるものは、初期条件や根本原因を必要としません。

あと、例え未来が決まっていても、
現状を解決しようとする自分の行動も決まっているという事なので、決まってない未来と決まっている未来の差はなく同じです。

160 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 00:40:09 ID:pG4qrYuQ
んじゃ、俺もちっと聞いてみようかねww
>>157
>最初にお断りしておきますが、私は因果律を否定する考えです。

ってことは、あなたはあれですかね? ファインマン的な確率の総和
として世界を捉えているのかな?

161 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 01:12:02 ID:gQYq7Omx
>>155

托鉢については、そういう意味で言ったのではありません。素朴実在論とは、
目に見える(知覚できる)対象がそのまま実在であるという信念ですが、
その信念がなければ、差し出された托鉢が果たして実在であるか否かが判断
できず、受け取り様がないということです。どんなに偉い宗教家でも、腹が
減っている時、目の前の飯を、これは果たして実在か、などと判断して食う
者はいません。人類は、「(必要な場合は観測装置を使用して)五感で知覚
できる対象が実在」であると判断して生存してきました。若し、目の前の大
地が実在しないのなら、一瞬にして奈落の底です。このことは、釈迦でも
イエスでも、例外ではありません。

162 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 01:33:47 ID:gQYq7Omx
>>152
その殆どは、小乗の貴殿と大乗の私との考え方の相違ではありませんか。

そうであれば、修行者の貴殿がそれほどカリカリすることはないでしょう。
修行が足りないといわれますよw。

なお、ここは「日本の」仏教スレですから、専ら大乗に準拠して議論して
ほしいものです。私は日本人ですから、小乗の議論はスルーせざるを得ません。

163 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 01:52:36 ID:pG4qrYuQ
>>162 あのなあ、アホ隠居w
セブンが言ってるのは、「反論に詰まると、すぐ論点をずらして逃げに周り、
それさえも出来なくなると逃走。そして、ほとぼり冷めた頃、また同じことを
繰り返す」という、お前の姑息さを批判しているのww
セブンに限らず、ほぼ全ての者に指摘されてきたろうが?ww
いい加減にわかれやw

164 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:00:26 ID:gQYq7Omx
>>163
反論は、すべてのレスを通じてしていると思うが、宗教に嵌った方には理解
できないだけです。

通常の知能の持ち主が、前レスや現レスから容易に回答が得られる質問や、
一読して明晰な理解が不能な質問には、回答は控えさせていただいています。
一度きりの人生の貴重な時間の無駄ですから。ここは幼稚園の「お勉強」の
場ではないはずです。

165 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:05:07 ID:pG4qrYuQ
>>164
>反論は、すべてのレスを通じてしていると思うが・・・・

またそうやってウソつくww
そのうそつきクセも批判対象ねw
お前が「既に回答済み」として逃げ出したとき、しばしば俺は
「その回答のレス番提示よろしく。」といってるのに『唯の一度も』
それができたことなかったよなww

閻魔に舌抜かれるぞwwww

166 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:05:22 ID:gQYq7Omx
>>168
「論点をずらして逃げ回った」覚えは、一度もありません。「現代人としての
異なった視点」からの見方、考え方を提示しているだけです。質問者が、その
宗教ゆえに、をれを「受け入れられない」だけです。

167 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:10:59 ID:pG4qrYuQ
>>166
>「論点をずらして逃げ回った」覚えは、一度もありません

そりゃあ、お前は3歩、歩いたら忘れてしまう「ニワトリ隠居」だから
『覚えはない』のかもしれんなww
病院行って、認知症の検査してもらえw

>。「現代人としての
異なった視点」からの見方、考え方を提示しているだけです

wwww、「現代人はセクハラやレイプを肯定してませんが?」
偏向性の強い、お前独自のトンでも視点を「現代人の視点」なんて
いうなよ、アホww

168 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:14:35 ID:gQYq7Omx
>>165
私は仕事で多忙の身ですから、自分の前レスなど一切記録していません。
すべて、書きっ放しです。

質問者が、すべての前レスをまず読んで、そこから通常人(非宗教者)の
常識ではどうしても回答が導き出せない事項のみを質問していただくことを
希望します。

169 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:21:18 ID:pG4qrYuQ
>>168
>・・・質問していただくことを
希望します。

いやいや、お前に何かを「質問」しようと思う者など、このスレには
いないと思うぞ。
全て、お前が他人の書き込みに、横から「全く頓珍漢なレスをつけたり、
大うそ喚いたり」するから、叩かれてきたんだろうが?w

170 :93:2011/02/15(火) 02:24:27 ID:nErKkSN7
>>157
ビッグバン時の宇宙とビッグバン後のある時点での宇宙(例えば現時点での宇宙)を完全に把握し、
その間を完璧に繋げる方程式を作る事ができれば、理論上未来は完全予測可能だと思います

ただし、これは直感ですが、その方程式は少なくとも宇宙全体に存在する全生命数くらいは変数を使用する気がします

171 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:28:59 ID:pG4qrYuQ
>>170 横レスですまんけど、
その発想は既に成立しないことが分かっています。
(詳細は、ベル不等式の破れによる「隠れた変数の否定」を参照のこと)

172 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:44:56 ID:gQYq7Omx
>>167
>「現代人はセクハラやレイプを肯定してませんが?」

人間の生命の発露としての性欲を、人為的な観念によって抑圧・否定する
ことを批判しているのです。生命からは(生命からのみ)、同時に、
相手の生命に対する思いやりも発生しますから、「レイプ」など生じえ
ません。但し、異性に対する自然の愛着心の発露である「セクハラ」を観念で
規制・規制するのは全くの誤りですね。そんなことをすると、人類は滅亡します。

性欲を「悪」と考える宗教が、全くの倒錯に陥っているのです。
キリスト教的に言えば、性欲は、人類の存続のために創造主が与えた
最大の恩寵なのですから、それを否定することは、創造の否定・冒涜
となります。

殆どの大学が「セクハラ委員会」などを設け、女性からのセクハラの
訴えがあれば、待ってましたとばかり乗り出して、男性側を有無を言わさず
「悪人・犯罪者扱い」にする。これって異常とは思いませんか。嘘の
セクハラ申告によって人生を破滅させられた男性も多数いることを、
忘れないでください。

女性からのセクハラの訴えがあれば、問答無用で男性を有罪とする警察も
裁判所も、思考停止の同罪です。

これはセクハラを申告した女子大学生から直接に聞いたことですが、
「セクハラ申告で男から賠償金をせしめるのが、一番手っ取り早い営利
の方法」だと嘯いていました。

[セクハラ概念」は、アメリカのフェミニズム判例の猿真似に過ぎない
のです。日本人の思考ではありません。源氏物語を読んでください。
夜這いで訴えられた男がいますかw。

173 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 02:52:58 ID:gQYq7Omx
女性は、妊娠という大きな役目と負担がありますから、最初は拒否するのが
自然の理です。セクハラ概念は、「最初から男に体を許すあばずれ女だけを相
手にせよ」と奨励しているのと同じですw。

174 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 09:06:21 ID:At2L1nUW
>>172
横レスだが、これが論点ずらしじゃなくて何なんだ?w

>「論点をずらして逃げ回った」覚えは、一度もありません。「現代人としての
>異なった視点」からの見方、考え方を提示しているだけです。
と言うご隠居の意見に対し、
「セクハラやレイプを肯定する事は、現代人としての視点からはかけ離れた物だ」と指摘されているのに、
「セクハラやレイプは【生命】から発するものだから悪ではない」といくら訴えても、論点が違うだろw
「悪か、どうか」ではなく、「現代人としての視点としてどうか」を議論しているんだよ。
論点をずらさずに反論するなら、「セクハラやレイプの肯定は、現代人の一般常識だ」と立証しなければ意味が無いw
まあ、それが無理だから、論点をずらして誤魔化しているんだろうがw

175 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/15(火) 09:38:18 ID:1FlAPHOH
>>156
いい質問ですね。

>しかし宗教的に中心的な考えとして取り上げる意味が分からないのです。
>ただ単に実在しない(本質は無い)という否定の意味だけだと思います。

縁起はいくらでも説明(論理)できますけど、“縁起”に自ら立ち会う(体験)ということはあまりないですね。
これは作為的に出来るもんじゃないし、しかし無我とか無常といふのは
縁において自らが生起する瞬間において、そこに絶対的否定や、また同時に絶対的肯定が内在していることを
覚知できるんじゃないでしょうか?
これが宗教的な意義になるかと思いますね。

>私が考えうる意味は因果の一意性(絶対性)を否定するだけの意味です。

そもそも因果といふのは、バラモン教からの流れですね。
正法眼蔵も否定してるし(木が灰になるプロセス)
また中論でも明確に否定してますね(三時否定)

禅的には「不昧因果」ですよね。


176 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 11:54:56 ID:0ShemgZm
>>174
随分と「セクハラ・レイプ」に執着されているが、現代人だからこそ、視点は様々ですよ。
国民が皆民主党に賛成していますか。

私は、同じく現代人として、人間の生物的生命という「根源」から、「セクハラ概念」と
いう「輸入思想」「借り物思想」を批判しているのです。常に根源に立ち返り批判しなければ、
人間は誤った方向に向います。まさに「論点中の論点」といえます。

宗教という超古代の思想については、何おかいわんやです。現代人なら「古代の借り物思想」に
対しては、批判するのは当然。人類は、前代の思想を批判し、改善することにより進歩して
きました。宗教も例外ではありえないでしょう。

宗教は、あくまで「当時の状態における、当時の人間に対して」説かれたものです。科学の
驚異的進歩により、社会はdrasticに変化したのに、宗教のみは数千年間無批判ということ
自体が異常だとは思いませんか。根源からの批判は不必要なのですか。


177 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 12:44:59 ID:At2L1nUW
>>176
予想通りの反応だなw
現代に生きている人間の意見なら、「現代人の視点」だと言いたいんだろ?w
だが、いま議論しているのは、お前さんの意見が、「現代人を代表するか」という所だよ。

たとえば、
「俺はキリスト教徒(アーメンと言ったことがある!)だけど、
 キリスト教徒の視点から意見を言えば、全人類は滅びるべきだ!」とか、
「私は仏教徒(仏壇に手を合わせた事がある)だけど、
 仏教の視点から意見を言えば、ポイ捨てをした人間は無間地獄に落ちる!」とか、
集団の中央値からずれた人間が、全体を代表しているかのように言うのは、滑稽極まりない。
ご隠居も、現代人としては非常に極端で、異端ともいうべきなのに、
さも現代人全てを代表しているかのように書いているから、批判されるんだよw

だから、以後、意見を言う場合には、「現代人としての視点から見れば」ではなく、
「生命教の視点から見れば」と言うようにしろよw

178 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 13:03:03 ID:pFZfA8Od
>>154
ナントカさんみたいに優しく教えましょう

世界60数億人およびキリスト教徒から見れば、仏教は少数派のカルトにすぎないからです

179 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 17:59:47 ID:M414yyj4
>>177
「現代人を代表する」などとは言っていない。「現代人だからこそ、視点は
様々です」と言っているではないか。

しかし、「大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と無批判に
信じ込む宗教者(別名「文献記載君」)に、現代人としての知性と批判力
が欠けていることは、確かだな。彼等の批判は、当該宗教の枠内での批判で
あり、肝心の開祖の思想は絶対に批判できないのだから、批判でも論争でもな
く、従って論点も存在しない。

生命以外に、「すべての人間に共通する普遍の事実」があれば挙げてみよ。
分らなければ、死んでみて試せ。

180 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 18:21:10 ID:AOW7liv4
>>179
語るに落ちとるなw

>現代人だからこそ、視点は様々  ならば、
仮に「A、B、C、D、E」という視点があったとしよう。そして、そのうちの『どマイナーなw』Eが隠居だ。
AやBが多数派で、世論(=現代人の価値観)の大勢を占めているとしよう。
その中で、君は、≪自分の「マイナーな視点」を「正しい」ものとして主張する≫かい?
まず一点、質問しておこうw

181 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 20:21:55 ID:Q6cOycq0
>>180
「正しい」「正しくない」「マイナー」「メイジャー」など、誰も言っては
いないぞ。唯「生命」の根源性を指摘しているだけ。

そうやって、1個人の思想から、根源を離れた観念的な「精神性」を求める
宗教は、不自然である。せっせと生きて、時には道端のお地蔵さんでも拝む
のが自然の生き方。

いま、「世界ふれあい街歩き」というDVDを40枚購入して観ているが、
何の屈託も無く毎日をひたむきに生きている東洋系の人々のほうが、貧しくて
大雑把だけども、心が休まるね。「東洋の心」をもっと大切にしたいものだ。

182 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/15(火) 20:36:25 ID:kYK47jMb
>>161 :神も仏も名無しさん:
>差し出された托鉢が果たして実在であるか否かが判断できず、受け取り様がないということです。

そのまま素直に受け取ればよいではないですか?
実在かどうかを見極めなければ受け取れないって・・・
なんか毒矢のたとえみたいです・
実在でなくて皆さん現に奈落に沈まないで生活しているでしょう。
実在性は生活に不可欠なものでない・・と言うのが中観の考えでは?

ちなみに素朴実在論とか科学的実在論と呼ばれるものが物質や外界や客観を対象にし、観念実在論は概念や観念を対象にするらしいです。

般若心経では「色即是空」「空中无色」で物質や外界や客観の(絶対的?本質的?)実在性を否定し、「无受想行識」で概念や観念の(絶対的?本質的?)実在性を否定して居るのだと解釈します。


>>175 :机龍之介
>縁起はいくらでも説明(論理)できますけど・・・・

説明された感じがしません。
貴方は・・・・

>>135 :机龍之介
>論理的には縁起の説明は不可ですよね。

と言っていましたので。

183 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 20:36:44 ID:pWz3DSl7
仏教勢力が強くなると
その地域は弱体化する

184 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 20:43:34 ID:At2L1nUW
>>181
>「正しい」「正しくない」「マイナー」「メイジャー」など、誰も言っては
>いないぞ。唯「生命」の根源性を指摘しているだけ。

おい、自爆しているぞwww
堂々と、「論点と関係ない話をして、論点ずらしをしています」と宣言されても対応に困るぜw

185 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 21:01:06 ID:AOW7liv4
>>181
>・・・など、誰も言ってはいないぞ。
承知していますw
改めて問うているのです。新規論点構築の為の準備です。
で、どうなんですか?w

 ※「正しさ」には言及してますねw
  >>179>「大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と無批判に信じ込む
 ※「>大昔の」という括りで、『現代的価値観でない→現代に於いては「マイナー」な視点である』
  とは言及してますね。
  裏を返せば、『現代的価値観が、現代に於いては「メジャー」である』
  とは言及してますね。

 あれ? 「正しい」「正しくない」とか「メジャー」「マイナー」について言ってるじゃんw

186 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/15(火) 21:02:12 ID:kYK47jMb
私の般若心経の解釈は・・・

全ての客観(事象)に絶対的(本質的)実在(自性)は無い。
全ての主観(感覚、観念)に絶対的(本質的)実在(自性)は無い。
そうであるならばそれらの関連である因果には因果的(一意)決定性は無い。無明、生老病死、苦集滅道の真理も無い。
縁起(=因果)と言うこだわり(?礙)もない。
もともと得られるべきものは何も無いからである(以無所得故)

以上

187 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 21:06:27 ID:Q6cOycq0
>>182
>そのまま素直に受け取ればよいではないですか?
それが「素朴実在論」ですw。「五感で知覚できる対象」をそのまま実在物
と信じることです。五感にも誤りがありえますが、それは例外的な現象で、
「錯覚(誤った知覚)」「知覚異常」「幻覚」「妄想」として、是正・治療の
対象となります。

般若経は竜樹以前のもので、竜樹の「縁起・空」の原理は、まだ反映されて
いないように思います。竜樹の原理は、「もろもろの存在」の構成原理を
見出したものであり、すべての存在は、相対的(相互依存・関係性)という
抽象観念により構成されているのだから、そのもの自体の「自性」はなく、
執着する必要はない、ということです。「非実在」「幻」などと言っている
のではありません。若し「幻」であれば、大乗仏教は、非現実的な妄想の
宗教になってしまいます。竜樹は「世間の慣習」や「物理現象」を、無条件
の前提としています。

「色即是空」「空即是色」の意味は、「この世界は、人間の目に映じただけの
世界だから、『本当に』存在するのかどうかなどは、人間にはわからない。しかし
その世界こそ、人間が過去、現在、未来において生きることのできる唯一の世界だ」
と解します。「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。
さらに、「無もまた無」と、無も否定しています。

188 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 21:29:45 ID:Q6cOycq0
>>185
>大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と無批判に信じ込む

それは「宗教者」のことを言っているのです。「正しい・正しくない」
「善・悪」「清浄・不浄」「聖・俗」「霊・肉」と、専ら観念により
「二項対立」を作り出しているのが宗教です(スッタニパータ参照)。

それらの「すべて」を渾然一体として含み、具体的状況に対応して自在に変化
し、生存・共生を維持するのが「生命」です。

189 :てすと:2011/02/15(火) 21:35:03 ID:UWeLIVtW
>>188

生命の存在には生命の死が必要なんだから、生存と共生は二項対立だろ。

生命を食べずにどうやって生きてるの?w

190 :てすと:2011/02/15(火) 21:37:44 ID:UWeLIVtW
>>186

>私の般若心経の解釈は・・・


それなら解釈も無いはずなんだけど。

191 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 21:38:17 ID:AOW7liv4
>>188
いやいやいやw
当該文章は、「大昔の人が言ったからといって正しいわけではない」という文ですよね?
それは、「大昔の人の言ったことは正しくない、或いは正しくないことがある」ということですよね?
これは、
≪大昔の人の言説が二項対立かどうかではなく、
 【「貴方が」(≒現代人が)、「ある事柄」(大昔の言説)を、「正しいか正しくないか」「峻別している」】≫
ということですが?
貴方自身が、二項構成に基づいて、「正しいかただしくないか」と、大昔の言説を判断していませんか?
だから>>180と問うたのですが、お答えは頂けないようですね・・w

192 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 21:44:49 ID:Q6cOycq0
>>189
そこが、竜樹の「相対性原理(縁起・空)」の出番ですw。「生があるから
死がある・死があるから生がある」「苦があるから楽がある・楽があるから
苦がある」。

しかし死ねば、二項対立も相対性原理も「考えられなく」なりますから、
すべての煩いは無と成り、永遠の平安と休息が訪れます。

193 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 21:53:27 ID:Q6cOycq0
>>191
「正しい・正しくない」などと言ってるのではなく、「時代の変化に
応じて、洗いなおすべき」と言っているのです。大昔の御釈迦さんに、
コンピュータ時代の現代まで予測させるのは、無理であり、可哀想では
ありませんかw。

194 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 22:03:31 ID:AOW7liv4
>>193
いやいやいやいやw
>>179>「大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と・・・』
と言ってますよね?w
当該文章は、「大昔の人が言ったからといって正しいわけではない」という文ですよね?
それは、「大昔の人の言ったことは正しくない、或いは正しくないことがある」ということですよね?
【「貴方が」、「ある事柄」を、「正しいか正しくないか」「峻別しなければ出てこない台詞】ですよね?
或る事柄が【「正しい」わけではない】と、明確に「正しさ」について(線引き基準として)言及してるじゃないですかw

195 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 22:09:54 ID:vOjC3Pgu
隠居が自分の言動のどこが矛盾しているか 指摘されているのを
「全く理解できてない」
に3000点www

196 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 22:19:31 ID:At2L1nUW
散々言われて理解しするけど、「無視して、無かったことにする」に5000点

197 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 22:30:54 ID:Q6cOycq0
>>194
全く理解できていませんね。わたしは、「正しい・正しくない」と繰り返す
釈迦や宗教者の「口真似」をしただけです。

「正しさ」という物が存在するわけではありません。「正しさ」とは、百人
百様の解釈が可能な「観念語」で、「特定の状況に適応する、特定の行為の
属性」に過ぎません。

西洋哲学の祖といわれるソクラテスも誤解したことです。彼は、「勇気」「正義」
「美」とは何かを、有識者に聞いて回ったが、誰も「実例」を挙げるだけで
「定義」ができなかったので、彼等を「無知」としたが、無知なのはソクラテス
だった。その理由は、上述の通り。

「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない。」(小林秀雄)

198 :てすと:2011/02/15(火) 22:41:49 ID:UWeLIVtW
>>197

「生きていればそれでいい。生命なぞ、ない。」(てすと)

199 :てすと:2011/02/15(火) 23:04:25 ID:UWeLIVtW
もうネタ切れだぁあああ

空とか縁起とか因果とか飽きたよ〜〜

仏教ジョーク考えようよ。それか仏典ミスコンテスト。

超訳「ブッダ」とか、仏教用語しりとりとか。

つまら〜〜〜〜〜ん。このスレに宴会部長はいないのかぁ〜〜〜っ!



200 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 23:21:05 ID:Vfz6u/2R
>>187
>「色即是空」「空即是色」の意味は、「この世界は、人間の目に映じただけの
>世界だから、『本当に』存在するのかどうかなどは、人間にはわからない。しかし
>その世界こそ、人間が過去、現在、未来において生きることのできる唯一の世界だ」
>と解します。「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。

この解釈はまちがってると思いますね。
最初の「色」は、現象界(空相)、でいいと思いますが、
「空」が即現象界(空相)、というのはおかしいと思います。

201 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 23:46:21 ID:pOC3ljyb
宗教ジョークを作ろう
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267655053/

202 :神も仏も名無しさん:2011/02/15(火) 23:58:26 ID:pOC3ljyb
◆GIKONEKO.E #k闢餠膜y
◆FREEDOM/Ww #Iマミs糎楮
◆CERBERUSDo #F凸鐚スB
◆PERRINE/m. #0,ヨ乾#]u
◆TheManko36 #Iネ'/}Λ操
◆Salomon/a6 #∴ゥ;蘭麥
◆focus.ruleLb : #xvINdZX0F.q"
◆0751643792 : #到WT{1付
◆1164382666 : #WMv@G!YM
◆1340116436 : #;={セ!7*v
◆1643296042 : #t!(V:.サp
◆4901643396 : #ヌカルム;4菅
◆5916437396 : #嘸ep儁神
◆6903164386 : #IfjiPe9ヲ
◆7446164372 : #?Iラ伐C]弌
◆7884616432 : #=;31r+(]
◆Snitzel.7g #uケツ]蘗@]
◆snitzel/cM #=ィ(GA送D
◆AimAtVipl2 #Xォ熾_p]J
◆Falbrav/7k #蕃゙+松kF
◆PakuPakulg #偃イ剱O楹
◆POKOPOKOFA #斡ノ*揺х
◆Perrine.Pk #「!ヌG+8v!
◆Perrine.cE ##728490150705340C
◆sakamotoYU #ヲ{$@)p浸
◆oW/witches #E)モ(Wб#
◆GERTRUD.Vo #rト騁7)w/
◆F15EagleI6 #裸コE1匿セ
◆Railgun/s. #S發唳p=
◆Windows7FY #西ホF輛'@

203 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/16(水) 00:13:21 ID:7X9odSPu
>>187 :神も仏も名無しさん:
>「五感で知覚できる対象」をそのまま実在物と信じることです。

実在物と信じなくても食べることは出来るでしょう?
美味しいと思い、お腹も一杯になるでしょう。
実在性は無用の観念なのです。

>「無もまた無」と、無も否定しています。

はい、その理由は空性という本性がある、とか空こそ本質であるとか空こそ真理であるといった、ただの実在性の否定の意味の「空」が有に捉えられる誤用を避けるためだと思われます。

>「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。

このような考えです、このような誤用は広く行われていて、仏教語辞典などにも「絶対否定の絶対肯定への転換を語る」などとあります。
般若心経の全体の流れからして全く反する解釈だと思います。
「無もまた無」と言うのはその様な有の蘇りをも防ぐ意味があると考えます。

>>190 :てすと:2011/02/15(火) 21:37:44 ID:UWeLIVtW
> それなら解釈も無いはずなんだけど。

そうですね、それで特に問題は無いと思います。

204 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 00:24:51 ID:cT2n4Yb3
>>200
>空」が即現象界(空相)、というのはおかしいと思います。

ならば、「色即是空」だけでよいはず。何故わざわざ「空即是色」を併置した
のか。私は、この併置こそが、大乗仏教の真髄であると思います。

仏教学者も、最近では「空即是色」のほうが重視されているといっています。

「色即是空・空即是色」は、古今に比類するもののない、優れた「存在論」です。

205 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 00:35:34 ID:cT2n4Yb3
>>203
>実在物と信じなくても食べることは出来るでしょう?

実在物(五感で知覚される対象物)でなければ、いくら食べたつもりになっても、
結局は餓死します。

霞を食っては生きられず、幻の女を抱いても子供は生まれません。

「生命の維持に直接の関係があるか否か」が、実在・非実在のテストです。

206 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 00:39:57 ID:ZM7p5rw9
>>204
「空即是色」の色は、実相のことじゃないですかね?
最初の「色」を、人間の我で見る世界・・・・「現象界」(色)とすると、、
最後の「色」は、法の目で見る世界・・・・「実相」、ということだと思います。


「自分で見るということが無ければ、よく一切の真実の法を見るであろう。
法に於いて見るのであれば、その人が見るということは無いのである。」
                                −華厳経

>私は、この併置こそが、大乗仏教の真髄であると思います。

私もそう思います。

207 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 01:13:57 ID:cT2n4Yb3
>>206
併置された「色」という言葉に全く異なった意味を持たせるのであれば、そもそも、
「文章」として成立しない悪文であるということになり、「存在論」として
無意味です。

「法の目」とは具体的には何ですか。人間の目は関与しないのですか。
人間こそ、「法」の一部ではないのですか。

208 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 01:27:31 ID:cT2n4Yb3
>>206
人間の自然の知覚こそ「法」なのです。「法の目で見る」とは、「関係性(縁起)において見よ」
ということではないでしょうか。

人間が人間を除外したら、それは「根拠のない」単なるでっち上げ、空想、妄想ということ
になりませんか。

やはり前レスでの仏教語辞典の定義のように解しないと、「色即是空・空即是色」は、
「人間界における真理」にはなり得ません。

209 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 01:51:20 ID:cT2n4Yb3
>>203
>「無もまた無」と言うのはその様な有の蘇りをも防ぐ意味があると考えます。

「無もまた無」は「二重否定」で「有」になりますw。

仏教は、それほど「無」に執着しているのでしょうか。それでは煩悩に過ぎません。
「厳然とした有だが、執着すべき自性はない」と言ってるだけではありませんか。

210 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 08:44:08 ID:lthqF+AA
>>205
おいおいw

>繰り返し述べているように、五感による実在の判断とは、「何らかの物体が実在するか否か」
>ということ。その物体が「何であるか」は、専ら、共同体における合意の学習と経験・記憶に
>よる「観念」の機能。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1294233802/249

なんて言ってた人がそんな事言っていいのかい?w
これは、五感で知覚した「食べ物に見える物」に、「栄養があるか」は、「観念の機能」であって、
実在物であるかどうかには関係ないって主張だったろ?w
自分と同じ主張なのに、他人(>>203)に言われて始めて、オカシイ主張だと気が付いたのか?w

211 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 10:50:49 ID:7sNF+bdp
>>210
君は理解力が全く不十分。

その学習は、生後直ぐから始まる。

君は、実在物であれば土でも何でも食う「異食症患者」かw。

学習の無い生まれたばかりの赤ん坊の場合は、母親がオッパイを差し出し、
又、哺乳瓶を差し出して、その教育を行う。有害な物を口に入れようとすれば、
大人がそれを制止する。すべて学習の一過程である。

212 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/16(水) 19:40:22 ID:3skHWjcU
>>182
>説明された感じがしません。

仏教の中心的考え。といふのは、簡単に言うと
「自分が居ない」ということだと思いますね。
非常にシンプルな教義です。

「父母未生の本来の面目」といふのは、ただ単に「自分が居ない」ことですね。
カラスがカァ〜と鳴いたり、
小石が竹に当たった刹那、あら不思議と「自分が居る」ことになる。

自分が居ない、ということは無だとか有だとか、考えることも出来ませんから、
想像することは不可能ですけど、
覚者というのは常態が「自分は居ない」ということなんじゃないでしょうか?

この世で、もしかしたら演技でもしているのかもしれませんね。
・・・こう考えたのがニーチェですが、
仏教もこれに近いんじゃ〜ないでしょうか?

213 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 20:51:04 ID:YZdPeeEL
ソーシャルネットワークで世界は変わる
 宗教 圧制 封建 独裁の時代は終わった
価値は与えられるものでなく
 民衆自ら選ぶ時代が来たのだ

214 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 21:28:10 ID:lthqF+AA
>>211
おいおいw
じゃあ、生まれてすぐの子供と、大人では、「実在」が異なるのかよw
しかも、教育方法が異なれば、「実在」が変わるのか?w
もう、むちゃくちゃだなw

215 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/16(水) 21:30:50 ID:7X9odSPu
般若心経は簡単なお経で素人(私)にも親しみやすい。
少し読んで欲しい。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
この表現は此処だけである。
以下延々と・・・・・・・・・・
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道・・・・・・・・・・・・
と続く。
四諦も無いと言っている。
この流れで何処をどう曲解すれば
「仏教学者も、最近では「空即是色」のほうが重視されているといっています。 」このようなこじつけになるのだろうか?
たしかに学者さんたちは其の通りらしいですね。
学者の学説と言うものは酷い悪意に満ちていると思います。


216 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/16(水) 21:51:26 ID:7X9odSPu
>>205 :神も仏も名無しさん:
>実在物(五感で知覚される対象物)でなければ、いくら食べたつもりになっても、結局は餓死します。

まったく分かってないですね?
五感で感じることでしか認識できない、対象そのものを直接把握できないから無自生というのでしょ。
何かを食べて腹がふくれる、その何かを直接把握できないと言うことです。

>霞を食っては生きられず、幻の女を抱いても子供は生まれません。

其の通りです、霞だから駄目なんです。
食物を食べれば良いのです、簡単なことです。
それを貴方は霞と言う別のものに摩り替えている、反則ですよ。

>幻の女を・・・・

幻だから駄目なんです、貴方が幻に勝手にすり替えたからです。
女は女でそこに見えてるわけでしょ、それを抱けば良いじゃあないですか?
其のときに「女の本質(自生)とか何とか、女とは何ぞや」は抱くことになんの足しにもならないと言ってる。



217 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/16(水) 22:09:15 ID:7X9odSPu
>>209 :神も仏も名無しさん:
>仏教は、それほど「無」に執着しているのでしょうか。

徹底的に「無」と言っています。
しかしおっしゃるように無に執着すると言う誤解が生じないように「心無?礙。」心にこだわりが無いと追記している。
二重否定だから肯定だと言うのは先の学者の見解に似ていますね。

しかしそれは心経を曲解しています。
素直に経を読めば平易な文章である。

>>212 :机龍之介
>「自分が居ない」ということだと思いますね。

はいよく判ります。
お聞きしたいのは、因果と縁起の違いです。

>自分が居ない、ということは無だとか有だとか、考えることも出来ません・・・・

これは縁起も否定されると言うことではないでしょうか?

218 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 22:20:53 ID:ZdSgEKDg
「生きる意味」
「自殺」

「生きる意味」については以前、仏教の教えを広めている方に触りだけ教えていただいたのですが理屈は、なんとなくわかるのですが、私は救われませんでした。
本当に知りたかったのは、私は死にたいのですが仏教で「自殺」はどのような解釈なのですか?教えていただきたいです。


219 :てすと:2011/02/16(水) 22:35:22 ID:8Htjgx0p
>>218

仏教では別に自殺について良いとも悪いとも言ってないので、好きにして大丈夫じゃないかな?
俺も80歳ぐらいで自殺する予定。

生きる意味も仏教では特に言ってなかった気がするけど、その教えを広めようとした人が自分で勝手に考えたことじゃないの?

220 :てすと:2011/02/16(水) 22:49:41 ID:8Htjgx0p
自分はアリストテレス、シェイクスピア、阿佐田哲也、の系譜だから、仏教は専門じゃないけど、自殺について教えましょう。

自殺は良い事でも悪い事でもない。ただ残された家族や友人や恋人が、「どうして助けてあげられなかったのだろう」と苦しむので、
死ぬ時は先に「君たちのせいではなく、俺の人生へのこだわりのために自殺するのだから、まじ気にしないで」と言った方がいい。

俺は嫁にそう言ってるし。

神に死期を想像させられて恐怖に踊らされるぐらいなら、自分で死をきめたるわ。

神よ、ざまぁみろ。てめえの思い通りにはならねーぞ。

221 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 22:55:39 ID:ZdSgEKDg
>>218
「生きる意味」については、業とか三世に貫く〜とか、その辺りまで教えてもらって…これじゃぁダメですよね…理解不足で…
勝手に解釈した事があって、何が起きるのも一分一秒狂いなく起きるって…言ってたから。自殺も該当するのかなぁって思ったんです。決まった終わりがあるのかなと…

222 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 22:56:34 ID:00bpe7uc
>>220
>神よ、ざまぁみろ。てめえの思い通りにはならねーぞ。

それを悪魔が陰から見て、「けっけっけ」と。ww

223 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:13:29 ID:loZ1kmpQ
>>214
>じゃあ、生まれてすぐの子供と、大人では、「実在」が異なるのかよw
>しかも、教育方法が異なれば、「実在」が変わるのか?w
>もう、むちゃくちゃだなw

幼い子供が、「何らかの」実在物(例えば犬)をその五感で知覚して(これは先天的)、
「これなーに」と聞く。母親は「それは犬だよ」と教えてやる(これが後天的な学習)。

日本では「犬」と呼ぶが、英米では「dog」と呼ぶ。

(何らかの)実在物の存在は、すべての人間がその五感の知覚で判断し、人類に普遍。
その実在物の「名称」は、共同体の合意の後天的な学習の結果。

224 :てすと:2011/02/16(水) 23:13:47 ID:UIF1uxJB
>>222

他人に笑われる事を気にしていたら、偉大な仕事は出来ない。


ちなみに生きる意味は、その人の考え方次第。

好きなのを採用すればいい。

225 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:20:01 ID:00bpe7uc
>>224 www

>・・阿佐田哲也、の系譜だから

阿佐田哲也の系譜って、何だよ?てすと。

226 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:34:21 ID:loZ1kmpQ
>>216
>対象そのものを直接把握できないから無自生というのでしょ

「対象そのもの」とは何ですか。「女」は「不特定多数人」の視覚で
ちゃんと把握しているではないですか。それ以上の把握は人間の能力
では出来ません。

竜樹は、自分が五感で直接把握した対象が「相互依存性・関係性」の
産物であることを発見し、「執着すべき自性はない」と言ったのです。

「無」に執着しないのなら、「無」「無」「無」と何度も繰り返す
必要はない。それは「有」「有」「有」と繰り返していることと何らの
相違もありません。

>>222のレスもご参照ください。

227 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:37:30 ID:lthqF+AA
>>223
自分で言ったことをもう忘れたのか?w
お前さんは、後天的な学習による「名称」が、物の実在に関与すると主張してたんだぞ?
つまり、学習していない子供と、学習した大人と、さらには、「別の学習」をした大人では、実在の要件が異なることになるだろうがw
「後天的学習〜」とか、「生命テスト〜」とか訳の分からん実在の要件を付け加えたのは、お前さんだろうがw

228 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:41:14 ID:i6GzW/0F
>>197
なんだかねぇ・・w もう・・ ┐(´ー`;)┌

> 「口真似」をしただけです。
その割には、「真似」以上の意味付けがされた発言が多いようですが?w
「大昔のものだから正しくない」とい意図が明白ですが?w
そもそも、、>「正しい・正しくない」と繰り返す ことを真似る意味はどこにありますか?
まさに貴方自身の『何ごとかを「正しい、正しくない」と峻別する行為』と相似形だから、
真似ることが可能なのではありませんか?w
まあいいです。 このタイミングで「真似しただけ」発言が出るとは、まさに予想外でした。
危うくモニターをお茶まみれにするところでしたよw

> 「正しさ」という物が存在するわけではありません。
> 「正しさ」とは、百人百様の解釈が可能な「観念語」で、
> 「特定の状況に適応する、特定の行為の 属性」に過ぎません。
であるならば、たとえ「真似事」であっても、「正しいわけではない」などと『峻別・判断発言』などできないでしょうに・・w
なのに貴方は、事ある毎に
「大昔の言説は正しくない、誤っている」「現代人にとって正しい解釈をすべき」などと言い続けているのですよ。
「大昔には“それ”は正しかった」ということはお認めになるのですね?w
「 >百人百様の解釈が可能 」で「 >特定の状況に適応する、特定の行為の 属性 」なのですから。
そうすると、問題は、「“それ”が、現代に於いても通用するかどうか、援用可能かどうか」ということに絞られると思いますが?
つまり、≪「【大昔の人が言ったから】どうこう」ではなく、「【現代、使用可能かどうか】」≫が問われるべきでしょう?
貴方が常常言う「大昔だから云々」は、全く論拠を失うわけです。
なにせ、≪「 >百人百様の解釈が可能 」で「 >特定の状況に適応する、特定の行為の 属性 」≫なのですからw

(誰か代わってくれるかと思ったが、誰も反応しないので仕方なくレスする・・w)

229 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:44:35 ID:i6GzW/0F
それから、
>>209
趙州狗子でも拈提しとけw

230 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:45:44 ID:loZ1kmpQ
>>227
「実在の要件」は、「(必要な場合には観測装置を使っての)五感に
よる知覚」。これは全人類共通。

「生命テスト」は、知覚障害者、妄想患者、宗教患者の知覚を除外する
ための「補助的要件」。健常者にとっては必要ない。

231 :馬場 ◆//Muo9c4XE :2011/02/16(水) 23:46:25 ID:O+vZUXWC
前スレ>>671 :よしもん ◆JIBI0e8P7s :2011/02/16(水) 12:52:17 ID:96UI7aUO
>>645
>私も後で気付いたのですが、あることをするとIDがコロコロ
>変わるんですね。おかげで、連投可能になりました。どういう仕組み
>なのかよく分かりませんが、面白いですね。

こういった一人よがりな連投をさせないために連投規制があるんだよ。
あんたは自分の知識で、そのルールを壊して平気な顔をしている。
ここを見ているとよく分かる。あんた、KK会員を続けるにつれてどんどん壊れてきているね。

232 :てすと:2011/02/16(水) 23:50:12 ID:UIF1uxJB
>>225

人生はツキのコントロールが重要。

233 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:55:13 ID:loZ1kmpQ
>>228
>「大昔のものだから正しくない」とい意図が明白ですが?w

そんなことは一言も言っていないぞ。「五感の知覚による実在判断」は、
人類発生以来同じ。「生存の要件」は、昔も今も同じ。社会の変化につれて
変わるものも、変わらないものもある。だから「洗いなおせ」と言っている。


234 :神も仏も名無しさん:2011/02/16(水) 23:55:54 ID:+n0mr6yy
仏教の思想の入門書は何がいいでしょうか。

235 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:00:46 ID:00bpe7uc
>>230 だから、そうやって大うそつくのは止めんかいww
『実在に人間の知覚はま〜〜〜〜〜たく関係無いわ』

人間が誕生するには、予め地球が実在している必要がある。
(地球が実在していなければ、そこに人類が誕生できない。)
しかし、この地球は人間が知覚していない。なぜならば、人間誕生以前
だから。 よって、人間が知覚していなくとも、地球は実在していたことになる。

お前はこの論理矛盾に今まで一度も答えられずに逃げ回り、
同じことを繰り返す。
いい加減にせえやwww


236 :てすと:2011/02/17(木) 00:06:49 ID:LjjkceOr
>>234
手塚治虫のブッダがお勧めです。

237 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:07:47 ID:Kw3hfgxf
>>233
ほらほらw また論点のずれた話を持ち出してくるw
誰も「>五感の知覚による云々」なんて話はしてませんが?「>生存要件」の話ではありませんよ?
ある事柄に対する「価値判断」「分別基準」の話ですよ?「>実在判断」の話ではありませんよ?
何寝惚けてるんですか。
で、>一言も言ってない どころか、文言その通りのオンパレードでしたよ?w
脱力感に打ちのめされて、ログ漁る気にもなりませんが・・。 orz

詭弁王の称号を差し上げますよw
貴方の、姑息さを纏った天然ボケには、民主与党各閣僚も菅総理も、足元に及ばないでしょう。

238 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:12:24 ID:a3x43J9i
>>235
人類誕生と同時に、または誕生の過程において知覚した。胎児にも知覚はある。
人類誕生前のことなどドーでも良い。空想は自由だがw。

239 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:16:15 ID:6ReE4bDt
>>232 
>ツキのコントロール
 か?

確かにギャンブラーだから、つきの波 みたいのも否定はしなかったろうが、
あいつは、五味と並んで、最もギャンブルからそのような要素を排除していった
一人だぞww つまり、ギャンブルを心理戦みたいに捉えていたw
そして最終兵器はイカサマw

240 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:18:04 ID:a3x43J9i
>>237
そんなことより、まず、「正しい」を8回も繰り返した釈迦を洗いなおしたら
どうかね。本当にウザイ。それが出来ないのが問題の根本なのだよ。

241 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:20:19 ID:6ReE4bDt
>>238 は〜〜〜〜? 何言ってんだ?ww
『地球は人類誕生と同時に誕生した?』wwww

お前もしかして、キリスト教の「創造論者」か?w
んじゃ、その人類と地球が同時に誕生したのは、今から何年前だ?
おおよそでいいから、答えてみろやw

242 :てすと:2011/02/17(木) 00:23:34 ID:LjjkceOr
>>239

社会そのものじゃないかw

麻雀はゲームだからいいけど、世の中イカサマだらけw

243 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:27:13 ID:Kw3hfgxf
>>240
ほらほらw
こういう場面での「そんなことより」は敗北宣言と同じですよ?w (特に2chではw)

一応応答してさしあげれば、
2500年間が、まさに「洗い直しの積み重ね」なんですよ。
だから、アバウトだった初期よりも「精緻」「詳細」になり、或る方向性では「煩雑」「冗長」になっていくのですよ。
また、この一連のシリーズ中でも、何度となく爲されてきましたよ?
貴方は、そういう重要なレスのみを無視し、忘れ、更には自己の瑕疵をも併せて無視し、逃亡し、
ほとぼり冷まして再びリフレイン。 どこまで面の皮が厚いんだか・・w

244 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:30:59 ID:6ReE4bDt
>>242
>社会そのものじゃないかw

あいつは、それまで一般人に知られていなかった、ギャンブルの裏を
白日に晒して見せた。そして、単なる運任せと思われていた賭け事の
世界が全く違うものだと教えた。それが受けたわけだw

245 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 00:40:51 ID:6ReE4bDt

また、クソ隠居は逃走かいwww

246 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 01:42:21 ID:A3FEC/pT
>>243
>2500年間が、まさに「洗い直しの積み重ね」なんですよ。

釈迦自身に対する洗い直しはできていない。あくまで、「釈迦は正しい。
釈迦は偉い」が前提。釈迦の「正しさと偉さ」の追求だけ。竜樹や道元さへ、
言ってることは釈迦とは全く異なるのに、釈迦マンセー。肝心の開祖を批判し、
洗いなおさなければ、洗い直しとはいえないだろ。

247 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 01:50:35 ID:A3FEC/pT
>>241
そんなことは、君らの大好きな「文献の記載」をくぐってくれ。私は、「文献からの借り物」は
一切しない。文献を引用する場合でも、一度自分の頭をくぐっている。

248 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 02:06:29 ID:A3FEC/pT
>>245
私は、仏教の教えに忠実に従い、「相手は空。自性はない」と思っているから、
いくら罵倒されても、痛くもかゆくもない。仏教って、本当にありがたい教え
だねw。

君たちも、少しは、仏教の教えを学んだらどうかね。

249 :93:2011/02/17(木) 05:47:53 ID:7TJg8qwg
ttp://www.tibethouse.jp/ ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

-------------------------------------------
基本的には、仏教徒である人の姿勢は、
はじめの段階では懐疑的でなければなりません。
何でもすぐに受け入れて盲信するのではなく、
それを分析して調べてみて、
最終的にそれが本当に正しいという、
ある種のはっきりした確信を得られたなら、
初めて受け入れるわけです。
そしてそれを信じるのです。
-------------------------------------------

空観・縁起に関する見解を聞くことは大変参考になります
まだまだ盲信している部分があり、智慧を深める良いきっかけになります

250 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/17(木) 07:50:53 ID:2M9qDc+i
>>217
>>自分が居ない、ということは無だとか有だとか、考えることも出来ません・・・・
>これは縁起も否定されると言うことではないでしょうか?

縁起といふのは、縁(関係性)において生起する。ってことですよね。
何が生起するのかといふと、自分が生起する訳ですよね。
じゃあ、縁がなければ「自分は生起しない」。ですよね。

「自分がいない」→縁起→「自分が居る」ですね。

>お聞きしたいのは、因果と縁起の違いです。

縁起があって、自分が生起するなら、原因と結果で「因果」ですよね。
しかし、
木が燃えて灰になる場合は、因果ではないです。
その瞬間・瞬間において完結しているからです。
無自性ですから、その事象自体が変化する訳ではない。
もし変化するのであれば自性ですよね。

つまり、自分との関係性(縁)において変化(対象が)しているならば、
自分自身は自性で、無我との論理矛盾になる。つうことです。
無我ではあるが、その一瞬・一瞬が「我が生起している」。訳ですね。

カラスがカァ〜って鳴けば、自分が生起する。
しかし、生起は一瞬。

251 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 09:48:52 ID:nvcFjNOa
小難しい事をいかにも勿体ぶった言い方をして、衆生を煙に巻き、マインドコントロールして、

お布施を巻き上げるのが仏教


252 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 10:11:04 ID:wiQXMges
>>217
>お聞きしたいのは、因果と縁起の違いです。

「因果」とは、ある特定の「原因」が、特定の「結果」引き越すこと。仏教で
言えば、「悪事をすれば地獄に墜ちる」「悪事をすれば畜生に生まれ変わる」
「善いことをすれば天国に行ける」などということ。つまり、[原因」が、「結
果」を「一方向的に支配する」という道理。

「縁起」とは、「もろもろの存在は、お互いに(双方向的に)依存し、関係し合
っている」ということ。人間で言えば、「自己は、両親を初めとする、無数の
先人を含む他者や自然の恵みによって現在存在しており、『固有の自己など存
在しない』、「持ちつ持たれつの関係性の集合体に過ぎない」という考え。従
って、「原因・結果がある・ない」などということは出来ない。原因・結果自
体も、それぞれ、このような「縁起」という「関係性の集合体」によって成り
立っているのですから。「楽」も「苦」があるから存在しうる。「楽」ばかり
の世界は、「苦」ばかりの世界と、何ら変わることはない。

縁起のこのような関係性は常に変化・流動していますから、自己も他の事物も
一瞬ごとに新たに生じていると言えます。

253 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 10:48:32 ID:wiQXMges
>>251
仏教者も「生きなければならない」のだから、仕方ないのではないの。
本当は易しいことを易しく言ったら、ネタがばれて商売にはならん。

修行者になるのも、お布施が貰えるから「食いっぱぐれがない」からです。

しかし宗教者も、「世間の他者によって生かされていること(縁起)」を
忘れてはならない。マインドコントロールによって、他者の現実感覚や
社会常識を失わせ、他者の家庭や人生そのものを破壊することは、絶対に
あってはならないこと。

「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」と
定義できます。

254 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 11:07:03 ID:wiQXMges
>>249
>最終的にそれが本当に正しいという、
>ある種のはっきりした確信を得られたなら、
>初めて受け入れるわけです。
>そしてそれを信じるのです。

宗教の勧誘とは、そのような判断力自体を、「現実感覚や社会常識や肉体を離
れた異常な精神性」を植え付けることによってまず失わせるから、悪質で恐ろ
しいのです。その植え付けから離脱することは、一生涯、殆ど不可能になります。

宗教には、そのような致命的な危険性があるのだから、絶対に係り合わない事です。

255 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 14:53:20 ID:IoxWKHOn
>>252
>「因果」とは、ある特定の「原因」が、特定の「結果」引き越すこと。

>「縁起」とは、「もろもろの存在は、お互いに(双方向的に)依存し、関係し合
っている」ということ。

この二つは、どちらにも当てはまるんじゃないですかね?
縁起の場合…たとえば5階建のビルがあるとして、隣にある2階建ての建物と比べたとき、
「高いビル」 という認識が生まれます。
逆に、10階建てのビルと比べた時、「低いビル」 という認識が生まれます。
一見、同時(双方向)のように見えますが、「高いビル」を認識する時は、
まず最初に、「低いビル」を認識します。
つまり、「低いビル」があるから、「高いビル」がある…
「これがあるからかれがある」の時に、「これ」が先で、「かれ」が後になるのと、同じだと思います。
つまり、縁起は「因果」ともいえませんかね?

256 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 18:12:58 ID:kq0z7JmL
>>255
因果関係なら馬鹿でも分るが、縁起(空)は、竜樹ほどの頭脳の持ち主にしか
分らないと言うこと。

縁起は、すべてを同時に包括的に見る眼識(法の目)がなければならない。

確か、Humeも、因果関係を西洋哲学的に否定していたと思う。

257 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 19:06:23 ID:kq0z7JmL
>255
高さの違いが殆どない場合、高いビルをみて、次に低いビルを見るのでは、
高低は認識が困難でしょう。やはり同一視界にいれて同時に見る必要が
ある。

それに、仏教では「諸行無常」だから、一つのビルから目を離している間に、
高さが変化するのですよw。

このように、「もろもろの存在」の構成を的確に把握するために、竜樹は
時間を排除したのです。

「時間」とは「事物の変化」のことですから、時間という要素を入れたら、
存在の構成の正確な把握は到底不可能です。

スッタニパータでも、釈迦は、輪廻転生をさかんに説いている。因果関係は、
業報論には不可欠です。

258 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/17(木) 19:35:58 ID:BFgakuv4
>>250 :机龍之介
>「自分がいない」→縁起→「自分が居る」ですね。

其のときの縁起はどの程度結果(居りかた)を限定するのでしょうか?
なんとなく居るようにする、と言う事なら私の空性イメージに合います。
しかし何時何分何秒にくしゃみをする自分が居なくてはならない。
とか以前の善行が実を結び幸せになって居無ければならないとか言う限定された(一意的決定)居るなのでしょうか?

>木が燃えて灰になる場合は、因果ではないです。
>その瞬間・瞬間において完結しているからです。

其の例は完結しては居ない例です。
自然は山火事で樹木を焼き尽くし其の灰を糧として新しい木々が生まれ再生します、完結ではなく循環の好例です。

259 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/17(木) 19:37:43 ID:BFgakuv4
>>252 :神も仏も名無しさん:

大変分かりやすい説明で有難うございました。
しかしそれなら縁起は因果や縁因、因縁を全く否定的に捉えるということですね、納得できました。

>縁起のこのような関係性は常に変化・流動していますから、自己も他の事物も一瞬ごとに新たに生じていると言えます。

大変よく判ります、縁起もとらえどころのない空であるということですよね。

所が仏教辞典には
「縁起:十二因縁のこと。因縁によってあらゆる事象が仮にそのようなものとして生起していること。」
などと全く因果の考えの流れと同様に扱われ、そのほかの文献でもそのように扱われています。
因果と縁起が対立する考えであると言う説明が他でな見られないのは如何してでしょうか。

申し訳ないですが その辺も教えていただければ幸いです。



260 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/17(木) 19:48:16 ID:BFgakuv4
>>255 :神も仏も名無しさん:

僭越ですが、コメントさせてください。

>隣にある2階建ての建物と比べたとき、「高いビル」 という・・・

この「比べたときに」 と言う時点で「お互いに(双方向的に)依存し、関係し合っている」というイメージが出来上がっています。
低から高、高から低と返す返す比較しているわけです。
因果ではありません。

>>257 :神も仏も名無しさん:
>因果関係は、業報論には不可欠です。

と言う事は、竜樹は因果、業報論と決別した形で縁起を考えたのでしょうか?

261 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 20:20:01 ID:IoxWKHOn
>>257
「5階建のビル」 というのは、ただありのままに見れば、
今ここに置いて「5階建のビル」ですよね?
そこには、「低い5階建のビル」 「高い5階建のビル」 というような、「高低」の認識はありません。

このビルは、周囲と比較することによって、どうとでも変化します。(諸行無常とはこのことかもしれません。)
「2階建てのビル」と比べることによって、「高い5階建のビル」が生まれ、
「10階建てのビル」と比べることによって、「低い5階建のビル」が生まれます。

しかし実際、高い〜、とか、低い〜、とかは存在しません。
あるのはただ、「5階建のビル」です。

竜樹はこの「低い(高い)ビル」というのを、幻と言ったんじゃないですかね?
つまり、ありのままの存在(実相)を、人間の認識によって変化させた世界・・・
これが、幻なんだと思います。
(>255の文章はちょっと分かりづらかったです。 すみません。)

ヒュームの言ってる事は正しいと思いますね。
つまり、結果の中に、原因と結果がつまってる。

コップが落ちた(原因)→コップが割れた(結果)
これを別々に分けたのでは、可逆的な相衣関係にはなりません。
つまり、「結果」がなければ、「原因」がない・・・ということにはならない。
結果と原因は一如ですね。 今ここにおいて。

たとえば、「A」という木を見る時、「A」の中に、Aの芽もあれば、「A」の種もある。
「A」という木が存在しないのに、「A」の芽や種があるわけがありません。

262 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/17(木) 20:38:52 ID:2M9qDc+i
>>258
>しかし何時何分何秒にくしゃみをする自分が居なくてはならない。

「自分が居る」というのは、矛盾においてしかそれを保持するのは困難です。
またその矛盾が統合されて、そう認識するのではなく、
矛盾は矛盾のままで、しかも全体として保つ。ということです。

「何時何分何秒」というのは、過去と未来という矛盾において現時を認識するんでしょうし、
もし矛盾がなければ認識さえ不可です。

>其の例は完結しては居ない例です。

事象自体が変化することはアリエナイんです。
そう「認識している」だけですね。
認識とは、
矛盾は矛盾のままで、しかも全体として保っているだけです。

三時肯定は素朴実在論の肯定になりまして、
仏教はその範疇ではないですね。


263 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 20:55:10 ID:kq0z7JmL
>>259
>>250

「縁起」の意味は、初期仏教と大乗仏教(竜樹)とでは本質的に異なります。

初期仏教では、12因縁にも見られるように、「因果関係」以外の何物でも
ありませんが、竜樹は釈迦の「縁起」や「空」という「言葉」にヒント(の
ヒント)を得て、それを「相対性・相互依存性・関係性故の無自性」という
「空概念」に発展させたのです。これは、「因果関係」とは似て非なるものであり、
竜樹は、「中論の頌1:10」で、釈迦の「これがあるから、あれがある」の
命題を否定しています。「これ」も関係性の集合体で「自己成立のもの」では
ないから(無自性)、それから「あれ」が成立するものではない、と言って
います。要するに、すべてが「関係性」という抽象概念だから、「因」から
「果」が「生じる」というものではない、と言うことです。

仏教学者の三枝氏は、「竜樹は、空の思想によって、釈迦の縁起を、換骨奪胎
した」と述べています。詳しくは「中論の頌」、簡単には「岩波仏教辞典」の
「縁起」の項をお読みください。要するに、釈迦の縁起は「因果関係」であり、
竜樹のような「相対性」の概念は存在しないのです。だから、上記の「ビルの
高さの比較」は、あまり適当な例ではないように思います。因果関係には、
「相対性」の概念はないのですから。

264 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 21:14:26 ID:kq0z7JmL
>>261
>竜樹はこの「低い(高い)ビル」というのを、幻と言ったんじゃないですかね?
>つまり、ありのままの存在(実相)を、人間の認識によって変化させた世界・・

竜樹は、説明の便宜のために「幻のような」と言っただけで、「幻だ」とは
言っていないと思います。そもそも中論は、「もろもろの存在」について語って
おり、「物理現象」や「世間の慣習」は無条件の前提としています。「幻」は
「世間の慣習」に反します。

人間の認識を超えた実体(実相)(カントの「物自体」)などが存在すると認め
たら、それは竜樹の空(無自性)とは対極にあるものではないでしょうか。

265 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 22:09:33 ID:Kw3hfgxf
仏教 議論スレッド 8
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/58
  ―前略―
> 竜樹は、「もろもろの存在」について述べています。やはり「色」でしょうね。
(「存在(bhava)」については反証材料も併せて提示済みですが、スルーしっ放しですね。
〈都合の悪い指摘には触れず、別のことを述べる。或いは無視してリフレインを続ける〉。
今の内閣の答弁とそっくりですねw)

仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/368
  ―前略―
> 竜樹は、「もろもろの存在の構成原理」を説いているものと解する。
この言明に500歩w譲るとするなら、【「 > もろもろの存在 」とは『物』だけではない】ことに気付いてくださいねw
bhavaの語義も貼りましたよね?w 忘れちゃいましたか?www
  ―後略―

仏教 議論スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/73
それから、
>> 67
今>> 70の作文中に出会った語だけでも、該当する(≒(文脈によって)そのように訳し得る)語としては、
bhAva、bhavatI、sattAがある。(na) vidyateも、作文上(構文上)「存在する(しない)」と訳されることもあろう。
その他にも、dharmaが、そう訳されることもある。もっとも多いのは、勿論『 bhava 』だが。
bhavaとbhAvaをモニエル(ttp://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/monier/)で見比べると、(ニュアンスとして)、
bhavaが、主に〔即物的・具体的存在、特に「人間としての(生物としての)存在」〕を指すのに対して、
bhAvaは、もっと抽象的・概念的に、〔性質や抽象的存在〕を指すようだ。概念、思考、感情、等をも指すように見える。
が、もとより両者の境界は曖昧だ。 (特にSktなれば)、韻律の関係で互換性を持つこともあろう。(?w)
 *(当然、人間存在であれば、「五蘊としての存在」を指すことになるわけだが・・。
  そう。《「色」だけでなく【「受想行識」を含めた】》、ねw)
もっとも、bhavaの方は「(〜によって)生じたところのもの」というニュアンスを強く持つわけだが・・。

266 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 22:11:04 ID:Kw3hfgxf
仏教 議論スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/78
bhava m. ( √ bhU)
【coming into existence 】,【 birth 】,【 production 】,
origin (= bhAva ,《 with f(A). = 【 arising or produced from 】,【 being in 】,【 relating to】》)
becoming , turning into (comp.)
《being , state of being , existence 》,【 life (= sat-tA ) 】
worldly existence , the world (= saMsAra )
【 (with Buddhists) continuity of becoming (a link in the twelvefold chain of causation) 】
well-being , prosperity , welfare , excellence (= zreyas )
obtaining , acquisition (= Apti , prA*pti)
a god , deity.
name of agni / of a deity attending on rudra and frequently connected with zarva
 (later name of ziva or a form of ziva ; or nameN. of a rudra , and as such of the number 11 or of the 11th lunar mansion Gol. Var. Sch. ; du. bhavau = bhava i.e. ziva and his wife bhavAnI BhP. ; cf. Va1m. v , 2 , 1) AV. &c
name of the 1st and 4th kalpa / name of a sAdhya / name of a king / name of a son of pratihartR /
name of viloman / name of a rich man / name of an author

267 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 22:22:59 ID:Kw3hfgxf
仏教 議論スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/70
>> 54の補訂。

 *>「一般に存在者には固有の性質はないが、かかる存在者には<実在性>は属していない。」(1:10)

1-10ってことはこっちか・・。 (>>54は梵文の1-3、青目釈では1-4。)
梵10(漢12):
 諸法無自性 故無有有相 >諸法は自性無きが故に、有の相あることなし。

 bhAvAnAM nis-svabhAvAnAM na sattA vidyate yatas,
 「(凡そ)“ある”もの/存在」は「自性無きもの」である故に、「“実に(真に)存在する”もの」が「ある」ということはない。

 説有是事故 是事有不然 >(よって)“是の事〈有る〉が故に是の事〈有り〉”と説くは然らず。

 sati idam asmin bhavatI iti etam na eva upapadyate.
 その故に、「これある時、それ(「“ある”ということ」)がある」という、このこと(そのように言われること)は成り立たない。

Sktは私訳&直訳だが、(そこから敷衍しても)平川訳とは大きな距離がある。
(誰かデキル人、梵文和訳の差し替えヨロw m(_ _)m )
おそらく、二行目は略して一行目のみが提示されているのだろうが、「飛躍した読み」という印象が拭えない・・。
(捲っているのが三枝レグルス文庫なんで、正確さに欠けるとはいえ、
 平川訳の内容と被るものを探すのに苦労した。だから最初は〈梵3・漢4〉のことだと勘違いした。)

268 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 22:48:14 ID:nELhxMfA
死に至る病 仏教

269 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/17(木) 23:27:18 ID:BFgakuv4
>>263 :神も仏も名無しさん:
>竜樹は・・・「相対性・相互依存性・関係性故の無自性」という
「空概念」に発展させたのです。これは、「因果関係」とは似て非なるものであり、・・・釈迦の「これがあるから、あれがある」の命題を否定しています。

大変分かりやすく納得できました。
さて竜樹は中観思想な訳ですが、もう一つの大乗の大きな流れの唯識思想では縁起と因果の関係はどう扱われているのでしょうか?

蛇足ですが「換骨奪胎 」する位なら全く別の単語を当てた方が誤解や混乱が無かったのではと・・・竜樹さんに言いたいですね。

270 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 23:30:01 ID:Kw3hfgxf
>>269
あまり隠居の思想に共鳴し過ぎると危険ですよw

271 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 23:34:33 ID:6ReE4bDt
>>270  当て馬につかってるだけだろうww

272 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 23:40:51 ID:Kw3hfgxf
>>271
微妙なんだよね、立ち位置がw
269は他に比べて明らかな皮肉っぽく見えなくも無いが。

273 :てすと:2011/02/17(木) 23:40:53 ID:C0J0+E6y
>>269
南無中、質問するなら質問スレ行けよ。

うざい。

274 :てすと:2011/02/17(木) 23:45:30 ID:C0J0+E6y
>>271
単に仏教の初心者なんでしょう。
議論スレでお勉強はやめて欲しい。

275 :神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 23:55:57 ID:6ReE4bDt
放火魔てすとww

さて、火はつくかな?w

276 :てすと:2011/02/18(金) 00:19:18 ID:WrzV4L+k
質問は質問スレで。

ただそれだけ。

277 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 00:36:30 ID:soMjJGkB
>>276
質問が嫌なら、質問や回答に横レス入れて大議論にすれば?

私は本来、横レス専門。

質問に文献の記載から答えるだけなら、それは幼稚園の「お勉強」。

278 :てすと:2011/02/18(金) 08:05:09 ID:WrzV4L+k
>>277
質問者が真面目に悩んでるのに、横レスとかなんでそんな酷い事するの?

悩んでる人は質問スレ。
議論したい人は議論スレ。

ご隠居を質問スレから隔離したとか言って、ここを事実上の質問スレにしたら意味がない。

279 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 09:32:13 ID:dZWP2Qlf
>>278 そらそうだw
南無さんよ、純粋に質問したいのであれば質問スレへ。
自己の見解も述べるつもりであるなら、
「私は・・・について、・・・・と考えるが異論のある人はどうぞ」という形にしては?
詰まり、まず自己の見解をはっきり語り、そのレスについて
不明な点を聞くという形にすれば良いと思うがね。


280 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 11:01:28 ID:X6U2Ksch
>>278-279
《「議論の流れの中で」生じた疑義》もあろう。
《「自身の理解の確認、或いは更なる掘り下げ」の為の問い》もあろう。
《「その後の議論へ向けての布石」としての問い》もあろう。
或いはまた、
《対論者の瑕疵を指摘する為の問い》もあろう。
《「議論の中で派生して生じる」周縁の(連想ゲーム的)疑問》もあろう。
そうした質問は、どう位置付けられるんだい?
議論の過程で質疑は生じない、とでも?

質問スレに於いても、議論そのものが完全排除されているわけではない。
テンプレにあるように、「専門性が突出した流れ」「込み入った内容」「水掛け論」「長期化」
等の事態を避ける、という意図だ。
 *(回答の妥当性確認や幅・バリエーションの提示として、多少の議論は許容されよう。)
隠居の存在(応答・発言)は、そうしたことへの因でもあり、
何より『伝統解釈、一般的解釈、通説』とさえかけ離れている(→質問への回答として不適切)故に排除対象であるだけだ。

よって極論杉。質疑無き議論などありえない。

2chとしては野暮な指摘かもしれんがw、一応横レスしとく。

281 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 12:00:18 ID:91gTphj4
>>280 
俺は「議論スレなんだから、質問なんかするんじゃねえ」と
言ってるわけではない。(てすとは知らんがw)
もともと議論と質問(疑義)に明確な線引きをすることなど不可能。
相手の説明が不十分なら、当然それについて聞き返す。

しかし、この南無という人は、心経についても語っていたように、
それぞれの課題について、それなりの自己の見解をもっているわけだろう?
なら、「・・・・・とは何ですか?」と問いかけ、それについて
「いや、それは違うでしょう?・・・が正しいのでは?」とやるのではなく
(実際、質問の形をとりながら、自己の見解を主張する『分かってる君』が
多いだろ?ww)
始めから「私は・・・について・・・のように考えるのですが、異論のある方は
述べてください。」というスタンスでやったらどうかね?と思うわけよ。

純粋に、ある事例について「教えてもらう」のであれば、「異論を述べること
なく、『ありがとうございました』で終了すればよい。」勿論、質問スレでね。
そうなのではなく、自己の見解を有し、その是非を問いたいのであれば、
まず、「自分は・・・のように考えるのだが・・」と語るのが礼儀なのでは?
でなければ、「相手が何もしらないことを前提として、回答してくた者」
に対して失礼なのでは?と思うがな。
(勿論、質問の形をとりながら、実質は反論である「・・・は、どうなんだ?
答えてみろや。」なんてのは除外だがw)




282 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 12:16:22 ID:kVST3D/U
>>280
>何より『伝統解釈、一般的解釈、通説』とさえかけ離れている

スケールが小さすぎる。それら「伝統解釈、一般的解釈、通説」に対し、
常に、「人間の生物的生命」という「根源」からの光を当てなければ、進歩は
ないばかりか、間違った方向に迷い込んでしまう。

「根源的な質問や議論」を排除したら、それは「幼稚園のお勉強」、「共産主
義の集会」、「宗教の儀式」に過ぎない。

そもそも、宗教板に、議論の無い質問箱など、唯の一つでもあるかねw。

283 :てすと:2011/02/18(金) 16:46:58 ID:bCPBeItP
>>281

その通りw

ようは、本当は自分大好きのしったかのくせに、初心者を装って質問して上げ足を取ろうとしていて、
ここのスレにいる連中はそれもわかったうえで、わざと質問に答えてスレをもりあげてるのに、
味をしめて何度も聞かれると、「しつけーな。こっちはわざと引っかかってるのにうぜぇな。。」となる。

語りたいくせに質問者のふりをしてるから、「ほうほう、質問に答えたぜ。さて次はどう展開するのかな?」と思ったら
先の展開が全くなくて「あれ?また質問?つまんねー。質問スレ池よww」

となった次第でございます。

284 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 18:44:58 ID:JyHyunYH
>>269
>唯識思想では縁起と因果の関係はどう扱われているのでしょうか?

こちらは「本当の」初心者で、唯識までは手が回りませんが、感想としては、
すべての外部の事象は「人間の識の作用」であるというのは正しい。「人間」
が考えていることに過ぎないのですから。

最近の西洋哲学でも唯識が見直されているそうだが、当然のことです。私が、
禅者でもある大学の物理学の教授と飲んでいた時、「先生、この目の前のビール
瓶が実在であることを証明してください」と言ったら、目を白黒させていた。

唯識が、識を種々に分類して論じているのには疑問を感じます。「心」を考えて
いるのも「心」の作用なのだから、その考えの正しさは何によっても担保されず、
無意味なのではないでしょうか。

アラヤ識は、フロイトの「無意識(深層心理)」に相当するものだと思うが、
「無意識」を意識したら、それはもはや無意識とは言えません。フロイト先生
は、この指摘にどう答えるでしょうかw。

アラヤ識は、私のいう「生命」に相当するものかも知れないが、「生命」は
対象化して思考の対象に出来るものではなく、ただただそれに従うべきもの
です。

285 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/18(金) 18:51:52 ID:+J7vR2uB
>>279 :神も仏も名無しさん:
>>281 :神も仏も名無しさん:

なるほど、私の最初のコメント。
>>31 :南無中観寺
>ところでこの縁起の絶対性は中観思想では否定されているのではないでしょうか。

読めば分かるように、私は「中観思想は縁起の絶対性を否定している」と言う主張をしています。
貴方の見解は?

もしお望みなら今までの私の主張をコピペしますがかなりの分量になります。

>>283 :てすと:
>先の展開が全くなくて「あれ?また質問?つまんねー。質問スレ池よww」

貴方の考えは了解しました。


286 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 19:05:53 ID:c7M69C3Q
>>281
その辺はグレーゾーンになっちゃうだろw
派生的問いか、関連無き突的問いかの線引きはムズイっしょ。
また、>>000で自身がコメントするように、主張は垣間見えるし、
継続するかどうかは他の人間の“絡み具合”次第だし。
(ま、てすとが指摘するように、「様子伺い」「茶々入れ」的な香りも仄かに漂ってはいるが・・w)
隠居の破廉恥ぶりに比べれば、通常運転通常レスで構わんでしょw


>>283
(相変わらず)キツイなぁ・・w

>>285
幾つか指摘されている通り、(たとえ本意ではないとしても)、
下手に出ながら足元を掬おうとしているように見えてしまうレスの仕方になってる感じはあるかなw

287 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 19:11:09 ID:JyHyunYH
>>285
縁起を「絶対化」したら、それはもはや「空」ではありませんねw。
何事も、何人も、相対性の産物だから、絶対というものは有り得ない、
というのが「空の思想」だと思います。

288 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 19:15:15 ID:c7M69C3Q
>>282
あのなw
たとえば小学生に、
「信号が赤でも、車がまったく来てなければ渡ってもいいよ」
と教えてしまうようなもんだからマズイと言ってるのさ。
ど田舎や、夜中だったりして交通量の極々少ない道では、
《大人なら》或いは《状況を的確に判断した子なら》、誰もが渡ってしまっている筈だ。
それは、「【ルール上は】アウトだが、【実務上は】合理的判断・行動」となる。
ケースバイケースでの対応が許容される事案だ。
しかし、小学生への教唆としては、「禁止事項」として示されねばならない。
質問スレでの応答は、そういうものであるべきではなかろうか?ということさw
(上の例で言えば、《「ルール上の事柄」が示されるべき場所》じゃねーのか?と。)

289 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/18(金) 19:24:41 ID:+J7vR2uB
>>286 :神も仏も名無しさん:
>下手に出ながら足元を掬おうとしているように見えてしまうレスの仕方になってる

???

>>ところでこの縁起の絶対性は中観思想では否定されているのではないでしょうか。

このレスの何処がそう言う感じなのですか??>>287 :神も仏も名無しさん:
のようなレスがありまして、 何処が「足元を掬おう」としていますか??

と言いつつ純粋な質問です。
このスレでは名無しなのに発言者を特定できているみたいなのですが何故なんでしょうか?(例:隠居)

>>287 :神も仏も名無しさん:
おっしゃるとおりだと思います、有難うございました。


290 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 19:26:56 ID:JyHyunYH
>>288
質問者も回答者も「小学生」ではありませんよw。足を掬おうとしてるのかも
知れないことは分っているし、掬われても別に構わん。回答者も、質問者の
足を掬う場合もある。

ルール、ルールと叫ぶ貴方が、一番、仏教から遠い小学生に見えるw。

291 :てすと:2011/02/18(金) 19:28:23 ID:bCPBeItP
>>278

だから、色と空はセットで書かれてるのにねぇ。。。

どうして1セットのものをばらすのか理解に苦しむよ。
実体であると同時に実体でないと書いてあるのにどうして素直に読まないんだろう。

292 :てすと:2011/02/18(金) 19:38:03 ID:bCPBeItP
>>289

>このスレでは名無しなのに発言者を特定できているみたいなのですが何故なんでしょうか?

ああ、専ブラのチートツールで名無しのIP全部わかるんだよ。場所かわったり携帯に変えるとわからんけどね。

293 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/18(金) 19:47:50 ID:61aZlmgI
>>285
>読めば分かるように、私は「中観思想は縁起の絶対性を否定している」と言う主張をしています。

横レスですけど、「無自性で縁起」は矛盾してますよね。
(自性なら矛盾はない)

矛盾は矛盾のままで、しかも全体として保ってるだけです。>>262より抜粋

あらゆるものが矛盾において成り立つもの→世俗諦という
この範疇でしか、そもそも議論自体がなりたたない。
ってのが中観思想ですね。

294 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 20:14:04 ID:JyHyunYH
>>293
「無自性で縁起」ではなく、「縁起だから無自性」なのではありませんか。
私は、中論をそのように解します。

「全体として保っている」のなら、そもそも矛盾はなかったことになる。

この意味で、西田幾太郎の「絶対矛盾の自己同一」という命題はおかしい。
自己同一なら、最初から絶対矛盾などなかったことににり、また自己同一する
必要は何もない。西田のこの言葉には、明らかにキリスト教の影響がある。

295 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 20:26:21 ID:JyHyunYH
>>291
>実体であると同時に実体でないと書いてあるのにどうして素直に読ま
>ないんだろう。

今日、書店で中村元さんの般若心経の解説を立ち読みしたら、「空とは
無ではない」と声高に強調していた。

このセットこそ、大乗仏教の真髄だと思うのだけどね。

それにしても「色即是空・空即是色」の解釈さえばらばらとは、何とか
して欲しいものだね。大乗、浄土真宗、小乗間の思想的相違からなのか。
浄土真宗は、般若心経は読まないらしい。

296 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/18(金) 20:28:36 ID:61aZlmgI
>>294
>「縁起だから無自性」なのではありませんか。

それにしてもオカシイ。

縁において生起するなら、何が生起するのですか?
関係性が生起するのか?→これもオカシイ
主体が生起するのか?→生起した時点で無自性ではない

矛盾は矛盾のままで、しかも全体として保ってるだけです。>>262より抜粋

では、おやすみ。

297 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 20:34:48 ID:JyHyunYH
>>296
中論には、そもそも、「生起」「生じる」という概念がないのではありませんかw。

298 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 20:43:31 ID:nSFPExJb
>>267
「中論の頌1:10」って、三世実有・法体恒有の、否定じゃないですかね?

299 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 20:57:30 ID:c7M69C3Q
>>289
>このレスの何処が
そのレス単独ということじゃなく、
登場してからのレス(内の言葉)の傾向を俯瞰して感じられる印象、
ということ。

>発言者を特定できているみたいなのですが
上の文と同じようなことだが、
「口調(文体)」「内容(頻繁に触れられる注目点、主張内容)」「よく用いられる用語」
「内容を説明する為の手法、アプローチの仕方」「語彙の傾向」
或いは
「文全体の構成の仕方、表記の仕方」
などから総合的に推測できるから。 で、加えてID表記の板でもあるし。
少し遣り取りを重ねれば、自然と判別できるようになるw
(ちなみに、このスレの常連は(コテ含め)7・8人でしょうw 最近顔出さないコテや名無しもいらっしゃいますが・・。)


>>290
「ルール」も「小学生」も喩えの上。 ほんとに上っ面しか読めない御仁だなw
中論も同じように上っ面しか読めないから、頓珍漢な理解となるw
(また「小学生」を使ってしまうがw)
小学生の「書き方」の練習に五軆字類を使わないようなもんだ。

300 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 20:59:58 ID:c7M69C3Q
>>298
1:10のみならず、中論全体が「対有部」「反有部」に彩られている、と見えるけどね。

301 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/18(金) 21:16:53 ID:+J7vR2uB
>>292 :てすと:
そうだったんですかよく判りました、有難うございました。

>>293 :机龍之介
>矛盾は矛盾のままで、しかも全体として保ってるだけです。

因果関係に拘れば おっしゃるとおり矛盾性が出てくるのでしょうね。
しかし縁起を相対関係と見れば因果の議論を回避できるのではないでしょうか。中論にはそう言う意味があると思うのです。

>>295 :神も仏も名無しさん:
>大乗、浄土真宗、小乗間の思想的相違からなのか。

般若心経は中観思想のエキスなので、中観派以外には批判されるはずです。
小乗(この表現は失礼かも?)の立場では般若心経はボロクソに批判されてるはずです。
私は唯識思想でも立場が全く違っていると思います。
だから唯識派が心経を経として採用すること自体がおかしいと思います。
で唯識が大勢を占めている日本仏教のほとんどで心経が採用されています。
考え方が違うのに心経を解説するから、曲解するのでは?と考えます。


302 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 22:48:36 ID:nSFPExJb
>>300
そうですね。
第一章10の、「このことがあるとき、このことがある」 というのは、
釈迦の縁起の否定じゃなくて、説一切有部の、法有の立場の否定だと思います。

「このこと(法 <実有>)があるとき、このこと(法<実有>)がある」ということは、可能ではない。


303 :神も仏も名無しさん:2011/02/18(金) 23:35:01 ID:zPpEqpw1
>>302
>「このこと(法 <実有>)があるとき、このこと(法<実有>)がある」という
>ことは、可能ではない。

ならば、「これがあるから、あれがある」も一層不可能ですね。

釈迦の12縁起は、完全な因果関係。釈迦には、竜樹のような「無自性故の空」
という思想がどこかにあるのでしょうか。

中論は、当然のことながら、因果関係も否定しているものと解されます。

304 :てすと:2011/02/19(土) 01:28:22 ID:sfFxlC83
>>295

>それにしても「色即是空・空即是色」の解釈さえばらばらとは、何とかして欲しいものだね。

だから何で解釈が必要なのか分からないよ。

「色即是空・空即是色」に何も足す必要もないし引く必要もないのに、解釈や説明が必要なのか?

そのままでいいじゃん。そこで「空とはなんぞや」とやるからおかしくなる。

305 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 02:14:10 ID:8IM/Ej+Q
何も足さない、何も引かない

そういえば、昔そんなCMがあったなw

>・・・・解釈や説明が必要なのか?

そらあ、必要だろ?
みんな、「あ!わかった」とやりたいし、その次に、
「それを誰かに教えたくなる」ww

306 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 02:42:27 ID:RXfrC4+g
>>304
般若心経の種々の解説書を読んでみろよ。解釈は皆ばらばら。本当に分っている
者は、誰もいないらしい。

>>305
君のような「文献記載君」とは違うよ。

307 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 02:56:42 ID:8IM/Ej+Q
>>306
>君のような「文献記載君」とは違うよ。

また、分けの分からんレスをwww
幼稚園から、勉強しなおしてから書き込みせえやw

308 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 03:43:27 ID:2pWx/Tv4
>>303
>ならば、「これがあるから、あれがある」も一層不可能ですね。

自性があるなら、不可能ということになりますね。

例えば、月の3分の1に自性があるとします。
そうすると・・・、月の3分の1は、残りの3分の2が無くても、
存在出来る、ということになりますよね?
「これ(月の3分の1)があるから、あれ(月の3分の2)がある」 ということにはなりません。
自性があって自立が出来るので、月の3分の1は、それ自体でも成立します。

でも実際は、月の3分の1が在るときには、残りの3分の2も、必ずあります。
逆に、月の3分の1が無い場合は、残りの3分の2もありません。
お互いがお互いに依存しているので、相依関係にあると言えます。
相依関係にあるから、自性は無い、ということが分かります。

じゃあ例えば、「無明」と「行」の関係の場合、
無明が在るから、行もあるんですよね?
無明だけあって、行が無い・・・ということはありませんよね?

「原因と結果」という場合、「結果」が無ければ、「原因」と呼ぶのはおかしいですよね?
逆に、「結果」があるならば、「原因」を必要としませんよね?
もし、「原因」と「結果」が相依関係に無いならば、
それぞれが、独立して存在することになります。
果の無い因が存在することになり、因の無い果が存在することになります。
しかし・・・、そんなものは無いですよね?

「無明」があるから「行」がある・・・というときには、この二つは相依関係にあります。
「無明」があるのに「行」が無ければ、無明は独立して存在していることになり、自性が在る、ということになります。
またそうであるなら、「結果を離れて原因がある」ということですから、そんなことあるわけないですよね?
つまり、(「原因と結果」因果関係は、相依関係ではない・・・) という考えは、おかしい、ということになります。

309 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 05:10:01 ID:vbaSiSMk
因果関係と言う場合、それは、必然的に人間の認知能力の限界に制約される


310 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/19(土) 09:02:11 ID:9D2oK0zJ
>>301
>因果関係に拘れば おっしゃるとおり矛盾性が出てくるのでしょうね。
>しかし縁起を相対関係と見れば因果の議論を回避できるのではないでしょうか。
>中論にはそう言う意味があると思うのです。

いやいや、因果関係以前の話をしているんですよ。

縁起は相対関係のことではないですね。
縁(即ち関係性)のことしか中論には書いてないです。
関係性があれば、「これ」と「かれ」が導き出される。ってことで、
「これ」と「かれ」は論議上の説示であって・・・・
無自性ですから、「これ」と「かれ」は相対関係じゃないですね。
あくまでも、「これ」と「かれ」は仮の設定です。

つまり、主体と客体は相対している訳ではなくて、
そもそもその主客境界というもの自体がない。ってことです。

ですから「何が生起するのか?」ってたら、生起するものはないから
「生起するも、しかもそのまま滅する」となるんですね。→縁生・縁滅
ようするに、五蘊については論理的に説明するのは不可ですが・・・
不可であっても、人間は理解することは可能です。

あまり論理的に考え過ぎると、法から遠のきます。
ただ大事なのは、縁(関係性)において「これ」と「あれ」が分別できる。→世俗諦
縁は一義的であって、「これ」と「かれ」は二義的なものである。となり
それが「色即是空・空即是色」ですね。→禅宗解釈

「色即是空・空即是色」も、真言宗では、すこし違った解釈になる。

そもそも「色即是空・空即是色」の本義ってもは誰も解からんのじゃないですか?
推測でもっての論説はあるが・・・。


311 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 10:24:30 ID:nZdNf2UV
全ての客体という現象は 主体により構成された自己内部の現象である。

312 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 10:29:16 ID:nZdNf2UV
猫は猫の(モノクロ)世界、イルカはイルカの(超音波の知覚)世界が構成される。
どれをもって真であるとは言い難い。
しかし是れがありのままでそれ以外はないため法である故に人間世界が如法として現れる。

313 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 10:35:32 ID:xVvLqqyj
唯識?

314 :1/2:2011/02/19(土) 11:16:12 ID:xVvLqqyj
あ、>>266に続きがあったw (こっちはPTSだな)

仏教 議論スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/
79 1/2 sage 2010/04/13(火) 01:56:36 ID:3tl8f+by
bhAva m. ( √ bhU)
becoming , being , existing , occurring , appearance
turning or transition into (loc. or comp.)
continuance (opp. to cessation ; eko*ti-bhAva ,
【continuity of the thread of existence through successive births ;Buddhist literature. 】,
wrongly translated under eko*ti-bh°)
state , condition , rank (with sthAvira , old age ; anyam bhAvam Apadyate ,
euphem. = he dies ; state of being anything , esp. ifc. e.g. bAlabhAva ,
the state of being a child , childhood = bAlatA , or tva ; sometimes added pleonastically to an abstract noun
e.g. tanutA-bhAva , the state of thinness)
true condition or state , truth , reality (ibc. and °vena ind. really , truly)
manner of being , nature , temperament , character (eko bhAvaH or eka-bh° , a simple or artless nature ;
bhAvo bhAvaM nigacchati = birds of a feather flock together)
manner of acting , conduct , behaviour
any state of mind or body , way of thinking or feeling , sentiment , opinion , disposition ,
intention (yAdRzena bhAvena , with whatever disposition of mind ;
bhAvam amaGgalaM- √kR , with loc. , to be ill disposed against ;
bhAvaM dRDhaM- √kR , to make a firm resolution)
(in rhet.) passion , emotion
 (2 kinds of bhAvas are enumerated , the sthAyin or primary , and vyabhicArin or subordinate ;
the former are 8 or 9 according as the rasas or sentiments are taken to be 8 or 9 ; the latter 33 or 34)
conjecture , supposition
purport , meaning , sense (iti bhAvaH , " such is the sense " = ity arthaH or ity abhiprA*yaH ,
 constantly used by commentators at the end of their explanations)

315 :2/2:2011/02/19(土) 11:22:21 ID:xVvLqqyj
仏教 議論スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/
80 2/2 sage 2010/04/13(火) 02:00:41 ID:3tl8f+by
love , affection , attachment (bhAvaM- √kR , with loc. , to feel an affection for)
the seat of the feelings or affections , heart , soul , mind (parituSTena bhAvena , with a pleased mind)
that which is or exists , thing or substance , being or living creature
 (sarva-bhAvAH , all earthly objects ; bhAvAH sthAvara-jaGgamAH , plants and animals)
(in dram.) a discreet or learned man (as a term of address = respected sir)
(in astron.) the state or condition of a planet / an astrological house or lunar mansion
name of the 27th kalpa (s.v.) / name of the 8th (42nd) year in Jupiter's cycle of 60 years
(in gram.) the fundamental notion of the verb , the sense conveyed by the abstract noun
 (esp. as a term for an impersonal passive or neuter verb having neither agent nor object expressed
  e.g. pacyate , " there is cooking " or " cooking is going on ")
name of the author of the bhAvaprakAza (= mizra-bhAva) / wanton sport , dalliance
birth / place of birth , the womb / the world , universe / an organ of sense /
superhuman power / the Supreme Being / advice , instruction / contemplation , meditation (cf. -samanvita)

あ、違うwww
三つともモニエルか。 テラ間抜けw

316 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 13:20:07 ID:/Z1Wq0lX
>>310
「相対」とは「それ単独にでなく、他と『関係づけて』捉えること」(岩波
国語辞典)。

中論は、全編これ「相対性(=関係性)」の哲学・思想です。

317 :てすと:2011/02/19(土) 13:26:18 ID:Z9WjXeEA
>>316

だから、中論そのものにも相対対象が必要なのに、中論を絶対基準化するから、ダブルスタンダードだって批判されるんだろ。

どうして何度言っても分からないのか。

318 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 13:54:26 ID:/Z1Wq0lX
>>317
勿論、中論も相対的です。中論自身がそういっているのだからw。「相対対象」
も相対的です。「いかなる存在も相対的」(中論第25章「涅槃の考察」参照)。

「相対的」とは、「関係的」であると同時に「相互依存的」でもある。
ちなみに、英語の"relative"の定義は次の通り。
"related to each other;dependent upon or referring to each other".
(Webster's New World College Dictionary).

319 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 14:02:35 ID:/Z1Wq0lX
>>317
中論をいくら批判しても構わないのですよ。中論も批判も相対的で「空」
なのだからw。石飛さんもそう言ってた。「暖簾に腕押し」ですw。

320 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 14:06:14 ID:/Z1Wq0lX
「個は、他との関係においてのみ存在し得る」。これが、大乗仏教の基本
思想です。

321 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/19(土) 14:26:01 ID:xb2lCgme
>>310 :机龍之介 ◆
>無自性ですから、「これ」と「かれ」は相対関係じゃないですね。

よく判らないです。
無自性だから、相対関係しかない、自性なら各々が絶対関係を持ちうるわけですよね。

>そもそもその主客境界というもの自体がない。ってことです。

その場合「これ」「あれ」と言っている主観は?

>あまり論理的に考え過ぎると、法から遠のきます。
>縁(関係性)において「これ」と「あれ」が分別できる。

分別すると言うのは極めて論理的行為では?
しかも分別される客体とする主体が要請されます。

>不可であっても、人間は理解することは可能です。

理解できません。



322 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/19(土) 14:36:35 ID:xb2lCgme
>>317 :てすと:
横レスで申し訳ないですが・・・・

>中論そのものにも相対対象が必要・・・

これは中論が反論者(部派仏教)に対して書かれたと言うことですよね?

>中論を絶対基準化するから、ダブルスタンダードだ・・・

成る程、私は「色即是空・空即是色」を「実在を捉えなおしている」と解釈することがダブルスタンダードだと解釈しましたがそれで良いですか?

323 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/19(土) 14:41:04 ID:9D2oK0zJ
>>318
>いかなる存在も相対的」(中論第25章「涅槃の考察」参照)。

中論第25章は、如来についての記述ですが・・・
>『我が有ると考えるのは、我が有ることではない』
>『凡夫であると考えるならば、凡夫ではない』
と、抜粋ですが書かれています。

如来とは、非相対の象徴的語句でありまして、
拙者が簡単に説明しますと、
「我がある」というのは「我がない」としての相対概念であり、
もし「我がある」となれば、「我がない」ことを前提としなければならんから、
如来には、そもそも「我がある」とか「我がない」とかの前提は不可能。
何故ならば、如来とは有無それ自体の概念を有さないから。

「凡夫」においての記述も同じ意味です。

324 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/19(土) 15:00:37 ID:9D2oK0zJ
>>321
>よく判らないです。
>無自性だから、相対関係しかない、自性なら各々が絶対関係を持ちうるわけですよね。

いやいや、主客未分(空)において相対が成り立つ。ってことですね。
空→勝義諦
色→世俗諦(相対関係)ですね。
無自性ですから、相対関係以前は主客未分です。
これが、「色即是空・空即是色」の意です。→禅宗解釈

>その場合「これ」「あれ」と言っている主観は?

そもそも、主観とか客観とかの概念はないです。仏教は一如の法門ですから。

>分別すると言うのは極めて論理的行為では?
>しかも分別される客体とする主体が要請されま

仰るとおりです。
即ち仏教とは、論理破壊を要請されますね。
一元論にあらず、二元論にあらず。ですね。


325 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 16:54:23 ID:VDbzFBw0
>>323
>如来とは、非相対の象徴的語句でありまして

横レスだが、誤解を招く表現ですね。「相対の象徴」とすべきではありませんか。
「非相対(自性)」の象徴なら、仏教は「自性」を目指していることになって
しまいます。「釈迦の絶対化(自性化)」も同様です。

「相対だから無自性」なのであって、その逆ではありません。「無自性」を
前提としたら、無自性が自性化してしまいます。「無印良品」が商標となって
しまったのと同じですw。

「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である。如来の無自性で
ある性格が、そのまま生類の無自性である。」(中論22:16「如来の考察」
平川彰訳)

326 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/19(土) 17:37:48 ID:9D2oK0zJ
>>325
自性というのは、そもそもウバニシャット哲学(梵我一如思想)からの概念で、
「我に本質がある」って考え。→アートマン
のことであって、
これは有部(初期仏教)でさえ否定してます。→無我ですから当然です

>「相対だから無自性」なのであって、その逆ではありません。

無自性というのは、「我に本質がない」ってことですから、
そもそも相対しようがないですね。

貴殿がいう「相対」というのは、何と何が相対するんですか?
相対できるなら、なにも「縁起」である必要性はないんじゃないですか?

>「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である。如来の無自性で
>ある性格が、そのまま生類の無自性である。」(中論22:16「如来の考察」

「如来の本性」というのが個別性としてある訳ではなく、
それはそのまま普遍性を有する。の意
ならば
「如来の無自性」は普遍性である。の意
ならば、
普遍性そのもの(法)を如来と名づく。の意

327 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 17:51:43 ID:Dtqft40H
KanNonaNfo <= #]゚「~*c4S     観音様
MirokudyQk <= #Nコホkyw{*    弥勒菩薩
nmOmn/UKhw <= #セrrdgs0N   スマン
Amen//SjzQ <= #0ケupe%qk    エイメン、アーメン
ggrks/guTw <= #:~ルq|D']      ググレカス
Satoridfec <= #kgnv+6.D      さとり
Mirai/MBHc <= #9トzfT[.h       未来
Maria/NkqE <= #{Lk-5UHa     マリア
Budha/s12A <= #iN26o5「,      ブッダ
Kouan/yy/U <= #`IM(+h78      公案
Anjer/Tj0s <= #[%ーdFFI%       エンジェル、アンヘル
Dharuna5DQ <= #40アoajH&     ダルマ
Kako//sBXE <= #w,yw]+Pz      過去
GenzaidTMg <= #{,QN1ee$      現在
Happy/NxpM <= #]^GBセctX     幸福
NozomiqTKI <= #ZxYG#TF{     ノゾミ
AnandaUBiQ <= #^ヒ/7?P\h      アナンダ
ArahanipWY <= #agミEyf__       阿羅漢
Hanya/H7nA <= #^Pg]baFJ      般若
Venus/6oew <= #@レsnYHdセ    ヴィーナス
Amida/NXA. <= #dノWW_K\-     阿弥陀様
Lucky/M0Ls <= #g5ワ@3X_r     幸運
Enma3/fYCE <= #yハ#D2m9^    閻魔さん
Sinri/H2S2 <= #シ/7M,Uew     真理
Zazen/Utco <= #@シムqW7Sy    坐禅
Kami///.dA <= #cB5o#A}y     神
Asyura0Ras <= #{=オS+?II      阿修羅
Bosatuxxhw <= #tユ4nM&gセ    菩薩
Akuma/beVg <= #|シ4Qc}_f     悪魔
Budha/3Kx. <= #=゚オt*F0z      仏陀

328 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 18:06:55 ID:w/BlAIJx
>>326
>貴殿がいう「相対」というのは、何と何が相対するんですか?
>相対できるなら、なにも「縁起」である必要性はないんじゃないですか?

すべての現象物は知覚できるから、ちゃんと相対できますよ。相対である(相互
依存・関係性という抽象観念の産物だから)、執着すべき「自性」はない、と言う意味。

「普遍性のある自性」など想定しているのなら、「空」ではない。それは一神教の
神概念。

329 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 18:21:31 ID:JGMWpQvT
仏教でいう自性と「生命教でいう」自性は
違うんだってwww

330 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 18:50:49 ID:xVvLqqyj
ちなみに、阿含で言う自性と中観及び空思想系で言う自性も微妙に違うけどなw

331 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 19:06:42 ID:JGMWpQvT
阿含の方は「アートマンみたいな不変の基体」みたいな「本質」的な
意味合いが強く、中観だと「単独で存在し得る属性」みたいな
相依との対比的な側面が強調されるのかな?

332 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 19:11:26 ID:xVvLqqyj
>>331
いやw
前者は、一般的に言う(緩い意味での)「固有の性質」といった程度のもの。
しかも、用例はほぼ註釈文献に限られてくるんじゃないかな?
(あ、その意味で言うと「阿含」ってわけでもなくなるかwww)

333 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 19:23:47 ID:w/BlAIJx
>>329
同じだよ。竜樹は立派な生命教徒。優れた人物は、必ず「究極」を追求する。
枝葉末節の「文献の記載」などではない。

「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である。如来の無自性で
ある性格が、そのまま生類の無自性である。」(中論22:16「如来の考察」
平川彰訳)

334 :ごうたま ◆1Jc2wB5QMU :2011/02/19(土) 19:51:54.88 ID:BDjuv/0y
中観を勉強している人に質問します。

そもそも、如来って何?

335 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 20:08:11.27 ID:JGMWpQvT
>>333 全く違うってw

「生命教」でいう「自性」って『自分の性癖』のことじゃん
略して「自性」ww
レイプOK セクハラOK
だろ?www

336 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/19(土) 21:28:46.40 ID:xb2lCgme
>>324 :机龍之介 ◆
>主客未分(空)において相対が成り立つ。ってことですね。

主体(主観)が無い時点で何故相対と言う観念が生じるのですか?

>無自性ですから、相対関係以前は主客未分です。

この文章は相対関係以降は主客が分化したと読めます。
「主客未分(空)において相対が成り立つ。」と矛盾。

>そもそも、主観とか客観とかの概念はないです。仏教は一如の法門ですから。

それは 誤用では?
善悪が一如とか主客が一如とかいう意味ですよね。
それは善と悪や、主と客が相対的にあるのであって一対の関係にあると言うことでしょ?
始めから「主観とか客観とかの概念はない」ならばもとより一如が意味をなさなくなる。

>>335 :神も仏も名無しさん:
>レイプOK セクハラOK だろ?www

勿論そうでしょうが、犯人を極刑にするもOK です。



337 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 22:37:43.72 ID:z00eBc2W
>>335
>レイプOK セクハラOK だろ?www

宗教者は、レイプやセクハラには大騒ぎするのに、人を殺すことには騒がない。
それがどれほどの倒錯であるかを考えてみよ。

338 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 22:41:07.61 ID:xVvLqqyj
>>337


それは、どういう統計データに基づいてるんだい?w

339 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 22:57:27.79 ID:z00eBc2W
>>338
生命の至上性・究極性には反発しながら、専らレイプやセクハラを非難すると
いう倒錯を犯しているということ。

宗教による大殺戮については、宗教戦争の歴史、現代では「一神教の聖地」で
ある中東の惨状を直視されたし。統計など見る必要はない。

340 :神も仏も名無しさん:2011/02/19(土) 23:06:21.40 ID:xVvLqqyj
>>339
それは>>337を何も裏付けませんが?w

337は、
≪宗教者が大騒ぎする事案のうち、
 『レイプやセクハラについて騒ぎ立てる事例・発言』と
 『人を殺すことについて騒ぎ立てる事例・発言』とでは、
 前者が圧倒的に多く、後者が皆無である≫
という文章なので、その根拠をお聞きしたのです。
どういった情報或いは資料、或いは経験則から導かれたのですか?と。

まったく質問に答えていらっしゃいませんね。いつものことながら・・w

341 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 00:52:20.84 ID:vOXC28Lc
>>340

逆に聞こう。

人間の生命と自分の宗教との二者択一を迫られた時、前者を優先する、又は
優先することを教義で定めた宗教が、唯の一つでもあるか?

無ければ、宗教とは「生命を軽視・否定する、人間の唯一の営み」と言わざるを
得ない。

342 :てすと:2011/02/20(日) 00:56:32.23 ID:H4Pg12L1
>>341

ご隠居は「生命教をやめたら、赤の他人の命を助けてやる」と二者択一をせまられたら、、赤の他人の命をとるの?

343 :てすと:2011/02/20(日) 01:02:07.15 ID:H4Pg12L1
>>337

>宗教者は、レイプやセクハラには大騒ぎするのに、人を殺すことには騒がない。
>それがどれほどの倒錯であるかを考えてみよ。

何が倒錯なのか全く分からない。

宗教は墓地利権を持っているのだから、人が死ねば儲かるし騒ぐはずがない。

レイプやセクハラで儲かるのは女弁護士であり、圧倒的に男性聖職者が多い宗教界には金が入らないのだから騒ぐに決まっている。

この理にかなった判断の、どこが倒錯なのか全く分からない。

344 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 01:10:26.13 ID:HMO7QF+h
面白い議論をやってらっしゃいますね
仏教に限ったことではありませんが宗教の機能のひとつに<サルベージ>があります

「救済」と訳せば聞こえはいいですが、他にも「廃品回収」や「ごみ浚い」などの意味もあります
要は<すくう>ということですね
救う、巣食う、掬う・・・・洋の東西を問わず似た語彙が含まれるのですね

基本的に社会は優勝劣敗のゲームで成り立っており、そこで敗残したプレイヤー(ゴミ)を
宗教によってサルベージする・・・
宗教が社会の中に一定の役割を果たす所以ですね


345 :てすと:2011/02/20(日) 01:23:50.35 ID:H4Pg12L1
>>322

>私は「色即是空・空即是色」を「実在を捉えなおしている」と解釈することがダブルスタンダードだと解釈しましたが

だから全く違うって。。。。なんでわからないのかなぁ。。

「実存」も「捉えなおす」も相対の相方が必要なんだから、
『「実在を捉えなおしている」と解釈すること』がすでに相対を排除してるでしょ?

どうしてあなたはいつもいつも解釈に執着して「解釈の相対相手」を無視して外そうとするの?

そんなんで、よく中観派を名乗れるなぁ。。。

346 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 01:26:00.84 ID:O2yTggnf
結局仏教学んでも最終的には「布施と偽り、金儲け」だしなぁ〜
もう嫌になった!
今回の有馬官長の事件は自分的にかなりショックだった・・・

347 :てすと:2011/02/20(日) 01:32:06.19 ID:H4Pg12L1
>>346

どうやら、悟られたようですな。

阿羅漢おめでとうございます。

348 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 01:58:42.93 ID:vOXC28Lc
>>342
当ったり前だ。そのための「生命教」。それが「教義」なのだから、「止める」
とはいえないな。

349 :てすと:2011/02/20(日) 02:39:40.11 ID:RE1XMRTA
>>348

ブブー。その赤の他人は死にました。

命を救いたければ、イエスを信じます、と書きなさい。

350 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 02:53:56.55 ID:vOXC28Lc
>>349
「創造主(父なる神)」の冒涜の大罪で処刑された犯罪者イエスなど信じたら、
助かる命も助からん。

351 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/20(日) 07:34:07.54 ID:94rer55d
>>328
>すべての現象物は知覚できるから、ちゃんと相対できますよ。

知覚が先で、相対でしょ?
縁起が先で、主客が分別できる。

縁起が第一義空諦(勝義諦)です。
相対は第二義(世俗諦)ですね。

352 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/20(日) 08:06:56.67 ID:94rer55d
>>336
>>主客未分(空)において相対が成り立つ。ってことですね。

>主体(主観)が無い時点で何故相対と言う観念が生じるのですか?

まず客観というのがあります。
これはよく神秘体験とか、「世界を観ずる」という意味ですね。
これから少しレベルが上がってきますと、主観的見方になってきます。
白隠が勘違いした「自分ほど悟った人間はおらん」という按配ですね。→白隠の大悟です。
そして、これから少しレベルが上がりますと、
「これは間違いであった」。と悟る。→再度の白隠大悟ですw
そういった「全否定」から「全肯定」といふ、一大飛躍があって・・・
これが最後のステージとなります。→再度、白隠は大悟する。

まあ、つまりですね、これは
「此岸→彼岸→此岸」の道筋を説明したものなのですが、
じつは、この道筋こそ「色即是空・空即是色」の意味なんですね。

主体(主観)がないのを空諦などといいます。→色即是空
空諦から世俗還滅が→空即是色ですね。

どうか、彼岸到達をご祈念申し上げます。
                 
           <机龍之介・花押>      


353 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/20(日) 08:19:05.34 ID:94rer55d
>>336
>>無自性ですから、相対関係以前は主客未分です。

>この文章は相対関係以降は主客が分化したと読めます。
>「主客未分(空)において相対が成り立つ。」と矛盾。

「カァ〜」という、なんやら鳴き声らしきものを感じる。
(主客未分)
「カァ〜」が何か分かるまで少々の時間。
自分の過去の記憶が連関して、それがカラスと判明する。
この時点で、主客分別ですね。
(カラスと自分の相対です)

このような説明で宜しかったでせうか?


354 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/20(日) 08:30:49.58 ID:94rer55d
>>336
>それは 誤用では?
>善悪が一如とか主客が一如とかいう意味ですよね。
>それは善と悪や、主と客が相対的にあるのであって一対の関係にあると言うことでしょ?
>始めから「主観とか客観とかの概念はない」ならばもとより一如が意味をなさなくなる。

色即是空の意味は「相対は即一如である」ということになりますね。
(少し乱暴な説明ですけど)
ですから「色」と「空」の二相でもって解釈するのが宜しいかと思います。
これを「仏智」とか「慧眼」などと言ったりする。


355 :てすと:2011/02/20(日) 10:44:13.49 ID:H4Pg12L1
>>350

ブブー。ご隠居がイエスを信じないから、その人は殺されてしまいました。

ご隠居は他人の生命よりも自分のポリシーが大事な似非生命教の信者。

356 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 14:14:04.34 ID:X+0rq7l3
>>355
イエス如きを信じたが為に、史上そして現在、一体何億人、何十億人の人間の
生命が理由なく失われたかを考えてご覧。

開祖の精神病の集団的一大感染により、信者の生来の人格(人間性)が破壊さ
れ、人間が人間ではなくなってしまうのが、宗教の最大の病理と害悪。

357 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 14:44:36.07 ID:o39+86Yh
buda如きを信じたが為に、史上そして現在、一体何億人、何十億人の人間の
生命が理由なく失われたかを考えてご覧。

開祖の精神病の集団的一大感染により、信者の生来の人格(人間性)が破壊さ
れ、人間が人間ではなくなってしまうのが、宗教の最大の病理と害悪。


358 :地球人:2011/02/20(日) 14:53:47.09 ID:uYcRwOF2
あなた方は、人口爆発によってもうすぐ
世界中で食糧難になることを知っていますか?
今のままの人口増加率では2050年には人類の総体重が
地球の重量と同じになるという調査結果も出ています。
物理的にそんな状況は発生しないので
その前に沢山の人々が餓死してしまいます。
こんな議論をしている場合ではないと思いますが・・・

359 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 16:15:50.34 ID:X+0rq7l3
>>357
キリスト教とは全く異なり、Buddhistsには、2500年間、大量殺戮の事実は
極めて少ない。その理由を解明することが、仏教を知るために必須であろう。

結論的には、大乗の「空の思想」や「自利利他の思想」が理由であろう。
小乗国には、大乗国に比べて、殺戮や争いがはるかに多い。小乗が、キリスト教
との類似性(具象や肉体を軽視した精神性、即ち狂気)を有するからである。

360 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 16:47:53.53 ID:X+0rq7l3
>>357
イエスが基地外であったことは、イエスを「身近によく知る」家族、郷里の
人々、イエスの仲間のユダヤ教徒の証言により、聖書そのものが証明している。

昔も今も、基地外は基地外である。

知らぬは無知な信者だけ。

聖書をよく読め。陳述者に不利な事実は、真実であると推定するのが、証拠法の
鉄則。

361 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 17:32:27.78 ID:X+0rq7l3
>>358
コンドームを付けなさい。


362 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/20(日) 19:10:00.56 ID:qa4bEqnA
>>345 :てすと:
>>「実在を捉えなおしている」と解釈することがダブルスタンダードだと解釈しました
>『「実在を捉えなおしている」と解釈すること』がすでに相対を排除してるでしょ?

ですから「ダブルスタンダード」=「すでに相対を排除」で良いのでは???

>>351 :机龍之介 ◆
>知覚が先で、相対でしょ?

主客の相対で知覚すると言うことです。
主=見るもの、客=見られるものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%81%A8%E5%AE%A2%E4%BD%93

>縁起が第一義空諦(勝義諦)です。

では縁起を見るものは何ですか?何と何が縁起してそれを観察している者は何ですか?

>>352 :机龍之介 ◆
>まず客観というのがあります。

ありません、主観あってこその客観です。
主観なくして客観なし、客観なくして主観なし、これが相対関係です。

>そういった「全否定」から「全肯定」といふ、一大飛躍があって・・・

これも否定する何か、肯定する何かに支えられています。
何も無いのに否定することは出来ないでしょう。

>空諦から世俗還滅が→空即是色ですね。

この部分がおかしいです、誤用です。般若心経を読んでください。
世俗還滅と言う考え方が他にあるのかもしれない、しかし般若心経の思想には無い。

363 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/20(日) 19:32:41.29 ID:qa4bEqnA
>>324 :机龍之介 ◆
>主客未分(空)において相対が成り立つ。ってことですね。
>無自性ですから、相対関係以前は主客未分です。
>>354 :机龍之介 ◆
>色即是空の意味は「相対は即一如である」ということになりますね。

めちゃくちゃではないですか、いつ相対が始まったんですか?
始まってないなら何故一如になる事が出来るのですか?
色即是空の意味は「物質現象の実在性は無い」と言う単純な意味だと思います。
あと「受・想・行・識亦復如是」 のほうもお忘れなくこちらの方が主旨。
色即是空は前触れにすぎない。

>>353 :机龍之介 ◆
>「カァ〜」という、なんやら鳴き声らしきものを感じる。

その時点で感じる=主観、鳴き声=客観ですよ。
感覚器官が主観であることは、「無眼・耳・鼻・舌・身・意」 に有る通り。
神経心理学では自分に都合の悪いものは聞こえないと言っています。
感覚器官には感情(主観)と言うバイアス(偏り)が最初から掛かっています。

>自分の過去の記憶が連関して、それがカラスと判明する。

はいその段階が「受・想・行・識」です。
貴方のように誤解する人がいるから、心経では丁寧にも「受・想・行・識」を否定し、続けて「無眼・耳・鼻・舌・身・意」「無色・声・香・味・触・法。」として逃げ道をふさいでいるわけです。
これなら「カァ〜」と聞こえた時点で主客の相対に囚われていると解釈するしかないでしょう。



364 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/20(日) 19:43:32.38 ID:qa4bEqnA
訂正 感覚器官→感覚(器官)


365 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/20(日) 20:11:34.17 ID:94rer55d
>>363
>>「カァ〜」という、なんやら鳴き声らしきものを感じる。

>その時点で感じる=主観、鳴き声=客観ですよ。

「カァ〜」ってのは、ただ感知するだけのことでして、
それを認識するには少々の時間的差異があるってことです。

味覚でも触覚でも嗅覚でも、感知はするが「それが何であるのか?」ってのが判明して
主観・客観ですね。

感知から認識に到る微妙な変化を捉えることによって、
主客とは何か?その現場に立ち会うことを、いわゆる生起などという。
重要なのは「カァ〜」だけでは主観には成りえない。ってことです。

縁なくば生起あらず。ですね。この時点で主観はないです。
自分は永久に生起することはない。こういうことを示唆するものですね。
このことは、臨済語録とか正法眼蔵にも詳しい記述はございます。

366 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/20(日) 20:12:17.87 ID:94rer55d
>>262
>>そういった「全否定」から「全肯定」といふ、一大飛躍があって・・・

>これも否定する何か、肯定する何かに支えられています。
>何も無いのに否定することは出来ないでしょう。

「全否定」というのは、そもそも主観・客観でモノゴトを捉える間違いを悟る。ということです。
(これがいわゆる勝義諦といわれております)
「全肯定」というのは、
勝義諦の智慧において、世俗の智慧と還滅することですね。
これが「空即是色」の意味になります。
空→勝義諦
色→世俗諦

>>空諦から世俗還滅が→空即是色ですね。

>この部分がおかしいです、誤用です。般若心経を読んでください。

おそれいります^_^;
拙者は禅宗を基本として書き込みしています。貴殿の考えなど書き込んでください。
(ちなみに伝統宗派では、真言宗では空即是色の意味が違います)→如来蔵思想ですから

では、おやすみ。

367 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/20(日) 21:25:07.84 ID:qa4bEqnA
>>365 :机龍之介 ◆
>「全否定」というのは、そもそも主観・客観でモノゴトを捉える間違いを悟る。

それはとてもよく判ります。
まず主客に囚われる現実があってそれを否定し乗り越えると言うことですよね、分かります。
しかし貴方は最初から主客が無いと言ってしまっている。
それでは悟りようが無い。

>この時点で主観はないです。

その考えだと、主観の無い純粋客観世界が実在すると言う考えですね。

>>366 :机龍之介 ◆
>(ちなみに伝統宗派では、真言宗では空即是色の意味が違います)→如来蔵思想ですから

そうです、むしろ正反対ともいえる思想で中観思想を解釈すること自体がおかしいでしょう。
批判的な解釈なら分かりますが曲解、誤用して自派に取り込もうとするのは酷いと思います。

368 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 22:18:36.31 ID:o39+86Yh
仏教の抑圧から
日本人に開放を・・・・

369 :てすと:2011/02/20(日) 22:20:31.51 ID:dEfdDSyi
はあ、、面倒だからもう実存主義でいいわ。

有る有るとにかく有る。

中観派かもーん。

370 :てすと:2011/02/20(日) 22:29:25.87 ID:dEfdDSyi
中観派は「時間」で論破できる古い思想。

時間の相対は空ではない。

371 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 23:13:44.71 ID:gwIzRTyv
>>369
実存主義も、その他のすべての西洋哲学も、「仕事も奴隷に任せて、だらしなく
寝そべって飲み食いしながら、ひたすら抽象論・観念論を語り合った」ギリシャ
哲学から、その猿真似であるキリスト教を経由した、薄っぺらな片輪の思想。
だから西洋では、殺し合いが絶えない。

万人・万物の相対性(相互依存性・関係性)に思い至った竜樹に比肩しうる
思想家・哲学者は、古今東西、皆無。

ニーチェは、いい線まで行っているが、人間(及びすべての生物)の共同体性
には、充分には思い至っていない。

>>370
時間も存在しない。時間とは「事物の変化」のこと。その事物を認識するのは、
刹那の生命である。

仏教徒は「空」を「無」と誤解するから、混乱が生じているのではないか。
竜樹の言「空」とは「厳然たる実在」のこと。それが相対性(相互依存性・関係性)
という抽象観念の産物だから、「執着すべき自性はない」と言っているだけ
である。

人間の生物的生存本能(生命)とそれから生じる共同体形成・維持本能を
思考の基盤に置くことにより、すべての問題は迅速・容易に解決し得る。

372 :神も仏も名無しさん:2011/02/20(日) 23:29:20.65 ID:6sE4XFw1
>>371
>竜樹の言「空」とは「厳然たる実在」のこと。
はい、ダウトw
中論のどこを読んでも、そんな考えは出てこない。
あれだけ論破されてまだ言いますかwww

373 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 01:09:18.14 ID:GbR090pR
>>372
竜樹は、仲間と一緒に王宮に忍び込んで、女を犯して回ったがそうだが、彼は
女を「実在」ではなく、「幻」だと思って抱いたのかね。それじゃ気持ちよく
ないだろ。豊満な実在の女体だとして求め、抱いたに決まっている。

実在でないのなら、わざわざ「空」など説く必要はない。最初から空なのだから。
実在でなければ、竜樹も中論も、そもそも存在し得なかった。

竜樹は、説明の便宜上「幻の如き」と言っただけで、「幻だ」とは言っては
いない。それでは、「世間の慣習」に反する。彼は、その鋭い現実観察により、
「もろもろの存在の構成原理」を見出したから、偉大なのである。彼は、妄想
患者などではない。彼の論理には、一点の狂いも無い。

君は例の「幻君」かw。「目に見える対象」がそのまま真実であることを受け入れな
いで、種々の人為的観念ばかりを弄するから、そんな誤解に陥ってしまう。
「諸法実相」。

374 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/21(月) 07:54:54.63 ID:VHdqbqxr
>>367
>しかし貴方は最初から主客が無いと言ってしまっている。
>それでは悟りようが無い。

最初から主客なんてないのですよ。無我ですからね。
無我といいますのが「我が無い」って意味でして、
我が無いなら・・・主客などありゃ〜せんですね。
じゃあ、我が無いのに、なじょして自己同一性を保つのであろうか?
まあ、問題は「ここに集約されるやに思われますね。
いよいよ本質的レスポンスになってまいりました。

無いものから、我が生起するその刹那を体験で感得するのを、禅では頓悟などと言ったりする。
つまりその現場に立ち会うことですね。
これで「無我」を常態と悟るんです。

ならば無我なるものが、何故に自己同一性を保つのであえろうか?
それは「カァ〜」に反応して、過去の記憶に連関するからです。
「カァラァスゥ〜何故無くのぉ〜♪」などと、幼少の頃に唄ったことを思いだしたり、
「夕焼けこやけぇ〜の〜赤とんぼぉ〜♪」とか、記憶は連関して逝くのです。
そして、
過去の自分と、今の自分は繋がっておるではないか!!と、納得し、
これがつまり自己同一性を担保しておるんです。

しかしなが禅者はこれで終る訳ではないんですね。
オカシイ、オカシイ、などと疑問を持つんです。
疑問を持てば必ずや答が導きだされるであろう・・・そして、
その答を感得し、また大悟を訪れるのでありんす。

                     (かしこ)


375 :てすと:2011/02/21(月) 08:34:30.97 ID:tTb/fqSJ
禅者とか中観派とか自分を分類する奴は到達ならず。

こんな基本すらわからないのかなぁ。

376 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/21(月) 08:38:52.89 ID:VHdqbqxr
>>367
宗教板には真言宗のアジャリ(つまり高僧)という御仁が書き込みしてまして、
(名前は「縁起バカ」とか、「縁起一代」とかだったと思います)
この方に「空即是色」の意味を訊ねたのですが、教えてもらえませんでした。

真言宗は「秘密の教え」ですから、教えられんのかもしれませんね?
それとも知らないのか?

色即是空は、禅宗も真言宗もそんなに違いはないかと思います。
空即是色の最後の「色」は、
真言宗は「如来蔵」の意味があると、拙者は解釈してます。
如来蔵は聖域ですから、あまり勝手なことは書けません。

ちなみに、禅においては全く聖域などありゃ〜せんです。
その違いですね。


377 :絶対神:2011/02/21(月) 09:15:15.25 ID:2ZAQaIEI
>>371

   「そんなものにすら勝てない仏教には何の意味もないな」ww

  『そもそも、殺しあいや戦争をして『なにがいけないのだ?』』

「お前のその発言そのものが争いを引き起こす事に何故気付かない?」

『私は不思議でしょうがないんだが、他者の否定という事そのものが』

   「既に、お前の言っているキリスト教そのものなんだよ」




378 :絶対神:2011/02/21(月) 09:19:49.16 ID:2ZAQaIEI
         「不思議でしょうがないんだが」

『争いのない世界もないし、殺しあいのない世界もないし、否定のない世界もないんだ』

        「宗教そのものが」

>>薄っぺらな片輪の思想。

   『お前の言っている下らない空論だよ』

結局、お前はイエスや神の位置に「竜樹」を置いているだけで、

           「何も変わっていない」
仏教ってつくづく下らない宗教だと思う

      『世界の多くの人間が仏教を信じていない』

          「それが「答え」だ」

 「自分の考えがいかにマイナーで狭いか、いい加減気づくんだな」

   『371は幼稚園児レベルではっきり言って恥ずかしいぞ』

379 :絶対神:2011/02/21(月) 09:25:28.78 ID:2ZAQaIEI
          「もう一度言っておくが」

   『「宗教」とは所詮、「人間の頭の中で考えられた」』

        「客観的になんら検証出来ない」

    『現実に基づかない「空論」でしかないんだ』

>>373
          もろもろの存在の構成原理

           『そんなものはない』

   「お前の竜樹に対する狂信ぶりには「呆れるばかりだ」」

『この世の中には、真理や真実を見出した人間なんざ、有史以来ひとりもいねーよ』

         「自分の余りの痛さに気づけや」w

         「仏教って馬鹿馬鹿しい宗教だね」
なんでキリスト教の方が広まったのか、よく判るわ

380 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 12:32:36.73 ID:Bg+nBk1u
このような馬鹿ものドモの相手は単なる時間の無駄である。
このように竜樹はおっしゃった。

381 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 13:01:01.07 ID:bwKFAb8e
>376
横レスだが、「我が無い」と「考えている」のも、我(生命)ですよ。死者には
思考はできない。我を以っていくら我を否定してみても、永遠に無理・無駄。むしろ、
我を一層肯定しているだけ。我への執着と迷い。

道元さんも、「悟ろうとすれば悟れない」と言っていますね。

「仏道をならふとは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするる
なり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」(正法眼蔵)

「観念を弄して無我など求めないで、あるがままの現実を受け入れよ。悟ろうなどと
するな」という意味ではないでしょうか、

382 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 13:13:33.28 ID:bwKFAb8e
>>379
> 『「宗教」とは所詮、「人間の頭の中で考えられた」』
>「客観的になんら検証出来ない」
>『現実に基づかない「空論」でしかないんだ』

そんな「空論」でしかないのに、「空論」を否定されると、「現実に」人を殺す。
それがキリスト教の倒錯と狂気なのです。

竜樹には「宗教性」はない。彼はむしろ「哲学者」「科学者」です。

383 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/21(月) 14:26:54.30 ID:VHdqbqxr
>>381
>横レスだが、「我が無い」と「考えている」のも、我(生命)ですよ。

あのですね、「我が無い」ってのは考えておらんことでしょ?(笑
考えておるんなら「我がある」じゃないですか?
違いますか?(苦笑

じゃあ、考えておらんもんが何故に思慮に耽ったりするんでせうか?
これも縁ですよ。
何らかの縁ありて、思慮なりが生起するざんす。

「カァ〜」で何かが生起するのと、理論的には同じことですね。
五蘊のことですから。

384 :てすと:2011/02/21(月) 18:06:14.57 ID:4bLRmQ7k
>>382

>彼はむしろ「哲学者」「科学者」です。

科学は必要だが、哲学なんていらないでしょ。

普通に仕事して結婚して子供育てて年老いて死んでいくだけなのに、
哲学者にいちいち文句言われたらたまったもんじゃない。

宗教者や哲学者は「他人の事はいいから、お前自信の事をやれ」

生きるのに空も悟りも禅も中観も必要ないし、哲学は死ぬまでのただの暇つぶしである事を認めよ。


385 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 18:20:42.44 ID:bwKFAb8e
>>384
人間にとって、科学は有益、哲学は無益、宗教は無益・有害。

386 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/21(月) 21:22:02.53 ID:mvRDaCw9
>>374 :机龍之介 ◆
>我が無いのに、なじょして自己同一性を保つのであろうか?

あれ?我が無いのに、なじょして自己同一性を保つ必要があるのであろうか?

>それは「カァ〜」に反応して、過去の記憶に連関するからです。

それなら無我の自分と過去の記憶との自己は同一でないでしょう、明らかに。

色即是空 空即是色は大した意味はないです。物理現象には空性があると言う意味。
大事なのはこちらのほう・・・・・・・・・・・

是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。

これはどう解釈しますか?「色」なんか些細な問題です。


387 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 21:36:56.99 ID:PgHmGBzi
我がない
つまり因習だけが残る
 だから日本では常に改革ができない

388 :神も仏も名無しさん:2011/02/21(月) 22:50:41.43 ID:InBJv2u6
いいかげんにしろよおかの


389 :93:2011/02/21(月) 23:22:38.56 ID:VLo37U0j
ttp://www.tibethouse.jp/ ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

----------------------------------------------------------------
一般的には、私たちに見えているすべてのもののあらわれと、
すべてのものの究極の存在のしかたとは、同じではありません。
もののあらわれ方と実際のものの存在の仕方とは、一致していないのです。
私たちはよく、いろいろなレベルにおけるリアリティーについて、
さまざまな論議をしていますが、実は究極のリアリティーは、
私たちの目に見えているもののあらわれ方と異なっているわけです。
―2000年東京仏教講演「智慧と慈悲」より
----------------------------------------------------------------

哲学と言えばマイケル・サンデル教授のハーバード熱血教室が面白かったです
1月2日と3日の夜中に放映してて、休みなのに寝不足でした
様々な哲学に触れると人間的な許容範囲が広がる気がします
しかし教授も言ってましたが、純粋な心が無くなってしまう可能性があるので
哲学は気をつけたほうが良いのも確かです

390 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/22(火) 07:51:24.81 ID:nwODSqFL
>>386
>あれ?我が無いのに、なじょして自己同一性を保つ必要があるのであろうか?

そうですね。矛盾してますね。
修行僧は必ずこの難問に遭遇します。
よくぞ疑をもたれた。その疑こそ肝要なり!!

>それなら無我の自分と過去の記憶との自己は同一でないでしょう、明らかに。

さようであります。

>是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
>これはどう解釈しますか?

どう解釈するか?ったって、既に貴殿は答を記しておるではないですか?
是故空中→そのとおりでありますね。
迷うことはありませんです。

つまりですね、自己同一性というのは五蘊のことであります。
(現象ですから、色即是空の「色」ですね)
これら一切が「空」である。→般若心経の「五蘊皆空」にあたります。
ようするに、自己同一性も空であります。
なんら矛盾することはありません。
勝義諦においては矛盾はありえんのです。しかしながら・・・
世俗諦においては、矛盾は矛盾のままで保たれております。

このような拙者の回答で、貴殿は納得いきましたであろうか?


391 :oyaji ◆o7Jwubcl.o :2011/02/22(火) 19:13:44.25 ID:EWqhyccz
>>384 :てすと:
>・・・死ぬまでのただの暇つぶしである事を認めよ。

その暇つぶしこそ人間にとって最大かつ最高の関心事である。
暇がつぶせない事より不幸なことはないぞ。

>>390 :机龍之介

カー以前が無我と言う所がおかしい、何故無我でなくてはならないのですか?
四諦は苦から始まります、その前の段階を貴方は無我だと言っているようなものだ。
話がややこしいだけで何の意味もない無我の設定だと思う。
「カァ〜」で何かが生起する、これは分かります。
その後過去の記憶と同一性が保てると言うならその間に無我を設定する意味がない。
カラスは絶え間なくカーカー鳴いているのだから。

勝義諦、世俗諦?これはどなたかの言っていたダブルスタンダードですね。
それを貴方が両方を同時に語るのは自己同一が破れてます。

392 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/22(火) 20:30:57.79 ID:nwODSqFL
>>301
>カー以前が無我と言う所がおかしい、何故無我でなくてはならないのですか?

「いま」といふのは常に未知でありますね。
そして突然「カァ〜」じゃ意味が分かりません。
分かるというのは、予め想定していたり、何らかの体験の予断をなぞることです。
つまり過去を現在に引き寄せることですね。
それで「分かった」です。
つまり「分かった」は過去に過ぎんですね。

「分かった」ということは、それ以前というのは、記憶という制約のない
未知なる「いま」を体験した。ということです。
その「いま」に居る状態において、現実に向きあうとき、
それは「カァ〜」と「カァ〜」以前では全く違いますね。
よって、前者を無我というておるんです。

>四諦は苦から始まります、その前の段階を貴方は無我だと言っているようなものだ。

「苦」以前が「無」ですね。
苦とういうのは、過去の引き寄せですから。
だから般若心経は「無苦集滅道」と記されておるんです。

では、おやすみ。

393 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 21:26:34.48 ID:wAQA4iA2
>>392
>「苦」以前が「無」ですね。

「無」なら、「苦」もなければ「過去」もない。

いずれにせよ、釈迦の「無我」は無理。釈迦の「我」によって考えていることだから。
煩悩も苦も、その否定も、「我」という「有」がなければ生じない。いかなる「無」も、
「有」を前提とする。

そんな無理で不可能なことはしないで、すべては有るがままの「有」であることを
受け入れ、その「有」が、「相互依存・関係性の産物であり、執着すべき自性を
有しない」ことを自覚することが、「悟り」であり、「涅槃」である。

釈迦は、ピントが完全に外れていると思う。

「もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもて
をみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱
のみちをうしなへり。ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、
涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり。」(正法眼蔵)

394 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/22(火) 22:09:31.98 ID:EWqhyccz
>>392 :机龍之介 ◆
>分かるというのは、予め想定していたり、何らかの体験の予断をなぞることです。
>つまり過去を現在に引き寄せることですね。

そのとおりですよ。
想定、予断ですよ、過去を引き寄せるんですよ。
ならば過去(以前)は無我ではありえないでしょ?


>「苦」以前が「無」ですね。
>苦とういうのは、過去の引き寄せですから。

苦以前(過去)が無なら引き寄せられないでしょ??


395 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 22:21:56.85 ID:AQ0gyJBZ
死に至る病 仏教


396 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 22:25:18.22 ID:hsiX0kbb
生きている限り考えは自然に浮かぶ
わざわざ屑篭をもって歩かなくともよい

ただしレイプ魔は顔を隠すための覆面を入れるために必要かもね
哀れな女を在るがままに見ないようにするためにも覆面を彼は手放せない

俺だって服を着て財布くらいは持って歩く
屑篭を持って歩くのは自由だし犯罪者に言わせればレイプも必然?かもしれない
しかしそれを他人に強制するのは迷惑だしミットモナイ

397 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 22:33:55.12 ID:vCevT+Jn
>>362
>では縁起を見るものは何ですか?何と何が縁起してそれを観察している者は何ですか?

※みみずん変換は、URLの 「 /psy/0000000000 」を残し、それより前を「 ttp://mimizun.com/log/2ch/ 」へ。

参:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/268
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/269
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/270
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/271
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/272
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/273)★


◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集

〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643

398 :てすと:2011/02/22(火) 22:41:00.10 ID:BjGRUYGI
悟りたかったら、仏教なんてやってないで布団入ってぐっすり寝ればいいのに。

誰も傷つけず、心身が休まるんだから。

睡眠に勝る瞑想があるなら言ってみろ。

399 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 23:13:48.56 ID:wAQA4iA2
>>398
睡眠中にも、釈迦やイエスが夢に現われてうなされるから、休息にはならない。

ところで、「神」の夢を見た者は居ないと思う。そもそも存在しないのだから、
その姿が夢にも現われることが出来ないからだ。

400 :てすと:2011/02/22(火) 23:35:31.39 ID:BjGRUYGI
>>397
観察するものは、観察されるものに縁起している。

観察の対象がなければ観察する事ができない。

我思う、ゆえに思う対象あり。

>>399
ぐっすりいうたやん。。

神の夢も五次元宇宙の夢をみることもない。

401 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 23:44:58.24 ID:wAQA4iA2
一昨日、日蓮正宗のお寺の前で勧誘を受けた。「日蓮系は、争いばかり多くて、
宗教としてダメだ」と批判したら、「それは、他の宗派がお釈迦様の教えと異なる
「正しくない」宗派だからです」という。そこで、「正しさ」の相対性や「空の
思想」についてみっちりと「説教」垂れてやった。

やはり「釈迦の絶対化・盲信」が、争いの最大の原因だね。このスレにもおられる
が。

402 :神も仏も名無しさん:2011/02/22(火) 23:50:21.53 ID:EDrLwExB
>>401 お前はリアルでもそんなこと、やってるのか?w

俺は日蓮系はすきじゃあないが、今回ばかりは基地外と知らずに
勧誘してしまった、その坊さんに同情するわww

403 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 00:02:00.59 ID:Y/5TIEt8
>>402
俺が「いいカモ」に見えたのなら、とんでもない間違いだったな。かなりあわてて
いたよ。

「竜樹Who?」という感じ。大乗仏教徒でありながら「八宗の祖」の竜樹もよく知らない
とは、全く勉強不足。

404 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 00:13:48.06 ID:Y/5TIEt8
日蓮の言葉:
「いのちと申す物は、一切の財(たから)の中で第一の財なり。」
(「事理供養御書」)

こんな立派なことも言える日蓮だが、釈迦が入るとダメになる。
それに、オカルト性の高い法華経の狂信も原因。

405 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 00:20:18.03 ID:e8fOLjJ5
>>400
二行目と三行目、矛盾してないか?w

ちなみに、フレーズを借用したまま言えば、仏教的には「思う、故に“思い”あり」だよw
(これを「思う、故に“我”あり」とすることも不可ではないが・・w)

勿論、この「思う」もまた、所縁によって生じたところの行為であるし、
根境の和合するところに生じた「一事象」に過ぎないわけだが。

406 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 00:40:15.21 ID:oF9UZxYO
>>393
>釈迦の「我」によって考えていることだから。

なぜそう断言できるの?
もしかしたら、自然に説いてるかもしれないじゃん。 「我」によらず。

407 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 00:43:11.09 ID:Y/5TIEt8
>>405
>「思う、故に“思い”あり」だよ

正しくは、「『我』思う、故に"思い"あり」である。さもなければ、主語がない。
「無我」など、初めから吹っ飛んでいる。

408 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 00:48:08.75 ID:Y/5TIEt8
>>406
ならば、「釈迦の言葉」とはいえない。虫の声かもしれないw。

409 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 01:13:18.99 ID:kI+6DErX
>正しくは、「『我』思う、故に"思い"あり」である。さもなければ、主語がない。
>「無我」など、初めから吹っ飛んでいる。

ドミンゴさんww
ついに本音がでましたね

410 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 01:24:02.58 ID:oF9UZxYO
>>408
そう、「釈迦の言葉」じゃないよね。
如来の言葉だよ。

411 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 02:36:15.94 ID:QoNXobPj
ヘラクレイトス 〜万物流転〜
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1288444832/
神  は  宇  宙  人  か  3 ?
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1284505999/
【高句麗】朝鮮直系の関東人【もろこしが原】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/geo/1296962396/
サンスクリット語+ギリシア語+ラテン語+アラビア語+
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1288858592/
チラシの裏@生活サロン
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/lifesaloon/1296488872/
一人暮らしと宗教
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/homealone/1157881405/
神 〜〜スペース〜〜
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/debt/1288748216/

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/inpatient/1195708172/
いきものがかり 80班 2月28日デー
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/anniversary/1297865481/
2chは人間の心の闇が見れて面白い
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1298295706/
こんな葬儀屋は嫌だ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/owarai/1277375622/
死      に       た       い
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1295341302/
珈琲ヲ楽シミマセウ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/senji/1283305600/
本音を吐くスレ15
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/charaneta2/1294647439/
サイトやブログでは言えない自分の主義・主張 7
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/2chbook/1298294954/
笑える★人生相談 β版
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/owarai/1283098559/

412 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 03:09:55.00 ID:dDO31olc
>>400 は自己の矛盾に気が付かないだけで、ただの我が儘!

413 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/23(水) 03:21:24.07 ID:Lej7VsMp
>>404 :神も仏も名無しさん:
>「いのちと申す物は、一切の財(たから)の中で第一の財なり。

おもしろいですね。
皆さ〜〜〜ん 「命の値段」ってどれ位だと思いますか???クイズです。
答えは出ています。
正解は明日の夜中^^

414 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/23(水) 07:46:49.83 ID:ZLSjNFYc
>>394
>想定、予断ですよ、過去を引き寄せるんですよ。

貴殿は話の分かる御仁のようですね(^^♪

>ならば過去(以前)は無我ではありえないでしょ?

ああ、これは違いますね。少し説明いたします。

記憶というのは、五蘊における「識」にあたりますね。
勿論、色・受・想・行も「自分」と勘違いしてる訳ですから
「識」も当然「自分」と勘違いするのはいたしかたありませんが・・・

こういった五蘊全てが、あらゆる関係性(縁)において“瞬間的に現れる”ということなんですよ。
つまり、現時においてこれらが「瞬時に構築されているに過ぎん」。つうことなんですね。

「五蘊皆空」とは、つまり関係性(縁)における無常なる相の現れのことであり、
それが即ち命そのものの実相である。ってことなんです。
ようするに貴殿がいう「過去」というのは、
現時における空の実相に過ぎん。つうことですよ。

>苦以前(過去)が無なら引き寄せられないでしょ??

空ですから、もはや過去も現時も未来も、ありませんですね。
これで納得いったでありましょうや?


415 :てすと:2011/02/23(水) 15:29:55.08 ID:eKBs8t1U
プランク時間より短い時間なんてないのに、瞬間とか刹那とか君たち本当にあほな事ばかり。。。

「思う」には時間が必要だろうがー。五蘊も一瞬なんかじゃねぇー。

あほあほあほーーーー

416 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/23(水) 16:16:21.85 ID:ZLSjNFYc
>>415
>「思う」には時間が必要だろうがー。五蘊も一瞬なんかじゃねぇー。

「思う」ってのは、過去に蓄積されたもんを、PCのメモリから取り出すようなもんじゃなく、
「バラバラな素材を再構築する」ってことです。
だから、何度も何度も思い出すことがあると、それは再構築されながら変質していくもんなんです。
拙者は、こういう世俗的なことを言っておるんじゃないんですよ。
こんなことを語ちるなら、なんも仏教云々するこたぁないんですからね。
全く別次元であります。

例をあげると、剣を持って相手と向かい会ったとする。
ここにおいては経験知において、相手がどう出るか?を思う。→これが「思う」
思ってる刹那に、相手が切り込んできたらどうするか?ってことですよ。
真剣試合に「思う」ことは非常にヤバイざます。

まあ、こういう話は関心がある御仁と、そうでない御仁もおるので、
あまり書き込みは遠慮しますが、
「無我」についての専門的レスポンスには、それなりの問いがあったら
応えとうごじゃりまする。


417 :てすと:2011/02/23(水) 17:28:19.58 ID:eKBs8t1U
考えると思うはちげー

刹那なんて数学上のゼロ点でしかなく、事実上は絶対に存在しない。

418 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 19:16:05.27 ID:acfDZ0/b
>>417
存在は常に変化しているのだから、その構成は刹那においてしか捉えられない
(竜樹の「時間の排除」)。

しかし、存在自体は継続を要する。刹那の認識では、存在と言えないからである。
従って、時間とは存在の要素である(道元の「存在=時間」「有時」)。

「過去」も「未来」も、「今ここの生命」による認識である。従って、「過去」
も「未来」も「今ここ」であり、「過去」も「未来」も無い。

419 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/23(水) 19:16:49.07 ID:Lej7VsMp
>>392 :机龍之介

あなたのおかしいのは自分で二役なり三役をやるからです。
自分で「過去を引き寄せる」と言い「過去は無である」といったり
>なんら矛盾することはありません。
>勝義諦においては矛盾はありえんのです。しかしながら・・・
>世俗諦においては、矛盾は矛盾のままで保たれております。

これは一人の人間の論理としては反則ですよ。
二重人格では説得力がないです。

>>414 :机龍之介 ◆
>「瞬時に構築されているに過ぎん」。

おっしゃるとおりだと思います。
所謂神経生物学的見解ですよね。事実だと思います。それならば・・・

>「五蘊皆空」とは、つまり関係性(縁)における無常なる相の・・・

この縁の必要性はどこにあるのですか?
ここで縁を持ち出すと、次の無常は縁が無常の原因であるという事になってしまう。
私は、五蘊が瞬時に生起する事も、事象が無常であることも納得できますが、そこに関連性なる縁起と言う概念を持ち出すことには大反対です。
世界の事象は原因なくしても生起する、これが結論。
勿論因果があることも多い、しかしないことも有る、これが無常と言う事だと考えます。

>空ですから、もはや過去も現時も未来も、ありませんですね。

この「もはや」が大事です。
それを最初から「空(ありません)」と貴方は言うからおかしくなる。
「以前は空・・・・もはや空」この話の切り口が間違っているといってます。

中観の場合は「貴方(有部)の言う形(色)は実在しない(空性)だと私(中観)は主張する・・・・」という展開。貴方とは全然違うでしょ?

420 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/23(水) 19:20:32.57 ID:Lej7VsMp
>>416 :机龍之介 ◆
>「バラバラな素材を再構築する」ってことです。

おっしゃるとおりだと思います。
せすから所謂「阿頼耶識」などと言う概念は間違いです。

>全く別次元であります。

以下の例は余り適当でないかと・・・・
単純な反射の例です。

それよりじゃんけんで何を出すかを決める(思う)前に手の動きは決まっていると言う例のほうが面白いと思います。


421 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 19:38:59.32 ID:kI+6DErX
三人一役 自演
真之

博一


422 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 19:46:55.93 ID:acfDZ0/b
>>419
>この縁の必要性はどこにあるのですか?
>ここで縁を持ち出すと、次の無常は縁が無常の原因であるという事になってしまう。

横レスだが、「縁起」を「因果関係」と解釈するから、そのような困難が生じるの
ではないだろうか。

「縁起」とは、「刹那における対象の相対性(相互依存性・関係性)」である。
そこには、「原因からの結果の生起」という概念はない。

「それ故に、結果は、縁からできたものとは言えない。しかし、<縁でないもの>
からできたものとも言えない」(中論1:14)。

「刹那的関係性」であって、「因果関係」ではないからである。

423 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 19:55:36.19 ID:kI+6DErX
隠居
南無中観寺
金魚の糞

他の掲示板を荒らした前歴あり

424 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 20:05:34.80 ID:RKeAsuDP
荒らしはいかんなあ。

425 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 20:11:27.42 ID:oF9UZxYO
>>422
横レスですが、
因果関係を相対関係と分けて考えてはダメですよ。
因果関係は、相対関係の一種です。

426 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 20:29:02.75 ID:acfDZ0/b
>>425
「因果関係」とは、ある特定の「原因」が、ある特定の「結果」を生じさせること。
「空」はどこにあるのかね。

中論第1章を「理解」されたし。

427 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/23(水) 20:57:23.33 ID:Lej7VsMp
>>422 :神も仏も名無しさん:
>「それ故に、結果は、縁からできたものとは言えない。しかし、<縁でないもの>
からできたものとも言えない」

これは「結果について縁の概念を持ち出す意味は全くない」と解釈できますが・・・。
「刹那における対象の相対性(相互依存性・関係性)」だけで良い。
明らかに「縁起」は違った意味に曲解されているから。
私の持ってる辞典だと酷いから。
まあ小学館なので仕方ないかもしれないが。


428 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 21:29:18.82 ID:oF9UZxYO
>>426
因果関係は相対関係ですから、「空」 ということです。
中論第1章は、「原因」と「結果」に自性があるとした、有部の説の批判ですから、
正確には、「有部独特の因果関係」 の否定です。

429 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 21:34:26.74 ID:acfDZ0/b
>>427
そのように「曲解」しなければ、釈迦の12縁起も業報論も崩壊するからです。
仏教以前のインド思想の残粕が残っているからです。

「煩悩があるから苦が生じるのだから、苦を滅するために、煩悩を滅せよ」と
いう場合、「煩悩」も「苦」も実体化している。実体でないのなら、「滅する」
必要は、初めからないのです。

煩悩も苦も、それが「生を維持するために必須の機能」であることを悟り、
感謝して受け入れることにより、初めて消滅します。釈迦にとっても、「死」
こそが最大の「苦」であり、「老」「病」も、「生」を脅かすから「苦」なの
です。


430 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 21:39:52.73 ID:oF9UZxYO
>>422
>「刹那的関係性」であって、「因果関係」ではないからである。

この部分が違うと思います。

正確には、
『「因果関係」は「刹那的関係性」である』
だと思います。

431 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 21:47:48.79 ID:acfDZ0/b
>>430
釈迦は、「苦」を、「排除すべき異物」だと初めから決め付けている。これでは、
「相対性」や「空」は、どこにも成立しません。

432 :てすと:2011/02/23(水) 21:52:24.12 ID:eKBs8t1U
>>431

そんな事いったって頭痛にはバファリン飲むし、頭痛は相対的で空だいといわれても困るんだけど。

433 :てすと:2011/02/23(水) 21:55:35.80 ID:eKBs8t1U
苦しいの嫌だぁ〜〜、痛いの嫌だぁ〜〜〜。

空なんてどうでもいいから苦痛は排除排除っ!!

434 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 21:58:34.88 ID:68sZcJiW
2500年前のインドにバファリンなんかない。
頭痛がしても我慢するかマントラ唱えて気を紛らわすかない。
釈迦はそういう時代の人。

435 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:00:25.37 ID:acfDZ0/b
煩悩や苦を滅しようとすればするほど、その執着ゆえに、更なる煩悩や
苦が生じます。

あるがままに受け入れることにより、一体化され初めて滅するのです。

債務者が債権者を相続すると、債務が消滅するのと同じ道理ですw。

436 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:01:40.44 ID:oF9UZxYO
>>431
>釈迦は、「苦」を、「排除すべき異物」だと初めから決め付けている。

そうじゃないと思いますね。
釈迦は、「苦」を、実体の無いもの(空)、だと、言っているのだと思います。

その「実態の無いもの」が生起する過程を、「12縁起」で現わしているのだと思います。

437 :てすと:2011/02/23(水) 22:03:52.18 ID:eKBs8t1U
>>434

西洋医学と仏教の二択なら、迷わず西洋医学を取ります!

西洋医学と中論の二択なら、迷わず西洋医学を取ります!


歯医者では麻酔を打ちます!

麻酔無しで痛みの原因を取り除くなら歯を抜くしかありません!

「実体がない」と言われても麻酔うちます!

438 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:07:34.10 ID:68sZcJiW
>>437
現代人はそうすればいいんじゃね?
だが古代インドでは選択肢なんてなかった。
それと釈迦は80歳と当時にしては驚くべき長寿だった。
苦を哲学することで苦から脱却することに成功し長生きできたのかもな。

439 :てすと:2011/02/23(水) 22:09:13.61 ID:eKBs8t1U
>>438

先生!シャーリプトラは早死にしました!

統計のサンプリングの仕方が明らかにおかしいです!

440 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:18:22.59 ID:68sZcJiW
>>439
じゃあ残念ながら長生き効果はなかったかw
でもこの世界は美しいと言って死んでいけるなら、いいんじゃね?
それに科学・医学の発達した現代でも解決できない問題は沢山ある。
そういう意味では2500年前のインドと変わらん部分もある。

441 :てすと:2011/02/23(水) 22:24:57.58 ID:eKBs8t1U
病気になったら医者へ!もめごとが起きたら弁護士へ!悩み事は仏教徒へ!

この3者の仕事はマイナスをゼロにすることだから、
仏教徒は人を幸福にするためではなく、不幸をなくすために働くのです!

坊主が病気になったら瞑想に頼らず、医者に行きましょう。
坊主がもめごとに巻き込まれたら弁護士に相談しましょう。
坊主が悩み事をしたら、他の坊主に相談しましょう。

>>440
2500年前と今と2択なら今を選びます!もちろん日本がいいです!

442 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:27:48.09 ID:acfDZ0/b
釈迦は、高度な鬱病でありながら、精神医学もなかった時代に、自分の素人
療法で鬱病を治そうとし、自殺しなかったところは偉い。

「生きるのが苦しい、苦しい」と言いながら、80歳までも生きた。凄い
「生存本能」「生への執着」である。釈迦も「生命教徒」であった。

443 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:29:22.58 ID:e8fOLjJ5
てすとは、さりげなくイイコト言うからなぁ・・w

>>441
>この3者の仕事はマイナスをゼロにすることだから、
>仏教徒は人を幸福にするためではなく、不幸をなくすために働くのです!

444 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:31:26.76 ID:68sZcJiW
>>441
そりゃ基本的に今の日本の方が絶対いいだろうけどね。
だがこんなに豊かな現代日本でもうつや自殺や不況や
就職浪人や児童虐待など世の中は苦に満ちている。
仏教がその処方箋の一つとして役に立つこともあるんじゃね。

445 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:33:16.26 ID:e8fOLjJ5
>>429
>「煩悩があるから苦が生じるのだから、苦を滅するために、煩悩を滅せよ」という場合、
>「煩悩」も「苦」も実体化している。

ハァ?(゚∀゚)
馬鹿だろwww
それは、《お前さんが「聞き」「理解する」その段階で》、【お前さんが】【実体化してる】んだよw
因果の時もそうだが、ほんと「実体フェチ」だなw

どこにも実体化なぞしていない。それは貴方だけの妄想ですw

446 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:37:50.68 ID:dYmlFzap
煩悩を捨てることで苦しまなくなる。例えば、自分は成功したいと思っていると成功できない時に目的が達成できずに苦しむ。
しかし、最初から成功する必要はないと考えていれば成功できなくても苦しむことはない。
世の中はすべて空だと考えていれば何も得られなくても苦しむことはない。
これが基本。
こういう考え方ができる人間はまれだから、成功したいとか何か得たいと考える人間は苦から逃れることはできないだろう。


447 :神も仏も名無しさん:2011/02/23(水) 22:40:31.63 ID:e8fOLjJ5
>>445
ああ、因果の話というより、縁起の定型句に端を発した
「あれ」や「これ」という《指示代名詞の指示対象の実体化》だったなw

448 :てすと:2011/02/23(水) 22:42:08.51 ID:eKBs8t1U
>>442

大丈夫。
本当に苦しい奴は苦しいとか言えないから。

>>443
て、、てれるじゃん。。

>>444
優先順位の問題だよ。仏教が役に立たないとわ言わないけど、医学や経済政策がどうしても先だよね。。。

>>446
それ、ニヒリズムじゃね?

449 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 01:17:15.81 ID:sVcIwPa1
>>445
釈迦は、苦が実体と思ったからこそ、12縁起などと大騒ぎしたんだろ。
衆生は、苦楽の相対性など、とっくに悟っていた。

「苦」の原因が「生」というのでは、全く終わっている。大乗仏教では、その
ような考えをする者はいない。

釈迦には、「縁起」とは相対性(相互依存性・関係性)であるという思想は全く
無かったのではないか。そのような原理の発見は、竜樹の頭脳を待たなければ
ならなかった。

450 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 01:22:13.11 ID:MU6iIHnq
>>432-433
↑この中学生どうにかならんのか?
五月蝿い!!!

451 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 01:34:42.04 ID:oX83jb2j
>>450 まあ、いいじゃないかww
2ちゃんには、てすとみたいな放火魔も必要だろ?

火が消えたようになって、過疎るのも寂しかろう?w

452 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 02:15:36.75 ID:of9PotQe
火が付くならそれでもいいが、あまりに下らなすぎて、さっぱり炎上してないな。
湿気たマッチに存在価値は無いw

453 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 07:03:09.13 ID:Iz1CH7vy
>>448
>優先順位の問題だよ。
>仏教が役に立たないとわ言わないけど、医学や経済政策がどうしても先だよね。。。

ですよね〜

454 :てすと:2011/02/24(木) 07:44:58.85 ID:GjfZ68v6
>>452

ほら、釣れてるじゃないかw

455 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/24(木) 08:11:41.76 ID:LGTUIzN7
>>419
>あなたのおかしいのは自分で二役なり三役をやるからです。
>自分で「過去を引き寄せる」と言い「過去は無である」といったり

非常に適切な質問です。
「過去を引き寄せる」→世俗諦です。→世俗諦においては矛盾がある。
「過去は無である」→勝義諦です。→勝義諦においては矛盾はない。
このように御理解くだしゃっされまし。

>これは一人の人間の論理としては反則ですよ。
>二重人格では説得力がないです。

申し訳ありません。
じつは、仏教論理というのは、世俗諦と勝義諦の二相において構成されるのが一般的であります。
ですから貴殿のような誤解が生じるのも、やむをえんでしょうね?
   (つづく)


456 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/24(木) 08:12:34.72 ID:LGTUIzN7
   (つづき)
>この縁の必要性はどこにあるのですか?
>ここで縁を持ち出すと、次の無常は縁が無常の原因であるという事になってしまう。

おお!!これは鋭い指摘ですね。
拙者が説明しようとしたら、既に>>422氏が書き込みしてました。
少し補足しますと・・・これは、
「木が灰になる場合は、そこに因果関係はなく、刹那において完結している」。
ってことに繋がるのです。
つまり「いま」しかないざます。
「いま」しかないのを・・・過去を引き摺るから「いま」が見えない。
しかしながら「いま」とは何ぞや?

「『いま』とは、〇〇といふものです」。
と拙者が書き込みした途端にですね、それは「いま」ではありゅらんですね。
それは、そう表現することじたいが過去に現実を引き寄せているに過ぎんのです。
「いま」とは、一切記憶から離れ、予断なきをいうのですが、
これは語ちることは至難です。

「いま」は未知でありまして、「分かった」は過去に過ぎんのです。

また、暇なときにでも書き込みをしとうございます。


457 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 10:15:59.47 ID:bDBw4P+N
人間は変化を望む
それを望まない人は
過去の人間の作ったパズルを 永久にやってなさい

458 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/24(木) 12:00:51.48 ID:LGTUIzN7
>>419
>>空ですから、もはや過去も現時も未来も、ありませんですね。

>この「もはや」が大事です。
>それを最初から「空(ありません)」と貴方は言うからおかしくなる。
>「以前は空・・・・もはや空」この話の切り口が間違っているといってます。

世俗諦における「過去・現時・未来」は、
勝義諦における「現時」のことです。
それは、過去・現時・未来は現時でしか生起しないからです。

また現時というのも、去るものであって、かつ来るものであるがゆえに、
矛盾において成り立つ概念であり、もはや勝義諦においては現時は否定されます。

つまり、第一義空諦においては、時制そのものはありませんですね。
ですから「刹那」という表現にしても、時制の意は含まれておらんです。

余談ですが、武道においては「刹那」を重要視します。
つまり、刹那に相手のコテに刃を入れれば、相手は戦意を著しく損ないますからね、
勝敗は決まったようなものです。

こういった、経験的に無我を感得すると、武士は急速に禅に関心を向けるようになります。
そして千利休が戦国の大名達に多大なる影響を及ぼすこととなり、
やがて利休と秀吉の関係悪化を発端に、関が原合戦へと突入するのです。


459 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 21:03:03.40 ID:iaKCq18I
>>458
千利休が秀吉の勘気に触れ切腹させられた理由は何だと思われますか。

千利休は、キリシタンだったからでなはいかと思う。当時、キリシタンの
入国が特に多かったし、千利休の後押しをした古田織部はキリシタン。
細川の妻はキリシタン。

460 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 21:52:22.10 ID:sxj73SlZ
ついでに言えば千利休こと聖(セイント)ルカを処刑したのは
彼がキリシタンであり、茶道とは実はキリスト教えのワインとパンの儀式がモデルで
実は教会と同構造をしている茶室に入る際に入口が狭く設定されているのは
秀吉といえどもわざわざ膝を屈めて入らないと駄目で、
これは「狭き門より入れ」という聖書の言葉を実践するものであり
神の前に膝を突いて敬礼する行為を模したものだった。
その他多く、キリスト教の儀式と告示する数々の作法が茶道に存在するが
部下の讒言によって真実を知った秀吉が激怒したから…だっけか

既に茶の湯の文化は日本中に広まっていて駆逐のしようがなく、
その秀吉も利休を殺して口封じをした後は何事もなかったかのように茶の湯に溺れたけど

461 :神も仏も名無しさん:2011/02/24(木) 23:43:07.30 ID:6qbf3WN7
>>460
それ本当ですか。ソースがありますか。

本当だとすれば、私の感が当たったことになる。

現在の千家の宗室が、常に、仏教・神道と並んでキリスト教に言及されるので、
どうもおかしいと長い間思っていた。

戦国時代の大殺戮はキリシタンの影響、という私の仮説も、証明されるかも
知れない。

462 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 06:45:08.77 ID:Zi0E1B84
嘘に決まってるだろw
子供騙しはたいがいにしとけ、糞カルトども。

463 :93:2011/02/25(金) 07:24:28.55 ID:8c/Kiwhf
ttp://www.tibethouse.jp/ ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

----------------------------------------------------------------------------
敵は非常に大切なものです。敵から内面の強さを教えられます。
心は元々とても傷つきやすいものですが、何かトラブルがあると、強くなるのです。
----------------------------------------------------------------------------

どんな人間に対しても思いやりの気持ちを持つ事は大切です

464 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 07:32:54.82 ID:Zi0E1B84
>>458
ドアホ。
日本の文化をコケにするのもたいがいにしとけ。
今日からお前のコテは民明書房だ。

465 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/25(金) 09:34:55.51 ID:9dZp3oUB
>>459
>千利休が秀吉の勘気に触れ切腹させられた理由は何だと思われますか。

それは拙者にも分からんですね。
一応表向きでは、大徳寺の山門に利休の木像を建てたから。というのはございますけど、
このくらいのことじゃ〜理由にはならんでしょ?
秀吉の面子が無くなるから?

利休は権力の中枢にいた人物ですから、いろんな説があります。
拙者は、利休は最初から秀吉を小馬鹿にしておったかと思います。
「金の茶室」とか、あまりにも品格がないですね。
ワビ・サビの対極じゃ〜ないですか?

利休の「戦略家」という一面をなぞれば・・・
あるいは、わざと秀吉を怒らせた。とも考えられますし、
拙者は歴史研究家ではないので、詳しいことは存じません。

利休の自刃によって、結局は世の大名が秀吉の敵に廻ったのは事実ですから、
もしかしたら、そこまで計算に入れてたかもしれませんね。


466 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 12:34:50.71 ID:hF04MbIq
彼岸寺っていう団体は、何?
いつも二世、三世の若い僧侶の喋りたがりが集まって、
ただ議論しているだけで、それらしく仏教をかみ砕いて
固いイメージ払拭活動しているとでも?犠牲になっている
嫁の方がよっぽど修行している様に思えるぞ!
彼岸寺は「やりっぱなし」な団体なんだよ
自己実現に仏教を利用すんなっつーの。


467 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/25(金) 14:32:02.60 ID:9dZp3oUB
>>460
>秀吉といえどもわざわざ膝を屈めて入らないと駄目で、
>これは「狭き門より入れ」という聖書の言葉を実践するものであり
>神の前に膝を突いて敬礼する行為を模したものだった。

茶室というのは、理由があって極限に狭く設計されている。
こういう狭い空間というのは、一神教にはあまり似合わない。

キリスト教ってのは、聖堂にしても広大なる空間を有してるだろ?
これもそれなりに理由がある。

拙者は神を拝む気持はさらさらない!!
利休にしても、あの気性の激しい茶人が神を拝むなど到底考えられんですね。
 
【利休・遺偈】     
   人生七十 力圍希 咄
     吾這宝剣 祖仏共殺
      提ル我得具足の一太刀
      今此時そ天に抛

   天正十九仲春
      廿五日 利休宗易居士
                   (花押)


468 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 17:39:49.86 ID:aReUg7j2
時間は経験で、その人の人生。

可愛がっていたペットが死んだとき
日航機墜落のフライトレコーダーを聞いたとき
リビアの空爆をツベで見るとき
胸が詰まったり、受けとめ切れなくて座りの悪い思いをする

生があっけなく断ち切られたのを見て
彼等の残した人生、時間の蓄積に圧倒される
去るものは彼等の周辺関係ごとあの世にもって行き、
残された者の胸に穴を開ける


さとりをひらいたとき
生まれてきた理由がわかった とか
今生の課題を果たした とかいう人がいるけど
それは彼が彼の人生の記憶の整頓を済ませたということ
個々の記憶が収まるべき所に自然に収まるに任せきったということ

自己組織化した記憶はコンパクトかつ簡便に扱えるようになり
彼は余力を得る 混乱は収まり空隙が生じる

無我だから感じたり、痴による居心地の悪さを感じたりするんですよ

469 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 17:48:00.55 ID:Zi0E1B84
死に捉われた三流が痴れっと仏教をかたる。


470 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 17:55:42.28 ID:aReUg7j2
今の瞬間は今だけで完全に完結している
何やってもいいし、できることはなんでもできる

坐れば(私にとっての)時間の生成の現場に在ることもできる
過去の人生はその人を決定している
生まれた場所、両親、食べ物、友達
過去の経験(因)は現在の彼(果)そのもの

だから中論で仮想された時間を否定するんです
わざわざ仮想しなくとも現在の彼そのものに因は表現されているから


471 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 17:58:14.47 ID:Zi0E1B84
まず屁理屈を捨てろよな。
そんなものどこにもありゃしねえんだ。

472 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 17:58:46.14 ID:aReUg7j2
ふつうのことです
三流である必要もないです

473 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 18:01:35.73 ID:aReUg7j2
何かが引っ掛ったから貴方は反応する
何もないと他人に言うのに、ご自分は何かにひっかかっているのですね


474 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 18:03:49.05 ID:Zi0E1B84
完結とか観念に引っ張られるてからさ。
お前は結局安らぎを、「自分で作っている」。→有為法。
そういうものに係わり合いになることが逆に遠ざけている。


475 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 19:00:10.01 ID:GdLwMA9q
>>474
>お前は結局安らぎを、「自分で作っている」。→有為法。

ならば、仏教の修行はすべて有為法。釈迦がその筆頭。

476 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 19:03:48.54 ID:Zi0E1B84
>>475
ぶっちゃけ修行は方便。
あれこれ救いの手段に拘ってる人間をそれから引き剥がすための。

477 :てすと:2011/02/25(金) 20:41:01.68 ID:b8x45+oy
>>471

どこにもないなら捨てられないだろ。

>>474
>お前は結局安らぎを、「自分で作っている」。
あたりまえ。自分以外に誰がつくるんだ。

>>476

引きはがしに拘ってる人間に方便として修行してやってるんだよ。

478 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 21:13:33.41 ID:Zi0E1B84
>>477
>どこにもないなら捨てられないだろ
どこにもないものを探しまわることで精神が病む。

>あたりまえ。自分以外に誰がつくるんだ。
ただ、自業自得の苦しみをつくりだしていないというだけ。
それさえなければどうやっても安らぎ。


宗教的な救いの完成は過去完了であり、
救いの法は現在進行形である。
ただ一部の宗教がいかさまを施し、自らの手柄にしてるだけ。






479 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 22:06:47.59 ID:aReUg7j2
ネットのありあわせの材料で、小麦粉をこねてパンを焼いた
本物の食べ物だって一度食べてしまえば、食べなおすことはできない
一度たべて20年空腹にならない! なんて食べ物はない

今 無条件に完成しているのに妬みに負けて
救いの法などという

どうやっても安らぎといいながら嫉妬だけは止めることができない

まず貴方が自分のイカサマを引っぺがしてから他人に言っておくれよ

480 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 22:08:53.72 ID:Zi0E1B84
>>479
救いの中身は破壊だ。
あらゆる苦しみはオートで破壊される。


481 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 22:12:25.53 ID:Zi0E1B84
そして汚物など嫉妬しない。

482 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 22:14:02.38 ID:GdLwMA9q
浄土真宗を除いて、仏教とは、キリスト教のような「救いの宗教」なのか。

竜樹や道元にも、チンケな「救い」などは、どこにも見当たらない。

違うと思うが。誰か答えてくれ。

483 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 22:18:36.30 ID:Zi0E1B84
救われているのにさらに救いなどあるか、マヌケ。

484 :てすと:2011/02/25(金) 22:46:27.33 ID:b8x45+oy
>>483

悩みすぎ。もっと気楽にいこうぜ。

485 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 22:52:31.94 ID:GdLwMA9q
>>483
何故「(既に)救われている」のかを、詳細に論じてくれ。それで、
「救済宗教」とは異なる仏教の特質が理解できる。

486 :てすと:2011/02/25(金) 22:55:35.90 ID:b8x45+oy
精神の病いが怖くて、冒険の旅に行けるかっつうの。

安らぎなんて糞くらえ。

487 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 23:06:20.08 ID:aReUg7j2
残念ながら 喜ばしいことに 信者は常にこうである

488 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 23:14:59.30 ID:aReUg7j2
だれも絶対救われない
猫の子一匹救われない
古今東西救われない
前にも後にも救われない

なぜかって言えば救う人が、どこにもいないから

489 :てすと:2011/02/25(金) 23:20:15.30 ID:MEhz75kz
>>488

いるだろ。

自分を救うのは自分自身だ。

490 :神も仏も名無しさん:2011/02/25(金) 23:27:21.44 ID:aReUg7j2
えっと
自分0を救うのが自分1とするじゃん?
でも元から屑だから救われないとか寝言いってるわけでしょ?

ニートを救うのはニート? どーかんがえても無理だわ

491 :てすと:2011/02/25(金) 23:32:33.89 ID:MEhz75kz
>>490
ニートは勝ち組だろ。

救う必要ないだろ。

492 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 00:30:59.03 ID:64jmzBIa
問題や苦があれば、生存本能をフルに発動してその解決と解消に努力する。
その生存努力においてのみ、人間は救われる。そして「無我」が初めて実現
する。「我を忘れる」とは、このことだ。

救いを救いとして求める限り、救われることはない。「救いに対する執着」
があるからだ。

493 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 00:32:52.80 ID:QPQ13OfL
うん、てすとさん。
自分が自分を救うとするでしょ?

そうすると無限遡及におちいりますね?
そうゆう話

松下こうのすけが小企業向けの講演で
「借金をコントロールして自転車操業を止めなさい 
と言ったら、後の質問会で
「それはわかってるけどできない それをどうすればいいのか聴きにきた
とオヤジに言われて
「とにかくそうするんだ
とか答えたそうだ そういう話

494 :てすと:2011/02/26(土) 02:13:13.26 ID:/2aRTOCa
>>493

まったく松下幸之助の言う通りww

とにかく救われるしかないだろw

さすがだw

495 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 02:22:27.19 ID:eDqpIGif
>>492
>その生存努力においてのみ、人間は救われる。

座禅では無我になれない・・・・、ってことですか?

496 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 02:45:12.70 ID:JOEpvJdh
近所の教会の牧師さんが、大乗仏教からは、ケイキョウで、じつはキリスト教ですって
いってました。私もそういえば慈悲とかいいますものねっていっておいたのですが、じっさい
そうかもって思うのです、仏陀の考え方は小乗の方に継承されてるのではないでしょうか。

497 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 03:20:50.63 ID:w/AwuYKN
仕事などで自分を救うという行為、そういう実体がないことに注意。
仕事などをしているその内容、それは直接に自己を益するものでないtぽいこと。
自分が飯を食っていてそれ自体を報酬としてお金はもらえないということです。
他人に飯を食わせて、お金がもらえるのです。
労働をすることは自分の時間を他人に差し出すこと、そこに価値が生まれるのです。

いくら力が強い人でも自分は持ち上げられない、というのは無門関でしたっけね。
自分持ち上げるより、何か重いもの運ぶほうが銭になるってもんです。
仕事そっちのけで自分を救うことばかり考えてる人にまともな仕事ができますか?



498 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/26(土) 04:53:43.54 ID:ZeC41w5t
>>456 :机龍之介 ◆8
>「木が灰になる場合は、そこに因果関係はなく、刹那において完結している」。

前にも言った様に完結してないでしょう。
灰はやがて木の肥やしになる。
面々と因果している(空性として)、少なくとも刹那では全くない。

>>458 :机龍之介 ◆
>世俗諦における「過去・現時・未来」は、
>勝義諦における「現時」のことです。
・・・・・・・・・
>矛盾において成り立つ概念であり、もはや勝義諦においては現時は否定されます。

それではマッチポンプの二刀流。
何も有意義な話にならない。

>>482 :神も仏も名無しさん:
>仏教とは、キリスト教のような「救いの宗教」なのか。

キリストのことは分かりませんが、仏教はシンプルな「救いの宗教」です。
四諦が分かりやすいです。
苦しみを乗り越えることで救われるわけです。
従って苦しみを感じない人には無縁のものです。
哲学等の学問で扱う事など以ての外です。

499 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/26(土) 08:09:17.25 ID:LPpnGz8U
>>498
>前にも言った様に完結してないでしょう。
>灰はやがて木の肥やしになる。
>面々と因果している(空性として)、少なくとも刹那では全くない。

まあ、普通はそう考える。いた仕方ない。
拙者もそう考えてる時期がありました。
しかし空性というのは因果のことではない。

よく禅者が「気づく」ってのは、日常的な営みにおける間断されたその瞬間を垣間見るってことだよ。
前に書いた、カラスの「カァ〜」にしても、そのヒントを示唆したまでのこと。
つまり時制というのが普遍性にあるのなら「事象は当然変化する」。
という論法は間違いじゃない。
しかしそもそも森羅万象は時制という制約において成り立っているのであろうか?
ってのがひとつの疑問になる。
もしそうであるのなら、素朴実在論は正しい。ってことになる。

>それではマッチポンプの二刀流。
>何も有意義な話にならない。


世俗諦というのは時制を肯定した、ものの見かたですね。
勝義諦というのは、時制(これは存在の意も含む)は空である。というものの見かたです。

世俗諦というのは、色即是空の「色」にあたります。
勝義諦というのは、色即是空の「空」にあたります。
この二諦でもって、ものごとを捉えるのが仏教哲理でありますけど、
貴殿はこの基本的なことに関心がありますか?

500 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 09:50:45.81 ID:tqRrRnFa
>>482
苦しみ→救われたい
というのはどっちも同じだと思うがアプローチが違うと思う。

苦しみに対し、神などの救済を提示するのがキリスト教なのに対し
苦しみに対し、苦しみそのものを極限まで突き詰めて分解してしまうのが仏教だと思う。
そこが釈迦の発想転換じゃないかね。

501 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 10:16:11.66 ID:bRyX8DyM
>>495
>座禅では無我になれない・・・・、ってことですか?

「解脱したい」「悟りたい」「救われたい」という「我」を持って座禅すれば、
「我」の無限連続です。

他者・他物との係わり合いにおける生存努力では、「我」を忘れます。「我」に
没頭すれば、「我」はなくなります。

>>498
横レスだが、

>灰はやがて木の肥やしになる。

灰という状態において肥料となるのです。薪では、肥料になりません。
存在とは、刹那の積み重なりのことです。

>哲学等の学問で扱う事など以ての外です。

少なくとも、竜樹や道元は、古今東西比肩する者のない大哲学です。西洋哲学には
全く見当たりません。

502 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 10:33:48.59 ID:PDKfuTIm
>>501
> 「解脱したい」「悟りたい」「救われたい」という「我」を持って座禅すれば、
> 「我」の無限連続です。
>
> 他者・他物との係わり合いにおける生存努力では、「我」を忘れます。
> 「我」に没頭すれば、「我」はなくなります。

ふむ。
>「我」を持って座禅 しても、>「我」に没頭すれば、「我」はなくな るわけだな。
>「解脱したい」「悟りたい」「救われたい」という「我」を持って しても、没頭すれば、その「我」も無くなるわけだな。
問題ないじゃんwww
しっかり坐禅して「我」を無くせばいいじゃんw 何言ってんの?このおじさんw

つか、
> 他者・他物との係わり合いにおける生存努力では、「我」を忘れ るなら、
そもそも >「我」に没頭す ることも無いわなw
>「我」を忘れ ることと、>「我」に没頭す ることの違いをどう見てるんだろうね?このおじさんはw

503 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 10:33:56.90 ID:bRyX8DyM
>>500
>苦しみに対し、神などの救済を提示するのがキリスト教なのに対し
>苦しみに対し、苦しみそのものを極限まで突き詰めて分解してしまうのが仏教だと思う。
>そこが釈迦の発想転換じゃないかね。

釈迦を絶対化、神格化すれば、キリスト教と同じになってしまいます。

苦しみの究極が「生命」であれば、死ぬしかないw。

504 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 10:43:32.01 ID:tqRrRnFa
>>503
>釈迦を絶対化、神格化すれば、

神の上に空があれば矛盾せず包摂できるから大丈夫だろ。

>苦しみの究極が「生命」であれば、

自殺も執着の一種だろう。上善如水みたいなイメージが正しいと思う。

505 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 10:47:30.71 ID:bRyX8DyM
>>502
道元の、「現成公案」「修証一等」を理解されたし。

506 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 10:52:59.56 ID:bRyX8DyM
>>504
空であれば、そもそも、絶対化・神格化など生じない。包摂の関係ではない。

507 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 11:04:03.50 ID:nL7aynIy
お前は「生命」を絶対化してるだろうがww
なら、生命は空ではないんだなw

508 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 11:44:57.62 ID:bRyX8DyM
>>507
空を考えるのも、絶対化するのも、「生命」の機能だから、仕方ないじゃんw。

御釈迦さんも生命を「無明」として絶対化し苦の原因としたが、これは間違い。
生命からは、雲も楽もその他のすべてが生じるのだから。

509 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 11:47:59.96 ID:bRyX8DyM
>>508の訂正
×雲
○苦

510 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 11:55:26.58 ID:tqRrRnFa
>生命を「無明」として絶対化し苦の原因としたが、

それは解釈がおかしくないか?
スタンダードな解釈ではないだろ。

511 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 12:05:59.21 ID:i/4qWRFf
>>508 ほ〜 すると龍樹や道元も「生命」だけは例外にして、空ではなく絶対的なものとしたわけだ。
ちょっとその記述あげてみ。

512 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 12:07:57.79 ID:PDKfuTIm
>>510
今更だけどねw
「所謂」生命が無明とされたことも、「隠居流」生命が無明とされたことも2500年間一度も無いわけで・・w

513 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 12:08:16.72 ID:bRyX8DyM
>510
中村元氏の訳では、「無明によって生活作用があり」としている。「生活作用」を
生じるものは、「生命」以外にはない。

514 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 12:20:02.47 ID:eDqpIGif
>>503
>苦しみの究極が「生命」であれば、死ぬしかないw。 。

ここが間違ってますね。
12縁起の「生」というのは、「命」のことじゃありません。
「生」というのは、人間や事物が個体として変化する・・・、
その認識のことです。


515 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 12:20:21.80 ID:PDKfuTIm
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/
574 591 597 601 608 611 615 617 619

仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/
59 63 354 393★ 409★ 420 609

516 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 17:44:10.06 ID:FptV2q7/
>>514
その「認識する」主体は、一体何・誰?

517 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 18:09:18.14 ID:eDqpIGif
>>516
「我」ですよ。

518 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 18:38:55.95 ID:PDKfuTIm
>>516
貴方は、「風が吹いている」という事象を、「そうした事象として“ある”」ことを認めますか?

519 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 20:47:23.98 ID:w/AwuYKN
ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、
佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、
こころをもつひやさずして、生死 をはなれ佛となる。




520 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 22:00:57.63 ID:Q5cEjaiT
生命教とタヌポンと松本教はスル〜推奨!

521 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 23:14:29.35 ID:QPQ13OfL
俺の人生はこんなんで終わりなのか? 系
科学と仏教は同一の真理を・・・   系
俺以外は全部妄想(俺だけは真理)   系



522 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/26(土) 23:31:24.21 ID:ZeC41w5t
>>499 :机龍之介 ◆
>しかしそもそも森羅万象は時制という制約において成り立っているのであろうか?

時制?時制という制約?  もう少し説明してください。
「成り立っている」とは? 自性として成り立っている??
森羅万象は成り立っては居ないのではないですか。
相対的に人間に認識されているだけです。
だから・・・・・・・・

>もしそうであるのなら、素朴実在論は正しい。ってことになる。

素朴実在論は間違っているのです。

>世俗諦というのは、色即是空の「色」にあたります。
>勝義諦というのは、色即是空の「空」にあたります。

違うのでは?
だって貴方の論法を当てはめると、世俗諦即是勝義諦 になっちゃう、おかしいでしょ。
世俗諦というのは、色即是空にあたります、では?
ちなみに、 勝義諦というのは、空即是色になると言う事ではないとは思いますが。

>>514 :神も仏も名無しさん:
>・・・・人間や事物が個体として変化する・・・その認識のことです。

これってまさしく「命」の事でしょう。



523 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/26(土) 23:35:00.66 ID:ZeC41w5t
>>518 :神も仏も名無しさん:
>貴方は、「風が吹いている」という事象を、「そうした事象として“ある”」ことを認めますか?

横レスですが、「風が吹いている」という事象は主観的にしか論じられない。
風と同様に動いている主観の場合には風は吹いていないからだ。


524 :神も仏も名無しさん:2011/02/26(土) 23:54:20.11 ID:nL7aynIy
>素朴実在論は間違っているのです

素朴実在論、最強〜
10階建てのビルから飛び降りたら、地面に激突して皆、即死ww

525 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:01:50.23 ID:PDKfuTIm
>>523
なぜ貴方が横レスしてくるのか解らないw

そこに「風が無い(いない)」ように、「主体もいないい」わけです。
そこにはただ、「認識」が、「認識しているということ、そのことだけ」があるのです。
そうでしょう?w

523のような「主客合一」の話ではありませんw

526 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/27(日) 00:23:53.22 ID:YhMfpRxu
>>524 :神も仏も名無しさん:
>地面に激突して皆、即死ww

そのとおり、地面とぶつかって死んだわけで実在とぶつかった訳ではない。
殆ど確実に死ぬ事は分かるが、地面の実在と生死の実在がはっきりしないという事。
はっきりしていなくとも、確実に死ぬ事が分かっていれば危険を避ければ良いのであって、地面の実在性は問わなくとも日常生活に支障はないと言う意味。

>>525 :神も仏も名無しさん:
>そこにはただ、「認識」が、「認識しているということ、そのことだけ」があるのです。

時々こういう人が居るけど意味不明?
「認識」が、「認識している・・・    明らかにあり得ないと思います。
認識が自性と言う事なのかな?
人間(主観)が居なくても認識が実在するわけ????

>523のような「主客合一」の話ではありませんw

分かってないのでは? 風(客観)と人間(主観)の相対的(速度)関係なのだが。

527 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:29:39.41 ID:o4LjFS62
>>526
>そのとおり、地面とぶつかって死んだわけで実在とぶつかった訳ではない。

地面が「実在していた」から、それに激突して死ぬのねw

>殆ど確実に死ぬ事は分かるが、地面の実在と生死の実在がはっきりしないという事。

何いってるの? 意味不明〜



528 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:36:14.50 ID:zWAk/Df2
>>526
人間が存在しない所では、木の葉が風に舞うことが無いとでも?w

529 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:38:14.41 ID:zWAk/Df2
>>526
つか、コテから「中観」の二文字を外しときなさい。
というより、貴方には仏教の理解は不可能でしょうw

530 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:47:26.49 ID:s6nYfzin
こりゃ禅モードだな

531 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:48:53.08 ID:ZDRf8g20
>>529
その人、松本教と科学のコンド〜です!


532 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 00:51:07.21 ID:o4LjFS62
>こりゃ禅モードだな

隻手の音声きいてこい    か〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っつ!

533 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:27:58.40 ID:UUFkJ6C0
人間にとって、「実在物(現実界)」とは、(必要な場合には観測装置を使用して)
共同体の不特定多数の成員のほぼ同一の五感で知覚できる対象。追加的テストとしては、
その対象が、生命の維持に直接の関係を有すること。知覚異常者、妄想患者、
宗教盲信者の知覚を除外するためである。

ビルの10階から地面に飛び降りれば、人間は死ぬか、大怪我をするから、
「地面」は「実在物(現実界)」である。

釈迦にとっても、イエスにとっても、例外はない。

人類はその発生以来、専ら「五感の知覚によってのみ実在・非実在を判断する」
という素朴実在論によってのみ生存が可能であった。

534 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:36:39.84 ID:Tfb6pYgT
>>533
はじめてここ来て、まえスレもよく見てないけど、警察か裁判所の人みたいね。

535 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:37:45.04 ID:UUFkJ6C0
>>520
反生命の宗教、開祖を絶対化・神格化する宗教、人間の現実感覚や社会常識から
著しく逸脱する宗教、家庭を破壊する宗教は、人間にとって害悪以外の何物でも
ないから、すべて速やかに撲滅すべきものである。

536 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:39:57.76 ID:UUFkJ6C0
>>534
生まれたばかりの赤ん坊でもやっていることw。

537 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:42:19.64 ID:o4LjFS62
>>534 初めての人ね、 
んじゃ、教えておくけど、その人「隠居」って呼ばれてる「頭のおかしい人」
なんで、気をつけてねwww

538 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:46:16.11 ID:o4LjFS62
>>534
「警察か裁判所の人」みたいなどと、とんでもない。
正反対の人ですよ。ww
「レイプ、セクハラやりまくりましょう」が教義の『生命教』という
新興宗教の教祖ですwww

539 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:47:25.25 ID:Tfb6pYgT
>>537
どうもありがとです、もと警察のかたでしたか、それは失礼しました。

540 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:47:28.23 ID:UUFkJ6C0
>>537
きみたち、宗教で狂わされた人々を「救済」しているのだよ。

そのような人々は、まず実在・非実在(現実・非現実)の区別を、生まれた
ばかりの赤ん坊に学んで学び直すことが必要。

541 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:50:13.84 ID:Tfb6pYgT
>>538
えっ、まじですか、ここってちょっとこわそうですね、前のほうみてきます。

542 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:51:55.04 ID:Tfb6pYgT
>>540
なんだ、やっぱり、警察か裁判所の人みたいじゃないですか。

543 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:54:03.88 ID:o4LjFS62
>>541
>・・ここってちょっとこわそうですね

ん〜にゃ、全然怖く無いですよ。
一人おかしいのがいるだけww
それさえ、知っておけばOK.
仏教の経典、教義についての情報が知りたいときには、すごく有用な
スレだと思うよ。(その方面に詳しいのが多い。)

544 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 01:56:23.99 ID:Tfb6pYgT
なんかついていけそうにないので、また来ます。

545 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 06:31:34.90 ID:rLjvg01H
さようなら

546 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 07:19:02.57 ID:ZDRf8g20
>>542
その生命とか言ってる人、机龍之介は全く話にならないので相手にしないのが
暗黙のルールですよ。

中観寺という人も、自分の宣伝が目的なので、同じだと思います。




547 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 07:25:23.30 ID:NuvoJPHq
>>522
貴殿の書き込みは論理的に滅茶苦茶ですよw
ひとつ拙者が整理してみます。

【時制について】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%B6
この↑URLを参考にしてください。

@時制とは実在が派生する概念です。→素朴実在論
A時制とは因果が派生する概念です。→業報輪廻思想
B時制と縁起は矛盾します。→中観思想

>だって貴方の論法を当てはめると、世俗諦即是勝義諦 になっちゃう、おかしいでしょ。

いや全くオカシクはないです。
中観思想ですから。
二諦は(世俗諦・勝義諦)は不一不二ですね。

>世俗諦というのは、色即是空にあたります、では?
>ちなみに、 勝義諦というのは、空即是色になると言う事ではないとは思いますが。

色即是空・空即是色の意味とは、
「世俗諦→勝義諦→世俗諦」を表しております。→禅宗解釈
真言宗は「世俗諦→勝義諦」かと思いますが、ハッキリしたことは知らんですね。

548 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 08:37:29.38 ID:zWAk/Df2
>>522>>547
この流れに沿って横レスすれば、
「五蘊皆空(五蘊即是空)」が勝義諦で「五蘊皆五蘊(五蘊即是五蘊)」が世俗諦(≒素朴実在論)だよw
つまり、心経は勝義についてしか述べていないのさw

549 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 08:38:58.66 ID:ZDRf8g20
>>548
その二人と生命教は三人で仲良くしてもらうのがよかでしょ


550 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 09:04:27.40 ID:zWAk/Df2
>>548

ちなみに、「空即是五蘊」もまた勝義ではあるが、敢えて(>>547後段を受けて)言えば、
「法(おしえ)が説かれること」であり、「甘露の門が開かれること」であり(=「菩提樹下からの起立」であり)、
(禅的には)「騎牛帰家・入てん垂手」であり、(華厳的には)「理事無碍法界」である、と言い得るかもしれない。
(密教は知らんw)

 *で、「五蘊即是空→空即是五蘊」(―これを中略して初めて「五蘊即是五蘊」と言い得るわけだが―)が、
  「事事無碍法界」(→五蘊五蘊無碍法界)ということになる。
  だから、「一如」とか「一相」とか言われる。(「無相」は当然「五蘊即是空」の側だけについてのこととなる。)


>>549
この548が的確かどうかは判らないがw、
この流れは、上に蛇足を付したように、面白い論点だと思うよ。

551 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 09:15:53.59 ID:zWAk/Df2
あ、>この548が的確かどうかは・・・ じゃなく、「この548・550が・・」だな。

552 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 09:36:43.58 ID:NuvoJPHq
>>548
>「五蘊皆空(五蘊即是空)」が勝義諦で「五蘊皆五蘊(五蘊即是五蘊)」が世俗諦(≒素朴実在論)だよw
>つまり、心経は勝義についてしか述べていないのさw

いんや、違う。

五蘊というのは現象のことだから、語義自体は「色」になる。
つまり「色」というのは森羅万象すべての現象のことで、
此の世とか、彼の世とか、霊魂とか、宇宙とか、あらゆる全ての事象・心象を含むわけで、
つまり「五蘊皆色」だよ。
「五蘊皆色」⇔「五蘊皆空」で・・・色即是空

五蘊皆色→の「色」が→分別智→差別相→これが世俗諦
五蘊皆空→の「空」が→無分別智→無差別相→これが勝義諦

>(禅的には)「騎牛帰家・入てん垂手」であり、(華厳的には)「理事無碍法界」である、
>と言い得るかもしれない。

人牛倶忘が「空」にあたる。→これが重要
空から「色」に到るのが「入てん垂手」ですけど、これが空即是色ですね。
つうか、
セブン氏は禅に関心があるのですか?

ちなみに、騎牛帰家はあまり重要ではない。


553 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 10:15:24.99 ID:zWAk/Df2
>>552
ほんと、世の9割の人間が、心経解説で四蘊を無視すんだよなぁ・・w
この弊害はとてつもなく大きい。腐れ解説者どもは残らず葬り去るべきだなw

で、今、「心経のフレーズ」をもとに話してるんだろ?
「五蘊」を「色」にまとめちゃってどうすんだよwww (それは別の文脈、心経を少し離れた、“解釈”として爲されるべきだ。)
「五蘊皆色」とかw 笑わせんなw

554 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 10:46:34.79 ID:ZDRf8g20
>>553
正に戯論(プラパンチャ)で妄想を拡げ(プラパンチタ)てるよね。

また、漢字という記号が妄想を拡げ易い本質を持ってるから大変だ。

ピクトグラムからイメージがどんどん溢れだすんでしょう。
その妄想に酔いしれ、オラチャンすげーとうっとり!


555 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 12:06:46.59 ID:NuvoJPHq
>>553
五蘊について解説します。

色・受・想・行・識でありますが、
これは便宜上において分類してるもんで、そう簡単には分類はできんですね。
例えば「美味しい」って現象を、
身体が感じるのか?それとも心が感じるのか?
そんなもん分類しようがないじゃないか?

>「五蘊皆色」とかw 笑わせんなw

五蘊は現象に過ぎん。現象を「色」という。→五蘊皆色
つまり実有でもなく、実無でもない・・・空。→五蘊皆空
これは五蘊の色・受・想・行・識の(色)ではなくて、
般若心経の「色」。

556 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 12:16:29.59 ID:rLjvg01H
五蘊というのは
色 人の体
受 人の感覚器
想 感覚に対する好悪
識 心
行 それ以外の人の要素

だから主に人無我について使うの

外の世界 感覚器の対象
目に対して いろや形
耳に対して 音
鼻に対して 香り
等は対象(対、感覚器(境、心(識 と別のカテゴリが立てられているの


557 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 12:21:39.78 ID:rLjvg01H
ちなみに「美味しい」は
五味で分類される感覚を
舌(味根?で受け取って
味識(味に関する印象や記憶 のような次元が生じた結果ね



558 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 12:29:48.42 ID:NuvoJPHq
>>556>>557
あのですね、般若心経における色即是空の「色」は
貴殿が書いた全て一切を含んでまして・・・
「無我において使う」とか・・・
「別のカテゴリが立てられ」とか・・・
「次元が生じる」とか・・・
そういうこと全て一切が「色」になるから、
貴殿がどう力説しても、法は変えられんのじゃよ(苦笑

559 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 12:35:36.75 ID:rLjvg01H
>>558
それをいうなら
名色(めいしき 色=物質的要素 名=物質以外の要素(心+何か
でしょ

>557の訂正
舌根(ぜっこん、味識(みしき

560 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 12:46:35.46 ID:rLjvg01H
>>553
>「五蘊皆色」とかw 笑わせんなw

これはもっともなの
識や行の働きを脳に還元して述べるならともかく
現代上座でも大乗でも識も行も想、受も心(名色の名に分類されてるから

ちなみに五蘊をよく使うのは人無我を重視するところね
大乗はそれを踏まえた上で外の世界はどうか?
という記述研究研鑽についての堆積だから
実践として五蘊をあまり重視しない印象があるわね

561 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 12:49:13.92 ID:NuvoJPHq
>>558
>名色(めいしき 色=物質的要素 名=物質以外の要素(心+何かでしょ

物質的要素とか、物質以外の要素とか・・・
そういう分類の仕方を世俗諦という。
しかしながら、
仏教徒はそういう分類の仕方をそもそもしなくなるよ。

方便と捉えていいもんは、そんなに固執しなくてもいい。
これが人牛倶忘。
これで全てが解き放される。


562 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 13:01:31.00 ID:rLjvg01H
いわうる法有の立場が無我を認めつつ、実体論者と呼ばれるのは
ある程度、識や行についても物質と同様に扱っているからかもね

>識や行の働きを脳に還元して述べるならともかく

科学者が機械を通して思考の流れ生起を追うように
五蘊について熟慮する人もおそらく受や識を扱えるでしょう
現代上座部では四大として外界を扱っている。
ようするに彼等も法無我を軽視しているわけではない。

でも尚且つ実体論に陥りやすいと指摘されるのは
少なくとも初歩においては五蘊というカテゴリに原因しているようにみえるわね

563 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 13:10:13.54 ID:rLjvg01H
>>561
>仏教徒はそういう分類の仕方をそもそもしなくなるよ。

仏教徒だからそうゆう分類をするのよw
実践から離れたら文化体系は効力を失っていく


564 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 13:27:08.00 ID:rLjvg01H
562の続き
誰でもある程度は自分の心を操作している
美味しい物を食べるとか、気晴らしするとか・・・ね

人無我について五蘊の熟慮の結果、ある面人間は機械に他ならないと確信するのかもね
その本意はともかく『諸法無我 いう言葉もあるしね

565 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 13:32:19.10 ID:NuvoJPHq
>>563
あのですね、
@飴棒をポッキリ折って舐めてみた。
A飴棒をコッキリ折って舐めてみた。
というフレーズがあるとする。

@とAは意味は同じだけど、その背景は違う。
前者と後者はどちらが美味しそうですか?

これが禅なのでつ(キリッ

566 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 13:44:04.86 ID:rLjvg01H
>565
たぶん@とAは全く違う現実なんじゃないの?

意味は同じというのは机さん
背景は違うというのは机さん
排他的にどちらかが美味しいというのも机さん

@とAはちがう現実だし
意味や背景や優劣を恣意的に設定するのは机さん

こんなのは禅じゃにぃです

567 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 13:48:28.66 ID:ZDRf8g20
素人でドキュンのタヌポン、流石タヌポンの名に違わぬ狸ぶり

禅宗僧侶のセブンに「これが禅」か、相変わらず妄想のでかさと
恥知らずぶりには恐れいるは

568 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 14:07:57.16 ID:NuvoJPHq
>>566
カァ〜と、何処やら声が聞こえる。
これは何か?と推測するに、貴殿は五蘊をフル稼働して、
幼少の頃の記憶に合致し・・・カラスであることを認識する。

幼少の頃に食べたあの飴棒。
はたして、ポッキリだったか?コッキリだったか?
どちらが甘かったか?
ポッキリは、たしか硬かったなぁ〜。→溶けにくい
コッキリは、たしか軟らかい。→溶けやすい
そこで学習する。
イメージとして、ポッキリよりコッキリの方が甘い。

一度イメージしたものは、生涯において残る。
文学は、こうしたイメージをモチーフとして文を構成する。
その力量こそが文筆家の評価に繋がる。
(ポッキリとコッキリでは表現方法が全く違う)

まあつまり、語義というのはdでもな意味も発信している訳で、
それは感性でキャッチする他あるまい。


569 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 14:10:29.61 ID:9wQ/FaHb
>>567
セブン氏が禅宗僧侶?禅的なものは何も感じない。専ら釈迦仏教。

道元さんの大学卒なのに、「道元は難しくて分らん」などと昔言ってたよな。

しかし、「日本の」仏教大学卒なら、少なくとも竜樹や道元は読んで理解すべき
だね。セブン氏の中論と正法眼蔵に関する「名講義」を聞きたいものだ。

日本は「大乗仏教の国」であることを忘れないようにw。

570 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 14:23:34.41 ID:9wQ/FaHb
>>554
>また、漢字という記号が妄想を拡げ易い本質を持ってるから大変だ。

文字に依存するからよくない。宗教の教典のすべての観念語・抽象語の
解釈は百人百様で、文字などなきに等しい。内容は、「ゼロ」。

仏典など捨てて、公園に行って、小動物の生き様や草木に宿る生命力を仔細に
観察したほうが、よほど悟れるのではないのかね。

571 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 14:23:49.22 ID:rLjvg01H
>>568
ある人が
『俺は世界一の男前だ
と言ったとき否定はできないわね 否定する必要もないし

でも地道に立派な男になるべく努力するひとの方が持てると思うんです

なんでも言った者勝ち かもしれないけど
机さんが自ら悟ったというのだって、他人に評価してほしくてそうするのでしょ?
なにか物欲しげで貧乏臭くない?

572 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 14:29:06.71 ID:9wQ/FaHb
>>571
開祖や仏典をしきりにありがたがり、物欲しげで貧乏臭いのは、君たち
カルト教徒のほう。

机師は、宗教板切ってのカルトバスター。君たちカルトを撲滅するため
に書き込んでおられる。

573 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 14:36:12.14 ID:NuvoJPHq
>>571
>机さんが自ら悟ったというのだって、他人に評価してほしくてそうするのでしょ?
>なにか物欲しげで貧乏臭くない?

拙者を評価している御仁など、そうはいないよw
むしろセブン氏の方が同調者は多い。
しかしなんだなぁ〜
拙者は、あまり評価などされたくはない。ってのが本音かな?
やはりテレルんで、
あまり同意とか禿同とかはやってもらたくないかな?

>>567氏にしても、拙者のビジターらしいから、
拙者の書き込みも注意深く読んでいるんだろう?
そういう御仁も大事にしたいですねw



574 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 14:42:37.43 ID:NuvoJPHq
では、落ちます。

575 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 14:43:24.68 ID:rLjvg01H
>576
この際だから聞いとくけど茶匠もカリスマ商売だと思うの
実際はどうか知らないけど。
だから知らず知らず出るんじゃないの、日頃の心がけが。

>572
隠居は追い詰めると逃げるからな〜
開き直って偽証を訂正しないし
共に論ずるに足りないですよ

576 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:07:24.14 ID:ZDRf8g20
>>575
逃げるというより、彼は文が読めないから、
文字から適当なこと妄想して、自慢してるだけ。
他人からするとひたすら恥さらしなんだが。

577 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:19:45.95 ID:rLjvg01H
>576
机さんは茶匠だから少しは座れるし、所作についても茶の規定があると思います
以前の机=髑髏仮面の書き込みを見れば判るとおり
ハッタリ大事の教祖商売が身についているから書き込みがああなるのはしょうがないです

隠居は以前、ボケ防止に書いていると発言していましたし一種の愉快犯なんでしょう
机と同じで危険な宗教の場所には書き込まない

578 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:26:50.13 ID:a6BAnQCz
>>577 ん〜?なんか、お宅は古くからの住人さんみたいだな?
以前、コテ付けてた?ずっと名無し?

579 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:35:17.92 ID:ZDRf8g20
>>577
なるほどね。

二人とも遊びなんだよね。

後で、大変なことになると思うんだが。


580 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:37:27.37 ID:rLjvg01H
>578
ちょっと体調崩してましたw体調が崩れると文体変わる変わるw
コテはいくつか。むかしのコテで呼ばれたら場合によってはリアクションしますよ
というか体調が今、崩れているから書き込めるのかもしれませんw

581 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:41:01.34 ID:5efsdqwf
>>579
カルトは、カルトバスターに対してそうやって激しく反発し、脅迫までする。

582 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:57:36.86 ID:ZDRf8g20
>>581
まあ、どう思っても結構だが、仏教をカルトと呼ぶならちょっと近いかも。

しかし、反発するわけではなく哀れんでいるだけなんだが。


583 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 15:59:25.82 ID:rLjvg01H
伝統宗教とカルトが地続きで正義漢がいらつくのはわからんでもない

一応にしろ宗教に足を突っ込んでいる者から言わせてもらうと
草加でも幸福の科学でも、特定の個人に特定の教義が面したときに善悪を個人が選択する
それ以上は宗教に社会性を求めても無駄な気がするな

隠居は日本の仏教を持ち上げるけど歴史にあたれば少なからず粗が見えてくる
当時の状況をリアルに想像したら日蓮が無茶な事を言い出したのも理解できる

理性的と言われているチベット仏教や上座についても醜聞をよく聞く
2ch上には書かないけどねw

584 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 16:29:15.98 ID:rLjvg01H
562-564で法有の立場について少し書いたが
この法有の立場は科学とよく馴染むし
我が有ると主張する隠居や中観寺には飲み込みやすいはず
合理性はテラワダの受けの良さ一因でもある

少なくとも大乗のように矛盾が露呈していない
方法論として首尾一貫している
どーしてカルト呼ばわりするのか、わからん
外界の相対性についても否定していないしね

隠居やID:5efsdqwfは
結局、好みと印象で語ってるんだろうとしか判断できん

585 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 16:51:55.29 ID:TJJ09f+o
>>584
「好みと印象の問題」というより、「どれほど人間の精神と社会にとって有害か」
の問題だな。

その基準については、前レス>>535の通り。

586 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 16:54:24.73 ID:zWAk/Df2
なんだかなぁ・・w

来客がいるようなので、簡単にレス入れとくが、
>>555
>これは便宜上において分類してるもんで、
そう。
まさに【便宜上分類して】「五蘊」なんですよw
だから、その分類はそのまま用いねばならない。
でなければ「【便宜上の】措置にもならない」し、「【分類されているという(教義上)歴史的経緯】を踏まえることにならない」。
心経は、そうした教義上の歴史的経緯の上に「一切皆空」を立ち上げているのだから。
また、 >そう簡単には分類はできん から「五蘊皆空(五蘊即是空)」なわけですよw
で、「色」というのは、そうした便宜上の分類の上での「色」なんであって、
それを、「総じたラベル」として用いるのは不適切なわけです。少なくとも心経の文脈に於いては。

>現象を「色」という
そんな言い草は、2500年間どこにも存在しませんw
仮に、通仏教的に総論として、強いて述べるとしても、現象には
(sabbe dhammA anattAの)「法」なり、(sabbe saNkhArA aniccAの)「行」なりが当てられるべきなのです。
 *(尤も、仏教内でも「名色(nAma-rUpa)」という分類があるように、
  「現象」は一般的には「可視な事象」に対して用いられるので、
  「色」と強く結びついたそのような誤解は止むを得ない部分はありますが・・。)

>これは・・・・・・般若心経の「色」。
上で述べたように、心経の「色」は、あくまで「五蘊の一としての色」であり、それ以上でも以下でもありません。

587 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 16:56:32.90 ID:zWAk/Df2
>>555
>例えば「美味しい」って現象を、身体が感じるのか?それとも心が感じるのか?
>そんなもん分類しようがないじゃないか?(&>>558
例えば「音」。現代生理学的に言えば、
《空気の振動が鼓膜及び耳小骨を振動させ、電気信号に変換されて知覚認識となる》わけだが、
この意味で言えば「全ては肉体経由であり、それ以外は無い」という分類も不可能ではないし、
現代科学はまさにそのような立場をとる。
だが、そうした分類ではないのだよw 心経も仏教もね。(水野要語の図と百年睨めっこしとけw)

付言すれば、貴方の言っているのは根境識の「根」の話でしかありません。
「根」であるならば「色」(身体)依存なのは当然でしょう?w しかし、心経は「根即是空」とは表現していないのです。
(ま、それは「色即是空」と全くの同義となるわけですが・・。)

感受し、想起し、認識しといった一連の流れを、それぞれの特徴的要素に着目し、分類したのが「五蘊」なのであって、
これを「色」のみとすることは不可能なわけです。
後段で十八界が否定されるのも、五蘊皆空ならではなのです。
五蘊十二処十八界という歴史的分類を踏まえた上で、一切皆空を立ち上げているのが心経なわけです。
貴方の説に立つならば、心経はその導入部で
《五蘊十二処十八界を(「一切」を)「色」として括り直す》ことが示されねばなりません。
しかしそれは爲されていない。五蘊皆空しか述べられていない。なぜか?
(歴史的経緯を踏まえ)、心経中の「色」が「五蘊の一」でしかないからです。


今回の件で、机氏は「五蘊」(五蘊十二処十八界)についての理解も錯誤していることが明らかになりました。
これだけ頓珍漢な仏教理解で、あれだけ上から目線のレスができるとは、
面の皮の厚さは、いったいどれほどなんでしょう?w

588 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:03:41.90 ID:e3nlDFLz
>>584
大乗からすると、「外界」について論議しているから外道なんですよ。
唯だ心のみです。色に見えるのも内部現象を見ているにすぎないからです。
対象は人であるかぎり写像であることは逃れえないですよね。

見ているもの、見えているもの、これは二つではないのです。
中論第三章を吟味されたし。

589 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:06:49.62 ID:49r5kzQX
>>587
なんだか小難しい理屈で、言ってる意味が明解ではないが、素朴な古代の人が
言ってることは、あまりひねくり回さないで、もっと文字通り素直に解するべ
きではないか。

このような持って回った解釈は、キリスト教による「イエスの神格化」のため
の旧約聖書の解釈にも著しい。

「色」は文字通り「現象界」のことである。心理的な要素は含まない。
だから、心理的な要素については、わざわざ「受想行識、亦復如是」と
言っている。

空即是色に現象界以外のもの(精神性)を何とかして含ませたいからではないか。

仏教哲学者は、ずはり、「色即是空・空即是色」は優れた「存在論」で
あり、現代では「空即是色」のほうが重視されている、と言っている。

590 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:12:29.38 ID:49r5kzQX
>>588
般若経は竜樹以前ではありませんか。竜樹の「空の思想」とは若干
異なってるように思える。

591 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:17:31.27 ID:e3nlDFLz
>>565
ぽっきりのほうがおいしいと思ったら、その人の真理、
こっきりのほうがおいしいと思ったらその人の真理となります。
もしも、他人からぽっきりのほうがおいしい、でも自分はこっきりのほうがおいしいなあ、
で、無理にぽっきりをおいしいと思い込まなきゃならない、で、そこに真はありません。

二心を持たないこと、これが仏法です。



592 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:20:14.10 ID:e3nlDFLz
>>590
般若経には否定が説かれているのみです。
即ち、「何も説かれていない」のと同じ。
竜樹の思想と差異はありません。

593 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:23:26.74 ID:49r5kzQX
>>591
それは釈迦やイエスにたいしてこそいうべきことw。

>>592
般若心経に、竜樹の「相対性(相互依存性・関係性)の思想」がありますか。

594 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:24:36.15 ID:wHrl/NtD
>>577
>机さんは茶匠だから少しは座れるし、所作についても茶の規定があると思います

いやいやいやwww
以前、茶の用語でちょいと突っついたら、答えられずに逃げたことあったぞ。
あの程度で「茶匠」とか、あり得ないw

595 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:27:55.00 ID:49r5kzQX
>>594
「知識」は「茶道」ではないぞ。勘違いしてはならない。

596 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:30:35.39 ID:e3nlDFLz
>>593
確かにキリストの弱点はその「独善性」にありますね。
般若経は内部を空しくするための経です。
内部に「独善」があれば他者の入る余地はありません。
そこから相対性もはじまるのではないですか?
先に受け入れがなければ何もはじまらないでしょう。

597 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:35:17.92 ID:wHrl/NtD
>>595
たしか、茶道の根本的なとこで誤解してたと思うがw

598 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:40:03.36 ID:49r5kzQX
>>596
単なる「空っぽ」と竜樹の「無自性故の空(相対性)」とは、原理的に異なり
ますね。

竜樹の「空」とは、「無」「幻」の対極にある、厳然たる「有」なのです。

599 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:40:33.86 ID:rLjvg01H
>>591
>二心を持たないこと、これが仏法です。

それは難しいです。唯識の考え方は心にいくつかの層があることを認めます
(心の各層の発現については各派で解釈がばらけています。
人無我の実践なしで唯識を理解しようとすれば、
どうしてもバラモンの聖者の見解に近づきます(パラマハンサ、ヨガナンダ等

>>594
一時、髑髏仮面排斥用テンプレとして
髑髏仮面が女弟子をかどわかす書き込みが張られていませんでしたっけ
原始仏教の過去スレッドをあされば当時の悪行とともに発見できるはず

600 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:45:29.59 ID:e3nlDFLz
>>598
存在の有無を問うのではありません。
己を空しくするのは、より真実に近づこうという態度です。
敵を知り己を知れば百戦危うからずともいいますしね。
他人の心がわかれば無慈悲な行いも止まりますし。
自利でもあります。

601 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 18:49:35.10 ID:NuvoJPHq
>>587
>(歴史的経緯を踏まえ)、心経中の「色」が「五蘊の一」でしかないからです。

いやいや、
受想行識・亦復如是、とあるように、「色」に五蘊は含まれますね。
ちゃんと心経は読みましたか?

照見五蘊皆空→色即是空・空即是色→受想行識・亦復如是
この流れは経典においては最高のテクニックです。

まあ、暇なときに続きを書きます。

602 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:50:44.63 ID:zWAk/Df2
>>589
読解力ゼロだなw
「色」で全てを包括させてるのが机、
「色」は、五蘊のうちの一つでしかない、というのが586・587だよ。

>「色」は文字通り「現象界」のことである。心理的な要素は含まない。
「色が現象界のことである」という言い回しには注意が必要としても、
まさに586・587は、そのような内容のレスなんだが・・。
どこ読んでんだ?w

で、いつもいつも、キリスト教を持ち出さないと話ができないのなw
よっぽどのトラウマがあるんだな・・。同情するよw

603 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:52:15.91 ID:e3nlDFLz
>>599
二心をもたないことは単純にヴィパサナでやられていることです。
苦しいときには苦しいという心を認める。苦しくないでは楽にならないです。
苦しめているもの、苦しめられている主客二分でなく
自分で苦しめている一つの心ということ。


604 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:52:29.58 ID:49r5kzQX
>>600
己を空しくすることなど、生きている限り誰にも出来ません。竜樹の「相対性
の悟り」によって、己が万物と一体化され、解消されるのです。

「個は、他との関係においてのみ存在し得る」。これが大乗仏教の根本思想です。

605 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:55:31.16 ID:rLjvg01H
>>597
そうですか。
私はお茶に詳しくないのでまんまと騙されていたようです
住み込みの弟子が独りに通いの生徒が何人かいるという話でしたが
どういう生業なのでしょうね?

606 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 18:57:42.81 ID:e3nlDFLz
>>604
大乗の思想は「自」「他」の二つを認めませんね。一つです。

>関係においてのみ存在し得る
関係がないときにおいて、自分が成り立たないことが般若の空です。

607 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 18:57:44.45 ID:NuvoJPHq
>>602
>「色」は、五蘊のうちの一つでしかない、というのが586・587だよ。

気の毒だから簡単に説明してあげます。

あのね五蘊の色でさえ空である。ってのを念おしてるんですよ。


608 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:10:41.96 ID:zWAk/Df2
>>607
当たり前でしょうw
心経の冒頭は、観音さんが三昧中に「五蘊は皆空なりと照見し」と始まってるのだからw

609 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 19:14:13.45 ID:NuvoJPHq
>>608
ならば、現象は色でしょ?
「痛い」とか「美味い」ってのは現象でしかない。

では、拙者が書いていることは正論なんですね?

610 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:18:02.07 ID:zWAk/Df2
>>609
喜びや悲しみは「色」ですか?(心的現象は「色」ですか?)ってことだよw
タコスケw

611 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:18:33.95 ID:49r5kzQX
>>602
>読解力ゼロだなw

そもそも、他人の小難しい解釈は初めから読む気は無く、自分の考えだけを
ストレートに書き込んでいる。さもなければ、「借り物の見解」になってし
まうからね。

「照見五蘊皆空」と最初に出てくるので、その結論に引きずられているのでは
ないか。「色即是空・空即是色」は、あくまで現象界の存在論。「受想行識・
亦復如是」で、前者の存在論を後者に「準用」しているに過ぎない。

その意味で、「色は五蘊の一つ」という言い方はおかしい。両者は本来別物
なのである。あくまで「準用」「喩」の関係である。

ここがはっきりしないから、「空即是色」の解釈がばらばらになってしまう。

612 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:22:41.63 ID:zWAk/Df2
>>611
妄想全開だなw

613 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 19:24:14.59 ID:NuvoJPHq
>>610
般若心経は、先ず釈尊の教説から導入されて、それを否定する。
その否定から〜〜〜〜
ギャ〜ティ〜、ギャ〜ティ〜と展開するんだよ。

つまり解釈が三段階で構成されていて、
貴殿はそもそも、どの段階が解せないんですか?

614 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:26:23.12 ID:zWAk/Df2
>>613
誰も、マントラの話しなんかしていないwww
各論としての「五蘊皆空」の話だろ? 小賢しい逃亡を図るなよw

615 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 19:33:34.48 ID:NuvoJPHq
>>614
そもそも五蘊なんて無いんだよ。
そう般若心経には書いてあるじゃ〜ないですか?

五蘊は空である→→五蘊はない。
これはどう解釈しますか?

616 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:33:51.73 ID:rLjvg01H
>611 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:18:33.95 ID:49r5kzQX
>>602
>>読解力ゼロだなw

>そもそも、他人の小難しい解釈は初めから読む気は無く、自分の考えだけを
>ストレートに書き込んでいる。さもなければ、「借り物の見解」になってし
>まうからね。


いつもの開き直りキタ。
それにしても中観寺やカルト連呼はなぜ隠居の偽善性は無視するんだろ


>>613
ぐぐれば素人にもバレルのに。
隠居といい机さんといい、本当に隠蔽体質だよね

617 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:36:39.27 ID:o4LjFS62
>>616
「カルト連呼」って誰?

618 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 19:37:30.32 ID:NuvoJPHq
まあ、あまり書き込みすると
セブン氏を追い込んだらまずいので、
セブン氏が熱くならないうちに退散するかな(笑

619 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:39:18.13 ID:o4LjFS62
>>618 逃げるにしても、もう少し工夫してねw

620 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:43:22.43 ID:49r5kzQX
「色」を現象界に限定し、「五蘊(精神的要素)」は「色」に喩えたものと
解釈すれば、すっきりと解決すると思うよ。「亦復如是」という言葉が、
はっきりと示しているではないか。

621 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 19:44:59.01 ID:NuvoJPHq
>>619
般若心経は、一夜にして理解するには無理です。
もし心経に関心があるのでしたら、
拙者が時間を掛けて説明する用意はございます。

               (かしこ)

622 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:45:44.76 ID:zWAk/Df2
>>615
だからw そもそも論(≒総論)で逃げないでくださいよw
心経の主題叙述過程に於ける文言についての各論なのですから。

>>616
こんなこと(>>618)を仰っておられまするw (´・ω・`)

623 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:48:30.40 ID:rLjvg01H
>617
隠居と一緒に現れて『カルト とか『恫喝 とか必ず文章中に書き込む名無しがいる
前はコピペ馬鹿とか呼ばれてた彼
彼もいっさい相手の主張を読まないね
都合のいいところを選んで切り貼りしてペーストするだけの人
 
隠居は複数書き込み手段があるから自演かもしれない
コピペの彼は生命教についてのコメントもしないんだよね


624 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:50:19.69 ID:o4LjFS62
>>623 wwww わかった。 例のAA馬鹿ねw
そういえば最近、見ないなあw

625 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:53:41.21 ID:o4LjFS62
総論で済むなら、俺でも言える
「五蘊みな空だよ。」  はい、終了w

後は、親指たてとけばよろしいw

626 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 19:56:30.25 ID:NuvoJPHq
>>622
そもそも色心不二だから、
どこで分別するか?ったって、正確には分別できんでしょ?

そいう意味もありまして、
語義解釈は難しいですねw

627 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 19:58:26.53 ID:49r5kzQX
>>615
>そもそも五蘊なんて無いんだよ。

それを言っては、お釈迦さんもおしまいですよ。「実も蓋もないw」。

「色」も五蘊の機能だとすれば、「色即是空・空即是色」もない。

628 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:07:39.26 ID:ZDRf8g20
>>599
>髑髏仮面が女弟子をかどわかす書き込みが張られていませんでしたっけ

テンプレは憶えてないが、長々と女をこました話を得々とネチネチ書いてたのは憶えてる。
幼稚だよね。まるで高校生とか大学生の自慢話

629 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/27(日) 20:08:37.66 ID:NuvoJPHq
>>627
>それを言っては、お釈迦さんもおしまいですよ。「実も蓋もないw」。

否定だけで心経は終ってる訳ではないですよ。

まあ、心経に関心があるのなら、
このテーマで語ちてもいいが・・・
今日は寝ます。

630 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:12:22.17 ID:ZDRf8g20
>>616
>いつもの開き直りキタ。

読む気ないとか、自分の考えとかいう割には、引用するよね。
矛盾してるんだよね〜
自分の考え一本で行けばいいじゃん。ウィトゲンシュタインみたいに。

>それにしても中観寺やカルト連呼はなぜ隠居の偽善性は無視するんだろ

そりゃ、相手にしてもらえるからでしょ。
カルト連呼は別の可能性が高いけどね。

631 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:13:59.24 ID:ZDRf8g20
いや、タヌポン机が追い込んだのは、シヴァとかなんとかいう人だけでしょ。
いつも、木っ端微塵に論破されてきたのがタヌポン


632 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:16:58.85 ID:49r5kzQX
>>622
>心経の主題叙述過程に於ける文言についての各論なのですから。

論理的にはその通り。但し、煩悩などの精神的要素ではなく、「色」を最初に
でんと据えたところがミソ。そして、「色即是空」、されど「空即是色」。
般若心経の凄さは、そこにある。

633 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/27(日) 20:17:50.27 ID:YhMfpRxu
>>547 :机龍之介 ◆
>【時制について】 ・・・・@〜B

???意味不明??
時制って文法用語でしょ?
「ル」と「タ」の違いだそうですが、それが何か存在と関連ある?

>中観思想ですから。
>「世俗諦→勝義諦→世俗諦」を表しております。→禅宗解釈
>真言宗は「世俗諦→勝義諦」かと思います

こういう自体こそおかしいと思いませんか、素朴に。
あるものに別の解釈があることです。
宗が違うのだから互いに批判するのが自然、中観と唯識は批判しあうはずでしょ?
解釈と言うのは中観思想の解釈と言う意味ですか?



634 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:19:47.01 ID:rLjvg01H
逮捕された人ね>シバ
連投規制や巨大AA制限もなかったからあの頃はひどかったね。
シバを凹ましたところを見てないんでなんとも言えないんだけど
当時の机さんには無理だと思う。どっかにスレッド残ってるのかな。

ブラウンさんという固定がシバを凹ましているところは見た

635 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/27(日) 20:21:30.41 ID:YhMfpRxu
>>553 :神も仏も名無しさん:
>ほんと、世の9割の人間が、心経解説で四蘊を無視すんだよなぁ・・w

全く同感です。
意図的に無視する、机龍之介さんのように。
その意図は空即是色と言う表現が此処しかないからで、ここをテコに心経全体を正反対にひっくり返して「有」の心経にしてしまおうと言うことらしい。

>>555 :机龍之介 ◆
>例えば「美味しい」って現象を、 身体が感じるのか?それとも心が感じるのか?

身体が「美味しい」って言いますか???
「美味しい」を心の作用以外の現象だというのは美味しいに自性を見ているから??

>これは五蘊の色・受・想・行・識の(色)ではなくて、般若心経の「色」。

嘘はつかないで、心経では・・・・・・・・・・
受・想・行・識亦復如是
無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。
・・・・・・・わざわざこう書いてある、しつこく色と並列に受・想・行・識、声・香・味・触・法が書かれている。
それは貴方のように曲解する人がいるからそれを防ぐ意味でこのようにしつこく書いてある。
それでも捻じ曲げて解釈する神経が信じられない。


636 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:31:58.39 ID:ZDRf8g20
>>634
オイラも見てないんだけど。
執拗に机を中傷していたこと。
そのネタで机がカルト・バスターと書かれたと、何時も自慢げに書いているから、それは本当だと思う。

これだけが、机の自慢なんでしょ。くだらないというかさもしい茶人。
無粋な茶人というのは、なんかね〜。


637 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:37:05.78 ID:zWAk/Df2
他のROM者への参考の爲に、敢えて>>632に関連してレス付けとく。


仏典に於いて、(特に並列される時の)語順はなかなか重要だ。
この考察の時に併せて押さえておくといいポイントが、
 「口伝であった(音声による伝承であった)」 ということ。
それは、常に時間性が含意されるということでもある。
文字言語による伝承と決定的に違う点だ。(心経成立が文字化後であったとしても。)
それが何を意味するかといえば、(括弧内の言い換えの是非は措くとして)、
五蘊が説明される時、「色(対象・接触)→受(感受)→想(想起)→行(形成・志向)→識(認識)」という
実際の心の働きが同時に示されるからだ。音声言語であれば、その順序が持つ意味は更に強くなる。
「馬鹿(ba・ka)」という言葉は「ba→ka」という順序で聞こえてこなければならない。
これが逆「ka→ba」であれば、「ka・ba(河馬)」となるようなものだ。

ことほど左様に、仏典に於ける語順は重要であり、「五蘊」に関して言えば、
その語順は、人に於ける知覚認識の縁起と直結しているからだ。

638 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:39:06.32 ID:wHrl/NtD
>>636
「自称」茶人だからな〜
カルトバスターと言うのも、「自称」じゃないかと疑っちゃうね。
すくなくとも、ここ最近の言動を見る限りじゃ、とても信じられない。

639 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:49:26.18 ID:rLjvg01H
>>636
当時は机さんはカルトバスターとは呼ばれてなかったです
シバはカルトというより完全な薬物中毒者で中毒者特有の高揚感と
リズム感と傍若無人な態度で好き勝手やってた。
論理じゃなく短時間で20とか30とかレスを流して圧倒するタイプ。

ブラウンさんもかなり変な人だったけど、それなりに本当の基地外でも
耳を傾けざるおえない能力があった

当時の机さん=髑髏仮面は粘着して良スレをいくつも駄目にしていた
シバは基地外だけど雰囲気を読むことができた

当時のログが残っていればハッキリするんだけど

640 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 20:51:30.45 ID:o4LjFS62
確か「キックの鬼」とかいうコテもなかった?

641 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/27(日) 20:51:53.92 ID:YhMfpRxu
>>565 :机龍之介 ◆
>意味は同じだけど、その背景は違う。

貴方が具体例を挙げると途端に化けの皮が剥がれる。
背景が違うなら意味が同じになるはずがないでしょ〜〜〜どう考えても。

>>593 :神も仏も名無しさん:
>般若心経に、竜樹の「相対性(相互依存性・関係性)の思想」がありますか。

普通にあると思います。
「不生不滅。不垢不淨不摯s減。」とか・・・

>>600 :神も仏も名無しさん:
>他人の心がわかれば・・・

この「わかる」のは何処の誰? 己は無くなっているんでしょ?

642 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 21:00:53.61 ID:ZDRf8g20
>>638
う〜ん、まあそれはどうでもいいや。
たしか、根拠が2ちゃんコテ辞典みたいなもので、
あんまり知らない人によって、適当に付けられたものでしょ。

>>639
うん呼ばれてなかった。今と同じでみんなから蛇蝎のように嫌われてた。
でも、下手な鉄砲も式で、何人か信者がいたのは憶えてる。机師とか言ってた。


ところで、セブン片山さんの論文やっと読んだ。
穏健な良論文だと思うけど、どこが凄いのでしょう。

それにしてもその前提となる松本論文は酷いな、妄想体系によって、
テキストを否定してるのが、いつもながら痛すぎる。
流石「釈尊も仏教を分かってない」と言ったヤツ


643 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 21:01:30.67 ID:rLjvg01H
>>640
その名を出すと他板での彼の一騒動で更に話が長くなると思われ
ある板では彼はすごく期待された存在だった


644 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 21:11:45.95 ID:zWAk/Df2
>>642
>どこが凄いのでしょう
「凄い」という表現が的確だったかどうかはさておきw、(つか「凄い」なんて言ったか?w)、
縁起の話をすると、どうしても「イコール因果」となり(それはそれで正しくはあるのだが)、
更に《「一因一果」であり「物理的因果律」と同一視され、化学反応が如く「この因からはこの果しかない」》
という『決定論的因果』として語られる例が圧倒的に多いから。(今回もそうだったでしょう?)
そして、「多因多果」という考え方は排されている筈だ。
「多因多果」を、明確に、本義として打ち出している、という点で、多くの人に読まれるべきかなと思っただけ。

松本評に関しては、ワシも「劣化したなぁ・・」とは思った。
例の著作以降どうなったかの興味もあったけど、ガッカリ感は正直あったねw
(貴方は、「もとから劣悪でしょw」とか言いそうだがw)

645 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/27(日) 21:14:46.44 ID:YhMfpRxu
>>616 :神も仏も名無しさん:
>それにしても中観寺やカルト連呼はなぜ隠居の偽善性は無視するんだろ

そもそも隠居ってどの名なしさんか解らないんですよ。

>>626 :机龍之介 ◆
>そもそも色心不二だから
>そもそも五蘊なんて無いんだよ

この「そもそも」がおかしいんですよ。
そもそも「カー」も無いと言ってる、それでは話が始まらなくなる。
何かが存在するように見える、それを有る(色)と仮定する。
その仮定の下にその存在性を追求すると自性が無い事がわかる、従って色には空性がある。

と言う話の流れなので、「そもそも色が無い」と言ったら終わり。
簡単な日本語の問題。

646 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/27(日) 21:28:58.62 ID:YhMfpRxu
>>621 :机龍之介 ◆
>般若心経は、一夜にして理解するには無理です。

違います、極めて解りやすい文章で小学校程度の頭脳の私でも一時間で理解できます。
やさしい現代語訳が有りますから。
ただ、これを「そもそも」曲解しようとすれば一夜では難しいでしょう。

>>644 :神も仏も名無しさん:
>「多因多果」

どういう意味ですか?
因果を扱えば如何しても一因一果、科学的因果律にならざるを得ないと思います。
因果関係が一意的に決まらないと因果の意味がなくなるからです。
「何でもあり」では因果と言う概念が無効になるからです。
ですから「多因多果」とは無意味な言葉なのでは?



647 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 21:33:22.51 ID:ZDRf8g20
>>644
なるほど。片山先生はきっちりした文献学だね。テキスト通り。
ただ社交辞令で松本を持ち上げてるのは、いかがなものかと。

しかし、重要な部分を丁寧に訳してくださっていて紹介してもらって助かった。

片山先生は、ダーツを界と穏健に訳しておられるけど、オイラは本質か要素だと思う。もちろん仮設だけど。

松本は、最初の頃は卑怯だけど穏健な文献学だったと思う。
卑怯だというのは、ネタ本を隠して自分が発見したように書くこと。
実はチベット文献にネタがある。

ジェ・ツォンカパに道元禅師の本覚批判を読み込んだ時から、妄想が始まったと思う。
オイラも気をつけないといけないと思う。


648 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 21:37:01.28 ID:rLjvg01H
>>644
少し古いし学会の評価とかわからんけど ある種の多因多果論の本の紹介

 生きる力 死ぬ能力
副題 ネオダーウィニズムと構造生物学
  池田清彦

図書館で借りるか本屋で立ち読み 購入はしなくていいかな?
 後半部分がぶっちゃけ話で短時間で要旨がつかめる


時間の正体
郡司ペギオ-幸夫

これも少し古い本 一旦飲み込んで仏教的な経験と照らし合わせると面白い

649 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 22:13:21.07 ID:zWAk/Df2
>>647
>ネタ本を隠して自分が発見したように書くこと。実はチベット文献にネタがある。
なるほどw
チベット系文献はやっぱりマイナー感あるし、
そういう或る種刺激的批判ネタへは、学生の喰い付きよかったからねぇ・・w


>穏健に訳しておられるけど、オイラは本質か要素だと
私もそう思う。(だから、史朗ちゃんに共振する部分もあったし、今もまだ少しばかりを残す。)
ただ、それは、あくまでも『「要素」としての本質』という見方であり、実体化させてはならないとも思う。
パーリの「界」は、(まだアビダルマ文献を読み込んでないんで判らないが)、
実体化、固定化、(自立する本質化)のラインをギリギリ踏み越えてないんじゃないかと見てはいる。
もともとの語義としては、どうしてもその方向へ誘われがちかもしれないが・・・。
(三界とかで言われるケースは、また別として。)

その多義性や使用例の多岐にわたる点を勘案して、(いつもの如くw)穏当な既存の訳語を当てている、
という感じなんだろうね。

650 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 22:20:01.85 ID:zWAk/Df2
>>648
とりあえずメモっとくw d

651 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 22:51:38.41 ID:ZDRf8g20
>>649
もちろん、仮設ですがな。

あの『入中論』でさえ仮設の自性は言語習慣として認めてるぐらいだから、

片山先生はいいねぇ


652 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 22:58:20.13 ID:zWAk/Df2
>>651
3行どれも、隠居が、いつものフレーズで噛み付いてくるぞw

653 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 23:05:18.23 ID:I4c+IHag
>>641
>普通にあると思います。
>「不生不滅。不垢不淨不摯s減。」とか・・・

それは専ら「否定」だから、「相対性」とは直接には繋がらないのではないでしょうか。
回りくどく考えれば、繋がらないこともないが。

否定も肯定もないのが「相対性」。やはり竜樹の発見だと思う。

654 :神も仏も名無しさん:2011/02/27(日) 23:12:34.31 ID:ZDRf8g20
>>652
勝手にしやがれ! ってかんじ

ネラの妄想家に付き合ってられんよ


655 :てすと:2011/02/27(日) 23:50:18.21 ID:HBbuTYQe
タミフルすげー。

てか、みなさん般若心経を釈迦の言葉だと言ってるけど、シャーリプトラに語ってるのは釈迦じゃないぞ。

656 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/28(月) 00:35:54.49 ID:/H7HNmXe
>>653 :神も仏も名無しさん:
生滅、垢浄、増減・・相対的関係でしょ、明らかに。
その相対関係(縁起)に執着する事で苦が生まれる。
その相対関係(縁起)を否定し乗り越える(中道)事を心経は言っている。


657 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 00:43:08.11 ID:s9EQlwG8
もう死ぬしかないだろ

658 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 00:51:38.53 ID:SjeQEi6/
つか、縁起乗り越えるなにかって自性じゃね?

659 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/02/28(月) 00:59:07.16 ID:/H7HNmXe
>>655 :てすと:
般若心経は仏教の流派で言えば少数派(中観)のごく一部のかなり変わったお経ではないでしょうか?
そんな経を禅宗とか唯識派、真言宗が取り入れる所がおかしいと思うんですけど。
堂々と「うちとはここが違う」と批判すべきです。
何故曲解までして取り込もうとするのでしょうか?
その理由をご存知なら教えてください。


660 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 01:42:06.88 ID:uMN6QZpm
>>659
横レスだが、般若心経は、日本の仏教(大乗仏教)に共通の中心思想である
「空」を語っているからでしょう。

「色即是空・空即是色」ほど人口に膾炙した仏教用語はありません。

浄土宗のお寺の祭壇の裏に入ったら、般若心経を書いた紙が張ってあったw。

なお、縁起を「否定し、乗り越えたら」、「空」は失われる。

竜樹は釈迦の「中道」を「空」と解している。竜樹でなければ出来ない解釈
だと思う。

661 :てすと:2011/02/28(月) 02:33:15.49 ID:p9Fu6EVC
>>659

キリスト教なら発見された聖書群の中で採用禁止なものがたくさんありますが、
仏教は宗派が違うとしても採用禁止にするほどの圧力はかからないのではないのではないてしょうか。

逆にテワラダみたいに経典排除すると原理主義化するので、境界は曖昧で良いのではないでしょうか。

662 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 05:13:25.31 ID:8lc1YB1m
つまんねえこと吹き込まれた奴が、犬ちゃんたちお手〜になってんだなーー
教養ってもんを少しでも考えた事があるのかねーー
山全体どころか何も見渡せない人達が知識ぶって嘲ってんだなーー
さんざん人殺してきた奴の思考盗っているだけだろーー?
意思をガキどもに流したいんだろ?
ガキが「お前正しいのか!」なんて言わなきゃなんない時代になったんだなーー
わけわかんねえ奴等にやらせてんだよなーー



663 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 05:32:30.24 ID:gkcvs0ug
>>662
お、新たな妄想家かな?


664 :93:2011/02/28(月) 08:15:38.48 ID:Pmj2genk
ttp://www.tibethouse.jp/ ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

---------------------------------------------------
怒りは、怒りによって克服することはできません。
もし人があなたに怒りを示し、あなたも怒りで答えたなら、
最悪の結果となってしまいます。それとは逆に、
あなたが怒りを抑えて、反対の態度―相手を思いやり、
じっと耐え、寛容になる―を示すと、
あなた自身穏やかでいられるばかりか、
相手の怒りも徐々に収まっていくでしょう。
---------------------------------------------------

心の中を観察すると、自分でも気づかない怒りや嫉妬を持っています
心というものは普段からこれらの感情を巧妙に正当化していて、
知らず知らずのうちにそのような感情を発しているのです

665 :600:2011/02/28(月) 08:32:50.89 ID:nvE/QUzD
>>641
>この「わかる」のは何処の誰?

知りませんよ。
それを確定して個に分けることに意義はありますか?

666 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/28(月) 09:07:33.80 ID:EhVffIcQ
拙者が書こうとしたことが、既に>>632に書かれておった。

>論理的にはその通り。但し、煩悩などの精神的要素ではなく、「色」を最初に
>でんと据えたところがミソ。そして、「色即是空」、されど「空即是色」。
>般若心経の凄さは、そこにある。

たしかにそうなんだよ。
五蘊皆空の次ぎに「色即是空」。これでかなりのインパクトがある。
(色でさえ空である)
そこから心経は、次ぎの段階に飛ぶ!!→これが否定文
このダイナミックさが心経の真髄ではあるが・・・
そこからサビの部分で、ギャ〜ティ。

まあつまりね、このままでは終らんから先に進め!!ってことだよ。
最初の「色」
次ぎの段階の「色」
ギャ〜ティ後の「色」
これは全部意味が違う。

この次は暇なときに・・・



667 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 09:11:02.81 ID:s589qgco
『当り前のことができる者は賢人である』
天地の大道(たいどう)は何もむつかしいことはない、
平々凡々のところに天地の道があるのである。
道は病気になるものではないから、
吾々(われわれ)の生活が平々凡々何の変哲もないところに
無限無尽の有難さが感じられるようになれば、
その生活は道に乗ったのであるから、
病気は自(おのずか)ら癒(い)えるのである。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます

668 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 09:25:08.42 ID:0GwudE8f
余談茶話

>>647
>ただ社交辞令で松本を持ち上げてるのは、いかがなものかと。
その辺逆に、片山さんらしい、と思うけどね。
彼の言動はいつもそうだよ。話す時も、歩く時も、そして文章を書く時も、
その「威儀」にいつも慎重だった。(歩いてる姿は、四念処実践しながら歩いてんじゃないかと思うくらいだw)
誰かの質問があった時か講義の流れの中で触れた時か定かでないが、
袴谷さんと連携して学内に大きな波を起こしていた時、そうした主張・批判の仕方、内容について、
「そのような極端な謂いが果たして可能かどうか、
また、批判・指摘、問題提起に際してのあのような過激さは如何なものか、をよく考えてみなければなりません」
“というような主旨”のことを言っていた。(詳細は憶えていないw)
上で書いた威儀と同じく、「法が語られる(教えが説かれる)際の要件」を念頭に置いてのことと思う。
その言葉は、瞋(怒)りがあってはならないし、正しくなくては(法に適って・経に則ってなくては)ならないし、
益する言葉でなくてはならないし、相手に反感を生じさせるものであってはならないわけで、
批判・指摘は、強く、明確になされねばならないのだけれども、それが刃とならないように・・。
それをいつも自戒してたんじゃないかな。季刊原始仏教も、近年の著を見ても、そうした姿勢はよく現れていると思う。
片山さんの語り口はいつも、やわらかく、且つ、力強かったよ。

自分は全然できてないけどね・・(爆


(隠居の反応が楽しみだw)

669 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 09:45:58.49 ID:gkcvs0ug
>>668
>[松本が]袴谷さんと連携して学内に大きな波を起こしていた時、そうした主張・批判の仕方、内容について、

だよね。

片山先生、菩薩ですね。立派です。

日本の仏教徒もせめて一割が、このような姿勢で法に臨んでいたらな〜

わたしくめも慚愧懺悔

670 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/28(月) 11:03:48.49 ID:EhVffIcQ
>>633中観氏
>時制って文法用語でしょ?
>「ル」と「タ」の違いだそうですが、それが何か存在と関連ある?

「存在」といふ概念に「時制」は含むんじゃないですか?
そうじゃなければ概念自体が成り立たんでしょ?

>こういう自体こそおかしいと思いませんか、素朴に。
>あるものに別の解釈があることです。

般若心経の「正しい解釈の仕方」ってのは無いですよ。
ただ禅宗なら“こう解釈する”ってだけで、
禅宗解釈が正しい。とは限らない。

ある文筆家が「飴棒をコックリ折って舐めた」という記述をしたとする。
その本を何度も何度も読んで、ある日気がつく。
「コックリ」って表現は少しオカシイんじゃないか?
オカシイってのは、そこに何らかのメッセージがある訳で、
そのメッセージを発信する側と、受信する側が・・・・
何らかのコンセンサスを得ればいい訳で、
勿論そのコンセンサスが正しい。とういう訳ではないが、
自分なりに納得がいけばいいんじゃないの?


671 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 11:29:08.99 ID:jLJYnz8i
ま、あれだ。2Chは引き篭もりが多数生息し、
こいつらがしゃしゃり出てくるから駄目だな。てすとなんていう奴
も典型的な引き篭もりだし。ここも見事に引き篭もりたちの
井戸端会議の場になってゴミスレ化してやがる。
2chはこいつら引き篭もりが多数居座っている限り駄目だな.

672 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/02/28(月) 11:39:11.47 ID:EhVffIcQ
>>635
>嘘はつかないで、心経では・・・・・・・・・・
>受・想・行・識亦復如是

嘘ではない。自分の解釈を書いたまでのこと。
(自分が正しい、という意味ではない)

色即是空の「色」が、身体とか物質とかだけの意味でも間違いじゃないんだろうけど、
そうすると後半の文脈に繋がらなくなる。
(受・想・行・識亦復如是 であったとしても)
やはりオカシイってことになる。

オカシイはオカシイままで、それでいいんですが、
オカシイってのは、そこに隠された意図というのがあるんじゃないか?
真言宗では、こういった秘密の部分を解き明かした法門だろうし、
心経の解釈は多様にあります。

心経は読み手の鏡でもある。

673 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 11:48:50.74 ID:hSGq1tZ8
>>1
テンプレートは、こちらでもよい。


Portal:仏教出典
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Portal 仏教は、仏教に関係する記事のポータルです。
仏教に関心のある方であれば、どなたでも編集することができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Portal:%E4%BB%8F%E6%95%99

674 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 12:39:53.02 ID:gMjlMNyY
>>671
引き篭もりの典型は、大昔の経典と注釈書の「言葉」にしがみついている人間。

2chは、玉石混交はあっても、すべて自分の「生活体験」に基づいた、借り
物ではない「自分の頭で考えた見解」を述べている者が多い。「借り物の見解」
の復唱など一切無意味で無価値。文献を読めば済むことだから。

「2chは日本の実力」と言った者もいる。

675 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 15:01:02.24 ID:Hyn6WQP+
>>660
> 浄土宗のお寺の祭壇の裏に入ったら、般若心経を書いた紙が張ってあったw。
どこの寺だ?
法然は、浄土三部経以外を「捨閉閣抛」せよと主張しているw

> なお、縁起を「否定し、乗り越えたら」、「空」は失われる。
縁起は否定するものでも乗り越えるものでもないし、空はどんなことをしても失われない。
何故なら、縁起はすべての現象に必ずついて回るものだし、空は仮・中とともにすべての現象の様子を解説した法則の一つだからだ。

676 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 15:09:24.51 ID:Hyn6WQP+
>>675訂正
> 何故なら、縁起はすべての現象に必ずついて回るものだし、空は仮・中とともにすべての現象の様子を解説した法則の一つだからだ。
→何故なら、縁起はすべての現象に必ずついて回る法則だし、空も仮・中とともにすべての現象の様子を解説した法則の一つだからだ。


677 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 16:15:22.94 ID:MmXHKEMc
土日は久しぶりに盛況だったなw ついでに燃料投下しとくか。


>>569
>禅的なものは何も感じない。専ら釈迦仏教。
あらあらw
日本の諸宗派の中で、禅宗ほど御釈迦さんを持ち上げている宗派はありませんよ?w(曹洞宗は知らんがw)
先代或いは数代前の師の系譜を尊重はするものの、源流が釈尊であることは絶対的前提だw
そこに於いて、《「禅(jAna)」(三昧)による悟り》に特化し、その先鞭たる達磨大姉を二番手に据えるのが禅宗だよ。
(曹洞宗は「宗祖道元!」と声高に叫ぶことが多いようだが)、禅僧(臨済僧)にとっては、いつだって原点は釈尊だw
禅坊主が仰ぎ見、追いかけるのはいつだって釈尊の背中だよ。
時に腐し、時に罵倒し、時に嘲笑しながら数々の禅語、語録が綴られてきたが、
それは、「絶対的尊敬」と「絶対的信」に裏付けられた、種々の称讃だよw
日本に於いての《貴方がもっとも嫌う「開祖崇拝」》の権化が禅宗なんですけどね・・w
(他臨済系なら、六祖、百丈・黄檗・臨済、趙州、近代なら白隠等は、かなり【開祖、源泉として】崇拝されてるよねw
この構図で言えば、隠居の姿勢も【開祖、源泉として】「龍樹崇拝」そのものだねw)

釈尊に導かれ、共に歩み、前に立つ。常に御釈迦さんと併歩するのが禅宗の真髄だよw


参:
真言・華厳→大日/浄土→阿弥陀(真宗→親鸞)/天台→?/日蓮→日蓮(or題目)
禅→釈迦
って感じか?w

678 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 18:17:48.24 ID:pcJMpf92
>>677
竜樹や道元は、釈迦とは言ってることは全く違う。権威付けのために「釈迦ブランド」を
利用しているだけではないか。

前二者は、チンケな宗教というよりも、古今東西無双の大思想・大哲学。

釈迦自身には、見るべき思想や哲学は見当たらない。単に鬱病患者の症状。

セブン氏には、是非、竜樹と道元に関する「名講義」を期待したい。

679 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 19:46:17.33 ID:lotwwErB
>>678
小乗信者の読解自体を批判し、排斥し、認めていない貴方が、
小乗信者の道元考・龍樹考を認めるのですか?w
この「小乗信者」という言い方は貴方に合わせて使用しているだけで、
そんな人間は存在しないと思ってますがw、行き掛かり上踏襲すれば、
小乗信者の言説自体をそもそも認めていないのに、その人間の大乗講義を認めるとは到底思えませんが?
貴方の言い草はホント支離滅裂なんですよw 自覚がないのかどうか知りませんがね・・。

一応ツッコんでおくと、
「禅宗は、釈迦マンセー宗派」なんですよw
配下のインストラクターとして各祖師方がいるのですw
貴方は、禅宗排斥運動もすべきなのでは?w (´ー`)y━~~

680 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 20:08:05.10 ID:gkcvs0ug
>>679
>貴方の言い草はホント支離滅裂なんですよw 自覚がないのかどうか知りませんがね・・。

ですね〜

経典論書によるな自分で考えろといいながら、現代の小学者の言葉や、
果ては2ちゃんの言葉に依存してるし。

今まで主張してきたこと殆ど反証されてるしね。
サムサーラは生まれ変わりじゃないとか、自灯明とか、
そもそも、経典論書によるな自分で考えろといいながら、
なんで龍樹菩薩や道元禅師、サムサーラ、自灯明といった言葉に依っているのだろうか?

タヌポンと同じで言ってる側から矛盾してるんだよね〜


681 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 22:17:03.71 ID:2/8s6mGq
>>680
>なんで龍樹菩薩や道元禅師、サムサーラ、自灯明といった言葉に依っているのだろうか?

自分で批判的に考えた上でも、現代に通用すると思うからですよ。

しかし、大乗仏教をこれほど高く評価しているのに、日本の仏教徒から反発されるとはw。

682 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 22:20:55.31 ID:gkcvs0ug
>>681
そりゃ、お前のいう大乗が大乗じゃなくて、
ただののネラ的妄想を箔付けに大乗とか、仏教とかを持ち出してるだけだからだよ。

たく、何から何まで場当たり的な適当なこじつけだって自覚あるよな〜


683 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 22:35:34.05 ID:lotwwErB
>>681
>自分で批判的に考えた上でも、現代に通用すると思うからですよ

wwwww

他の皆さん全てが、そうなんですけどねw
貴方だけじゃないんですけどねw

さて、となると、貴方と他の方の違いはどこに?w

684 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 22:55:47.65 ID:2/8s6mGq
>>683
開祖だけは絶対に批判できなくなるのが、「宗教に嵌る」ということですよw。

685 :神も仏も名無しさん:2011/02/28(月) 23:34:31.24 ID:lotwwErB
>>684
貴方もしていないでしょう?w

以前1レスありましたが、あれを「批判」と言うならば、
同様のものは、このシリーズ中にも、或いは巷にも溢れています。
たっての要望でしたので、私も何度かレスを入れている筈です。(しかも、貴方より詳細で綿密なものをねw)

で、(私の横レスで)論点がまたズレてしまいましたがw、
禅宗は、貴方にとって開祖盲信のカルトとして批判対象ではないんですか?



寝るw

686 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 00:12:13.08 ID:hTYHOk6e
まい〜〜〜

687 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 00:13:43.22 ID:hTYHOk6e
680>>あんたはタンポンって書いてりゃいいのよ。

688 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 00:20:39.67 ID:ZJG++yqr
>>687  薬でもやってんのか?ww

689 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 01:26:58.62 ID:0KPHLsJr
隠居は隠居以外のすべての人に喧嘩を売る
『教祖に対する盲信がある!! 教祖だけは批判できない』
そうかもね。

みんなには盲信があるかもしれない
伸びすぎた鼻毛や左右別の靴下を履くみたいに

指摘したいなら相手の事をよく見なくちゃね
具体的に指摘してもらわないと改善のしようがないよ

690 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 03:41:09.51 ID:0KPHLsJr
こんな風にダラダラできる時間にだって限りがある
終わりがきたときに後悔しないように

691 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/01(火) 04:06:24.42 ID:okX5s7Wx
>>672 :机龍之介 ◆
>嘘ではない。自分の解釈を書いたまでのこと。
>(自分が正しい、という意味ではない)

自分の解釈が正しいと思う事しか 自分は始まらないのでは?
貴方には自分が有りますか?

>色即是空の「色」が、身体とか物質とかだけの意味でも間違いじゃない
>そうすると後半の文脈に繋がらなくなる。

どこが?繋がらないですか???

>心経の解釈は多様にあります。

いいですか、経を作る時に「解釈を多様に」と考えて作りますか????
解釈が多様だとするならば其の経は不完全、未熟でしょう、明らかに。
私の言いたいのは心経は単純で判りやすいのに無理に曲解する貴方の姿勢です。

692 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/01(火) 07:56:37.52 ID:F6nP5adT
>>691
>どこが?繋がらないですか???

いや、繋がるなら問題ないんですよ。

>私の言いたいのは心経は単純で判りやすいのに無理に曲解する貴方の姿勢です。

そうですね。拙者が曲解してました。
申し訳ありませんです。

心経は単純に解釈するのがベターですよね。
総括ですが、
「般若心経は単純であり、講釈は曲解を招く」。ですね。
ではこれで一件落着です。

で、今度は心経以外の話題にしませんか?
拙者は心経は苦手ですので><

693 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/01(火) 08:20:14.67 ID:F6nP5adT
>>640
>確か「キックの鬼」とかいうコテもなかった?

おったですね。

http://yogananda.hoops.ne.jp/
>潜在意識を活用し奇跡を起こす成功法則を歴史的偉人たちの名言により
>毎日配信しあなたの潜在意識に刻みつけます。
                 (KEN自己啓発研究所より)

ちなみにKENさんの人脈は凄いです!!
http://spysee.jp/KEN%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%95%93%E7%99%BA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80/1908757/


694 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 09:03:00.32 ID:6QDM8+AY
>>674
アホか。仏教を議論するなら仏典をベースに話すのは当たり前だろうが。

>「2chは日本の実力」と言った者もいる。

2chが日本の実力なら、日本の実力は便所の落書き程度になっちまうわな。
2chは社会経験の乏しいおまえら引き篭もりが多数しゃしゃり出てくるから内容が
幼稚になりがちなんだよ。そういや国会でも野党の質問者に2ch用語を持ち出して
いる馬鹿がいる。そういう馬鹿は議論の内容も言葉尻を捕らえた揚げ足取り
ばかりで、2chの議論のレベルと変わらない情けなさ。国権の最高機関である国会の
レベル&議員のレベルは、そのままその国の国民のレベル。民主主義とはそういうものだ。
今の国会、議員を見れば、おぉ日本人の白痴化は止まらない、止まらない。


695 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 09:18:50.23 ID:6QDM8+AY
本当おまえら引き篭もりは邪魔なんだよ。
こいつらさ、ここの隠居を観察しても良くわかるように、
恐ろしく我が強いんだよ。証拠にこいつ、話が通じないだろ。
こんなんだからこいつら実社会ではうまくやっていけない。
だから引き篭もる。でも、本当の孤独には耐えられないのか、それとも
単にやることがないのでいい暇つぶし、唯一の生きがいなのか
知らないが、ネット社会にはしゃしゃり出てくる。
エゴイズム剥き出しのネトウヨと呼ばれている屑共は、ほとんどが
こいつら引き篭もりなんだよ。おまえら、ネットでくだらない書き込みしてる
暇あれば、社会に出て働いて、少しは社会貢献しろよ、屑。
社会人としての義務を果たしてからいっぱしの口を聞け。
おまえらエゴに支配された引き篭もりは、実社会においても不愉快であり、
ネット社会においても不愉快なんだよ。実社会に出て行って社会貢献の一つも
できないなら、ネット社会にも出てくるな。ただの糞の製造機でしかないおまえらは、
存在自体が不愉快なんだよ。ここの、全く話の通じない、エゴの塊の隠居とかいう
屑は、引き篭もりのいいサンプルだよ。こいつら引き篭もりが、いかに
話の通じない相手か、賢い人はよく観察してるといいよ。本当、話通じないから、こいつら。

696 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 09:23:28.06 ID:PCOL7Wxx
>>694
まあ、生命教が2ちゃんの屑なら、君はヴィッパー・レヴェルだな。

あんまりかわらんと見た。


697 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 09:38:53.69 ID:6QDM8+AY
>>696
おまえも引き篭もりか。
真っ当な社会人は、引き篭もりを擁護しない。

おれは生命教が屑とは言っていない。
引き篭もり共は屑だと言ったんだ。
ま,生命教自体も単なるキリスト教の劣化バージョンで
評価するにも値しないくだらないものだがな。

俺が先に書いたことは間違いない。
引き篭もり共が2chを激しくつまらないものにしているのは間違いない。
これは世俗的なの真理だ。

698 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 09:47:29.33 ID:/aW9SbYY
昔カラスっていう人の話聞かないキチガイがいたな。

699 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 10:02:29.67 ID:ZJG++yqr
そういや、言ってることがカラス並みにバカっぽいww

700 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 10:06:19.31 ID:PCOL7Wxx
>>697
おいおい、擁護してるように読むか。

このスレちょろっと読めば、生命教を擁護はおろか、全うに相手にしてるヤツなんか一人ぐらいしかいないって分かると思うが。
その一人も限りなくある疑惑があるんだが。

君の人の文を読まずに適当に思い込みで語るとこが、
生命教に通じるとことがあると言っただけだよ。

>俺が先に書いたことは間違いない。
>引き篭もり共が2chを激しくつまらないものにしているのは間違いない。
>これは世俗的なの真理だ。

こういう自説、自分の思いを何の根拠も論証もなく一方的に捲し立てるとこもよく似てる。

いっとくが、君が上に書いたことは、ただの思いであって、何の根拠にも論証にもなってないのは、生命教がほとんど根拠を出さずに仏教を語るのとなんの違いもないぜ。

例えば、オイラには君より能力が低い政治家が一人でもいるとは思えない。
理由は単純だ。少なくとも君よりは人の話を聞くことができるからだ。
それは、現に政治活動していることから、はっきり分かる。

万が一、君が議員になれたなら、謝罪しよう。

701 :てすと:2011/03/01(火) 18:08:04.59 ID:9B73+SoP
>>697

引きこもりがなんで屑なのか、理由を説明ないとただの感情論だと思われますよ〜。

引きこもり相手のビジネスもあるし、純粋な消費者として社会に貢献しているだけでなく、
他人の雇用の席を奪わないで、ただ老化して死んでいってくれるありがたい存在ですよ。

戦わない奴はクズだというけど、戦わない奴がいるおかげで、不戦勝でおいしい思いができる。

通り魔にならなきゃ、こんなに素晴らしい人たちはいない。屑どころか神様です。

702 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 20:20:15.19 ID:0KPHLsJr
ごく普通に生活している問題のない人と比較して
仏教なんぞにウツツを抜かして彼是議論する者は問題があるように見えるのかもね

ここで仏教を話している人は普通の生活をしている人が殆どだろうけど
隠居には
仏教について話し合うだけ普通とはかけはなれているから
仏教について話し合わずに居られない何らかの理由がある

そう考えているのかもね
(現在自分は仏教関係の本を処分中だ。絶版本も少々あるが纏めてブックオフに持ち込み中

相手に弱みがあると踏んだ上で
宗教や引き篭もりを理由に相手を一方的に叩く

躾されてない室内犬が見知らぬ人の足にマウンティングするのを思い出すわ

703 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 20:46:11.98 ID:0KPHLsJr
道行く初対面の無関係な赤の他人に話すべき言葉はあるだろうか

『死後地獄へ行く』の街宣を休日の繁華街で聞くことはある
あれは万人に原罪があると信じているからできることだと思う

大乗仏教の考え方としては(仏陀でない以上)倶生の障碍があるとされているが
あまり一般的ではないようだ。

704 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:24:08.66 ID:FrQt+Ls9
宗教やってると聖人的清潔感に憧れたりするけどさ、
出家には出家のちょうどいいあたりがあるし、
在家には在家の中道がある。
好きなところ行ったら良いんじゃない?
世界にはいくらでもキレイなとこがあるんだからさ。
ここはにちゃんだから、それなりだよ。

705 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:35:05.59 ID:0KPHLsJr
具体的な直地点となるとそうなるよね
いろいろ偉い人に言われても、なかなかその通りには生きられない
仏教的によいとされてる生き方が諸手をあげて賛成できるかというと…

ところでテッックナットハン来日するねー

706 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:41:34.42 ID:tslU0eRQ
少なくとも、競争社会に向くものではないよね

707 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:44:23.74 ID:FrQt+Ls9
出家向きの競争には向いてる、といったほうがいいかな?
そうでないと、とっくに滅びている。
世界の宗教情勢は厳しいからねえ。

708 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:52:58.51 ID:PCOL7Wxx
>>705
そういう方は、アミダの誓願を信じて。本気で信じることが重要。

>>707
いや〜、競争したら、そりゃ世俗ですがな。
嫉妬・競争という煩悩にやられてるわけだから。




709 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:53:05.62 ID:0KPHLsJr
>>706
三毒自体が生物の自律を維持するために生起した側面があるからね
怒るということは自分に有害なものを遠ざけるし 受苦
執着は自分に有益なものを引き寄せようとする 受楽

>>707
対出家者(他教)に対して論理的にはつよいね
盲信の集中力にパワー負けすることもあるけど

710 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:58:39.66 ID:tslU0eRQ
>>709
>盲信の集中力

隠居のこと?w

711 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 21:58:42.28 ID:PCOL7Wxx
>>709
生きんとする盲目的意志が無明だという木村先生の説もなかなか良い線いってると思うよ。

このスレでいうと、生命教が正にそれ。つまり、反仏教なわけだ。

縁起の順観が、生命教 will power
逆観が、仏教 nirvana


712 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:03:22.13 ID:0KPHLsJr
昔、当時師事していた先生が言っていたけど

生きるのは本当に大変なことで
人間は長い永い間、怒りに頼ってきて
文化的にも集団智的な意味でも生物的な面でも
とても強く怒りが組み込まれているそうなのね。

だから怒りを使わないことはむずかしい なんとかできればいいのだけど

そんなことをおっしゃってましたね

713 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:08:13.38 ID:0KPHLsJr
その・・・武道や職能なんかの熟練者レベルになると怒りが邪魔になるのは
仏教やってない人にも自明よ

そのような人でも生活のすべての面で”熟練者”であるかというとむずかしい
だから先生は712みたいな話をしたの

苦が逃れられないものならそもそも話す意味ないからね

714 :てすと:2011/03/01(火) 22:10:20.06 ID:9B73+SoP
>>712
>>713

怒りの何がいけないのか説明してくれ。



715 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:15:14.29 ID:6JZXSgza
>>714 血管切れて死んじゃう

716 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:15:29.79 ID:FrQt+Ls9
>>708
創造論でなくて進化論的な見方をすれば、
結果論として存続するほうに向いていたみたいな感じです。
あくまで憶測の域をこえませんが。

>>711
仏教は人間の心理の逆説性を説いてるんですけど、
生きようとすれば逆に死(破滅)にむかうみたいな。
表層的にしかみられないと、誤解をうけやすいですね。

717 :てすと:2011/03/01(火) 22:20:40.13 ID:9B73+SoP
達観するぐらいなら情熱を選ぶよ。俺は。

自分が振り上げた拳に苦しめられても構わないんだよ。
なにが苦を取り除くだ。業火の中に飛び込んで自分の身を焼け。

それに本当は君たちそんなに苦しくもないんでしょ?

自分が苦しいわけでも身近な人が苦しいわけでもないのに、苦について思考したって意味ないじゃん。

ほんとアホだな。

718 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:20:44.22 ID:0KPHLsJr
>>710
厳しく言えば、何か自分で形作って集中するのは全部、仏教的にはそれにあたる
仏教の言うには動物の持つ驚異的な集中力あるでしょ?あれも盲目の集中力
トマベチさんの話もそう。正直な話あの人の話を真に受けると気が狂うよ
だから禅のお坊さんなんかにも浄土系が嫌いな人いるよね

一休の弟子の臨終際の言葉とか有名じゃない

719 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:22:06.79 ID:6JZXSgza
>>717 今食べ過ぎて苦しい

720 :てすと:2011/03/01(火) 22:24:36.20 ID:9B73+SoP
>>719

それでいいんだよ。食べたい時に食べりゃーいいじゃないの。

苦しむとわかっていても、男にはいかなきゃならない時がある。

721 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:25:24.36 ID:0KPHLsJr
>>714
怒ったら議論に勝てなくなるでしょ
奮起するのは有効だけど前後が判らなくなったら負ける

でも怒るとすっきりするでしょ?
あれも一種の発散エクスタシーがあるんだよね
怒りの快感に負けて身を任せちゃうと丸焦げになっちゃうわけ。
盲目そのもの

722 :てすと:2011/03/01(火) 22:29:11.94 ID:9B73+SoP
仏教には詩で抵抗する。


「そうさ 君は気づいてしまった やすらぎよりも 素晴しいものに

地平線に消える瞳には いつしかまぶしい男の光」

The Galaxy Express 999


安らぎなんて糞くらえだ。男子たるもの、冒険しないでどうするんだ。

723 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:33:07.34 ID:6JZXSgza
「あなたの冒険の書は消えました。」


わ〜〜〜〜〜〜ん

724 :てすと:2011/03/01(火) 22:35:17.96 ID:9B73+SoP
>>723

デロデロデロ デンデン♪

725 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:44:51.54 ID:/U9LckjV
阿弥陀信じるのって
キリスト教やイスラムより難しくない?

釈迦が阿弥陀について説法した、
という時点から信仰が必要になる。

イエスが磔られたり、ムハンマドがヒジュラったりした
ということが信仰箇条になるようなもの。

726 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:48:03.44 ID:0KPHLsJr
武道やるとわかるけど意識を切り替えるスイッチみたいなのがあるんだよね
本当には殺さないけど”ほんきでヤリにいく”気持ち?
そんなのがいるかもね

自分が倣ったとこの仏教サークル(伝統系)にはあったよ
慈悲の瞑想なんてそのものじゃん
いい先生に対面して、その気になって教わんないとわからんけど

727 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:48:21.24 ID:PCOL7Wxx
>>725
つまり、素朴実在論、あるいは常識を捨てられないということかな?

そういう人は、別の道を行けばいいだけですね。

自分が受け入れやすい道をどうぞ〜


728 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:53:56.41 ID:fIi9wiq0
>>689
>隠居は隠居以外のすべての人に喧嘩を売る

それは誤解。私が喧嘩を売っているのは釈迦とイエスだけ。「人間」としての
その「信者」に対してではない。ライバルは釈迦とイエスw。

信者の親でもない赤の他人の開祖・教祖を批判されると、自分が批判された
ように激昂するのが、洗脳による宗教の「病理」。そのくせ、親を批判されても
怒らないw。

729 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:54:53.05 ID:/U9LckjV
大乗では、上座部が大乗仏典を釈迦の言葉として認めないことについて、
どう解釈してるのだろう。
れっきとした仏説なのに、認めないなんて・・・という視線を向けるのだろうか。

第二正典を拒絶するプロテスタントを眺めるカトリックのような心境だろうか。

730 :てすと:2011/03/01(火) 22:56:49.17 ID:9B73+SoP
いつも思うが、なんで俺の方が仏教わかるんだろ。。。。
わかる奴はROMってるだけか。。。

>>728

小せぇ目標だな。。。俺なんて神に喧嘩売ってるぞ。
もし天国があるなら、絶対神を殴る。

731 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 22:59:42.00 ID:/U9LckjV
728
そりゃ、怒らせる程踏み込まれるためにはプライバシーがかなりさらけ出されてないと
無理だろうからね。

細部が分からない状態で言われても○○の親、という以上の特定はない。
まあ一般人だからね。かなり踏み込まないとそれぞれの個性・独自性を直接叩く形にならない。

732 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:00:32.05 ID:PCOL7Wxx
>>729
そりゃ簡単、見解が低いから。
彼らは色身しか見えず、法身や報身が見えない。

その典型が、スリランカ式の色即是空空即是色の解釈ね。


733 :てすと:2011/03/01(火) 23:03:43.49 ID:9B73+SoP
釈迦は「俺にこだわるな」と言って死んだんだから、ご隠居が攻撃すべきは信者の方じゃないの?

734 :てすと:2011/03/01(火) 23:07:03.94 ID:9B73+SoP
>>732

落ち着いてないで、寺和田潰せよ。

被害者増えまくってるぞ。

735 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:08:14.54 ID:0KPHLsJr
>D:/U9LckjV
実際に聞いて回ればわかりますよ
俺はそうしました

人により意見はバラバラ
公式見解みたいなものもあるけど宗派のコアになる人を時間をかけて観察していると
ゆるやかに変化してるみたいなんですよ 本を読むぶんには硬くて動かないものに見えるけど

通底して太く脈打つ部分もあるし、新しい疑問もわきます

736 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:09:05.16 ID:/U9LckjV
彼らにしても自分とこの伝承として大乗仏典があったのなら、
それに応じた教学の発展なりがあったとおもう。

出発点は教義・解釈の違いではなくて、むしろ
自分たちの知らないとこから知らない何かが出てきた、
ということへの違和感・反発心じゃないの?

737 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:11:28.10 ID:fIi9wiq0
>>730
>小せぇ目標だな。。。俺なんて神に喧嘩売ってるぞ。

神は、人間の妄想の産物だから、喧嘩の相手にはならない。

>>733
>釈迦は「俺にこだわるな」と言って死んだんだから、ご隠居が攻撃すべきは
>信者の方じゃないの?

「こだわるな」といいながら、こだわらせているのが問題なのだよ。これが
洗脳の常套手段。

「弟子は作らない」といいながら多数の信者を発生させた親鸞も同じ。

738 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:11:31.95 ID:PCOL7Wxx
>>734
熱いな。はは、仏教はそういったことはしないのだ。
道はいろいろ、それぞれ縁に従って、精進すべし。

ただし、生命教とかタヌポンみたいにありえない誤解は、偶に指摘すべきだと思ってる。


739 :てすと:2011/03/01(火) 23:17:14.25 ID:9B73+SoP
>>738
生命教を批判してる暇があったら、
横浜でダライ・ラマ拝んでる勘違いおばちゃんを先になんとかしろ。

740 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:17:17.76 ID:/U9LckjV
スマナサーラさんの文章は変に毒があって好きじゃない。

「怒らないこと」は薄い新書なのに
読みきれなかった。

741 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:21:45.75 ID:PCOL7Wxx
>>736
あったよ。ブッダゴーサとニカーヤは明らかに異なるし、
最近では四念処をヴィパサナーなどと呼ぶニューウェーヴ・テーラワーダもいるし。

だから、法身が見えるか見えないかの違いだと思うよ。

同じことは、チベット、シナ、日本でも起きてる。
所謂、感得法、テルマといったものは、高い境地のものには認められるけど、
教学だけやってて、境地の低いものには認められないってことね。

そういう人は偽造したというわけだ。

ところが、教学なんかほとんどやらずに山で修行してた人が凄い内容の美しい整合性があるものを書いてるんだよね。

日本でも江戸時代に徳本行者という方が、アミダの修行だけでそうなった。
非常に高い見解で、驚くべきことですよ。

こういうことが今でもゴロゴロ起きてるんです。


742 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:24:26.63 ID:PCOL7Wxx
>>739
オイラには縁ないな〜

ヴィッパーですな〜、君は

>>740
オイラも好きじゃない。

テーラワーダなら、ビルマの長老がいいと思う。
すごく清浄なかんじで、謙虚だよ。


743 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:25:20.42 ID:2NO/tgqJ
ニートを叩くと、一斉にその人を叩くレスが付く。
これを見てもわかるように2chのニート棲息率は異常に高いのがわかるね。

744 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:26:34.48 ID:/U9LckjV
上座部の歴史のなかで、
大乗仏典が認められた(用いられた)時期があるということ?

745 :てすと:2011/03/01(火) 23:27:27.97 ID:9B73+SoP
大乗寄りの上座はブッダダーサがバランス良いと思うが、彼は外見が太りすぎで萎える。

教義は好きだが。

746 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:29:44.62 ID:PCOL7Wxx
>>744
そういう部派もあったらしいけど、
上に書いたのは、上座部の教義内で変遷があったという意味で、
上座部が大乗経典を認めたという意味ではないです。


747 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:33:34.50 ID:/U9LckjV
感得というか、啓示というか、体感というか
そういう形で受け取ったものであって

釈迦が説法した、というのはビジョンの内容形式に過ぎない、
というなら、現実の釈迦が説いたものではない、ということは問題じゃないよね。
但し書きが本文に
ない以上護教論的な後付けに見えなくもないが。

748 :てすと:2011/03/01(火) 23:36:12.58 ID:9B73+SoP
>>746

建前はそうだけど、空を取り入れたら事実上大乗認めたようなものじゃん。

ただの保守派対策でしょ。

749 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:41:12.40 ID:/U9LckjV
過去にあったことを神通で確認して報告した、
という形には出来ないな。
過去に釈迦が説いていたのなら、そこから伝承されるそれを
仏教の徒に否定されてる理由は無いはずだから。

純粋にそういう形のビジョンである、とするのが穏当かな。

750 :神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 23:53:24.63 ID:tslU0eRQ
馬場さんの近著は的確な分析だと思う。
個々の面で、必ずしもブッダゴーサ等の判断・峻別が正しかったとは言い切れないが、
2chらしく(このスレらしくw)、そこから踏み込んで私見を述べれば、
現行パーリは(≒パーリ中興の祖(という言い方が適切かどうかわからんがw)たるブッダゴーサ及び大寺派は)、
大乗的視座を知っていて【敢えて】それを切り捨てたんだよ。【不要なものとして】ね。
それはつまり、当時までのニカーヤ及び蔵外文献で事足れり、必要十分な形で教えは満たされている、
と判断したからだよ。大乗で言われることの骨子は、全てパーリに内在している、と。
余分な装飾、或いは道標は、却って進路を乱すだけ、と。
なぜ、片山さんが、(或る意味ビルマ限定でw)パーリに特化した道を歩んでいるか。
なぜ、ダンマパダを道元(随聞記)と併せて記したか。
それは、彼もまた、パーリの中に大乗を見たからだと私は思う。
仏教風呂敷論を掲げる奈良さんもまた同様であろうと思う。
方便の一として大乗を見るとしても、それは、より洗練された(或いは純化された)ものであり、
全ては、根本分裂以前に整っているわけだ。


あくまでも、今の流れを受けた2ch的私見なw 裏付けはあまり無いwww

751 :てすと:2011/03/01(火) 23:59:37.70 ID:9B73+SoP
さて、世俗に戻るか、、

752 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 00:16:19.03 ID:QRKidxYO
>>750

以前、中論は「純化された縁起」だと評した。
その意味を750に絡めて言えば、
中論は、「有部に対するアンチテーゼ」(或いは「戯論に対する批判」として)縁起を旗印に著され、
且つ「詩偈の形」が採られている、
ということがポイントと言える。(散文形式の叙述が定着しているにも関わらず、だ。)
前者は、「目的の明確性」と「(手法としての)純化」であり、後者は「装飾」ということになる。
 *(他の著述を併せ読むことが必須なのかもしれないがw、今は措く。)

 (おまけで、個人的疑問を付せば、
 なぜ龍樹は、表現の制限(使用語句の制限)を要請する詩偈の形を選んだのだろう?という疑問があったりする。)

753 :てすと:2011/03/02(水) 00:27:23.81 ID:G7VYOuxj
>>752

とりあえず、俺の中では結論出たのでやることなくなった。

健闘を祈る。

754 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 00:54:49.04 ID:FrDAr8y5
>>750
>それは、彼もまた、パーリの中に大乗を見たからだと私は思う

>>750
>それは、彼もまた、パーリの中に大乗を見たからだと私は思う

何故、それほどまでに釈迦に「こだわる」のか。

「純化された大乗」を採用するのが当然ではないか。

755 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 01:02:33.79 ID:FrDAr8y5
既存宗教も、今後は、その開祖は、「人間の生命とそれを維持する大自然」の
象徴に、さらに純化されると予言するよ。その兆しは、すでに現われている。

「徹頭徹尾共同体である人間の営み」として、そうでなければ方向が誤っている
ことになる。

756 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 01:27:46.90 ID:Y96bpwVu
『比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。 比丘たちよ、生によって老死がある、という。
このことは、如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである。
法として定まり、法として確立しているのである。それは相依性のものである。』
                              南伝 相応部経典 12・20 縁

757 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 06:03:08.64 ID:dIO83N33
>>747
だから、色身だけを観るか、法身・報身を観るかの違いなんだって。

聖者にとっては、どちらも幻で空であることに違いはないよ。


758 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 06:05:26.17 ID:dIO83N33
>>750
なるほど、なるほど。

馬場さんいいよね。さすが直ぐ東大准教授になっただけある。


759 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 06:16:46.32 ID:dIO83N33
>>756
南伝、idappaccayataa を相依性と訳してんの?
そりゃ誤訳じゃないか?

一般的に此縁性と訳される。
チベット語は、rkyen nyid 'di pa tsam/rkyen nyid tsam など。

片山先生は-taa を集まりを意味すると考えて「この縁の集まれるもの」とされている。

いずれにせよ、オイラが知るかぎり、相依性という根拠はテキストには見あたらない。
多分、当時の縁起=相依性という予断に基づく誤訳でしょう。

一体、誰の訳?



760 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/02(水) 07:52:12.22 ID:bIdYWHc5
>>712>>713の絡みは面白いね。
対極だけど、どちらも正論で、どちらも戯論。
まさに空。

>>726
>武道やるとわかるけど意識を切り替えるスイッチみたいなのがあるんだよね

吉川英冶の宮本武蔵で、乗寺下り松の決闘において
武蔵が我に返ってガクブルになるシーンは印象的だった。

761 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 08:46:35.02 ID:dIO83N33
>>760
>武蔵が我に返ってガクブルになるシーンは印象的だった。


はやく君も自分の無知・妄想に気がついて恥じ入り慚愧懺悔できますように

762 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 09:15:24.40 ID:JWVubSc8
忍玉乱太郎ていうアニメあるけど、
花房牧之介と言うキャラは机そっくりw
嘘つき虚栄心アホキャラ、
机やwと思ったわw

763 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/02(水) 10:42:09.21 ID:bIdYWHc5
>>761
それはすまん。

ここは名無しが多いから、IDなんか気にしないからね。
無知であり妄想かもしれん。
つうか、
IDはいちいち見ない。そんなもん、いちいち調べんよw

つうか、日経の乱高下はつまらん。

764 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 10:47:26.57 ID:2i/tjVOV
>>759
>一般的に此縁性と訳される

「此縁性」という言葉は、日本語の辞書には見当たらないようだ。誰の造語?
意味が分らないまま直訳したのではないの?直訳は「翻訳」ではない。

「相依性」は「相互依存性」の略としては、立派な日本語である。テキストに
見当たらないのなら、釈迦が、「縁起」とは「相対性・相互依存性」の意味で
あることに思い至らなかっただけであろう。

765 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 12:22:21.13 ID:YNxLoTm0
>>764
あほかw
「該当語が存在しない」ということは、
「その文化、その思想に、当該概念が存在しない」(もしくは「気付かれていない」「意識されていない」)
ということだ。

外来語に関して「造語」や「カタカナ表記」が多いことも、これと相似した関係性だ、ボケナスw

766 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 15:24:45.82 ID:YNxLoTm0
katamo ca, bhikkhave, paTiccasamuppAdo.
jAtipaccayA,bhikkhave, jarAmaraNaM.
uppAdA vA tathAgatAnaM anuppAdA vA tathAgatAnaM ThitAva sA dhAtu,
dhammaTThitatA dhammaniyAmatA 【idappaccayatA】.


(PTS)ida & idaM (indecl.) の項中:
idappaccayatA
having its foundation in this,  i.e. causally connected, by way of cause

(PTS)paccayatA (f.) [abstr. fr. paccaya] の項中:
the fact of having a cause, causation, causal relation,
in phrase「 idappaccayatA (adv.)」 from an ascertained cause, by way of cause

767 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 16:53:16.28 ID:Y96bpwVu
>>759
「予断に基づく誤訳」というほどのものではないと思いますよ。

むしろあなたの方こそ、
当時の縁起=「(原因と結果の分断的な)時間的生起」という
予断に基づく誤解釈があるのじゃないですか?

768 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 17:05:30.29 ID:QRKidxYO
>>767

>>766

769 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/02(水) 17:59:16.06 ID:K+YoH3kf
>>692 :机龍之介 ◆
>今度は心経以外の話題にしませんか?

もし良かったら「公案」の話をして頂ければ・・・。

>>712 :神も仏も名無しさん:
>人間は長い永い間、怒りに頼ってきて・・・・とても強く怒りが組み込まれている

そんな学説は初めて聞きました。
何に対して怒ってるって其の先生は言ってるの?
「生きるのは本当に大変なこと」だと何で怒りがこみ上げてくるのか?マカ不思議?
確かに天災で痛めつけられて人類は大変だ、でも天を仰いで怒るか???

>>726 :神も仏も名無しさん:
>慈悲の瞑想

なんで武道と関係するんですか??

>本当には殺さないけど”ほんきでヤリにいく”気持ち?

本気で矛盾してますが・・・・。

>>730 :てすと:
>小せぇ目標だな。。。俺なんて神に喧嘩売ってるぞ。

もっとも小さい目標に思えますが・・・・。


770 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 18:12:32.38 ID:wmOMD6Cn
>>766
その定義で見ると、idappaccayataaの意味は明らかに「因果関係」だね。

1 釈迦の縁起とは、「因果関係」の意味か。
2 「因果関係」から「空」の意味がどのようにして出てくるのか。
3 中論におけるメインテーマである「相対性」の原語は何か。
4 >>756で引用された「南伝 相応部経典 12・20 縁」において、「相依性」
に対応する原語は何か。
5 釈迦の「因果関係」と竜樹の「縁起(空)」との間の本質的な相違は何か。
後者は前者の「純化」などと言えるのか。

なお、「此縁性」という言葉は、現代でも「日本語」としては意味不明である。

771 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/02(水) 18:15:24.18 ID:K+YoH3kf
>>752 :神も仏も名無しさん:
>中論は、「有部に対するアンチテーゼ」(或いは「戯論に対する批判」として)縁起を旗印に著され

アンチテーゼが縁起なら有部は「反縁起」と言う位置づけですか?


772 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/02(水) 18:48:31.79 ID:bIdYWHc5
>>769
>もし良かったら「公案」の話をして頂ければ・・・。

そうですか(*^^)v

>そんな学説は初めて聞きました。

いやいや、これは公案ですよから(^ム^)
よくできた公案ですね。

>何に対して怒ってるって其の先生は言ってるの?

いやいやそうじゃなくて公案ですから(^ム^)
そんな解釈は野暮ってもんです^m^

773 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 18:56:32.22 ID:Y96bpwVu
>>768
>>770
前の方で、
「如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである。
法として定まり、法として確立しているのである」
っていってますよね?

これは、原因と結果が不二である・・・ってことの、強調じゃないですかね?
もしも、「<此に縁る>こと」というのを、原因によって結果が生じるのだと訳せば、
前で言ってる不二の関係性が崩れることになる。

であるから、「此に縁ること」というのを原因と結果という風に誤解させないためにも、
あえて一歩進んで、「相依性」と訳す必要があったんじゃないですかね?

774 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 19:10:44.51 ID:QRKidxYO
>>770
1 「因果関係」だけじゃない、ということw
2 「縁りて起こる」ものであるから、自立するものではない。
  →それのみで存立する本質・本体・実体がない → 空なる性質のものである。( zUnya , zUnyatA )
3 「相対性」に対応する原語は無い。
4 「相依性」に対応する原語は無い。
5 本質的な相違は無い。
  後者は前者に於ける(2の如き)「縁りて生起すること」に特化したもの、ということ。

「此縁性」:
此れを縁とすること、(此れを縁とする性質)。 そのまま、読んだ通りの意味。


以上

775 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 19:37:30.67 ID:BQ/wKj37
>>701
>引きこもりがなんで屑なのか、理由を説明しないとただの感情論だと思われますよ〜

おまえの言っていることは、うんこは汚いと言うなら、理由を説明しないとただの感情論になりますよ〜と
言っているようなもんなんだよ。こういうのを屁理屈っていうんだよ。
とにかく引き篭りの屑共は屁理屈で口答えばかりで、話にならない。どうせ口で言っても屁理屈ばかりで話の通じない連中だ。
性根の腐ってるこいつらを矯正しようと思うなら、実力行使しかない。これも一つの世俗の真理だ。

776 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 19:40:42.57 ID:dIO83N33
此縁性:
http://www.google.com/search?hl=ja&tbo=1&tbs=bks%3A1&q=%22%E6%AD%A4%E7%B8%81%E6%80%A7%22&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&aq=f&aqi=&aql=&oq=

誰かが偏愛する岩波仏教辞典にも記載されてるけどね。


777 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 19:51:02.09 ID:wGTkoL9C
>>774
引用された辞書の定義から見る限り、明らかに「原因・結果」の関係。
"causation"は、英米法における因果関係を意味する法律用語でもあります。
英米人には、「縁起」の意味が完全には理解できなかったようにも見えますね。

中論(平川彰訳)第1章では、竜樹の「空」は、「あれ・これ」「原因・結果」
などの概念を排除しているように思われます。

中論第25章(「涅槃の考察」)には、「相待的」「非相待的」という言葉が
何度も使われているが、それに対応する原語をお尋ねしているのです。

778 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 19:55:41.55 ID:QRKidxYO
>>777
>それに対応する原語をお尋ねしているのです。

無い。

779 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 20:04:10.38 ID:wGTkoL9C
>>778
訳者平川氏がでっち上げた、と言うのですか?

780 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 20:41:17.17 ID:BQ/wKj37
>>730
世俗的な話しかできないおまえさんがでかい顔して仏教板にいる。
あきれたことにこいつに賛同するプロの坊主らしき者までいる。この坊さん、
ただの唯物論にすきない生命教にもシンパシーを感じるほどのレベルの低さ。2chなどこんなレベルだろ。
ちゅうか日本の仏教などこんなレベルなんだろう。世の中には二種類の人がいる。可愛そうだが、
てすとなんかなにもわかっちゃいない。ま、君らはこの先もわからないだろうし、わかる必用もないのだろう。

781 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 20:47:08.46 ID:BQ/wKj37
えてして引き篭り共は我執が恐ろしく強い。
ゆえに世間ではうまくやっていけず引きこもる。いっそネット
社会にも出てこなきゃいいのに。真理を語って聞かせるのは、それにふさわしい相手に。
引き篭り等の愚鈍な連中に聞かせることは、なんと愚かで虚しいことか。本当、引き篭りはネット社会にもでてくるなよ、鬱陶しい。

782 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 20:50:05.86 ID:pVDAEvkC
>>781 「からす」のコテもう止めたの?

783 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 20:54:49.03 ID:dIO83N33
しかし、生命教は原語が読めないのに聞いてどうするんだろう?
しかも、反論者にそんな質問してる時点で、この問題について論じる資格がないとなんで自覚できないのか、毎回不思議に思うよ。

やっぱり、正常とは思えない。

784 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/02(水) 21:03:15.75 ID:BQ/wKj37
ゴータマの縁起とはあくまで因果の法だ。中論教の馬鹿に かかればそれは相互依存、
相対関係という話にすりかわる。だがその話はあくまで言語上の話であり、
本質的な話ではない。相互依存を声高に叫ぶ中論教の馬鹿にかかれば男と女どちらか
一方が滅びればただちに残った一方も消えて無くなるらしい(爆笑)
おまえらの相互依存の理論でいえばそういうことだ。言葉遊びは楽しいか?
だからおまえらは馬鹿だって言うんだよ(哀れ)

785 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 21:03:24.10 ID:QRKidxYO
>>779
三枝レグルスにも無いね。
辛うじて、青目釈に
「何となれば、有と無との二事は受より生じ相い因りて而して有ればなり。」(三枝読み下し)
「何以故。有無二事從受生。相因而有。」(T1564_.30.0035b27)
の一文だけだね。とりあえず25章では。

786 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 21:07:01.37 ID:pVDAEvkC
>>784 お〜,久々に懐かしいコテつけたなw

相変わらずのバカっぽさもいいなww

787 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/02(水) 21:07:53.86 ID:bIdYWHc5
まあ、どうでもいいけど、
中論25章は、そんなに重要じゃない。
勝義諦と世俗諦の違いしか書いてない。

では、おやすみ。

788 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 21:16:48.70 ID:QRKidxYO
出たwww
机氏お得意の「そんなに重要じゃない」w

789 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 21:37:13.60 ID:dIO83N33
>>785
平川先生が「非相待的である」と訳してるのは an-upaadaaya ですね。
羅什三蔵は「無受」パラヒタミトラは「無因」惟浄は「無取」と訳してます。

平川先生は恐らくチベット訳の brten min 直訳すると「依らない」の意味を取ったのだと思います。

これは意味はともかく、縁起が相対性であるという意味とは全く関係ありませんね。

相変わらず、生命教はトンチンカンで、文脈と関係なく自分の妄想に引っ掛かる文字から適当に妄想を展開してるだけでしょう。

upaadaaya は24-18の prajn~aptir upaadaaya に結びつくでしょう。
つまり、仮設のする因・受として掴み取るものという意味で、
漢訳はそれぞれ一文字に意味を込めていると思われます。
チベット訳の「依る」というのも、因・受として掴み取る諸縁に「依る」という意味でしょう。

どれも妥当な訳だと思います。平川先生の訳もそういう意味では誤訳ではありませんが、分かりにくい訳だと思います。

790 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 22:04:20.50 ID:QRKidxYO
>>789
なるほど。
けど、upAdAyaが「(受けることを)【相い】待つこと」というのは無理が感じられるよね。
フィフティフィフティなものでなく、明らかに、
「縁なり因なりから(一方向的に)(作用・影響を)受ける」(そのことにより「生起する」「存立する」)、
というニュアンスが感じられるんだが・・。どうだろう?
(三枝レグルスも漢訳も、そのニュアンスで読んでないだろうか・・。)

791 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 22:19:11.13 ID:dIO83N33
>>790
恐らく、縁起=相依相待という予断があるから、あの訳なのでしょう。
チベット訳にしても依るというのは、諸縁に依るという意味で、
相依相待という意味は無いように思います。

もしかしたら、なんらかの註釈に依っているのかもしれませんが、
中論頌自体から考えると誤訳と言ってもいいかもしれません。

平川先生は結構好きなので、あんまり否定したくないですが。


792 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 22:59:16.39 ID:QRKidxYO
>>791
了解。

793 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 23:22:55.30 ID:y0pAoIfg
>>791
「因果関係」なら馬鹿でも分る。釈迦から教えられることはないし、ましてや
竜樹の頭脳を待つ必要もない。

釈迦は、因果関係を「苦」「業報」に特化し、その「脅迫」により信者を洗脳
したのだろう。

2chに平川、中村氏を超える「大学者」が居られるとは夢にも思わず失礼したが、
ちなみに、「(あなたが言われる)誤訳の元凶」である中村元氏の、中論の「縁起」
の解釈を、下記に掲げる。

「この書(中論)で『縁起』または『空』というのは、ありとあらゆるものが
相互依存によって相互に限定されて成立しているのであり、それ自体の常住不
変な本体なるものは存在しないという意味である。したがっていかなるものも、
絶対に有であるともいえないし、また絶対に無であるともいえないので、非有
非無の中道の理が成立するという。空とは非有非無のことであると解せられて
いる。」

ちなみに、>>789で引用された、「無受」「無因」「無取」という訳語も、すべて
「因果関係の否定(原因の否定)」ですね。

少なくとも中村氏の解釈のほうがはるかに説得力がありますよ。「諸縁に依る」
では意味不明。若しかして、あなたのほうが間違っているのではw。

なお、「相互依存」であれば、「相対性」の意味が当然に生じます。前レスでの
英語の「relative」の定義を参照されたし。

794 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 23:23:20.52 ID:Y96bpwVu
なんで予断っていうかな・・・


795 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 23:26:51.16 ID:dIO83N33
>>794
じゃなんて言うの?


796 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 23:36:39.27 ID:y0pAoIfg
>>795
「予断」というより、全体の意味を把握した上での、「一般に理解しうる解釈
に基づく翻訳」でしょう。翻訳とは、「意味を伝えること」。あなたのように、
言葉の枝葉末節にこだわった「直訳」は、「翻訳」とはいえないのです。
それでは「翻訳ソフト」による、言語として支離滅裂な翻訳と同じですw。

797 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 23:44:35.19 ID:Y96bpwVu
>>795
縁起=相依性でしょ。
ただ、それをidappaccayataaという語の
訳に使うかどうか、が問題なんでしょ。



798 :てすと:2011/03/02(水) 23:49:51.49 ID:JqsuM4k4
翻訳が正しいかではなく、現象が正しいかどうかを判定するのが、仏教者。

799 :神も仏も名無しさん:2011/03/02(水) 23:51:44.84 ID:y0pAoIfg
>>797
「因果関係」では、馬鹿でも分る愚かな訳になるから、「全体の意味を把握して」
「意訳した」のではないですか。

そもそも、西洋人である辞書編纂者が、「縁起(相互依存性)」という極めて
東洋的なが概念(西洋哲学には皆無)を性格に理解していたかどうかの疑いも
ありますね。

800 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:04:19.46 ID:BQ/wKj37
>>793
だからそういうのはあくまで言語上の話であって、本質的には全く無意味な
言葉遊びに過ぎない空理空論だと言っているんだよ。頭でっかちなアホ共にはこんな
簡単なことも理解不能なんだな(哀れ)
で、おまえに言わせると、おまえは因もなしに生まれてきたわけだ!(驚愕)
すごいなおまえ、まるで自性じゃないか!なんてアホらしい。中論教の皆さん。妄想の世界は楽しいですか?

801 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:05:30.95 ID:+mNJPQSn
>>797
絶対に違うwww
少なくともイコールで結ぶものではない。

百年、仏典読んでろw


ノシ

802 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:09:12.18 ID:ig6iv5GS
>>799
>>801
>「全体の意味を把握して」「意訳した」のではないですか。

その通りですね。

だいたい、釈迦の「此れを縁とすること」というのは、まさに相依性のことを言っているわけで、
全体の意味を考えた場合、まさに相依性という言葉が適切なわけで、
そこに、「此れに縁ること」という訳をもってくると、
「原因と結果の時間的生起」を連想させることになるし、まさにそうなっているわけですよね。



803 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:13:21.93 ID:7gXO9MEl
>>789
>相変わらず、生命教はトンチンカンで、文脈と関係なく自分の妄想に引っ掛
>かる文字から適当に妄想を展開してるだけでしょう。

というよりも、あなたは、釈迦が「12因縁」や「業報」を説いたから、
「因果関係」を必死で守っているのでしょう。さもなければ、12縁起も
豪報も吹っ飛ぶからです。

引用された南伝仏典は、釈迦の教えに近いそうだから「因果関係」だが、
良心的な翻訳者がその誤りを正すため、強いて「相依性」という訳語に
したということも考えられます。

私の経験からいうと、辞書などに頼っていたら、「全体の意味を伝える」
という正確な翻訳は不可能です。

804 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:14:23.63 ID:+mNJPQSn
>>803
>辞書などに頼っていたら
岩波辞書マンセーのお前が言うかwwwww

805 :1/6:2011/03/03(木) 00:15:21.90 ID:+mNJPQSn
「伝統仏教における縁起解釈」(『ブッダから道元へ』(東京書籍/1992)所収〔第三節 応答(二)〕p107-117)より。
 ※墨括弧は、例によって引用者が強調の為挿入。
 ※改行は、原文の一部を除き視覚的・意味的区切りを踏まえ、適宜行なった。

三 縁起は何を説くか(p113-116 全文)
 さてここで、縁起が何を説くものであるかということについて触れよう。「論考」には、
その重要なポイントとして「一因から一果のみの生起」「純粋に時間的な因果関係」を認めることが指摘されている。
【その理由は、同時的因果とか相互的因果、あるいは多因一果を認めれば
「縁起説本来の直線的な時間的構想は破壊されて、空間化、平面化され」、
「危機的な宗教的時間が解体される」というものである。
確かに、このような点を核として縁起は説かれていると思われる。しかし、これのみかどうか。】
以下に、わが国で「一般的縁起」と呼ばれている定型句(UdAna,p.1-2;SaMyuttanikAya,U,p.65)を掲げて、考えることにしたい。
   これ有れば    かれ有り.  imasmiM sati idaM hoti
   これ生じれば  .かれ生ず  imassa uppAdA idaM uppajjati
   これ無ければ  かれ無し.  imasmiM asati idaM na hoti
   これ滅すれば  かれ滅す  imassa nirodhA idaM nirujjhati
『自説経』によれば、前の二行は、釈尊成道第一週後の夜の初分における「縁起の順観」、
後の二行は、その夜の中分における「縁起の逆観」であり、『律蔵』の「大品」冒頭に「縁起の偈」として説かれたものである。
この四行が何を意味するかということは従来問題となっているところであり、今我々の関心事でもある。
特に「これ」「かれ」という紛らわしい言葉が何かということであろう。註釈(UdAna-A p.38.47)に従えば、
ここはまことに明瞭である。「これ」(imasmiM , imassa,男性)とは無明などの「縁」(paccaya,男性)を、
「かれ」(idam,中性)とは行などの「果」(phala,中性)を指す。

806 :2/6:2011/03/03(木) 00:16:21.19 ID:+mNJPQSn
したがって、この定型句は間違いなく【「縁」と「果」について説明するもの】であると解される。
そしてまたこれは、内容としては『自説経』からも明らかなように、「価値的縁起」と呼ばれる十二縁起のそれであり、
あれもこれもの「一般的縁起」などではないということ、【ただ簡略な表現の縁起】であるにすぎないということである。
伝統仏教には、縁起をその意味での「一般的/価値的」、あるいは「外的/内的」【と区別するわが国のような風潮】はない。
 また、この縁起において看過できないのは、あくまでも「縁」ということが言われ、「因」(hetu)ではないということである。
どちらも初期のうちはほぼ同義に用いられていたようであるが、【その範囲は異なっているように見える】。
「因」は直接的、限定的であるが、「縁」は間接的、包括的である。【「縁」は「因」を補うが、その逆は考え難い】。
その意味では、縁起は常に「縁」と「果」の関係を内容としているから、
本来は「縁果関係」のものとさえ言われねばならないはずである。
それは縁によって、すなわち種々の因によって種々の果があるという関係のものだということであり、
今問題の「因」と「果」の関わりから言うならば、【多因より多果がある】ということであろう。
この点を説明する『清浄道論』(Visuddhimagga,p.542)の一節を以下に紹介しよう。

807 :3/6:2011/03/03(木) 00:22:34.73 ID:+mNJPQSn
   ここに、一因(kAraNa)から何らかの一果(phala)があるのではない。多があるのではない。多因から一があるのでもない。
   ただ多因から多果があるのみである。なぜなら、多くの季節・土地・種子・水と称される因によって、
   多くの色・香・味・などのある芽と称される果のみ生じるのが見られるからである。
   しかし、〈無明という縁から諸行がある。行という縁から識がある〉とこのように【一因果の説明がなされるのは】、
   【そこに意味があり、目的があってのことである】。というのは、世尊は、
   説法の優雅さと教導される者たちとに相応しいように、
   ある場合には主要なもの(padhAna)であることから、
   ある場合には明白なもの(pAkaTa)であることから、
   ある場合には共通しないもの(asAdhAraNa)であることから、
   ただ一つの因と果を説くのである。すなわち、〈触という縁から受がある〉という場合は、主要なものであることから、
   ただ一つの因と果を説く。なぜなら【触に従って受が確定するため、触は受の主要な因であり】、
   また【受に従って触が確定するため、受は触の主要な果である】からである。
   〈病気は痰より生じる〉という場合は明白なものであるから、一つの因を説く。
   なぜならここでは痰は明白であり、【業などはそうでないから】である。〈比丘たちよ、いかなる善法も、
   すべては不正な思惟を根本としている〉という場合は、共通しないものであるから、一つの因を説く。
   なぜなら不正な思惟は諸の不善のものであり、
   【(他の善などに)共通せず、所依や所縁などが(他の善などに)共通するから】である。
 このように縁起は、【形としては一因一果を説くものであるが、その内容は「多因多果」でしかない】
とするのが伝統的な見方である。

808 :4/6:2011/03/03(木) 00:23:51.86 ID:+mNJPQSn
 次に、縁起の因果関係が「時間的」か「空間的」かということについて少々述べておこう。
わが国ではいつも問題になるものであるが、これは多因多果ということと合わせて考えるべきであろう。
上記の定型句を見れば、ここには「縁―果」の「有」「無」、及び「生」「滅」が説かれているだけである。
その内容は、註釈(UdAna-A p.38f)を尊重するならば
「無明をはじめとする縁があるゆえに、行をはじめとする果が生じる。
無明をはじめとする縁が生じるゆえに、行をはじめとする果が生じる。
無明をはじめとする縁がない(=道によって捨断される)ゆえに、行をはじめとする果がない(=起こらない)。
無明をはじめとする縁が滅する(=道によって得達法性がもたらされる)ゆえに、行をはじめとする果が滅する(=起こらない)」
ということである。また、「あるゆえに」とは「ないことがないゆえに」、「生じるゆえに」とは「滅することがないゆえに」、
「ないゆえに」とは「あることがないゆえに」、「滅するゆえに」とは「生じることがないゆえに」と解せられる。
付言すれば、「あるゆえに」(sati)とは、現にある「縁の状態」を語りつつ、縁起の「無効性」(avyApAratA)を、
「生じるがゆえに」(uppAdA)とは、「果の生起に向かう状態」を説きつつ、縁起の「無常性」(aniccatA)を示すものにほかならない。
なお、ここで「ゆえに」と訳すのは、原文における於格(Loc.)、奪格(Abl.)の形が「原因」(hetu)を表すことによる。

809 :5/6:2011/03/03(木) 00:25:10.59 ID:+mNJPQSn
いずれにしても、かかる内容のものを、その言葉だけ捉えて、
【「有」「無」から「空間的関係」を、「生」「滅」から「時間的関係」を引き出し、そのどちらかに重きを置くならば】、
多因多果の「縁」と「果」を過不足なく説明することができぬものとなってしまうだろう。
あえて空間/時間に区別すべきものではない。【「空間」に偏れば行動に、あるいは目に見えるものに溺れ、
「時間」に偏れば観念に、あるいは目に見えぬものに流されてしまう】のがふつうだからである。

 法が先か仏が先か。これについては、「論考」に指摘された通り、【仏が先であると言わねばならない】。
ただこの問い自体がまことに大乗的である。伝統仏教においては、仏と法と僧とについての問いとなるからである。
また仏とは何かということを抜きにした仏教の議論もないからである。特にそれが実在論に及ぶときはなおさらであろう。
【教義上は世俗諦と勝義諦によって、実践上は戒律によって】答える以外この問題の解決はないと思われる。
 再び、「論考」が、わが国における仏教教義の理解のために、きわめて重要な視座を提供するものである
ということを申し述べ、一つのコメントを終えることにしたい。

(引用終わり)

810 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:26:02.95 ID:7gXO9MEl
>>801
>絶対に違うwww

だから、釈迦の「縁起(因果関係)」と竜樹の「空(相互依存性・
相対性)」とは、「絶対に違う」のだよw。

なお、「相互依存性」から「相対性」の意味が生じ、むしろ「相対性
そのもの」であることを理解できる程度の知力は持って欲しいね。


811 :6/6:2011/03/03(木) 00:27:53.00 ID:+mNJPQSn
>>808 「無効性」(avyApAratA)とは(未だ)働いていないこと、作用していないこと。 (・・・たぶんw)

>>806 「内的(≒内縁起)/外的(≒外縁起)の別がない」というのは、
  この対比が一般的には「心理面(内面)/物質面(外界)」というものになっているのに対し、
  そのような別ではなく、(後に清浄道論が挙げる事例のバリエーションに見られるように)、
  『「縁」によって「果」が生じている』かどうかだけが問題とされ、
  その種別(それがどこで生じているか、何が作用して何が生じているかの《「何」の種別》)
  を問うていない、ということ。(それが問われるのは、一因一果となる場合のみ、いうこと。)
   *(これは、そのまま「時間的/空間的」・「観念的/具象的(物質的)」という対比でもあり、
    《「空間的見方」に於いては、同時的相互依存が見られ易い》ということ。
    そして、可逆性が認められないので、(時間性・因果の側面が外されてはならないので)、
    同時的相互依存、特にそれが「空間的・物質的」な面で言われるならば、排されるものとなる。)

>>809 「教義は二諦によって」というのは(このシリーズの住人ならw)了解事項としてw、
  「>実践上は戒律によって」というのは、《「仏」(=阿羅漢)とは何か》を示すに際し、
  「このようなもの(→人物)である」「これが仏(の在り方)である」ということを、
  《実際に、その存在することによって、行為(身口意)によって、目の当たりに示す》、ということ。
  「成仏の可能性」を、「悟りの、涅槃のあること」を、目の当たりに存在することにより、証する(実証する)こと。

812 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 00:52:55.22 ID:7gXO9MEl
つまらん論文を引用するなよ。原始仏典をいくら読んでも、竜樹の「空の思想」
は理解できない。

813 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 01:00:21.13 ID:Nwp39cNj
>>811  な〜〜〜〜るほどね、
そこに書かれてあることが、仏教における「伝統的縁起」解釈と
理解していいのか?セブン。

そこの内容は、実に頷けるのだがなw

814 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 01:15:52.52 ID:7gXO9MEl
>>813
「小乗仏教における伝統的解釈」だろ。

貴方が「日本の仏教徒」であれば、一体どこに「頷ける」のかね。

815 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 01:46:06.60 ID:Nwp39cNj
>>814 あいも変わらずアホよのう、隠居はw

日本も外国も関係ない
大乗も小乗も関係ないわw

自分がそれを受け入れられるかどうかだよ

多分、無理とは思うが、100回くらい読んでみろ
少しは書いてあること理解できるかもしれんぞ

816 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 01:48:08.47 ID:7gXO9MEl
>>785
>「何となれば、有と無との二事は受より生じ相い因りて而して有ればなり。」

ちゃんと「相互依存性」を説いているではないか。竜樹の論理には聊かの狂いも無い
から、中論全体にわたってこの論理は一貫している。

なお、「相互依存性」から必然的に「相対性」が生じる。というより、「相互依存性」
とは「相対性そのもの」のことである。「相対性」と「相待性」とは同じ意味。

817 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 01:53:08.76 ID:7gXO9MEl
>>815
1回読めば分る陳腐な論文。要するに、釈迦の縁起(因果関係)を正当化
したいだけ。

小乗カルトによる洗脳など、真っ平御免だw。

818 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 01:56:26.28 ID:Nwp39cNj
>要するに、釈迦の縁起(因果関係)を正当化
したいだけ。

ば〜〜〜かwww
だから、お前は何も読み取れない、読解力ゼロだって言われるんだよw

819 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 02:01:23.68 ID:7gXO9MEl
>>818
君たちのように、こんな論文を「理解した」と思って感心した瞬間が、
釈迦カルトによる洗脳の瞬間だ。

しかし、セブン氏の洗脳が最も深いね。やはり、テラワダの恩師のせい
であることは明らか。文体まで恩師とそっくりだw。

820 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/03(木) 02:06:04.37 ID:zqPUwIl7
>>772 :机龍之介 ◆

なるほど、その公案と言うものには貴方の人間性が良く出るものですね。

>>805 :1/6:
>一因から一果のみの生起
>多因一果

これは同じ事を意味している。
決定論とは「あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している」と言う事である。
先行する多因を一つに(初期条件として)とまとめれば一因になる。
従って重要なのは結果が一意的に因果するかかどうかと言う問題である。
因果でも縁起でもそこが極めて重要なポイントである。

色受想行識が空と言う事で一意的因果を否定するテクニックが中観だと考えますが。

821 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 02:06:23.66 ID:Nwp39cNj
>>819 はいはい、生命教に賛成しないものは全て洗脳されてるわけねww


822 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 05:47:36.67 ID:y6K+Y2Aa
>>797
いや、少なくとも釈尊・龍樹は縁起を相依性と考えてないというのが、
文献学的成果ですよ。

相依性とするのは、ペテルスブルグ学派以来の近代仏教学の説。



823 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 05:52:13.68 ID:y6K+Y2Aa
>>813
ブッダゴーサに従うテーラワーダの伝統解釈だと思う。
私見を排した好論文だと思う。

ちなみに中観派もほぼ同じ解釈だと思う。


824 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 06:47:20.75 ID:ghRHymoi
なるほどね
縁を環境(因1+因2+因3・・・・)とみて多因とするのね
808は難しい
>付言すれば、「あるゆえに」(sati)とは、現にある「縁の状態」を語りつつ、縁起の「無効性」(avyApAratA)を、
これは
>「無明をはじめとする縁があるゆえに、行をはじめとする果が生じる。
これを指しているのでしょ

くみあわせると
「無明をはじめとする縁が「ないことがないゆえ」に、行をはじめとする果が生じる。

「無効性」の意味がも一つはっきりしない

825 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:00:54.27 ID:ghRHymoi
>>807
>しかし、〈無明という縁から諸行がある。行という縁から識がある〉とこのように
>【一因果の説明がなされるのは】、【そこに意味があり、目的があってのことである】。というのは、世尊は、

これは意地悪な(多因多果)読み方をすれば
〈無明ではない縁からXがある。Xという縁からX識がある〉
と読めなくもないですね

826 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:19:04.17 ID:M1LWiKUH
>>822
>相依性とするのは、ペテルスブルグ学派以来の近代仏教学の説。

西欧的合理性の批判にも耐えうる、普遍的な解釈と言えるでしょう。

不完全な語学力によって、言葉の枝葉末節に囚われ、「全体的な思想」を
理解していない翻訳では、そもそも翻訳とはいえない。

サンスクリットはインド・ヨーロッパ語族だから、その解釈には、同じ語族
に属する西欧人の方が、本質的には一日の長があるのではないか。

827 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:26:32.70 ID:M1LWiKUH
向坂逸郎が和訳した「資本論」は、ドイツ語の原文に重箱の隅をつつく
ように忠実に従っているが、読んでも「意味」はさっぱり分らないと
言われている。

系統的には近いフランス語から英語への翻訳も、直訳どころか、完膚なき
ほどに、異なった単語や表現を使用している。

828 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:38:23.07 ID:+mNJPQSn
>>816
アホですかwww
その一文は、青目註ですよ?龍樹の著した本文ではないですよ?
しかも、漢訳(翻訳)ですよ?
貴方は、註釈を本文ではない、と切り捨てていませんでしたか?w
大昔の翻訳は間違いだらけと言ってませんでしたか?w
よーするに、何でもいいわけですね・・。┐(;´ー`)┌
 ─────
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/578
>第一義皆因言説。言説是世俗。
それに対応する訳文は、平川訳にはない。【勝手に付け加えるなよw。】 それに、サンスクリット語でもない。

 (http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/579
  >勝手に付け加えるなよw。
  ハァ?(゚д゚)   『 >青目釈 』とあるのが見えなかったか?w
  漢訳は、“ピンガラ(青目)”が註釈した梵本を羅什が訳したもの。平川さんは、その頌の部分のみに触れているだけ。
  偈頌のみの(真に原典と呼ばれ得る)中頌の梵本は失われている。
  よって、各種註釈の頌の部分、引用部分を参照(して原型を類推)するしかない。)

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/581
「『中論』は頌だけがナーガルジュナの著である。これに他の人が注釈を加えて、『中論』になっている。
現在いろいろな注釈が残されているが、サンスクリットの原典のあるものは、一種であり、
その注釈はチャンドラキールティ(月称)の施したものである。
本翻訳においては、サンスクリットの原典から、ナーガルジュナの著した頌だけを抜き出して訳出した。」
(中村元の「平川訳」への解説より)

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/599
だから、平川氏の和訳「世俗的なことにもとずかなくては」を、
たとえ彼が依拠したサンスクリット語の原文と対照しても、
「世俗の『言語』習慣」に「限定」することは誤りだということだよ。【この際、漢訳や注釈は関係ない。】
何よりも、>> 584で述べたように、文章解釈において常に基盤とすべき「論理的整合性」に照らしても、誤りと言える。

829 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:40:40.69 ID:+mNJPQSn
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/567
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/568
 > (外来宗教は、衆生は)翻訳を通じて信じるもの。
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/336
 > > 竜樹を個人崇拝しているのではないから、翻訳にいくら誤りがあっても関係ない。
 > いやいやいやいやw
 > 【翻訳に誤りがあったなら】、【何によって】正誤が判断されてるんですか?
 > 【 > 翻訳にいくら誤りがあっても関係ない 】ということは、
 > 【勝手に読んでいる】、【翻訳文に依拠していない】、ということですよ?
 > 勝手な妄想であることをお認めになるんですね?www
 >
 > > あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。
 > いやいやいやいやいやw
 > 翻訳には誤りが多いと言ったのは貴方ですよ?w
 > 貴方が依拠している部分は、誤った翻訳部分かもしれませんよ?w
 > 【 > 翻訳にいくら誤りがあっても関係ない 】と言ったのは貴方ですよ?w
 > この台詞は、【翻訳文に基づかない】ということと同義ですよ?
 > どっちなんですか?w 翻訳に基づいてるんですか?基づいてないんですか?
 翻訳に基づいてるんですか?基づいてないんですか?wwwww

 〔文献(原文)や過去の解釈、或いは別の読み方無視の俺様基準〕
 ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
 (http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/268
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/271
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/272
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/283
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/284
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/336
 〔御隠居ループ俯瞰図〕
 ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/487(翻訳・文献)

830 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:41:35.68 ID:y6K+Y2Aa
>>826
違うな。お前は、自分の妄想に合うなら、とにかく屁理屈だけ並べて恥ずかしくないのか?

ペテルスブルグ学派ってのは、モンゴル仏教徒をインフォーマントとして、生命教の嫌いなチベット仏教の一学派ゲルクの解釈に従った学派のこと。
中観研究は、このワシリエフ、シチェルバツキーなどによって進められた。
ただそれだけのことだ。


ちなみにシナ・日本の中観の伝統である三論はこの説を採ってない。
ゲルク中観より三論の中観の方がインドの中観により接近することは、
今でもあまり認知されてないように思われる。

恐らくドイツのマックス・ワレザーやフランスのドラヴァレ・プサンもそうで、
日本の山口益先生までその解釈を取っている。
つまり、大学者が一致して取っていたから、予断で縁起=相対性、相依性としていた時代があった。

しかしながら、もはや文献学的にこの説を釈尊・龍樹菩薩の縁起解釈に対して取るものはいない。


831 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:45:24.35 ID:y6K+Y2Aa
>>828
>よーするに、何でもいいわけですね・・。┐(;´ー`)┌

そうだろう。どうみても。

要するに妄想に合ったものを適当に並べてるだけ。

知識もなく論理もなく、節度も恥もない。

あるのはネラ的な思い込みと極度のエゴだけだって、みんな知ってると思うよん。

832 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 07:51:58.05 ID:ghRHymoi
上座の大黒柱である『清浄道論』に多因多果の考えが書かれているのはおもしろい

なぜかというと、そもそも汚れている有漏の存在である一切(一切皆苦)を間接的に否定しているから
多因多果が試論と観察と議論によって支持されているなら
充分に合理的であるなら仏教徒は一切皆苦を棚上げするかもね

チベットの人は一切有漏皆苦と言っていたな
一切皆苦だと仏様まで苦しむことになるとか言ってた

833 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:09:00.55 ID:ghRHymoi
専門家ではないから判らないが
もし現時点において上座が多因多果を認めているなら
大乗が上座に対して論理的な優位性を持つとは言い難くなるように思う

世親の唯識(余れる物のあつかい)にしても龍樹の2仏身論にしても
『釈尊が3アソウギ劫かけて悟ったのに慈悲を施すのが50年ほどでは不合理だ』
そのような心情があったと聞く

834 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:11:50.64 ID:M1LWiKUH
>>828
平川氏は、まさにその「中論の頌」から、「中論としてはあまり重要でない
120頌を除いた、17章(329頌)を和訳した」のですよ(編者の中村元
氏による)。

平川氏や中村氏が、その「相互依存性」という翻訳に当たり、「全体的意味の
理解のために」青目注釈を参照しなかったとでも。

「世俗の言語習慣」に専ら限定したのは、あなた方のほう。私は最初から
その限定には「英文辞書の定義からも」また「論理的整合性がない」という
理由で反対しているし、「言語習慣」という言葉の矛盾と不明確さについても、
前レスで指摘している。

「相対性」の原語については、前レスでどなたかが挙げてくれた3名の漢訳者
の漢訳では、あきらかに「因果関係を否定している」ことも、前レスの通り。

835 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:21:29.67 ID:M1LWiKUH
>>834の訂正
×「相互依存性」という翻訳
○「相互依存性」という解釈

836 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:27:28.53 ID:ghRHymoi
ようするに世親や龍樹は絶望した
だから来世に期待をかけて夢の世界に大乗の骨子をくみ上げた
と、勘ぐりできなくもない

それと平行して、それに整合する論理を組上げたと邪推できなくもない

中観経量学派の一部にはそう考える人もいただろうと予測できる

837 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:32:26.35 ID:ghRHymoi
もし解脱していない釈尊が3阿僧祇あまりも意思的に過ごせたのなら
解脱後、その意志の継続能力を失うのは不思議だし
釈尊が寂滅しても

 これこの通り仏教は残ってよい影響を世に及ばしている

そのようにもいえるだろうが

838 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:36:05.53 ID:M1LWiKUH
仏教の中心思想が、12縁起や業報など、「馬鹿でも分る因果関係」だとしたら、
世界が仏教に期待するものは、何も無い。単なるオカルト宗教に過ぎない。

世界が期待しているのは、専ら、竜樹の「相互依存性・相対性・関係性」の
前人未到の「空の思想」です。

聖書学者でさえ、キリスト教が今後向うべき方向は、仏教の空の思想、と
言っている。

839 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:42:26.00 ID:M1LWiKUH
>>832
大乗仏教では、「一切皆苦」など、すでに棚上げして、「生きるための宗教」を
目指している。岩波仏教辞典の「苦」の項目の、「苦概念の変遷」をご参照
ください。

840 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:49:01.58 ID:y6K+Y2Aa
>>832
>なぜかというと、そもそも汚れている有漏の存在である一切(一切皆苦)を間接的に否定しているから
>多因多果が試論と観察と議論によって支持されているなら
>充分に合理的であるなら仏教徒は一切皆苦を棚上げするかもね

どういうこと?

>チベットの人は一切有漏皆苦と言っていたな
>一切皆苦だと仏様まで苦しむことになるとか言ってた

チベットというより、北伝系仏教ね。サンスクリット系仏教と言ってもいいかも。
詳しくは馬場さんの著作、論文をどうぞ。

>>833
>もし現時点において上座が多因多果を認めているなら
>大乗が上座に対して論理的な優位性を持つとは言い難くなるように思う

なんで?

>世親の唯識(余れる物のあつかい)にしても龍樹の2仏身論にしても
>『釈尊が3アソウギ劫かけて悟ったのに慈悲を施すのが50年ほどでは不合理だ』
>そのような心情があったと聞く

レーベンのジャータカ的解釈w いやそれは無理、パーリでもジャータカはあるから、釈尊が成仏するのに時間が掛かったというのは、パーリでも同じでしょ。

それよりも、仏身論は認識・見解の高さの違いですよ。
それと、誓願、菩提心、普賢行、無住処涅槃ね。

841 :ID違うが:2011/03/03(木) 08:50:01.80 ID:/FLD33a8
>>834
>平川氏や中村氏が、その「相互依存性」という翻訳に当たり、
>「全体的意味の理解のために」青目注釈を参照しなかったとでも。
アホかw
今、前(さき)の「言語習慣云々」の件で言えば、
【 >青目注釈を参照 するなら】、「特に言語を用いることを指す」ということが【 >「全体的意味 】として読める、ということだ。
貴方は、それを、「本文には無い」「所詮註釈」と切って捨てたのですよ?w
その貴方が、「本文には無いけど註釈にはある」と言いますかwww

ちなみに、今回も、「内容(例えば言語習慣云々)についてでなく」、
「貴方の御都合主義を“構図として”」御指摘申し上げているわけですw

>「相対性」の原語については、前レスで・・・・・・
だからw
「相対性」に対応する原語は、中論本文(頌)に存在しない、と言っとろうがw
>でどなたかが挙げてくれた3名の漢訳者の漢訳では
その原語は(an)upAdAyaだと示されてるだろw
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/488
> 「受する」に該当するサンスクリット語とその辞書的意味をご教示ください。
upAdAya  (monier)
having received or acquired / receiving , acquiring /
taking with , together with / including , inclusive of /
by help of , by means of (acc.)

upadaya (PTS)
T.“taking it up” 1.out of , as , for 2.compared with , alongside of , with reference to , according to ,
U.“hanging on to derived” usually as [anupAdAya]
not clinging to without any (further) clinging (to rebirth) , emancipated , unconditioned , free

【互いに】授受【し合う】ということ(少なくとも「与える」という方向性)は含意されてないんだよw

842 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:54:35.72 ID:ghRHymoi
世親や龍樹は即身成仏についてどう考えていたのだろう
昨今流行の『今ここに涅槃を見る』傾向に対してどう反応しただろう

843 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 08:58:48.46 ID:M1LWiKUH
>>841
>【互いに】授受【し合う】ということ(少なくとも「与える」という方向性
>は含意されてないんだよw

「受ける者」がいるのは、「与える者」がいるからですよw。




844 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:07:37.92 ID:ghRHymoi
>>840
唯物の視点に立って考慮しなおしたどうなるかと思いまして。

845 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:09:09.83 ID:y6K+Y2Aa
>>836
そりゃ、ただの邪推だ。山口益先生の『仏教思想入門』か『仏教学序説』を読むといいよ。

>>837
>もし解脱していない釈尊が3阿僧祇あまりも意思的に過ごせたのなら

そんな説はないよ。ただ発心してから資糧積集したということは説かれる。
>>837
>もし解脱していない釈尊が3阿僧祇あまりも意思的に過ごせたのなら

>>842
>昨今流行の『今ここに涅槃を見る』傾向に対してどう反応しただろう

それが「今の平凡な意識が涅槃」という意味なら、釈尊以来勘違いだと否定されてるよ〜

言葉として「現法涅槃」と言われ『梵網経』以来否定されている。
そりゃ、そうだ。それじゃ一切皆苦と完全に矛盾するからね。

846 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:11:02.28 ID:y6K+Y2Aa
>>844
それは前提が間違ってるでしょ。
唯物論ってのは真っ向から縁起・空に反する考えだもん。
もちろん、虚無論も縁起・空に反するけど。


847 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:16:17.72 ID:/FLD33a8
>>843
【互いに】・【し合う】と強調した意味が解らんか?w
upAdAyaに於いては「一方向的」だということだよ。
対概念として、或いは相対的【位置関係】としての話ではないのだよ。

また、対概念とは同時存在を必ずしも意味しない。
他の種々の論点の時も、(そして何より「相対性、相互依存性」という考え方に際しても)、ここを典型的に錯誤しているようだな・・。
 *(これは、「時間性の排除が可能かどうか」或いは「認識の一瞬性、一過性」という論点とも関わる部分だが。)

848 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:17:14.67 ID:M1LWiKUH
>>846
涅槃や天国や来世の実在を信じるほうが、よほど「唯物的」だね。唯物論者は
そのような「妄想」はしない。

849 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:20:02.49 ID:y6K+Y2Aa
>>848
>涅槃や天国や来世の実在を信じるほうが、よほど「唯物的」だね。

なんでだ? お前は、こんな適当なことばっか言ってるから、誰にも信用されなくなるんだよ。

まあ、言っても分かんないだろうけど。

850 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:23:18.14 ID:ghRHymoi
>>846

若い学徒に対して他に対する寛容をすすめるのは当然として
既存の全仏教に対して正確な理解を起こすのは難しいですよね

もし実習を伴うことなら、なるべくシンプルなほうがいい
実習によって見解が自然に導かれることなら
自修者が唯物論者であっても有効に働く実習方便もあるかもしれない

851 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:31:44.32 ID:ghRHymoi
>>849
もし天国や神仏が絶対にないと心底みなしている人がいたら、ある意味悟っている
その人は死ぬ間際にも取り乱したりしないだろうし
独自の倫理観をもっているでしょう

その人は普通の人とは呼べません
さがせば結構いるかもしれない
少し前まではその手の人は近代主義者と呼ばれてましたね
リベラルとも少し違う人種

852 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:31:59.21 ID:y6K+Y2Aa
>>850
そりゃ簡潔なのはいいことですが。
唯物論というのは、仏教徒が避けるべき見解の最たるものですから、それはない。
物が実在する、自分が実在するという見方こそが苦しみの根源だというのは、
あらゆる時代、あらゆる地域の伝統仏教の一貫した基本姿勢なので、

そこは譲れないところでしょう。


853 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:34:25.92 ID:M1LWiKUH
>>847
>upAdAyaに於いては「一方向的」だということだよ。

引用の定義は、すべて、"from someone else", "from the other"を予定しているのですよw。

例えば、receiving or acquiring (from someone else) (from the other)としなければ、
英語にはなりません。その'someone else" "the other"(誰でも代入できる)からみれば、
「与える」ことになります。このようにして、「双方向性」「相互依存性」が成立します。

854 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:35:34.34 ID:y6K+Y2Aa
>>851
そういう立場をその人が取るのは自由だけど、
そういう考えを仏教に混ぜて、ただ自説を語ってるのに仏教を語ってるように擬装するのは止めて欲しいだけです。

ですから、生命教にしろ、タヌポンにしろ、松本信者にしろ、
仏教抜きに自説として語るなら、好きにしてくださいという立場です。

仏教を語るなら、キッチリ根拠に基づいて妥当な内容でお願いしますと言ってるだけですよ。


855 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 09:43:33.69 ID:X1dEUEPi
>>832
>一切皆苦だと仏様まで苦しむことになるとか言ってた

だからぁ〜

仏教でいう「一切」とは、現象界に限定されると繰り返しいってるでしょうが・・・。
ホトケ(解脱者)というのは、この現象界を超越した存在。
物質現象界を支配する諸法則から脱して、己れの意志のままに自在であると。
だから、一切には含まれないから(いわば「一切外」だということ)。

ワカランなぁ・・・

856 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:48:18.16 ID:M1LWiKUH
ここは日本の仏教スレなのに、釈迦教徒・小乗教徒が群がりすぎ。

それらの人々は、その「釈迦盲信」故に、「偉いお釈迦様」が説かれた「12
因縁」や「業報」が崩壊してしまう恐れから、必死で「因果関係論」にしがみ
付いているだけ。

そもそも「一切皆苦」が釈迦の鬱病の症状に過ぎず、健常者には通用しない
思想であることは、すでに何度も述べた。

キリスト教の「罪概念」と同様、「苦概念」を植え付けなければ、信者を
洗脳できないからです。極めて悪質な布教手段であると言わざるを得ない。

宗教も、人間の他の営みと同様、常に進歩している、進歩しなければならない、
ということを、片時も忘れてはならない。時代も全く変化したのに、2500年
前の思想に執着していること自体が、倒錯と異常ではないのかね。

857 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:49:46.51 ID:y6K+Y2Aa
>>855
だから、マーヤー/ブラフマン、仮象/実在、現象/真実といった見解は仏教じゃないって。

君が仏典にそれを読み込んだのは全て誤読だって、何度も指摘されてるのに。


858 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 09:52:56.17 ID:ghRHymoi
>>854
まったく同意します
もしかしたら隠居は>851のような人を求めて此処に書き込んでいるのかもしれないと思います
戦争の影響だと思いますが20年ほど前はある種の理想像として
このタイプの人間の映画が結構あった気がします
さいきんでは村上春樹が書いてますね

>>850
無いという時、どの程度まで無いのか
この場合の唯物論とは来世が無いという意味ですよね?

859 :たちあがれ生長の家:2011/03/03(木) 09:55:40.43 ID:5JbmWqji
『背水の陣を布(し)け、全力が出る』
進むほかに道がない!
これほど吾(われ)らにとって強いことがあろうか。
一歩でも動けば、それは退歩でなく進歩であるのだ。
げに『背水の陣』のうちには万物が備わっているのである。
自己に宿る無限力を信ぜよ。
事業も病気も等しく背水の陣を布いたときそれを生かす全力が出るのである。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます

860 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 10:01:25.51 ID:M1LWiKUH
>855
君は、現象界を超越した世界の「実在」など信じているの?それじゃ筋金入りの
「唯物論者」じゃんw。

心理現象は、すべて「生命現象を現す肉体」から生じる。死者には、心理現象も
感覚も生じない。そもそも、思考器官も感覚器官も、腐敗するか灰になり、
その機能を喪失する。

「含まれない物がある一切」という言葉は、そのまま言語・論理矛盾。

このように、小乗仏教(釈迦仏教)にはカルトが群がってくる。

861 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 10:02:24.01 ID:X1dEUEPi
>>857
(偏見)だから・・・
仏陀、入滅後の仏教界には解脱者が一人も輩出しないのです(これが現実/実態/結果)。



862 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 10:03:16.11 ID:y6K+Y2Aa
>>858
ですね。より正確にはアメリカの戦後教育と戦前の精神主義の反動としての共産主義的唯物論でしょう。

共産主義的唯物論を選択して、それ以外の見解を否定するという形で突き進むと、結果は連合赤軍になることは明白でしょう。

連合赤軍の森・永山が革命を連呼して、屁理屈でエゴを押し通したように、
生命教は、生命とか相対性を連呼して、エゴを押し通そうとしているようにしか見えません。
それは端的にレイプ肯定に明らかでしょう。

幸いなことに生命教は知識も論理もないので、ほとんど賛同者がいないので連合赤軍のようなことにはならないでしょう。


863 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 10:04:09.29 ID:ghRHymoi
私にとってはなかなか勉強になるお話でした
どうもありがとうございました

864 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 10:06:20.28 ID:y6K+Y2Aa
>>861
また、それか。ビルマ・チベットに多くの解脱者がいることを明示したんだが。
たしか、リンクも貼ったよね。

全く、君がやってるのは仏教ではなくて、ヒンドゥーなんだから、
なんで仏教を名のるかな〜
まあ、ヒンドゥーは、仏教と同じって言う人がいるからしかたないか。


865 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 10:10:49.18 ID:M1LWiKUH
原始仏教(例えばスッタニパータ)では、釈迦は明らかに「輪廻転生」を説いて
いることは否定できない。この「教え」こそが、カルト発生の元凶。

宝珠も、その痛ましい犠牲者の一人。

866 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 10:34:20.10 ID:X1dEUEPi
>>865
転生(輪廻)するから、成長を遂げることもできる。
今生の良き行為(前向きな努力)は来世の良き果報を受ける。
すべての学びを終了したら輪廻は止む。
つまり、“卒業”をする。

あなたがいくら感情的に否定しようとも、
あなたを形成している因子(基礎)のべては過去世に拠るもの。
あなたの両親、あなたの出世地、あなたの出生年月日といった諸々の諸条件は、
すべてなるべくしてなった。偶然ではなく規定されたものです。
その流れは過去世の自分(あなた)に拠るもの。

いずれは総てを自分で想起できるから大丈夫。
輪廻思想を馬鹿にしていた自分の愚かさに、そのとき気付くから。
(もっと早く気付けていれば・・・と、後悔しきりだ!!)

867 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 10:35:21.96 ID:WWPGKegY
>>861
どうもお久しぶりです。
久々に覗いたのですが、似非仏教徒達はあいも変わらずですね。
全く救いようがありません。

868 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 10:45:48.32 ID:y6K+Y2Aa
>>867
マーヤー/ブラフマン、仮象/実在、現象/真実といった見解は仏教じゃないって。
だから、お前らが縁起・空・仮設が全然分かってないだけなんだが。

まあ、生命教やタヌポンよりマシなのは認める。


869 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 10:48:00.17 ID:WWPGKegY
>>865
>原始仏教(例えばスッタニパータ)では、釈迦は明らかに「輪廻転生」を説いて
>いることは否定できない。

そうだ。その通りだ。君の書いていることを素直に読めるところは評価しよう。といいたい
ところだが、普通の人が原始仏典を読めば、釈迦は明らかに「輪廻転生」を説いて
いる。と読めるのは当たり前の話なんだがな。だがここのエゴのフィルターを通してしか
仏典を読めない似非仏教徒達にかかれば輪廻転生など説いていないとなる。
そろいもそろって、はっきり書かれていることもまともに読めない池沼揃いだ。仏典に
なぜ邪見はおこるのか?とゴータマが弟子に問いかけるシーンがあるが答えは簡単だ。
それはその人達のエゴイズムが引き起こすんだよ。

870 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 10:54:20.73 ID:X1dEUEPi
>>867
はーい、おはようございます。
今年は春が早い感じでイイ気分がします。

でも、良い意味で密教ならば、まだ受け入れの余地はあると思いますね。
私はある意味、ヒンドゥー化した仏教という批判的な視線ではなくて、
古代バラモンの叡智を逆導入していった密教にこそ他の諸派にはない大きな可能性をみます。
密教徒ならば理解はきっと容易でしょう。
そう評価しています。

じゃない方>>868もいますが・・・

871 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 10:54:52.39 ID:WWPGKegY
>>868
どこがどう仏教じゃないのか説明してごらん。
おまえらの、縁起・空・仮設とはただの言葉遊びに過ぎない
妄想だと論破してあげるから。

ちゅうか俺の言っている自性とは、自性とも言えるし、自性などないともいえる。
あるでもなし。ないでもない。あるでもないでもなし。そういう話をしている。
また、ブラフマン、真我などは無自性なものだと言っている。お前の程度の低い
理解度のような、単純な実在、真実などという話をしているんじゃない。

872 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 11:09:56.31 ID:WWPGKegY
>>870
そうですね。おおよそ伝統仏教と呼ばれるものにかぶれている人達は
もっとも真理に遠いところにいる人達です。ただの唯物論に過ぎないのに
中道を使った詭弁で俺達は唯物論じゃないなどと嘘をついている日本の仏教会は
言うに及ばず、テーラワーダ等も終わっています。随分前にも書いたと思うのですが
テーラワーダのHPにあったスッタニパータの翻訳文をみてぶったまげた。
冒頭の「神よ、もしも望むなら雨よ降らせよ」の部分が、彼らの手にかかれば
「天よ、もしも望むなら雨よ降らせよ」に化けるわけです。彼らのエゴイズムが本文の内容
を変えてしまったわけです。本当、終わっとる。

873 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 11:18:53.10 ID:y6K+Y2Aa
>>871

もう何度も説明したが、パーリ『梵網経』に説かれるように三昧で無分別になった境地などを、ブラフマンとの合一などと勘違いして涅槃と考えるのが外道。
この境地をサマタ、止ともいう。

それは間違いであって、三昧中に縁起観等で無我・空を悟らないと解脱できないというのが仏教。
この縁起観等をヴィパサナ、観ともいう。


>>870
>古代バラモンの叡智を逆導入していった密教にこそ他の諸派にはない大きな可能性をみます。
>密教徒ならば理解はきっと容易でしょう。

全く違う。密教というのは、そういうものでなく。
『華厳経』などの大乗経典で説かれる果の境地である、法界、浄土を、
道として修習すること、認識変換することを指している。

ヒンドゥー的な記号や手法を用いるのは、ただの言語習慣に過ぎない。


874 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 11:34:47.03 ID:WWPGKegY
>>873
>無分別になった境地などを、ブラフマンとの合一

誰もそんなことを言っていない。そもそもおまえは自性と真我は違うものだと
理解していない。

>三昧中に縁起観等で無我・空を悟らないと解脱できないというのが仏教。

そのとき真我を悟るんだよ。言ってることわかる?ちゅうかおまえ人の話全然理解
してないのな。でだ、『三昧中に縁起観等で無我・空を悟らないと解脱できないというのが仏教』。
というならそれは具体的にどういうことか説明してごらん。おっと。それは言葉では説明
できないなどと詐欺師のでしかない坊主の詭弁で逃げるなよ。本来言葉では説明できないと言うのは、
識別し得ないそれを、識別智である言葉では説明できないという方便であり、ちゃんと
言葉で説明できるものだからな。さぁ、本質的には全く意味のないただの言葉遊びに過ぎない
お前達の妄想をここで語ってみろ。おもいっきり笑ってあげるからさ。

875 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 11:37:12.08 ID:WWPGKegY
ま、見方を変えれば自性も真我も同じなんだが、真我としてみれば
それは自性ではないので、自性ではないんだがな。

876 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 11:52:38.43 ID:y6K+Y2Aa
>>874

めんどくせ〜、詭弁家だって思い出したは。
自説は語らず、相手に分かってない、分かってないって一方的に印象付けるタイプ。

>誰もそんなことを言っていない。そもそもおまえは自性と真我は違うものだと
>理解していない。

ああ、そうそう、佐倉哲のサイトを誤読して、
一切が自性で、一切以外が真我だったか?

記号は真我だろうが、ブラフマンだろうが、実在、真実だろうが同じだつーの。


>そのとき真我を悟るんだよ。言ってることわかる?ちゅうかおまえ人の話全然理解

じゃ、パーリ・ニカーヤでも漢訳のアーガマでもいいから、
そう書いてあるとこ出してみて、そんなこと書かれてないから。

出せないなら、君の説はおわり。たしか以前も同じことを繰り返してないか?

大乗で、如来蔵や大我といった表現を用いることはあるけど、
それは空性なんだよね〜、
例えば、密教の本尊を空性とせず、真我、アートマン、ブラフマンといった実在と解釈することは誤解であると、インドでも、チベットでも、シナでも、日本でも言ってるよ。

もちろん、幾つかの異端はある、現代の真言宗の一部学者や、チベットのチョナンパだ。
これはもはやヒンドゥーと変わらない。

877 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 12:11:43.38 ID:WWPGKegY
>>876
>自説は語らず、相手に分かってない、分かってないって一方的に印象付けるタイプ。

前に随分語ってきたがな。見える目があるのに見えず、聞こえる耳があっても聞こえない。
ま、違う人はいくら語って聞かせても聞こえないものだ。

>じゃ、パーリ・ニカーヤでも漢訳のアーガマでもいいから、
>そう書いてあるとこ出してみて、そんなこと書かれてないから。

仏典にしろ聖書にしろ肝心な答えはストレートにはどこも書かれていない。
そんなことも知らないのか?ところでゴータマは別に真我やブラフマンを否定していない。
もちろんヴェーダもだ。彼は否定するどころかヴェーダの達人と呼ばれたり、
ブラフマンと同一視されて賞賛されている描写がある。ゴータマがそれらを否定する立場だったなら
その直弟子達がたとえ彼が第三者にそう賞賛されたエピソードが本当にあったとしても、
それを肯定するような記述を、彼の残した教えを後世に残そうという動機で作られた
仏典に残すのは不自然だ。それが答えだ。俺は三昧中に縁起観等で無我・空を悟るということは
真我を悟ることだということを、よく知っている。

>大乗で、如来蔵や大我といった表現を用いることはあるけど、
>それは空性なんだよね〜、

だからそれがそうだとして、なんだって言うんだよ?そんなことしってなんに何の?
そんなことしっていったい何がどう変わるわけ?まさかそれを知ればこの世の生の中で
苦は無くなると??(大爆笑)それをただの妄想だというんだよ。

ちなみに俺も真我とは実体のない無自性な空といっている。

878 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2011/03/03(木) 12:27:47.35 ID:WWPGKegY
光あれば闇あり。それらは相互依存関係にある。
もちろんこの光とは文字通りの光ではなく闇もまたしかり。
私は化輝く明けの明星。私は世を照らす光。私は最初であり最後である者。
アルファであり、オメガである。


俺は籍はカトリックだが、本当はルシフェリアンだ。君らには意味はわかるまい。

879 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 13:20:19.92 ID:X1dEUEPi
>>876
>じゃ、パーリ・ニカーヤでも漢訳のアーガマでもいいから、
>そう書いてあるとこ出してみて、そんなこと書かれてないから。

 『比丘たちよ、しかしながら、まさに、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく
「作り為されたもの」でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在するがゆえに、
それゆえに、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」
「形成されたもの(有為)」からの出離が、覚知されるのである。』(『ウダーナ/Udhâna』8:3)

 覚知しているのは“我(アートマン)”に他ならない。ただし、もちろん迷いの自我性ではない。
ただ、パラモン・ヒンドゥー宗教との全くの同一性として受け取られる誤解を懸念するから、
イエス・ノーといった単純解答を避けただけ。

 で、「有為」が「一切」ね。“一切でないもの”があると。

 『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現
象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは違った
性格のものとなった。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊p143)

 はい。涅槃と如来と一切外でしたね。
諸法無我には涅槃と如来は含まれません。
従って、如来は無我ではない(つまり≒「我」)。

880 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:21:11.41 ID:BamKlTvn
創価はヤクザ後藤組を行使した。しかも本山を攻撃するのに右翼まで使った
これのどこが平和的かつ正義なのでしょうか。最近では創価公明のポスターに
「人にやさしく環境に優しく」などという標語を使っていたが、こういうのを偽善という
のです。
決してやってはならない宗教は
@ 創価学会
A エホバ
B 日本キリスト教団 です。これはしかるべき伝統スジから手に入れた
貴重な情報です
これらの宗教をやると人生のどこかがオカシクなり始めます。なんなら
みなさんも見学しにゆきますか?面白い光景をお目にかけます
創価との関係を元後藤組組長が暴路、後藤忠政「憚りながら」

創価学会に雇われ、殺人事件も起こしている。
墓苑事業では、反対住民の自宅にブルドーザーで突っ込み、
日本刀で片腕を切り落とした。
又、創価にはヤクザ右翼学会員が多いのをご存知ですか?聖教を読んでるせいか
素行の悪い学会員が多いのは偶然ですか?それと創価を誹謗中傷して破門になった会員もいる。学会批判をさせないために恫喝してきた。手法は

「創価はオウムより怖いのだよ」という恫喝でニセ本尊等々の批判
をさせてこなかったという話を会員から聞いた。また病人と貧乏人の集合体となり果ててしまったのは偶然ですか?

881 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 13:23:24.26 ID:X1dEUEPi
はい。解答終了。
理解できるできないは“あなた”次第。

882 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 13:26:15.75 ID:X1dEUEPi
追記:

よって、
勝手に諸法無我の中に涅槃と如来を含めた自称仏教徒の間違いです。

883 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:27:58.57 ID:cadj7lsE
876
密教の本尊も、隠居や日蓮や他の衆生と同様な意味でいるだけ、
という意味?

それとも彼らは単に象徴?

884 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:30:41.35 ID:y6K+Y2Aa
>>879
記憶ってもんがないんの?

流石にカラスはそのウダーナは否定されたから使わないだろう。

『ウダーナヴァルガ』26章にも並行偈があるけど、
そりゃ、戯論寂滅ってことで、ブラフマンじゃないんだって。
『中論』の18.9 と同じこと。

何回言ってもだめだね。

君らの理解は、オイラも最初の五年ぐらいそうだったで、
よく分かるよ。それは違う。そんな単純なものじゃない。


885 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:33:55.36 ID:y6K+Y2Aa
>>879
> 『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現
>象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
>この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは違った
>性格のものとなった。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊p143)


それ、部派でしょ。水野先生も逸脱ってニュアンスで書いてるし。

しかも、唯識や中観でも無為法は使われることがあるけど、
それは空性なんだって。

無理、無理、そんな中途半端なこじつけじゃ。

886 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:37:55.59 ID:cadj7lsE
釈迦はベーダ認めるかなあ。
神々の加護で相手ぶっ殺して
戦利品ゲットだぜヒャッハー!や四カーストがプルシャから発生する描写があるのに・・・

887 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 13:40:12.42 ID:X1dEUEPi
>>884-885
認めなくない気持ちはわかります。
信仰は自由なので、どうぞ・・・。

888 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:41:05.80 ID:cadj7lsE
彼らなりに真理を探求し、身を修めていることについて
一定の評価を与えることはあっても
それ以上は無いんじゃないの。

889 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 13:44:14.04 ID:X1dEUEPi
>>886
 『諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起ることを正しく知って、省察して(食料を)受用し、理法に住す
るヴェーダの達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることがない。』(スッタニパータ749 )
 『何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、
──かれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸に達して、心の荒びなく、疑惑もない。』(同1059)
 『またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨て
て、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り越えた』とわたくしは説く。』
(同1060)

890 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:46:46.26 ID:y6K+Y2Aa
>>887
逆に、君こそ何の伝統も継承せず、テキストも読めないし、
ヒンドゥーによってるんだから、自分がやってるのは仏教じゃないと認めたくないだけでしょ。

君のような説を唱えている仏教学者は、津田真一先生と宮元啓一さんぐらいだよ。
どちらも、空性を認めない学者。

もちろん、伝統仏教では、チョナン派と真言宗の一部ぐらいしかないわけだし。

なのにどうして、頑固に仏教に拘るのか分からんな〜

要するに君らも生命教やタヌポン、松本教と同じで、
仏教って言わないと、誰も相手にしてくれないから、仏教、仏教って言ってるだけとしか思えないな〜


891 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:48:39.34 ID:cadj7lsE
うん。だから、彼らなりに真理を探求し、身を修めていることについては評価してるだろうが、
それ以上は無いんじゃないの、と言っている。

ヴェーダに釈迦の教えと真っ向から反する要素が有る限り、
そう考えるのが妥当。

892 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 13:55:34.61 ID:y6K+Y2Aa
>>889
そのヴェーダの達人ってのは皮肉なんだけどな〜

もし、釈尊の悟りがヴェーダやウパニシャッドと同じなら、
釈尊はそう仰るでしょう。

釈尊自身、私は古人の道を見つけただけだとか、
仏が出も出らずとも、法性は不変と仰ってるからね。

しかしながら、この法性というのは、ブラフマンじゃないぜ。
縁起の法則だ。これあらばこれあり。といったあり方で世の中が成り立つということ。


893 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/03/03(木) 14:00:30.48 ID:X1dEUEPi
>>890
自分自身については別に何も困ってない。
世間で「仏教」と言われているものがどんなものだろうと。

まっ、自称仏教者にとっては確かにお節介でしょうね。
では、また^^

894 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 14:03:29.93 ID:cadj7lsE
提示された問題点に何も答えず消えてしまうのか。

895 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 14:47:12.30 ID:y6K+Y2Aa
>>893
そりゃ、今は困らないでしょ。後で困ると思うよ。

>>894
彼は直観と信念だけで、一応根拠は示すけど、論証できないタイプだから。



896 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 15:10:52.92 ID:wPsyV43o
>>892
むしろ釈迦→ウパニシャッドでしょ。
釈迦以前のヴェーダなんて内容スカスカだし
頭のいい釈迦や自由思想家たちの精緻な大論争を経て
その影響をもろに受けてウパニシャッドが完成した
と考えるのが自然だと思うけど。

897 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 15:20:26.41 ID:y6K+Y2Aa
>>896
いや〜、ウパニシャッドもいろいろだけど、釈尊に先行するウパニシャッドの言語習慣を用いているというのは文献学的に了承されてるけどね。

シュトラウス、オルデンベルグ、辻直四郎、荒牧典俊、村上真完あたりで充分じゃないか?

もし、君の説が論証できるなら、インド学は変わるよ。


898 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 16:26:53.37 ID:ig6iv5GS
>>807
これは、縁起には 主要なもの・明白なもの・共通しないもの があるということで、
多因多果・・・・ということですかね?

ここ(多因多果)に時間的な関係も入るということで、釈迦の縁起は
「相依性」じゃないということですか?

だとしたら、違いますね。

899 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 16:39:53.65 ID:ig6iv5GS
>>805
<釈迦の縁起>
(原因と結果の間に、「時間の幅ある」と曲解した人の解釈)
・これ生じた後に   かれ生ず 
・これ滅した後に   かれ滅す

(正しい解釈)
・これ生じると共に  かれ生ず
・これ滅すると共に  かれ滅す

900 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 16:54:08.16 ID:qcCmgyiL
>>897
縁起について

釈迦や龍樹は縁起について、全て時間性を必須とした?
即ち、時間性を排除した空間的な相依関係のみの関係性を認めなかったのか?
つまり、縁起を非常に包括的に捉え、その中の一部として時間性を伴う因果を
考えるのではなく、時間性を伴わなければ縁起ではない。
釈迦や龍樹はこのように考えていたと思うかい?
これはセブンにも、聞きたいね。

901 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 16:56:28.88 ID:qcCmgyiL
補足

隠居のバカは黙ってなw
うるさいからww

902 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 17:08:30.08 ID:ig6iv5GS
>>805
>「純粋に時間的な因果関係」を認めることが指摘されている。

>【その理由は、同時的因果とか相互的因果、あるいは多因一果を認めれば
「縁起説本来の直線的な時間的構想は破壊されて、空間化、平面化され」、
「危機的な宗教的時間が解体される」というものである。

相互的因果(相依関係?)がだと・・・ → 縁起説本来の直線的な時間的構想は破壊される。

この部分が間違いですよ。
釈迦の縁起は、同時的・順序的 です。
順序があるから、「直線的な時間的構想」は破壊されない。
ただし、時間幅はありません。

例えば、
「左の棒の端を引っ張ったら、右の棒の端が動いた」
という場合・・・、
「左の棒の端を引っ張る」(原因)が先で、
「右の棒の端が動く」(結果)が後です。

しかし、この二つは同時です。
同時だが、順序がある。
だから、「直線的時間構想」は破壊されません。

同時だからといって、「右の棒の端が動くから   左の棒の端を引っ張る」
ということにはなりません。
あくまでも、時間的(順序的)直線は守られます。

また、「右の棒の端を引っ張る」 から、「左の棒の端が動く」 があります。
「左の棒の端が動く」 ということは、「右の棒の端を引っ張る」 という行為があるからです。
この二つは、相依関係です。


903 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 17:10:06.01 ID:y6K+Y2Aa
>>900
それは確信を持っていえないが、無常、無我、空と階層、段階があるように、
縁起にも階層があると思う。

高度な階層の縁起は無時間だと思う。
それは華厳経とか、華厳宗の法蔵が非常に緻密に説かれた。

ただ、無常レヴェルの話をしてる時、
「これあらばこれあり」という場合、「これ」というのは仮設されて、
何か対象、本質、知覚を持った法として捉えられた場合なので、
その場合は、時間性の前提の元で説かれているのではないかと思う。

中観派も龍樹菩薩段階では、そのように説かれてるように思います。

ただ龍樹菩薩も華厳経も当然観ていたので、時間を前提にしない縁起も
知っていたに違いないと思ってます。

そこは、私にはまだ分からない部分ですね。


904 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 17:13:26.02 ID:ghRHymoi
ただいま


カラスと愚者は一切皆苦の否定をみて書き付けたかもしれない
一切の外に何かがあるとすれば彼らの持論が補強される
ところがどっこい上座が多因多果を認めるということは
(大乗と同様の論理的な立場に立つことは)
大乗の論理的な弱さを示すことになるように思える
同じ土俵に上がれば比較は容易です

上座において釈尊は消滅して跡形も無い 
プール2杯分の仏歯は残っているけどw
仮のお別れではなく本当に終わり
大乗のように仏身が残っているなんて甘い話はない
灰身滅智(けしんめっち)を受容するなら仏身は不必要です
隠居が小躍りしそうな話ですw

まっ仏身の有無は俗人の私にはわかりませんけどね
こんど上座の坊様に会ったら聞いてみます

905 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 17:29:33.17 ID:qcCmgyiL
>>903 言ってることは、分かるわ。
縁起を説く相手、状況等により、どのような語りかたになるかは異なり、当然、階層的差異が生じる。

中論は時間性を前提として語られてると思うかい?
言い換えると無時間性の縁起を語っているところはないと言えるのかな?

906 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 17:55:45.70 ID:ghRHymoi
基本的に縁起は識や業の連続性、煩悩の生滅について扱っていて
物については強く言わないような気がする
等無間縁とか

心(識)の苦を滅する為の仏教だから客観的な外の世界より内界を重視する傾向がある
動機を重視したり、実際の結果でなく三業に注目する所とか

907 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 18:41:39.71 ID:+mNJPQSn
>>902
一つ補足しておきますが、貴方の引用した部分は、松本史朗氏の見解です。
対して片山一良氏は、「それだけではない」(時間性(≒因果)と相依性は不可分なものとして)と見ている。
当該論文が「応答」のうちの一部を抜き出したものなので、他何名かも誤解しているようだ。
>>805の引用部最初4行は松本説。

908 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 18:52:46.85 ID:+mNJPQSn
>>888
◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集

〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643

909 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 18:53:29.95 ID:+mNJPQSn
〔ウダーナ8.1-4〕
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250417513/804(8:1)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250417513/805(8:2、8:3)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250417513/807(8:4)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250417513/813(上掲書前文概説)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250417513/814(片山入門概説&8:4新訳)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250417513/816)(補)

 (更に補:
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/158
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/180
  ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110000985580)

910 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 18:54:54.02 ID:+mNJPQSn
あれ?アンカー違ってる・・。
>>908>>887

911 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 18:59:16.58 ID:ig6iv5GS
>>907
片山一良氏が、(時間性(≒因果)と相依性は不可分なものとして)と見ているならば、
縁起=相依性 で、いいんじゃないですか?

912 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:02:28.13 ID:ig6iv5GS
縁起=相依性 ←(釈迦の縁起は相依性といえる)ということ。

913 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:16:55.42 ID:3dpfn73v
>>862
>共産主義的唯物論を選択して、それ以外の見解を否定するという形で突き進
>むと、結果は連合赤軍になることは明白でしょう。

君はマルクスの思想について全く理解していない。
マルクスは唯物論者を自称するが、彼はクリスチャンで、ヘーゲル直系のドイツ
観念論哲学。存在し得ない「共産主義ユートピア」観念信仰の「宗教」。一般に
「擬似宗教」と呼ばれる。宗教だからこそ、良心の呵責なく大量の人を殺すこと
が出来る思想が生まれたのである。

彼の「下部構造」は、「上部構造」であるはずの「価値感」に溢れている。
彼の富に対する憎悪(実は羨望と嫉妬)は、イエスの思想そのまま。富とは、
社会に対する貢献の対価であるという、社会の基本構造に思い至らなかった。

宗教だからこそ、自分の宗教以外の見解を否定する。君たち宗教者も全く同じ。

同じユダヤ人でありながら、フロイトには狂信者も殺人思想も生まれなかった
のは何故か。それは彼が無神論者で、すぐれた臨床精神医学者であったからで
ある。

「生命」は思想でも宗教でも見解でもない。思想・宗教を含め、人間のすべて
の営みの根源であり、それらに優先する「事実」。

君は、「釈迦の見解以外の見解」を否定しないとでも言うのかねw。

914 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:27:34.78 ID:3dpfn73v
>>805
>【その理由は、同時的因果とか相互的因果、あるいは多因一果を認めれば
>「縁起説本来の直線的な時間的構想は破壊されて、空間化、平面化され」、
>「危機的な宗教的時間が解体される」というものである

釈迦教徒の本音が出てるねw。あくまで「釈迦擁護のための」縁起理論w。

915 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:27:45.25 ID:+mNJPQSn
>>900
それについては、以前、全く同じ問いに答えていると思います。
今は、それ以上でも以下でもありません。
参:
仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/489、他下記URL等

>>898
>>637


参:
仏教 議論スレッド 8
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/
309、310、312-313、335-336、339、346、など。
他:
仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/314
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/369
仏教議論スレッド 6
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/97
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/98
【@規制】心と宗教板避難所総合【@鯖落】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/
17、18、36

>>911
誰とは言いませんがw、時間性を排除する輩がいるから、私はその語を使用しないのです。
いや、誰かさんだけでなく、多くの者が(それなりの学者、学者クラスでさえも)、
そのような「形式的縁起」「観念的縁起」「戯論の如き縁起」を語るから、私は敢えて避けるのです。
(「色即是空の独り歩き」に対する反感と同種かもしれませんw)

916 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:36:51.37 ID:3dpfn73v
>>915
「時間制」を排除したら、釈迦の12縁起や業報論が吹っ飛ぶからに
決まってるじゃんw。

917 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:39:54.21 ID:+mNJPQSn
隠居が馬鹿なのはともかくとしてw、
805の引用部6行目が『しかし、これのみかどうか。』で結ばれてることに気付けよwww >>ALL

分割するか注記するかしないと、文の構成が読み取れないのか?
どんだけゆとり教育だよw (;´ー`)y━~~



で、ちなみに、
>>911
805引用6行目の >確かに、このような点を核として縁起は説かれていると思われる の部分、
809最初5行も汲み取っといてくださいw

918 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:43:36.11 ID:v7ClsFQr
釈迦は「時間性」も空であると考えたと思われるが?



919 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:44:50.10 ID:y6K+Y2Aa
>>905
>中論は時間性を前提として語られてると思うかい?
>言い換えると無時間性の縁起を語っているところはないと言えるのかな?

問題は時間を論じるとこだよね。

恐らくないと思うけど、今は保留しておきますね。

もしかしたら、来年の一月頃に答えられるかもしれません。



920 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:47:05.84 ID:3dpfn73v
>>917
「これのみかどうか」とは、「これ」が真っ先に含まれているのは明らか。

その「これ」が問題なのだよ。

921 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:47:47.98 ID:v7ClsFQr
生命も空である。

「生命」なるものは分析的に考えていけば、素粒子の集合体でしかない。

人類が「生命は在る」と思うから、仮定的に存在すると言えるだけのことで

実体として生命が存在するわけではない。





922 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:55:49.66 ID:+mNJPQSn
>>920
そうだよw
(論理的にも、仏教という文脈(その起点・原点)に於いても)、
時間性の排除はあり得ない、というのが、伝統的解釈だよ。
貴方は、『反釈迦』を起点とするから全てを否定したくなるのです。
自分の周囲を、或いは御自身を、御自身の心を、よく観察して御覧なさい。
時間性無き事象がどこにあるのか、と・・。

923 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 19:56:45.78 ID:3dpfn73v
>>921
君の「生命」が存在しなければ、君のその書き込みが出来なかったことは
確かだなw。

「空」を「考える」ことが出来るのも、生命の機能。

釈迦も、己の「我(生命)」がなければ、「無我」を説くことは
できなかったw。矛盾しまくり。

924 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/03(木) 20:10:49.22 ID:zqPUwIl7
>>807 :3/6:
>なぜなら、多くの季節・土地・種子・水と称される因によって、多くの色・香・味・などのある芽と称される果・・・・

因果関係の議論で多因等と言うのはおかしい。
因果と言うのはどんな場合でも「あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している」と言う事に尽きる。
要するに一因一果しかない。
「多くの季節・土地・種子・水と称される因」これだけでない月の引力とか風とか・・・世界中の要因が一つの芽の成長に絡んでいるわけだから。
これらをひっくるめて初期条件と呼んで一因とするしかないでしょ。

さて其の初期条件で結果が一意的に決まると主張するのが決定論(因果論)で必ずしも一意ではないとするのが非決定論的立場で一因多果と言う事であろう。

ここでよく考えて欲しい一因多果の場合その現象がある程度(例えば10年とか)繰り返されると当初の条件と結果には関係性が薄められてゆき因果関係が全く問えない事態になる。

従って因果論は一因一果でないと意味が無いのである。

925 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 20:11:05.60 ID:3dpfn73v
>>922
>貴方は、『反釈迦』を起点とするから全てを否定したくなるのです。

開祖を批判すると、何故そのようにしか反発できないのか。全くの
カルトだな。

「人間」としての釈迦ではなく、釈迦の「教え」を批判しているに
過ぎない。

「時間」とは何かを考えたことがあるのか。時間とは「事象の変化」
のことである。太陽が昇り、沈み、また昇るまでが一日。若葉が萌え、
紅葉し、落葉し、また萌えるまでが一年。

事象は「諸行無常」なのに、時間の要素を少しでも入れたら、事象の
観察は不可能ではないか。違った事象を観察していることになるのだから。

926 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 20:30:57.76 ID:3dpfn73v
>>922
「中論」の平川訳は、現存する唯一のサンスクリット原典から行ったものであり、
それを50年間にわたり中論を研究した中村元氏が監修している。中村氏の
卒業論文は中論だったそうだ。

その平川訳では、「相待性」という言葉が多数使用されており、中論全体を
通じてメインテーマになっている。その言葉が原典に無いとか、平川訳は誤訳
であるなどというのは、平川氏が原典を訳したのではなく、でっち上げたと
言っているに等しい。これは平川氏に対する名誉毀損であり、民事及び刑事の
責任が発生する。学界でも大問題になるだろう。責任を持ってフォローアップ
して欲しい。


927 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 20:37:24.50 ID:v7ClsFQr
>>923
「生命がある」と言うのは「思い込み」にすぎない。
しかし、釈迦は生命が無いと言っているのではない。
「あるように見える」のである。

例えば、君の目の前に、「家がある」としよう。
しかしその家は、材木を組み合わせ、釘を打ち、土台を掘り起こして、仮に成立しているので
単にそれを「家」と呼ぶから家として認識されるに過ぎない。
すなわち空なのである。空とは縁起のことである。
すなわち、材木によって、釘によって、土によって、大工の労働によって、そしてそれを認識する者の心作用によって
かりそめに「家」として成立しているのであり、実際は「縁起」(空)なのである。
材木ですら分析していくと、素粒子のレベルまで解体され、素粒子もまたさらなる構造(縁起)を持つ。
一切が「縁起」なのである。生命があるという見解は家なる現象が未来永劫実在すると言う見解と同様、虚妄なのだ。
例えば、君の「生命」だが、心臓が止まれば、消えてなくなるではないか。心臓の機能によって、君の生命は成り立つ。
すなわち、縁起が生命を成立させているのである。





928 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 20:45:28.07 ID:v7ClsFQr
もし、君が「いや、私の生命は何ものにもよらなぬ確固とした実在である」というのであれば

散弾銃で君の心臓を撃ってみればいい。

もし、君の生命なるものが、縁起ではないと言うのであれば、心臓を撃っても君は死ぬまい。

しかし、君の生命が、たまたま、縁によって成立するものであると言うならば、その縁の一部を構成している、心臓をぶち抜いてしまえば

君の生命も停止する。

柱をぶち抜いたら家が倒壊し、材木に戻ってしまうようなものだ。

すなわち、本質的に、生命と非生命に違いはないのである。

生きているように見え、死んでいるように見えるだけの話で、生も死も実際はないのである。

生命があるとか、死があると言うのは、要するに観念の遊戯でしかないのである。








929 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 20:59:09.19 ID:3dpfn73v
>>927
>「生命がある」と言うのは「思い込み」にすぎない。

そのような考えが、宗教による大量殺戮の原因となる。

君のその書き込みも、大工の作業も、釈迦の教えも生命の機能である。
君たちは、釈迦の教えが「あるように見える」とだけ思っているのか。
実体そのものとして執着しているではないか。

素粒子をいくら集めても、生命を作り出すことは出来ない。

「空」とは「無」でも「あるように見える」ものでもない。「厳然たる実在」
であるが、その実在が、「他との総合依存・関係」によって成立しているが
故に、「執着すべき自性」がないということだけ。

釈迦という1個人にひたすら執着する君たちは、空の対極にあるといえる。

930 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 21:07:35.42 ID:+mNJPQSn
>>926
権威主義丸出しwww
それに、その程度で名誉毀損などと言ったら、
各種学界の論文による応酬は、世界中の弁護士を集めても足りないくらいの訴訟祭りになるだろうよw
そういえば貴方は、
「中村さんは、その原始仏教研究・翻訳という仕事によって、オウム事件に加担した」という旨の発言もしてましたねw
「中村さんは原始仏教研究者であり、大乗には疎い」という旨の発言もしてましたねw
パーリ研究者を「小乗学者」「信者、盲信者」「洗脳された者」という旨の発言もしてましたねw
自分の悪事は不問ですか、そうですかwww

〔権威には依存しない&中村元は小乗支持者で大乗の理解は浅いが中論の理解者〕
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/259 & >>828-829


>>925
お釈迦さんのプロファイリング(というほどでもないがw)もしてあげたでしょ?w お忘れですか?

931 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 21:17:51.10 ID:+mNJPQSn
>>924
>前段。&>従って因果論は一因一果でないと意味が無いのである。
現代語義としての「因果」と、当時の(或いはパーリに於ける)語義を同一視しないことです。
現代の因果(―それは或る意味「物理的因果」に特化したもの、と言えるのかもしれないが―)ではないのです。
少なくとも、貴方が今使用しているような、非常に限定された範囲でのものではないのです。
当該引用文をよく読んでください。

>これらをひっくるめて初期条件と呼んで一因とするしかないでしょ
だから、そう書いてあるじゃないですかw どこ読んでんですか?w
老婆親切&不遜ながら釈すれば、
フレームとして「一因一果」であり、(〔種子→芽〕ということで「一因一果」であり)、
個々別々の繋がりとして、(〔種子A→芽A´、種子B→芽B´、・・・種子n→芽n´)ということで
「多因多果」なんですよ。
これを、【或る文脈で見るから】「一因一果」なんですよ。

932 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 21:20:23.88 ID:y6K+Y2Aa
>>926
デタラメいうなよ。知らんくせに。

現存する中論の梵本なんか一つも見つかってないは。

中論ってのは数年前まで、月称註である『明句論』の梵本から回収された本頌に基づいて行われていた。

しかも、ずっと1903-1913年のプサン本に基づいていたのであって、それに対して他の写本を用いて1978年にドゥ・ヨングが訂正を発表した。

大抵はこの二つを根拠に研究されてきた。平川先生の訳は1974年だから、ドゥ・ヨングの訂正が参照されず、プサン本だけに基づいている。

これに対して、中論研究は自ら『明句論』の写本を用いて訂正しながら読むという時期が続いた。

ところが数年前、チベットに保存されていた『プッタパーリタ註』の梵本がシナで発見され、続いてそのローマ字転写本が発表された。

これによって中論研究は大きく変わった。『明句論』の読みとの異読が多数見つかったからである。

もう一つ中論研究に異変が起きている。中論はペテルスブルグ学派以来のゲルク解釈に基づいてきた。ところがチベット仏教の研究が進むにつれゲルク教学の特殊性が明確になってきた。

だから、ペテルスブルグ学派以来の中観研究は根本的に見直される時期に来ているのである。

さらに、もう一つの発見は石飛先生による『方便心論』の解読と、その中論への応用である。石飛先生の説は、非ゲルクのチベット中観やシナ・日本の三論解釈に接近し、ゲルク中観には接近しない。

このことから、平川訳を始め現在日本で出版されている中論関係の翻訳はもはや過去のものといっていいと思われる。


933 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 21:27:55.51 ID:v7ClsFQr
>>929

釈迦の教えが釈迦の生命によるものということと「縁起」は矛盾していない。

しかし、釈迦の生命も「縁起」によって成立する。

仏教は「教祖」だけをスーパーマンの如く持ち上げて、特別扱いなどにしていないのである。

釈迦もその教えもその生命も縁起によって成立する。

教えを受け継ぐものが居なければ「教え」そのものが無いではないか。

一切は縁起なのである。



934 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 21:31:59.96 ID:v7ClsFQr
>素粒子をいくら集めても、生命を作り出すことは出来ない

では生命の実体とは何だと思うのかね。
それは「縁起」では無いのかね?


935 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 21:41:50.56 ID:v7ClsFQr
もう一度言う。君の心臓を銃弾で撃ちぬいたら、君の生命現象は解体する
つまり、君の生命は縁起によって成り立っていたと言う事だ。
違うのかね?
それとも、君は「俺は心臓なしでも生きていける。生命とはもっと神秘的なものなのだ!」と主張するのかね?






936 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 22:17:21.01 ID:C5e33An5
>>927
お前さん、空を勘違いしている。
空というのは、目に見えない状態・認識できない状態ということであり、存在そのものを否定することではない。

937 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 22:18:48.04 ID:+mNJPQSn
482KBか・・。
隠居はこのまま逃走して、
新スレでまた、何事もなかったかのように登場するのだろうw
宝珠やカラスも、スレ終盤になったんで足跡付けに来たんだろうw
言いっ放しジャーマンが最近の傾向だなw
これだけ不利な状況が示されていて、尚『「仏教」という看板』を渇望する粘り強さは讃してもいいかw

938 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 22:40:23.29 ID:y6K+Y2Aa
>>937
生命教はほんと大丈夫かと思うよ。
誰も問題にしてないことばっか言ってるし。
主張が反証されてもスルーなのは、タヌポン、カラス、宝珠、松本教と一緒でも、あきらかに傑出してる。


939 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/03(木) 23:04:59.16 ID:zqPUwIl7
>>931 :神も仏も名無しさん:

因果関係と言うのは昔も今も変わらない。
今でも種から芽は出る。

>「一因一果」であり、(〔種子→芽〕ということで「一因一果」であり

ですからこれが間違いだと言うののです。
因果と言うのは「あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している」と言う事です。
芽がでるのは先行する「季節・土地・種子・水と称される因」等もろもろの全体としての一因です。

>個々別々の繋がりとして、(〔種子A→芽A´、種子B→芽B´、・・・種子n→芽n´)

これが誤りです、A系もB系もそれぞれ互いに因果的関連性があリうるからです。
世界には無関係の事象はまずありません。

それより 種子A→芽A´ が一意的に決定するとお考えですか?

940 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 23:11:16.06 ID:+mNJPQSn
>>939
馬鹿か?

> 現代語義としての「因果」と、当時の(或いはパーリに於ける)語義を同一視しないことです。
> 現代の因果(―それは或る意味「物理的因果」に特化したもの、と言えるのかもしれないが―)ではないのです。
> 少なくとも、貴方が今使用しているような、非常に限定された範囲でのものではないのです。
> 当該引用文をよく読んでください。

941 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 23:17:40.25 ID:+mNJPQSn
>>939
>それより 種子A→芽A´ が一意的に決定するとお考えですか?

>>127>>150

942 :神も仏も名無しさん:2011/03/03(木) 23:29:51.65 ID:Nwp39cNj
セブンよ、
>(論理的にも、仏教という文脈(その起点・原点)に於いても)、
時間性の排除はあり得ない、というのが、伝統的解釈だよ。

こう言い切ってるが、一代は「華厳経」の中に時間性を必須としない縁起の
世界を見てるが、それは否定するかい?

943 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/03(木) 23:45:30.94 ID:zqPUwIl7
>>941 :神も仏も名無しさん:

それでは縁起(因果+変数)により事象は一意的に結果すると言うことで良いですか?

素人(私)的に考えると、其の前提だと苦が発生すると思うんですね。
良い事をすると良い結果がある。
このことが一意的に決定されるならば苦が発生します。
例えば良いことをお経を上げることだとします。
するとお経地獄に陥るわけです、眠る暇も無くお経をあげ続ける事になる。
勿論良い結果を期待しなければ苦から開放されるわけだが。
その場合は確実に悪い結果がやってくるわけです。

ですから中観というのは縁起を否定的に取り上げないとおかしいと考えますが・・・。

944 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:08:20.52 ID:7xKi4llw
>>942

>>150
仏教 議論スレッド 8
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/335
仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/136-137
仏教議論スレッド 6
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/98


>>943
>良い事をすると良い結果がある。 このことが一意的に決定されるならば
フレームとしてはそうです。(所謂、善因楽果悪因苦果ですね。)
しかし個別の事案については一意的でない、
(つまり、「或る【具体的な】【それのみであるような】結果」が導かれるわけではない、≒岐路がある)、
ということになるでしょうかね。
当然、「苦の感受」があることもあるでしょう。
 *(それを、スパンの切り取り方で果と見做さないということも可能ですし、
  そもそも、その苦もまた空なるものであるという境地に至れれば、その苦は滅することになりますし、
  苦の感受の条件を探索して、そこを遮断することで避ける・滅するという手もあるでしょう。)

>ですから中観というのは縁起を否定的に取り上げないとおかしいと考えますが・・・。
仏教 議論スレッド 8
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288858978/335
仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/136-137
仏教議論スレッド 6
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/98

945 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:13:33.81 ID:QTCt++Za
>>944 だから、セブン自身も
>まさに、そのようにメタな視線による世界が、「重々無尽の縁起」による華厳の法界でしょう。
或いは、曼荼羅もそうでしょう。・・・(この辺は自信無しw)

と言ってるだろ?
俺が聞いているのは華厳で説かれているのは、時間性を必須としない縁起観であり
それは。伝統仏教では?  ということなんだが

946 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:16:23.43 ID:7xKi4llw
ちょいと言い方がまずいかな・・。

>>944
>当然、「苦の感受」があることもあるでしょう。

→ フレーム的には、苦の感受があるとき、「その苦の因は(或いは縁は)善なるものでなかった」、
  と分別すべきである、ということになりましょうか。
だな。
(今一、言い回しに自信無いが・・。 この先は一代にバトン渡したい所だw)

947 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:23:29.52 ID:7xKi4llw
>>945
それは、過去シリーズで出た話で言えば、(スケールに若干の差はあるがw)、
「輪廻に於ける主体の消去」や「涅槃を自覚する主体の消去」、
或いは「一切行と涅槃の関係」といったことと同様の構図と考えてください。
勝義の極として、仏の視座として、悟りの世界としての、時制無き世界「観」である、と・・。
しかしそれは、そのようなものであるが故に、我々の日常とは一線を画しているわけです。
つまり、我々の日常、我々の生に於いては、(→悟り以前に於いては)、時制を伴った縁起としてしかあり得ないわけです。

948 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:32:26.83 ID:QTCt++Za
>>947 いや、俺が言ってるのはそういうことではない。
たとえ、修行完成(解脱)以前の凡夫あいてに説いたのが、時制を伴った縁起
であるとしても、仏教はその究極の世界観として、無時制の縁起を説かなかった
のかい? ということだよ。
俺は仏教徒ではないから、よくは知らないが華厳に説かれている世界というのは
そのようなものなのでは?  と聞いているんだ。

949 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:35:07.03 ID:7xKi4llw
>>945>>948
ちなみに、パーリには「華厳的世界観」は無いですし。(たぶんw)
だから、947のような相似形として捉え、上座部も大乗も連続している(→通仏教的である)と言い得るわけです。
 *ちなみに、片山さん(或いは奈良さん)は、そうした視線をとっているのではないでしょうか・・。
  一代は、「法身」観がパーリと大乗の相違の一つだと述べていたように思いますが、
  これも同様に、教えが(法が)或いは縁起という在り様(≒理法)が「顕現」し続けるということとの相似と
  見ることも可能かもしれません。(これは眉唾の重ね塗りで読んで貰った方がいいかもしれんが・・w)

950 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:38:51.66 ID:QTCt++Za
>>949 正直、何言ってるのかわからん。
華厳は「特異な」存在で通仏教的ではないと?

951 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 00:49:36.58 ID:QTCt++Za
新スレ立てられなかった
誰かよろしく

952 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 01:08:08.20 ID:7xKi4llw
>>951
うまく言えないが、一代が「パーリは見解が低い」と評する部分でもあるが、
私個人は特異なものと思っている。
「因果の拾い上げ」「三世の消去」に関して、古いレスがあると思うが、
そのような形で『「時制」を排する視線のとり方』はアリだとは思う。(ログ漁るのはまた今度にするが。)
ただ、それが、一方向的時間性(つまり可逆性を認めない形で)を有するものと見るべきではないかと思ってはいる。
(小さな縁起が)網の目のように、連関に連関が重なり、大きな縁起のうねりとなったもの、としても、
それが、そうした重層的な連関として相依だとしても、不可逆な縁起として見れば、
「時間性は有しつつも、時制無き法界(≒世界、視線)」として見れるのではないか、ということなんだが、
やっぱり上手く言えてないなw

この辺のこのレベルの話は一代の担当だろw 今の私に言えるのはこの程度までだw

ノシ

953 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 01:11:14.55 ID:IMk/70Lv
>>935
その「銃弾で心臓を打ち抜く行為」も、「生命」によらなければならない。
人間がいくら足掻いても、生命の呪縛を逃れることは出来ない。

生命をいくら思考しても、生命そのものを知ることはできない。知ろうとする
主体と対象とが同一であり、知ったことの正しさの担保は皆無だからである。
知ることができるのは、生命の機能としての生命現象のみ。

生命は、人間が対象化できない唯一の存在であり、宗教を含め、人間のすべての
営みの根源であり、それらに優先するものである。

954 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 01:18:27.30 ID:IMk/70Lv
>>952
釈迦は、そんな小難しいことまで考えてはいないぞ。12縁起や業報論は、
単純な因果関係。

釈迦をいくら追っかけても、何も出てこない。

955 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 01:32:50.05 ID:QTCt++Za
>>952 なるほどね、その辺においては、セブンと一代は見解を異にする
みたいだな。
そういえば、縁起を全て有情の認識とリンクさせるか否か(すなわち
有情の認識を縁起の必須要因とするか否か?)についても見解が
分かれていたな。

それから、さらに疑問をひとつ
「多因多果」だが、これは例えば、「ある花の色、匂い、形・・等につき
それぞれ因があり、あくまでも各因果は、一対一対応で、その複合系を多因多果」
といってるわけか?
それとも、「多種の因が互いに干渉し合い、その結果が一義的に決定不能」
という意味(即ち多果)を指すのか?
あるいは、その両方を含むのか?


956 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 01:35:43.32 ID:IMk/70Lv
>>932
中論の原典に関する最新情報多謝。
仏典も、新たな発見によって刻一刻と変わるということですな。

だから、大昔の仏典に執着することは、無意味ということになる。

新たに発見された原典によってその内容がどのように変更したのかも、
ついでの折に教えてください。

石飛氏がさかんに語っている方便心論は、竜樹の著作であることが確定
したのですか。

私が買った平川訳の「中論の頌」(筑摩書房発行「大乗仏典」所載)の
初版は1974年だから確かに古い。道理で安かったはずだw。

しかし、平川訳でも、全体の論理構成はいささかの乱れも無く完結している。
内容の意味が考え抜かれた、完結した翻訳だと思う。

957 :不説 ◆AnATTa/dJc :2011/03/04(金) 02:36:27.16 ID:b+EuEs2N
>>949>>952 セブン氏
「無い」というか、涅槃の境地(に到った後の状況)については、沈黙して積極的に語ろうとしない、
というのが、パーリ仏教(ブッダゴーサ以降のテーラワーダの伝統)ではないでしょうか?
馬場氏の論文を読んだのは随分前なのでかなりうろおぼえですが、そのようなことも述べられていた
ような気もします。
馬場氏の論文についてはともかく「語らない」=「見解自体がない」と見做すのには、私は賛成でき
ません。ブッダゴーサ長老は意図的にブッダが語らなかった“より高度な境地”について言語化する
ことを避け、そのようなことを語るため増設される後付け経典によって、古い経典の存在が希釈化さ
れ、結果軽んじられ、はてには歪められてしまうような歴史の流れになることを予見し、楔を打ちた
かったのだと思います。

伊勢神宮のように、式年遷宮によって定期的に更新するのも一つの在り方ですし、法隆寺のように、
最古の木造建築としてできるかぎり大切に伝統し維持しようとするのも一つの在り方。前者が大乗
の流れとすれば、後者が上座部の流れに例えられることになると思います。

私自身の選択としては和魂漢才・和魂洋才というのが日本人的だと思うので、時代の流れに合わせ
て柔軟に変遷する伊勢神宮式ライフスタイルが、俗世日本人として相応わしいんじゃないかと。だ
から、国際化時代だから、外国から上座部を直輸入(それも個人輸入)できる時代になったから、
派生商品を買うまでもない。一方一仏教徒としては釈尊の伝統に忠実でいられるから、ここは法隆
寺式でやはり上座部は最高! となる。──という感じですかね。

958 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/04(金) 02:56:13.01 ID:+G4HN73k
>>944 :神も仏も名無しさん:
>しかし個別の事案については一意的でない

個別の事案で一意的でないのに全体として一意的に成ると言う事象は考えられないですが・・・。
とにかく途中で分岐があっては因果は破れていると言える。

>仏教 議論スレッド 8 ・・・・・・・・・・・

過去スレは見れないのですが何か方法がありますか?

959 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/04(金) 02:58:32.94 ID:+G4HN73k
>>944 :神も仏も名無しさん:
>しかし個別の事案については一意的でない

個別の事案で一意的でないのに全体として一意的に成ると言う事象は考えられないですが・・・。
とにかく途中で分岐があっては因果は破れていると言える。

>仏教 議論スレッド 8 ・・・・・・・・・・・

過去スレは見れないのですが何か方法がありますか?

960 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 03:47:44.02 ID:twHfaJmE
2分おきにということはわざと重複レスしてるのか?
このスレッドのどこかに過去スレ見る方法が書いてあった
1から順番に見ていけ


961 :南無中観寺 ◆YdAHdhovBA :2011/03/04(金) 04:47:09.42 ID:+G4HN73k
>>944 :神も仏も名無しさん:
>>150 :神も仏も名無しさん:
>Bである場合もCである場合もある時、必ずしも一対一、或いは一意的・決定的ではありませんが?

全く分かってない。
A→B→C→D→E・・・・・・→Z
と言う風に一意的に決まっていると言うのが因果論。
ビッグバン(A)から今日妻に腹を立てること(Z)も決まってる(A→Z)と言うこと。
途中の信長暗殺(N)の時点をとっても一通りの因果律で事象は決定されていると言う考え方。「Bである場合もCである場合もある」それは誤解です。
どこで楔を打とうと其の時点の完全に完璧な因果関係は成立していると言う考え。

因果が成立すると言う考え方の人は、突き詰めれば上記のような因果律と言うものにならざるを得ないと思いますが。

>Xという「変数」の存在を・・・

其の変数そのものは因果から無関係???
それは因果の前提を犯していて反則。
因というのは初期条件です、変数の要因があればそれは因の一要素に過ぎません。

原因ではない変数の具体例をどうぞ挙げて下さい、そんなものは無いはずです。

>>960 :神も仏も名無しさん:

重複失礼しました。
過去スレ見る方法を発見できませんでした。

962 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 09:18:02.48 ID:twHfaJmE
1から調べてみろといってるだろうが?
調べてみたのか?10分もかからんぞ

そもそも検索もできない情報弱者なのか?
もしかして中観寺は障害者手帳クラスの精神障害者なのか?

ならそう言ってくれ多めに見るようにするから

963 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 09:24:13.74 ID:twHfaJmE
みつけた
つ >>397

397を読んでわかんなきゃ。保護者に聞いてみろ

964 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/04(金) 10:04:00.14 ID:nx1OyTds
皆さん、確定申告はお済みですか?
3月15日までです。

どんな大企業でも、一番緊張するのは貸借対照表です。
(経理部は、顔が緊張してるのがノーマルな状態)
バランスシートともいう。
若干の差異も許されない。この緊張ですw
(わずか1円でもですね)

無職だと、こういう苦労はない。


965 :てすと:2011/03/04(金) 11:25:25.75 ID:21GL5Ta7
>>964
勘定科目に雑損失があるんだが。

966 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 11:31:57.93 ID:VvdeBla9
>>965
机氏が折角シッタカしてるのに、無職の人に分からない話をしちゃ可哀そうだろw

967 :神も仏も名無しさん:2011/03/04(金) 12:52:27.31 ID:HojBzz1v
>>957
>一方一仏教徒としては釈尊の伝統に忠実でいられるから、ここは法隆
>寺式でやはり上座部は最高! となる。──という感じですかね。

大昔の1個人の釈尊を絶対化し、その見解をひたすら追認し、正当化するため
だけの議論なら、それは学問などではないね。単なる宗教の説法と布教に過ぎない。

学問とは、開祖の見解を含めてそれを批判し、一歩前進させること。批判の
ないところには、学問も進歩もない。

968 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2011/03/04(金) 12:58:19.81 ID:nx1OyTds
>>965
それは気の毒ですね><

ちなみに拙者は、損失が出たのは不動産所得の方で、
これは決算書(不動産所得用)において赤字であっても、
確定申告においては所得に参入出来ないそうだよ。
よってこれは、どんなに損失があってもそれに関係なく本業の利益を
申告せにゃいけん。
この場合の損失ってぇのは、固定資産税の租税公課分なんだけど、
これも全部自分でやる。
法人でないので税理士がつかない。

無職においては関係ない話だけど><

969 :てすと:2011/03/04(金) 14:22:32.25 ID:2VH/nEg1
>>968

何が気の毒なのかさっぱりわからないんだが、、

もしかして雑損失が気の毒だと言ってるのか、、?

あと、法人でなくても税理士頼めるんだが、、

501 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)